嘘の感情、真実の涙
「……やっぱり、いたか」
旧校舎の隅。夕闇に沈むその場所で、レンはひとりの男子生徒を見つけた。
うずくまる彼の周囲には、紫がかった光の粒子──異常な感情エネルギー《エモ暴走》の兆候が、ゆらゆらと立ち上っていた。
「やめろ。これ以上、感情を膨らませたら……」
警告の声をかけたレンの言葉は、届かない。
「うるさいッ! どうせ……どうせ誰も、俺のことなんて見てなかったんだ!」
少年の叫びが、空間を歪める。
レンの目には、少年の頭上に浮かぶ感情グラフが見えていた。
怒り:87% 悲しみ:91% 絶望:65%
極限まで高ぶったマイナス感情が、暴走寸前まで膨れ上がっていた。
「やっぱり……感情は、怖いな」
レンはそう呟くと、そっと目を閉じる。
そして――静かに、力を解放した。
「《エモフェイク──起動》」
空気が、凍った。
レンの能力は、偽りの感情を生成し、相手の精神に流し込む力。
本当の怒りも、本当の哀しみも、あえてウソの安らぎで包み込む。
──それは、優しさか。
──それとも、欺瞞か。
「落ち着け。お前は、ひとりじゃない。大丈夫だ。そんな感情、今はしまっておけ」
レンが差し伸べた偽りの安心は、少年の心を静かに覆っていった。
少年の表情が、わずかに緩んでいく。
「……え、あれ……? なんか、落ち着いてきた……?」
感情グラフが一気に沈静化し、空間のひずみも収まる。
そのとき──
「……やるじゃない」
背後から声がして、レンは振り向いた。
そこには柊メイカが立っていた。
制服姿のまま、スマホを片手に、無表情にも見える微笑を浮かべている。
「まさか、本当に発現してたなんてね。あなたの《エモフェイク》、思ったより精度が高い」
「褒めてるのか、監視してるのか、どっちだよ」
「両方。私はEMOのウォッチャーだから」
メイカは少年に目を向けると、軽く肩をすくめた。
「でも、すごいよ。感情が暴走する一歩手前の子に、偽りの感情を流して沈静化させるなんて……普通はトラウマになる」
「だから、偽りなんだろ?」
レンの目が少しだけ曇る。
「……本物の優しさじゃない。ただの操作だ。そんなもんで人を救えるのかよ」
「――偽りでも、救われる人はいるわ」
メイカは、真顔でそう答えた。
「私は、本当ばかりが正しいとは思ってない。だって感情なんて、不安定で、理不尽で、簡単に人を壊すんだから」
「……お前も、そう思うのか」
「ええ……でも」
メイカは、そこで少しだけ目を伏せた。
「私はそれでも、誰かの痛みをちゃんと見ようとしてる。たとえそれが、偽りに包まれていても」
彼女の言葉には、かすかな震えがあった。
それは、レンにはわかる。彼女もまた、過去に誰かを失ったのだと。
「……誰か、お前の大事なやつが、暴走したのか?」
唐突な問いに、メイカは目を見開いた。
そして、小さく、頷く。
「兄よ。私の兄が、本当の感情に押し潰されて──EMOに処理された」
「……処理?」
「感情抹消措置って言えば聞こえはいいけど、実質……存在を消されたのよ。データ上でも記憶上でも」
レンは言葉を失った。
──そんなことが、今の時代に。
「だから私は、見張ってる。自分の感情も、他人の感情も、すべて──」
メイカは、自分の胸元に手を当てる。
「ねえ、レン。あなたはどう思う? 感情って……本当に、信じる価値があるの?」
その問いに、レンはすぐに答えられなかった。
彼自身も、幼いころの何かを思い出せそうで、まだ思い出せずにいる。
だが、今日――ひとつだけ、わかったことがある。
「……誰かの涙を止めるために、偽りの感情を使うなら……俺は、それでいいと思う」
「……そっか」
メイカはふっと、微笑んだ。
「なら、私たち──少しだけ、似てるのかもね」
レンはその言葉に、軽く肩をすくめる。
「皮肉屋の俺と、優等生のお前が似てるなんて、冗談きついぞ」
「でも、ちゃんと、他人の心に触れられる。そういう意味では、あなたの方がずっと人間らしいわよ」
照れ隠しのように視線をそらすレンに、メイカはイタズラっぽく微笑んだ。
空はすでに、夜の色へと染まり始めていた。
感情の渦を越えて、ふたりは静かに並んで歩き出す。
《エモクラウド裏モード》という、もう戻れない世界の中で。
※エンディング演出:「感情メモ」
【真堂レン】
・表層感情:冷静 50%、戸惑い 20%、共感 30%
・深層感情:優しさ 40%、恐れ 25%、覚醒の兆し 35%
【柊メイカ】
・表層感情:監視 40%、好奇心 20%、哀しみ 40%
・深層感情:兄への未練 60%、罪悪感 25%、連帯感(芽生え)15%