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夏、陸前高田にて

毎日一話ずつ、午後8時10分に投稿してます。

舞台は2023年の夏です。


『……たかだえきー、次はー、陸前高田駅にとまりますー』


いつの間にか眠っていたみたいだ。到着を告げる間延びしたバスのアナウンスで、僕は目を覚ました。


ぼんやりする頭を起こせば、びりりと痺れるみたいに首が痛む。

無理やり動かそうと首を右にひねると、隣に座る息吹いぶきと目があった。彼女は淡いピンク色に染まった瞼をにやつかせながら「うひひ」と変な笑い声を漏らした。


穂波ほなみ、爆睡だったよ。面白かった」

「どういう意味だそれ」


僕が睨んだと同時に、しゅううう、と音がしてバスが止まった。「あ、降りなきゃね」息吹が逃げるように飛び出したのをみて、僕もゆっくりと腰をあげた。


七月。僕の住む群馬県では日に日に気温が上がっていって、終わりの見えない暑さに早くも体が悲鳴を上げている。今年の夏は特に暑いらしい。

しかし、やはりこの地は。


「すずしー」


バスのステップを降りた先で、息吹がぐーっと伸びをする。


海から吹く風……浜風はまかぜがさっと彼女の髪の毛をなでる。微かに潮の匂いを含んだ空気を吸い込めば、体中に立ち込めていた眠気はすぐにどこかへふっとんでいった。

夏のど真ん中に僕らを降ろして、関東からのバスは走り去る。


「じゃ、行こっか」


眩しい笑顔を張り付けたまま、息吹が振り向く。舞い上がった風に桜色のワンピースがはらむ様子は、まるで本物の花弁が花開くみたいだった。

去年よりまた少し大人びた彼女をみて、僕は思う。


ああ、今年もまたこの季節がやってきた。


息吹と会う季節。「君」と会う季節。

そして僕らが「故郷ここ」に帰ってくる季節。

その風に懐かしさをかみしめながら、僕もできる限り笑って応える。


「おう。椿つばきも待ってるだろうから、急ごう」



僕と息吹は幼なじみだ。


二人とも岩手県の陸前高田市で生まれ、親同士が仲良かったのもあって五歳までの幼少期を共に過ごした。何をするのにも一緒で、幼少期の思い出には常に隣に息吹がいた。だから、息吹の事なら何でも知っている。好きな食べ物はプリン。嫌いな食べ物はナスとキュウリ。よく笑うけど、その分よく泣く。お母さんが大好きで、毎朝行き渋りで泣いて、なかなか幼稚園のバスに乗ろうとしなかったことも。


しかし、そんな毎日も長くは続かなかった。

今から十二年前の春、のちに「東日本大震災」と呼ばれる大地震が陸前高田を襲った。震災は僕の家族や実家や友達、総て丸呑みしていった。

震災後の大混乱が落ち着いた後、気づいた時には僕は群馬の親戚の叔母さんの家にいた。

息吹は息吹で、親戚の人に連れられて栃木に移り住むことになったと人づてに聞いた。

もう、僕らは毎日のように顔を合わせることができなくなってしまった。


隣に息吹のいない生活。

それは思った以上に悲しくて。

ただ、息吹の笑顔が見たかった。ほんの一瞬でもいい、その笑顔で僕の絶望を照らして欲しかった。


だから、僕は約束したんだ。


また、彼女に会えるように。

『毎年夏に、二人で陸前高田に帰ろう』と。


震災の後、僕は群馬で、息吹は栃木で人生の続きを歩んだ。中学校に入学して、僕はサッカー部、息吹は吹奏楽部に入った。そのまま県下一のサッカー強豪校に進み、サッカー第一の生活を送っている僕と、看護師になりたいとう夢をみつけて、県内でも有数の進学校に合格した息吹。二度と二人の生活が混じることはなくて、ただ一つ、あの時の約束だけが今でも僕らを結んでいた。


高校受験を控えた夏も、新型の感染症が流行り自粛要請がでた夏も、あらゆる静止を振り払って僕らは会ってきた。

きっと幼い頃の僕は寂しかったんだと思う。突然家族も、故郷も亡くなって、親戚という名の他人に連れられ知らない地に住むことになって。自分の生活の中心が百八十度変わって、そんな生活の中に微かに残った「変わらなかったもの」に縋りつきたくて必死だった。


僕は息吹に会える夏が楽しみだった。あと何回寝たら息吹と会える。あの街に帰れる。毎日数えながら布団に入って、息吹の笑顔を考えたら眠れない夜も悲しくなかった。


でも、それはあくまで「過去」の話。

今は眠れない夜なんてない。部活で疲れて、ベットにダイブした瞬間に熟睡の沼に引き摺り込まれる。どうしようもなく寂しくなることも無くなった。他人だった叔母さんとも、長く過ごすうちにそれなりに心を許せる関係になれた。

なにより、沢山の友達ができた。

クラス、部活、委員会、塾。色んなコミュニティを行ったり来たりしながら、その場にいた適当な人を捕まえて、少しずつ言葉を交わしていく。

常に周りに誰かがいた。常に誰かが、僕のそばにいてくれた。

自分、意外と世渡り上手なのかも?忙しい日々を軽やかに笑って乗り越えていたら、気づけば今年もまた、夏がやってきていた。


息吹と会う季節。

昔ほど意味を持たなくなった季節。

下手にすっぽかすこともできず、なんとか予定を空けてなんとなく会いに行く。相変わらず復興途上な故郷を横目に、昔、寂しがり屋な僕が結んだ約束を果たすために。



陸前高田駅からさらにバスにのりかえ、僕らは市の南側にある海岸山を目指した。

海岸山桜門寺かいがんやまおうもんじ

僕らが帰る場所の名前だ。


常盤色ときわいろの松林の中、紅と白の飴玉みたいな提灯が連なる参道が伸びる。その先には桜門寺の山門がひっそりと佇んでいた。


“お寺の山門はね、あの世とこの世を分ける境目なんだよ“


いつか、誰かにそう教えてもらったことを思い出す。

あの世とこの世。

果てしなく遠く離れたように感じる二つの世界は、この門を潜るだけで行き来できるのか。

でも、「君」に会いたい僕らにとってはその方が好都合かもしれない。


五百羅漢ごひゃくらかんさまの並ぶ松林を抜ければ、そこには桜門寺の本堂がどっしりと構えていた。


「つばき、ただいま!!」


息吹の大声が敷地内に反響する。住職の和寿さんも居ないのだろうか。境内は嘘みたいに静まり返って、ただひぐらしのなく声が聞こえた。


風にのって、微かに磯の臭いが香る。


「あっれー……」


おかしいなぁ、息吹がつまらなそうにそう呟いた、その時だった。

ふっ、と誰かが笑った気がした。続いて、背後から透き通った声が飛んでくる。


「おかえり」


「「う、わああ!?」」


素っ頓狂な声をあげて、二人同時に振り返る。


真夏の太陽の下、セーラー服を着た女子高校生がこちらに笑いかけていた。

冬服のセーラー服を着ているのに、汗一つかいていない。腰までの長いポニーテールが風に揺れて、結び目には大きな桜の花がわらっていた。


息吹の黒目がちな瞳が輝く。「椿っ!」そのまま駆け出して、まるで幼子のように彼女に飛びついた。


「もおー、急に出てこないでよ!!びっくりしたじゃん!!」

「あはは、ごめんごめん。だってふたり、全然気づかないんだもの。ずっと本堂の階段に腰掛けて待ってたのよ?」

「えぇ、ほんとー?」

「ほんとほんと。それより息吹、そのワンピース。とっても可愛いわね」

「あ、でしょでしょ!お母さんのお下がりで、お気に入りなの。なのに穂波、全然褒めてくれなくてさー」


椿に抱きついたまま、息吹がむすっと頬を膨らませてこっちを見る。唐突にこちらに矛先が向き、僕は狼狽えた。


「せっかくお洒落してきたのに」


確かになんか目元がキラキラしてるなとか、髪の毛の脇っちょが編み編みで凝ってんなとかは思ってたけど。わざわざ言うほどでもないと思っていた。


「穂波、可愛いと思ったならきちんと言葉にしなきゃ。思ってるだけじゃ伝わらないわよ」


椿に茶々を入れられ、僕は「はいはい、わかったよ」と適当に頷いた。


久々の再会にひとしきり盛り上がったあと、僕らは本堂から少し離れた場所にある和寿さんの家へと向かった。

僕らが寝床として使う予定の和室に足を踏み入れる。エアコンの冷気が火照った身体に心地いい。ちゃぶ台の上では、二本のサイダーが蒼く光っていた。


エー玉を落とす。


からん、からん。煩く輝くビンを傾けると、乾いた喉に爽やかな炭酸が弾けた。


「んー!おいしー」


青い瓶の歪んだ表面に、息吹の横顔がうつる。

その顔に見惚れていたら、突然ガラッと襖が開いた。

慌てて目を逸らす。


「わ、わああ!?って、椿?」


さっきとまるっきり同じ反応を繰り返す息吹に、襖から顔を出した椿は呆れたように笑った。


「なんで私が来るたびにその反応するの」

「だって椿、全く来る気配しないんだもん!」

「それは息吹がぼーっとしてるせいよ」


はい、と椿が僕たちに二本のタオルを差し出す。


「二人とも汗すごいから、ちゃんと拭いてね」

「はーい」


タオルを受け取る。一瞬、椿の手に触れかけて、僕は少しだけ期待してしまう。しかしやっぱり、彼女に触ることはできなかった。

そうだよな。わかりきっていることなのに、その事実に触れるたびいまだに不思議な気分になる。


その声は聞こえど、その手を握ることはできない。

その笑顔は見えても、その温度を感じることはできなくて。

君はどこまでも不明瞭で、不鮮明。


傾けた青い瓶にも、椿の姿だけが映らない。

この世界に、たしかに君は存在していないんだと。


開け放たれた障子窓から風が吹きぬけて、君のポニーテールが揺れるのがはっきりと見えた。肩を叩くかわりに、その名前を呼んでみる。


「つばき」


その一文字一文字を、しっかり噛み締めるみたいに。


まだ君はここにいるんだと、信じたくて。


「なあに、ほなみ」


椿が振り向く。

その姿には透明な青い夏が、どこまでも綺麗に透けていた。

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