7 幼き日の思い出 ②
「これは?」
「はちみつとレモンが入ってるの……、美味しいよ。お祖母さまと一緒に作ったの」
「君が作ったの? そう、とても綺麗だね……。ありがとう、頂くよ」
そのとき近くの木陰からカサっと葉の揺れる音がした。少年は、そちらに視線を向けると目を細めた。
束の間の沈黙を遮るように、少年はエリーに名前を尋ねた。
「エリー。私はエリー・シャロン。あなたのお名前は?」
「アレックス。アレックスと呼んで」
「——アレックス」
その様子を近くから見ていたララがエリーに声を掛けた。帰宅する時間だと知ったエリーは、名残惜し気にアレックスを見た。
「また会える?」
「エリーが会いたいと思えば、また会えるよ」
エリーはふわふわとした気持ちのまま満面の笑みで頷いた。
王宮からの帰り道、馬車の中では、エリーは高鳴り過ぎた胸を休ませるかのように深い眠りについていた。エルはそんなエリーの姿を確認すると、斜め前に腰掛けるララへと視線を向けた。
「ララ、エリーは疲れているようだけど、今日は何をしていたの?」
「本日もバラ園で過ごされました」
「それだけ?」と聞くエルにララは躊躇いながら答えた。
「バラ園には第一王子様がいらっしゃいました。そこで、エリーお嬢様と少し会話をされました」
「バラ園? 勉強会にもお見えにならないで……何をしているのかしら」
「お言葉ではございますが、殿下はとても聡明なお方だとお聞きしております。ご学友の集まりに参加されないのには、何か理由があるのではないのでしょうか」
「確かにね。私の他にご令嬢が二人いるでしょう? 表向きはご学友なんていっているけど、どう考えても殿下の婚約者候補よね。以前から、殿下は婚約には前向きじゃないとキース様から聞いていたけど……。もしかして、彼女たちを避けているのかしら」
「殿下のお考えはわかりかねますが、婚約について思うことはあるやもしれませんね」
「そうね……、ところでエリーと殿下の様子はどうだったの?」
「お二人は、本日初めて言葉を交わされました。初めは警戒されていた殿下も、緊張するエリーお嬢様を見てからは、穏やかに接しておられました」
「——ララ、お母様には私から話すわ。だからこの話はまだ誰にも言わないで。もちろん、お父様とエマにもね」
ララはエルを見つめた後、納得するかのように深く頷いた。
エルは、父親と妹のエマの性格をよく理解しているようだ。二人はエリーが興味を持つと先回りをして調べ上げ、有害と思えば遠ざける。きっと二人に今日のことが知られたら、すぐさま登城禁止の命が下るだろう。父親に「可愛く思っていてもやり過ぎだわ」と幾度となく訴えたが、二人のやり方は変わらなかった。そんな時、父親がエマを連れて長期出張に出向くことを知ったエルは強硬手段に出ることにした。
母親のテレーズと、公爵夫人の叔母にエリーの登城許可を願い出たのだ。
初めは反対していた二人だが、エルから起こり得る未来を示され青ざめた。テレーズもエリーについては案じていた。やり過ぎな夫と次女のエマを止めることのできない自分を不甲斐なくも思っていた。
エルはそんな風に落ち込む母に優しい言葉を掛ける。
「お母様は悪くない」「あの二人は誰にもとめられない」そんな風に慰められたテレーズはころっと態度を変えエルの提案に頷いた。
それからの展開は早かった。テレーズは旧友である王妃に相談をして、登城許可を得ることができたのだ。
こうしてエルの計画は実現した。
だが、このときのエルは知る由もなかった。エリーにとって最愛となる人との出会いがあるということを。
初めて言葉を交わしたあの日から、二人は何度も顔を合わせた。
待ち合わせをすることもなく、約束を交わしたわけでもない。エリーが「会いたい」と思うとアレックスが姿を現した。
「エリー、王宮内も安全だとは言い切れない。あまりふらふらと歩き回ってはいけないよ」
「うん。わかった」
「——本当に分かってるのかな」
アレックスは心配そうにエリーの顔を覗き込んだ。最初の出会いからは想像もつかないくらい、アレックスはエリーに心を開いているようだ。
エリーもまた、完全に心を開ききっている。アレックスに会うと、喜びが隠しきれないといった表情だ。
「今日は温室に行こうか。エリーは花が好きだよね」
「うん、お花大好き。でも、アレックスと一緒ならどこでも嬉しい」
少し離れて二人を見守るララは、隣を歩く男性と視線を交わすと苦笑いした。この男性、二人が初めて言葉を交わしたときに木陰からアレックスを見守っていた護衛のようだ。
二人が会う度に見えない存在の視線が気になり、ララが探して声をかけた。それからは、アレックスの許可を得て姿を現し護衛の任務をこなしている。