仮面
それから私は、コンクールに入選できるような絵を描くことを意識した。
構図や色彩についての勉強も沢山した。
行き詰まったときには、両親に相談した。
私が聞くと、両親は絵に真剣な私を見て嬉しそうにしながら答えてくれて、ときには部屋まで来て絵を見てアドバイスをしてくれた。
そのおかげで、小学校6年間はいつも入選することができ、そのたびに両親に祝って貰えた。
でも中学1年生のとき、初めて入選できなかった。
学校の勉強が途端に難しくなり、絵に集中できなかったからだった。
両親には、いつもコンクールのテーマについて話していたから、コンクールはなかったなんていう言い逃れはできなかったし、別に大丈夫だと思っていた。
この頃は、両親がうざったくなり一人の時間が逆に大事になっていたから。
入選できなかったことを伝えると「私達の娘なのに」というような内容をいつまでも話され、両親が納得のいくコンクールテーマの絵を描けるまで部屋から出してもらえなかった。
これを私は"反省会"と呼んだ。
反抗期はこれで終わった。
私が[いい子]の仮面を被ることを覚えたから。
失望されるのが怖くなったから。
2年生からは美術部にも入部したため、コンクールの機会が増えた。
絵は上手くなったが目標が入選から優秀賞に変わり、反省会の回数も比例するかのように増えた。
中学校ではテストの順位が張り出され、学力が可視化されたために問題が起こった。
順位がかなり高かった。一桁に入るかどうかぐらいだった。
だからクラスメイトや先生から期待された。
"絵が上手くて、頭が良い"
いつも言われた。
いつも考えた。
順位が下がったら?絵が入選すらできなかったら?
クラスメイトと関わるのが怖かった。
失望されたくなかった。
だから[優等生]の仮面を被った。
"本当のわたし"でいるから怖いんだ。
「勉強しなきゃだから、また今度遊ぼ!」
いつの間にか私の口癖になっていた。
本当はみんなと遊びたい。
可愛い服を着てショッピングしたり、放課後集まってカフェとか行きたい。
でも[優等生]に、[いい子]に見えるの?
もう分からなくなっていた。
仮面が馴染んで、取るのが怖くなっていた。
いつの間にか仮面が"私"になっていた。




