くだならいZ世代批判へのZ世代の苦悩
本作は、皮肉と暴言が少し多いです。
ですから、苦手な方にはお勧めを致しません。
認識しているのならば、改善をしろと言われるかも知れませんが、思ったことを書きたかったのでお許しを頂けると幸いです。
Z世代というのは、大変忌々しい言葉であります。
私は超がつくほどに嫌いです。
私自身は、一応ギリギリでこの世代に属します。
ですからこそ、この言葉を一層忌々しく思えます。
その要因を言えば、愚かしい理論を展開する上の世代が嫌いだからです。
例えば、Z世代には教養がない、と言う方が居ます。
ええ、これは尤もなことです。
下を見れば、何処までも愚かな人が居ます。
しかし、現状の下の数値と昔の平均値を比べるというのは、可笑しな話です。
比べるのならば、下の値と下の値で比べるべきです。
次の例としては、Z世代には他者に対する善意がない、と仰る方がございます。
これも尤もなことでしょう。
しかし、上の世代には果たして他者に対する善意があるでしょうか?
私は甚だ疑問です。
従業員を過労死させるような素晴らしい企業と社会を作った上の世代には、さぞ素晴らしい善意があるのでしょうね。
……さて、随分と乱暴な論調でありましたから、此処からは真面目に書きます。
私が思うに、上記のような理論を展開したとしても、確かにZ世代に対する批判として使えるのかも知れないが、この論調で責めるのは少々愚かなのだろうと思います。
例えば、教養や善意というのは、一般的に義務教育や道徳教育によって身につくものでしょう。これが欠乏しているのであれば、義務教育や道徳教育に失敗があったことに違いがありません。
では、その教育的失敗がZ世代単一の欠点によるものなのかといえば、その限りではないのでしょう。
現代の教育を作ったのは誰でしょうか?
Z世代でしょうか?
ええ、違います。もう既に成人して、それに関わった方も居るのかも知れませんが、概ねZ世代よりも上の世代でしょう。
ですからこそ、この論調で責めるのは、少々可笑しな話です。
この状況をもっと分かり易くするとそうですね……。
例えば、コンビニで発注ミスをしたとしましょう。
A氏がコンビニで本来は、十個のパンを発注するところ、一千個発注してしまいました。
そして、この発注ミスによってパンが、九百個近く余ったとします。
これでA氏がこの様に言います。
「このコンビニの販売戦略は、本当に酷い。だから赤字になってしまった」
現状のZ世代批判は、このような馬鹿らしい要素を含んでいると言えましょう。
……あり得ないだろう、という指摘はやめて頂けると幸いです。単に分かり易くする例示に過ぎませんから。
さて、言うなればZ世代批判というのは、上の世代、例えばバブル世代であるとか、氷河期世代であるとかの他責思考によるものだと言えましょう。
こう言っていると、その世代の方々に色々と文句を言われそうでございますが、しかしZ世代の失敗だけを見るなとしか私には言いようがありません。
たぶん単なる予想に過ぎませんが、過度なZ世代批判をする人というのは、そういった自分の世代の自戒が出来ないタイプでしょうし。
正味、どれだけ説明しても理解出来る知性がない、もしくは理解しないタイプの人種なのだろう、と思います。
少し逸れてしまったので戻しますが、私自身としてはこの上の世代の責任を、下の世代に丸投げし、そしてそれを一方的に責め立てるという状況は、どうにかして改善すべきだと思うわけです。
以前、ゆとり世代にもしていたことを、続けてしているのでしょうけど、このくだらない暴論で状況が改善するのだと思っているとすれば、まさに愚者でしょう。
この行為というのは、上の世代への忌避感を強めるだけに止まらず、Z世代の生存理由を見失わせることに繋がると思います。
現状Z世代からしたら、上の世代は批判をするだけで、改善をしない信用の出来ない馬鹿者であるし、周りの同世代は教養と善意のない冷たい人達です。
これでは生きたいと思うのが可笑しな話です。
しかし、こうも酷い状況であるのならば、もはや上の世代がこれを望んだようにさえ思えます。
そう考えれば、これは受け継いでいくべき負の文化なのかも知れません。
これがきっと我々Z世代の出来る上の世代への孝行でしょう。
彼らが望んだ馬鹿と冷淡と自己中、これらに満たされた日本を作ってやりましょう。
それがきっと我々の出来る最後の仕事です。
……まあ、こういった悲観というか、皮肉で終わるのも私的には、良いと思いますが流石にそれはどうかと思うのでやめます。
さて、このような負の文化というのは、現実的に考えれば今代ではなくならないでしょう。
問題を理解しない馬鹿が一定数存在するという話でもありますし、そもそも何も考えない能無しがどの世代にもいるのでありますから。
それにそもそもとして、現状の社会批判の上では、現状の大人世代の失敗が認識されない、もしくは認識しない印象が私にはあります。
結局の所、時代に適応した変化が出来なかったその世代が悪いのだろう、といってしまえるのでしょうが、認められないのでしょう。
ですからこそ、状況は改善のかの字も見出せないし、あろうことか子供世代の知能と能力に問題を見出す。
まあ、だからこそ端から大人世代に期待することなど、全くないわけであります。
しかし、だからといって子供世代での自己解決は出来ない。
かといって、大人と協力をしようにも、先程の通り大人で現状を改革しようとする人が居ない。
その為、最早どうにもならないわけです。
なので、認識を改めろというつもりは少ししかありません。
というよりも、誰も認識を改めようとは思わないでしょう。
若者の発言というのは、無条件に戯れ言、放言と認識されるのが常でありますから。
お読み頂き御礼を申し上げます。
さて、少々内容が力ってしまったと認識が拭えませんので、私の言いたいことをまとめさせて頂きます。
思うに現状のZ世代批判というのは、少々無思慮であります。
よくよく考えずとも分かるとおり、現状の失敗というのは大人世代の失敗に他ならないのに、それを見ようとはしない。
しかし、結局の所誰も見て見ぬ振りをするのだから、改善するべきであっても改善は不可能なこと。
思うに、下の世代の言葉を聞くことすらしない。
だからこそ、若者の言葉を、例え戯れ言だと思っても、よくよく考えて欲しい。
そして、現状と自分たちの関係を忘れないで欲しい、言いたいのは大体この程度の事です。