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イタチの短編小説

数年前、私は自宅で意識を失い救急搬送されました

作者: 板近 代

 散歩の帰り道。あと少しで自宅というところに、信号待ちをしている救急車がいました。信号待ちをしているということは、緊急走行中ではないということ。当然サイレンも鳴らしておらず、赤いランプも回転していません。


「もしかして……私を運んでくれた人が乗っていたりするのかな」


 数年前、私は自宅で意識を失い救急搬送されました。気を失ったのは、小説を書いている最中のことであったと思います。救急車を呼んでくれたのは、私が倒れた音を聞いて驚いた家族であると思います。


 思います…………というのは、私自身にその時の記憶がないからですね。


「…………」


 意識を取り戻した私はすぐに、救急車の中にいることに気がつきました。学生であったころ熱中症で倒れてお世話になったことがあったので、景色を覚えていたのでしょう。


 ただ、なぜ乗っているかがわかりません。


 でも、乗らなければならない状況にあることはわかりました。


 頭が異様に痛む。そして、腕も酷く痛む。当然ですよね、私の腕は、左右どちらとも、折れていたのですから。


「…………」

「…………」

「…………」

 

 両腕が折れるほど勢いよく倒れたのに、なにも覚えていないというのは恐ろしいことですね。


「……」


 そして――――――――意識が戻った後のことも、よく、思い出すことができません。


「私は、私を病院まで運んでくれた人たちに、ちゃんとお礼を伝えることができたのだろうか」


 先ほどお伝えした通り、私の意識は救急車の中で戻りました。でも、記憶が曖昧で、お礼を伝えたかどうかを思い出すことができないのです。もちろん、顔も、名前も、声も。


 私を、助けてくれた人たちのことなのに。



***



 幸いなことに腕の骨は両方とも綺麗につながり、私は再び、キーボードをたたいて文章を書く生活に戻ることができました。


「仮に、あの時救急車が来てくれなかったとしたら。私の腕はどうなっていたのだろうか」


 その答えは、わかりません。なぜならば私は、医療に関しては完全なる素人だからです。


 でも、間違いなく言えることは――――あの方たちが私を丁寧に素早く病院に運んでくれたからこそ、私の痛みはあの程度で済んだ。


「…………」


 あの方たちがいなければ、私はもっと、痛くて苦しい思いをしたことでしょう。


「……」


 だからこそ。


 だからこそ私は、悔やむのです。


「あの日私は、あの方たちにお礼を言うことができたのだろうか。一言でも、一言でもいいから、感謝の気持ちを伝えることができたのだろうか。思い出せない、どうあがいても思い出せない。そうだ、思い出せないということは、覚えていないということは、お礼を言わなかったことと同義である…………などと思ってしまうことは、あの方たちに失礼であるということはわかる。けれど、けれど、私はどうしても、自分に納得ができないのだ。あの方たちに、お礼を伝えたかったのだ。もし、伝えられていなかったとしたら――――――――」


 でもきっと。いえ、間違いなく。あの方たちは私がお礼を()()()()()()()()()()怒ることはないでしょう。それだけは本当に断言できます。もちろん、断言できる理由もあります。顔も、名前も、声も覚えていない私だけれど、ひとつだけ、はっきりと、覚えていることがありますから。


「あの方たちは、私を助けることだけを考えてくれていた」


 朦朧とした意識の中でも、はっきりと、はっきりと、はっきりとわかりました。あの方たちが私にしてくれたことは、最善を尽くすという言葉そのものであったと。



***



 散歩から帰って約七時間後。小説を書いていると、救急車のサイレンの音が聞こえました。


「ありがとうございます、がんばってください」


 私は一人の小説書きとして、あの人たちのような物語を書けるようになりたい。人を救うために走り続けるあの人たちのような、走り続ける物語を書けるようになりたい。


「……」


 深夜。サイレンの音が、遠のいていく。残ったのは、私の感情任せのタイピング音。


「私は今日も、小説を書く」


 そう。私は今日も小説を書いている。一度折れてつながった、この両腕で。




 


 


 


 

 






 


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