第7話 もう一人の客人
1046年 夏
「テネブル様、違います。こうやって発音します。」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるエイリークの横で、流暢な発音で男性がグーランス語を話す。
今は、グーランス語を学んでいる。
アターニア語を表音文字でも書き表せるようにしたいという目標に向けて、グーランス語の勉強をしている。
グーランス文字で書かれた書物をいくつか貰ったが、どの文字がどうやって発音されるかわからないため、侯爵にお願いしてグーランス語会話講師をつけてもらった。
グーランス侯爵と会ってから数週間、日常会話くらいはできるようになってきた。
「意外とこちらの言葉と似ていますよね。」
今日の講義が終わって楽器を取り出していると、リータが話しかけてくる。
グーランス語とアターニア語は、別の言語というより日本で言うと東京の言葉と大阪の言葉くらいの差しかない。
てっきり、英語とフランス語くらいの違いがあると思っていたため拍子抜けだが、あまりに違いすぎると文字を当てはめることが大変になるため、2つの言葉が近い分にはありがたい。
「そうですね。覚えやすくてありがたいです。」
楽器を構えてとりあえず一曲演奏する。
ギターの制作だが、進捗はまだない。
父親を通じてこの楽器をつくっている職人を探しているが、どうやら遠くの国に住んでいるらしく、この国に来ることを拒んでいるらしい。
残念だが、その職人の気持ちも理解できる。
知らない遠くの土地に行きたいなんて、その地で普通に暮らしていれば思わないだろう。
また、自分で作ろうと思ってもこの楽器の弦が何でできているのかがよくわからない。
前世の弦は、植物や鉱物、合成繊維や動物の腸などいろいろな素材があったと思う。
多分硬さから鉱物でできていると推察できるが、どの鉱物かどうかまではわからない。
そもそも、素材がわかったとしても弦に加工する技術がない。
そういった理由で、いまだにギター制作には至っていない。
「本当にきれいですね。」
弾き終えるとリータが感嘆の声を上げる。
「毎回驚いていますが、リータも弾けるようになるんですよ?」
「いえ……わたしは聞いている方が……」
目をそらすリータ。
「次はリータの番です。どうぞ。」
「大丈夫です!」
ごねるリータと楽器の押し付けあいをしていると、先ほどグーランス語講師と一緒に部屋を出たエイリークがまた戻ってきた。
「テネブル様。お客様がいらっしゃいます。」
「グーランス侯爵ですか?」
「いえ、違う方です。」
エイリークが木の板を渡してくる。
またしてもエイリークによる社会の授業が始まった。
ーーー
「どうも、初めまして。」
男が跪いて頭を垂れている。
「初めまして、テリア殿。頭をお上げください。」
とりあえず定型文を出力する。
テリアと呼ばれる男は顔を上げる。
人のことを言えないが、丁寧だがどこかぎこちない印象を受ける動きだ。
「本日はどのようなご用件ですか。」
ソファーに座る自分を見上げる視線は、男が身に着けている服と同じくギラギラしている。
「……」
男は薄ら笑いを浮かべ、黙ったままこちらをじろじろ見ている。
グーランス侯爵のときと同じような状況だが、侯爵から感じたような圧力はまったくなく、この男からは不快感しか感じない。
―何がしたいんだ……。―
テリアは王国東部の都市、ルートブンを治める伯爵である。
アターニア王国の東部を治める貴族家の取りまとめを行い、王都では東部派閥の領袖として知られているらしい。
この王国東部の歴史の始まりは、アターニア王国とグーランス王国が統合した頃に遡る。
2国の統合によって力による対立は終息し、王国には平和が訪れる。
しかし、力を持て余したものたちはこの平和に不満を募らせていた。
そんな、"暴れん坊"たちのガス抜きのために目を付けられたのが、未開拓の森林が広がっていた王国の東側だった。
"血の気の多い"彼らは、何世代にもわたって森林を切り開いて、土地を耕し、都市を築き、勢力を東に拡大していった。
やがて東隣のブレッド王国やシェ―リア王国に到達。特にブレッド王国とは戦いを繰り広げて、現在の国境を形成している。
ブレッド王国と終戦したのちは、確定した領域内の開拓に力を入れていたが、最近は隣国への侵攻も画策しているらしい。
エイリーク曰く、東部派閥も派閥として纏まっているわけではなく、常に主導権争いをしており、最近も対立に敗れた子爵家が転封の憂き目にあったという。
こうしたことから、宮廷内では東部派閥の貴族家は攻撃的や品がないとみなされているらしい。
―まあ、そう言われる理由もわかるな。―
目の前の男はそんな前評判を体現したようだった。
その男が自分に会いに来た理由。
エイリークは侯爵が会いに来たことが理由だと言っていた。
詳しくは教えてくれなかったが、宮廷内では西部派閥が主導権を握っているらしい。
そのうえ、派閥のトップたる侯爵自らが自分に会いに来た。
それを面白く思わない彼が、自分を味方に引き入れるために会いにきたという。
「……何か欲しいものはありますかな。」
気持ち悪い笑みを浮かべていた伯爵は、なんの前触れもなく突然喋り出した。
「欲しいものですか。」
「ええ、何でも用意しましょう。」
欲しいものは特にない。
と、思ったが、何かもらえるなら貰っておこう。
ただ、なるべくなら消耗品の方がいいかもしれない。
彼らとあんまり仲良くしたくないため、いつまでも残るものだと『繋がりを示す証拠だ』とかなんとか、要らぬ誤解を招く可能性がある。
「では、伯爵殿が一番おいしいと思う食材をご用意してくれますか。」
「ほう、食材ですか。」
「難しいですか。」
「いや、すぐ用意しましょう。」
そののち、一言二言話して伯爵は退室した。
薄ら笑いとはいえ、終始同じ表情をしていたのはさすがだと感じた。
自分のことを下に見ていただけかもしれないが。
それから毎週、伯爵から肉が届くようになった。