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第6話 グーランス侯爵

1046年 夏


 「暑いですね、テネブル様。」


 暑そうに手であおぎながらリータがこちらに話しかける。

 以前、年中同じ長袖の服を着ているリータに自分と同じく半袖を着ないのかと聞いたことがあるが、どうやら制服として定められている服しか着れないらしい。

 確かに、自分の周りで働く人は全員長袖を着ている。

 父親に頼んで変えてもらおうとリータに言ったら、『長袖の方が作業しやすい』『私たちだけ変えてもらうわけにはいかない』とやんわり断られてしまったため、結局それまでである。


 「今日は特に暑いですね。涼しくなる『魔法』があればいいのですが。」


 この国には4つの季節がある。

 自分は前世の感覚で春夏秋冬に分類しており、この国の言葉も春夏秋冬に該当するものがある。

 季節の変化は前世の日本よりも小さく、夏も暑いとは感じるが、日本のほうが断然暑かった。


 「おはようございます。テネブル様。」


 リータと雑談していると、エイリークが部屋に入ってくる。

 エイリークももちろん長袖を着ている。


 「おはようございます。」


 エイリークは、自分の対面に来ると複数の木の板と紙を机に置く。


 「1か月後にマルタン様がいらっしゃいます。それまでにテネブル様には応対のマナーを学んでいただきます。」

 「マルタン様、というのはどういう人ですか?」

 「はい、これからご説明しますね。」


 エイリークは木の板をこちらに手渡す。

 エイリークによる社会の授業が始まった。


ーーー


 「初めまして、テネブル様。」


 質素だが高貴なことがわかるような服を身にまとった老人が自分の前でしゃがみ込んで頭を下げている。

 この老人がグーランス侯爵マルタンである。


 「初めまして、マルタン殿。頭をお上げください。」


 ありがとうございます、と言って侯爵は顔を上げる。

 流れるような動きはとても美しい。

 緊張でぎこちない自分とは対照的だ。

 自分もこういう動きができるようになりたいと思う。


 「本日はどのようなご用件ですか。」


 ソファーに座る自分を見上げる侯爵の眼光は、柔和な表情とは裏腹に鋭い。

 緊張を感じながら、エイリークに仕込まれた定型文を出力する。


 「本日はご挨拶に伺いました。」 

 「挨拶、ですか。」

 「はい、挨拶です。」


 そう言うと侯爵は、ピタッと止まりこちらの様子をうかがっている。


 気まずい空気が部屋に流れる。

 この場合、礼儀としては侯爵から話を切り出すべき、とエイリークから学んだ。

 こちらから話をする義理はないので、とりあえず黙ったままでいてみる。


 ―何が目的なのか。―


 マルタンはアターニア王国西部にある港町グーランスを治める侯爵である。

 もともと王国西部はグーランス王国として独立していたが、アターニア王国に吸収されて侯爵領及び複数の子爵領になったという経緯がある。

 そんなグーランス侯爵家と旧グーランス王国領を持つ子爵家は西部派閥と呼ばれていて、王家だったグーランス家が派閥の取りまとめを行っている。


 グーランス侯爵がなぜ自分に会いに来たのか。

 エイリークによると考えられる理由は2つあるらしい。


 1つは単なる顔合わせのため。

 貴族として、王族である自分に幼少期から会っておこうという単純な目的。


 そしてもう1つは、王国内の派閥争いに自分を巻き込むため。

 この国には西部派閥の他にもう一つ派閥があるという。

 その2派閥は事あるごとに対立しているらしい。


 ―恐れていたことが現実になってしまった……―


 貴族の足の引っ張り合いに巻き込まれるのはごめんだ。

 できればただの挨拶で済んでくれる事を望む。


 「失礼しました。年寄り故にお許しください。」


 侯爵が口を開く。

 微動だにしない侯爵に痺れを切らした侯爵家臣が、後ろから発言を促してようやく話始めた。


 「改めまして、本日はお時間を作っていただきありがとうございます。」


 侯爵は頭を深々と下げる。


 「いえいえ、こちらこそわざわざ会いに来てくださって嬉しい限りです。」


 こちらも丁寧に返答する。

 侯爵が後ろに控える家臣に声をかける。


 「こちらは、侯爵領でつくられたものです。つまらないものですがどうぞ。」

 「ありがとうございます。」


、侯爵が箱を自分の前に置く。

 後ろに控えていたリータが箱を開ける。

 侯爵がくれたのは、シンプルな細工が施された銀の平皿だった。


 「このお皿の材料は初めて見ました。」

 「これは"銀"というものです。私たちの地域では、銀は不浄から身を守るものとされています。」 

 「それは、とても縁起の良いものですね。」


 銀は抗菌性が高いということは知っている。

 また小説で読んだ知識であるが、銀は毒物に反応するらしい。

 実際にどのような反応をするかはわからないが、見た目でわかるくらいには反応するのであろう。


 このタイミングでなぜ銀の食器を渡してきたのか。

 不浄が何を指し示すのか、自分が誰かに毒を盛られることを示しているのか、あるいは単に食材が腐りにくいというだけなのか、特に理由はないのか。

 考えればいろいろな理由が思い浮かぶ。

 まあ、今考えてもわからない。


 「このお皿は大切にさせていただきます。」

 「そうですか。そう言っていただけるとありがたいです。」


 侯爵は懇ろに言葉を紡ぎ、この場を終わらせようとしている。

 ただプレゼントを渡たすためだけに来たようだ。


 「それでは、私共は失礼させていただきます。」

 「最後に一つだけ、よろしいですか。」


 部屋を退出するため立ち上がろうとしている侯爵を呼び止める。


 「はい、何でしょうか。」


 突然話しかけたはずだが、何事もなかったかのように侯爵は立ち上がる動作をやめて、再びしゃがみ込む。

 侯爵家の歴史を聞いたときから知りたかったことがあった。


 「侯爵のおられる地域は、こことは違う言葉を使っているのでしょうか。」

 「はい、違います。」

 「どのような違いがありますか。」

 「違い……ですか。」


 侯爵はなにか考えているようだ。

 数瞬だったが、頭を下げているとき以外に初めて視線を外された気がする。

 考えるのは無理ないだろう。

 自分も日本語と英語の違いを突然教えろと言われても即答はできないだろう。


 「そうですね。大きな違いは文字の数でしょうか。」

 「文字の数ですか。」

 「はい。例えば『私はあなたに会いに行く。』という言葉を文字で表すとすると、こちらの言葉では3文字で書き表せますが、私たちの言葉では複数の文字で書き表します。」


 侯爵は、紙に2つの文を書いて見せてくれた。

 上に自分が使う言葉の文、下に侯爵が使う言葉の文が書かれている。

 侯爵の使う言葉の文は、いくつも文字が書かれていて英語のような印象を受けた。


 「もしかして、文字と発話が対応していますか。」

 「文字と発話の対応……」

 「この文字はどの文でも同じ読み方をしますか。」


 書かれている文の最初の文字を指す。


 「はい、同じ読み方です。」


 困惑したように答える侯爵。


 「なるほど、お願いがあります。」

 「何でしょう。」

 「是非、侯爵の使う言葉を教えていただきたいです。」


 侯爵は目を丸くしたという慣用句の通りな表情をしていた。

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