新たな職場
2016年 リムソンシティ ファストフード店 ジョイキッチン
閉店の札を掲げ、メドゥスは向かい側の空き地に停まる車に手を振る。中にいた男は手をあげ、下りてくる。私服を着ているが、彼は連邦警察支局の部長刑事であるホランドである。
バークは事務室で売上金の計上をしている。そこにノックが響いた。バークは慌てて手元にあった請求書を隠すと「入れ!」と言う。メドゥスが入って来た。
「ようバディダ、迎えに来たぞ。」とホランド刑事は言った。「これから私が殺しの依頼を実行する。よく目に焼き付けておけよ。」バディダはその言葉に従って玄関から店を出る。
「どうした、メドゥス?今俺は忙しいんだけどな。」と迷惑そうなバークに構わずに、メドゥスは彼の後ろに回り込む。「おいおい・・・」と文句を言いかけたバークに、メドゥスは静かに話しかけた。「返済が遅れすぎです、店長。」「何!?」と言ったバークの腹に痛みが走る。
「俺が誰の推薦で送り込まれたか知ってるか?」「なんだ・・・と・・・」「チカーノだよ。」そう言ったメドゥスはバークの腹からナイフを抜き取り、バークの体を椅子から蹴り落した。
同時刻 リムソンシティ 市道八号
「何ですって!?」バディダは驚いた。「もっと待遇がいい職場があると?」「その通りだぜ。そしてな、バーク店長にはもう話をつけてあるよ。あんたをそこに紹介する。その職場でも来歴や個人情報は問われない。組織に忠実ならばな。訓練の後のそこに行くぞ。寮もあるからな。」
三時間後 リムソンシティ ウェストリムソン
「ここがその職場ですか?」バディダは不安そうに目の前の四階建ての建物を眺める。「ビィルヘルムキャブ西側配車場」と大きな金文字で書かれた看板が掲げてあり、広大な駐車場に複数台車が停まっている。全て街中でよく見かけるタクシーだ。「ビィルヘルムキャブだよ。社長のビィルヘルムはこの街有数の資産家であり優秀な投資家だ。だが、彼には多くの秘密がある。君も秘密があり、彼とは気が合うだろうね。」とホランドが言う。
「少々お待ちください。」フロントにいた苦情対応窓口の女性は傍らの電話を取ると言う。「電話ですよ、ライラさん。」女性はその後不思議そうにホランドに尋ねた。「差し支えなければ教えていただきたいですわね。なぜ西配車場資料管理課なんかに興味をお持ちで?正直、窓際部署ですよ。」ホランドは肩をすくめていう。「地味な仕事こそビィルヘルムキャブさんのような大企業の成長の原動力になるのですよ。」
ライラは太った初老の女性だ。「あらま、ホランドさん、久しぶりね。あんたとホテルに行ったときのこと・・・」「おいおい、その話はいいよ。とにかく、こいつに仕事を与えてやってくれ。」「はいよ。あらまあ、かわいい子だねえ。たっぷり働いてもらうわよ。」そう言うとライラは受付の女性の軽蔑の眼差しを同じ目つきで受け止めると廊下の突き当りのドアに向かう。さびたドアには、消えかけた字でこう書いてある。「資料管理課」
「この部署はね、わざと地味にしてあるのよ。」とライラ。「この部署はビィルヘルム直属で、かなり重要な仕事をしているの。それを隠すためにビィルヘルムは私たちに表向きの地味な仕事を割り当てたというわけ。顧客名簿、会員名簿、配車状況、平均走行距離、ドライバー各の売上の比較といったどうでもいい書類の点検ね。まあ、実際はそんな単純な業務はないわ。」ライラは説明しながら資料棚に囲まれた狭い通路を進んで一つの薄汚れたプラスチック製のデスクに案内した。「あなたのデスクよ。出来るだけ掃除したつもりだけれど、少し汚いわね。」ライラはそういいながら手でバディダを椅子に座るようにすすめる。「といっても、あなたがここで仕事をすることはまずないわ。」ライラは棚の間で説明を続ける。
ホランドから聞いたと思うけど、この会社の社長であるビィルヘルムはこの街ではかなりの権力者よ。彼はその莫大な資産の大半を権力維持のために使う。社交パーティーを開催したり、他の企業を買収したり、新たな会社を設立したりしているわ。最近は市長に対して市営バスの運営権をビィルヘルムキャブに移譲するよう交渉しているわね。こうしたことに彼の金は使われる。でもね、彼はその他多くの戦略で裏から市場社会を操作しているの。政治家に賄賂を贈ったり、ライバル企業に調査員を送り込んだり、挙句の果てにはギャングや殺し屋などの裏社会の人間も雇ったりしているわね。あなたに与えようと思っている初仕事にも、彼らが関わるわ。
ライラは次に初仕事の説明を始めた。
今回のあなたの任務はビィルヘルムが買収する予定の会社の株の値を落とすことよ。会社の名前はライアット建設。船舶会社ローリークラブ会長、ダットン製薬社長などの大物投資家が株を所有している優良企業ね。ビィルヘルムは建設業界に進出し始めたライバル企業であるアルバート・シンクタンクへの対抗措置としてライアット建設との連携事業をはじめようとした。けれどもライアットはそれを拒否したの。数十年前の私怨をひきずっていたのよ。幼稚な男ね。当時30歳だったライアットは父親の工事下請け店を受け継いで大企業に成長させた。世間からも注目を集めていた彼は調子にのった。リムソンシティの市長選に出て当時の市長とそれを支えていた企業家たちの勢力を一掃しようとしたのよ。既得権益をむさぼる者たちの権力を削ぐ、と有権者をだましてね。だけど、保守若手資本家の代表であるビィルヘルムは対立候補である現職市長を応援し、選挙運動を先導したの。もちろん政界の有力者たちにも献金をしていた彼のおかげで市長選は市長側が勝った。でも、ビィルヘルムは先見の明があるリーダーだったの。選挙で負けたライアットに対する企業家たちからの排除圧力を緩和させたの。多くの企業家たちを説得してね。そのおかげで今の彼があるというのに・・・・あらまあ、話が横道にそれたわね。でね、選挙の敗因であるビィルヘルムを嫌っていたライアットはいまさらその話を持ち出してビィルヘルムとの提携を拒んだ。こうなるとビィルヘルムは強硬な手段に出るしかないのよ。即ち、会社の乗っ取りね。そのためにまずライアットを支えている者達を排除しなければいけないわ。そう、株主たちよ。彼らは会社の評判を落とせば安易に離れていくの。そうしたら、救世主のごとくビィルヘルムが現れて会社を「救済」する。その「評判を落とす」部分の一旦をあなたにやってもらいたいわね。今回ははじめての仕事だから、予備的な部分を担ってもらうわね。本軸は労働組内のストライキよ。これはリムソン労働組合連合を裏から操っているドック兄弟が仕掛けてくれるわ。彼らはビィルヘルムキャブ設立にも関与している有力者ね。ビィルヘルムが買収する前のタクシー会社を脅していた彼らはビィルヘルムが会社を買収すると労働組合に騒ぐのをやめさせたのよ。話の分かる人達ね。さてと、彼らと連動してあなたがやる仕事は簡単よ。
「ライアット建設の子会社で騒ぎをおこしてくれないかしら。」とライラはとある行動をするように指示した。
二日後 リムソンシティ サン・リドル地区
バディダはサン・リドル地区の端に立つ事務所と工場を眺めた。
ここはライアット建設が所有する敷地で、子会社である「ライアット設計」が置かれている。ライアット建設は不動産会社を介さずにここの事務所で顧客から直接建築物のニーズを聞き出しているようだ。と同時に近くの工場で建築資材の加工を行っているとみられる。下請け会社の関与も極力減らす方針だ。
バディダはライラが手配した作業服を着用していた。労働組合の会員から手に入れたらしい。彼はその作業服を着て工場内部に侵入した。
多くの資材が保管され、加工されている。木材・コンクリート・鉄骨・・・・建築工事に用いられるありとあらゆる資材が保管されていた。奥に複数設置されている大きな作業台では作業員たちが加工作業を行っている。彼らの操作する機械の音が工場内部に響き渡っている。
バディダは資材が保管されている棚のところに行き、缶を置いて持参したライターに火をつけて缶の上に置く。また、別の棚に移った彼は棚のねじを緩めて棚を蹴りつける。すると棚は傾き、大きな音を立てた。作業員たちの目が向く。しかしそこには既にバディダはいなかった。作業員たちは作業を中断して棚の方に向かい・・・爆発に巻き込まれた。大きな炎の火元はバディダが置いた缶だ。警報が鳴りだすが、その音はすぐに掻き消え、照明も落ちた。
バディダは電気盤をハンマーで破壊すると、「クソ!」と叫びながら近くにあった消火栓を持って・・電気盤にかけた。残りの消化液を噴射させながら火元に向かうが、既に消化液は切れている。「今助けを呼んで来る!」と言ったバディダは棚の下敷きになっている作業員たちを尻目に外に逃げ、事務所から出てきた職員に中の惨状を話すとそのまま事務所の中に入る。
事務所の警報は作動しており、職員たちが顧客を車に乗せる。それを見ながらバディダは二つ目の缶を取り出す。そしてとある扉の前で立ち止まった。「事務室」と書かれている。バディダは事務室の窓口に火をつけた缶を置くと、裏口に走り出た。
一週間後 リムソンシティ 中央区 ライアット建設本社
会議室でライアット社長は冷や汗をかいていた。彼に株主たちの厳しい視線が向く。彼は今、会社の立て直し計画について説明を求められていた。「労働組合を説得させるために賃上げを行うと共に社内カウンセラーを増やし・・・」「何人程度増やすのかね?」と遮るようにダットンが口を開く。「現段階の計画ですと、支社ごとに二人ずつ・・・」「人件費がかかるのではないですか?」と追い詰めるように言ったのはラドクリフ会長だ。「ええ、人件費はかかりますが・・・」「賃上げはどの程度行うのかしら?労働組合は過去最大割合の賃上げを要求してきているようですけど。」と新聞社社長のエミリーが厳しい問いを突き付ける。ライアットは冷や汗を拭いて続ける。「現状ですと、二割程度の賃上げが必要かと思いますが・・・」「配当を削らなければ無理でしょうな。」と重々しく口を開いたのはライアットに融資しているイーストランド銀行頭取だ。「恐らく、配当を維持するためには私が融資しなければならんでしょうな。しかし、あなたが信頼回復しないと私は融資する気になれませんな。工場の電気盤の点検も怠っていたようですし・・・」ライアットは青ざめた顔で睨んでいる株主たちの視線を受け止め、下を向いた。
二日後 ウェストリムソン ビィルヘルムキャブ西側配車場
「あらまあ、そんなにお褒めの言葉をいただけるとは思いませんでしたのよ!」ライラはデスクの上の電話を取ってビィルヘルムからの声を聞いていた。ライラにとって、彼に喜んでもらえることが最大のやりがいだった。「ええ、やっと新しい部下が入ってきましたわ。ええ、はい・・・・いえいえいえ、そんなことはありませんよ。今回は信用できる筋からの紹介ですわ。彼は前任者の二の舞にはなりませんよ!」ライラはデスクで史料点検をしているバディダを眺めながら、こう言ったのだ。