殺人鬼
2017年 リムソンシティ 中央区
「すまねえな、バディダ。俺たちからキューバ葉巻を買ってる上顧客が、折り入って頼みがあるらしくてな」
そう語りかけるのは、イタリアンマフィアの構成員であり、キューバ系ギャング「ハバナ・ボーイズ」の幹部でもあるアルバレスだ。彼はボスのバディダを連れ、裏街の薄暗い路地を進んでいた。その後ろには、アルバレスの双子の兄ガッシオが黙って従っている。
アルバレスがレンガ造りの建物の、薄汚れた鉄の裏口を押し開けた。
「ここが奴らのアジト――通称『アトリエ』さ」
踏み込んだ瞬間、バディダの背筋に冷たいものが走った。あまりにも異質で、肌にまとわりつくような空気感。
壁に飾られているのは、赤黒い絵の具で塗りつぶされたキャンバス、細密な彫刻が施された動物の骨、そして乾燥した目玉が埋め込まれたランプ。それらを青白い蝋燭の炎がゆらゆらと照らしている。漂ってくるのは、焦げた肉と生臭い血の匂いだ。
――闇の芸術家集団「ヘルズアートクラブ」。
名前くらいは聞いたことがあったが、バディダはそれを単なる都市伝説だと思っていた。ダークウェブ上で作品を公開し、限られた富裕層だけがアクセスできる裏社会の美術館を運営しているという。
作品の素材は、非合法に入手された動物の血液や骨、さらには人骨や血塗られた刃物。中には作品のためだけに人を殺める狂気的な芸術家もいると噂されていた。構成員や顧客の多くは政財界の富裕層であり、その金と権力によって団体の存在は固く隠蔽されてきたのだ。
彼らに嗜好品として葉巻を納めていたアルバレス兄弟経由で、今回、リムソンシティの「代理人」であるミセス・ジュディスから直々に声がかかったという。彼女はクラブの最高幹部組織「師範」の意を受け、この街での活動を統括する実質的なトップだった。
「こんな気味の悪い連中が、一体何の用だ……」
バディダの呟きに、ガッシオが肩をすくめる。
「さあな。だが、誰かを消してほしいって顔をしてたぜ」
「チクショウ……暗黒街のネットにいるなら、向こうで殺し屋でも雇えばいいだろ」
廊下の突き当たり、不気味なほど研ぎ澄まされた銀の扉の前でアルバレスが足を止めた。コンコン、とノックする。
『どうぞ』
低く、響くような女の声がした。
扉が開き、足を踏み入れたバディダは思わず息をのんだ。
部屋の中央には巨大な円卓があり、6人の人物がそれを囲んでいた。5人は黒いフード付きコートで深く顔を覆っている。
そして6人目――白いコートを纏った女だけが、金の握りがついた杖を手にし、首から髑髏のペンダントを下げて高級な椅子に深く腰掛けていた。
「遠いところをよく来てくれたね。まあ、掛けなさい」
彼女がミセス・ジュディスだった。3人は促されたソファへ腰を下ろす。
「……で、ハバナ・ボーイズに何の用だ?」
バディダが警戒を隠さずに尋ねると、ジュディスはゆっくりと頷いた。代わりに、彼女の右隣に座るフードの男が口を開く。
「最近、街を騒がせている殺人鬼を知っているな?」
「ああ。『西の解体屋』だろ」
ガッシオが吐き捨てるように言った。
「この掃き溜めに迷い込んだ間抜けどもを、片っ端から解体してる奴だ。ターゲットは無差別。手斧で頭を叩き割り、手足や目玉、歯、時には腹を割いて内臓まで持ち去る……反吐が出る狂人だ」
フードの男は頷いた。
「実は、あの男は我々と無関係ではない。正体も把握している」
「何だと!?」
バディダが身を乗り出した。
「噂には聞いていたが……あんたらの中にあのイかれた殺戮者がいるってのか?」
「いや、違う」
今度はジュディスの左隣の男が静かに割り込んだ。
「彼は我々のメンバーではない。だが……ある古参メンバーと密接に繋がっているのだ」
「……どういうことだ?」
「とある女メンバーがいる。ジュディス様が代理人に就任する以前からの古参だ」
男は淡々と語り始めた。
「彼女はかつて、2人の息子のうち1人を病で亡くした。死を受け入れられず正気を失った彼女は、残された赤ん坊に固執し、常に虚ろな目で寄り添っていた。やがて些細な争いから夫を殺害。遺体の処理を我々の取引相手である『掃除屋』に依頼したことで、我々の世界を知ったのだ。正気を失った彼女にとって、我々の独創的な芸術は唯一の救いとなった」
「前置きが長いわね」
ジュディスが冷ややかに遮った。
「簡潔に言いましょう。彼女の狂気が、私たちの手に負えなくなったのよ。これまで彼女は我々のルートで素材を得ていたけれど、最近、独自に『仕入れ』を始めたの」
「仕入れ……? おい、まさか……」
アルバレスの顔から血の気が引いていく。
「そうよ。彼女は数十年もの間、息子を外の世界に出さずに育てた。彼にとっての常識は、狂気じみた母親そのもの。彼はただ『ママの喜ぶ素材』を集めるために、命令に従って人を殺し続けているだけ。彼にとっては殺人の概念すら存在しないの。……可哀想な子」
ジュディスはどこか寂しげに目を細めた。
「で、その親子を消せと?」
「ええ。今は役員のコネで警察を押さえているけれど、連邦警察(FBI)が動き出すのも時間の問題。最悪の場合、捜査の手が伸びて我々の存在まで露見してしまうわ」
「『師範』からも、早期の排除を命じられている」
別の若い構成員が付け加えた。バディダは短く息を吐き出し、覚悟を決めた。
「事情は分かった。無関係な奴を殺すのは気乗りしないが、連続殺人鬼なら話は別だ。アジトの場所を教えろ」
「西側の郊外団地にある屋敷よ」とジュディス。「夫は元『ラインハルト・プロダクツ』の幹部だったから、立派な建物ですぐ分かるわ。……ただし、ブラジルの対ギャング特殊部隊出身の傭兵が7人、護衛についている。手強いわよ」
「へっ、その元軍人どもを蹴散らして、イかれたババアと息子を仕留めればいいんだな?」
「そういうこと。それと、屋敷にある『作品』と素材は全て処分してちょうだい。我々に繋がる証拠は残さずに」
「了解した。……だが、俺たちは今、薬のシマを洗ったばかりで極限の金欠なんだ」
ガッシオが指を擦り合わせると、ジュディスは微かに微笑んだ。
「報酬は弾むわ」
彼女の合図で、部屋の暗がりから灰色のコートを着た女が現れ、持っていたスーツケースを開いた。ずっしりと詰まった金塊の輝きに、バディダは思わず目を細めた。「……随分と太っ腹じゃないか」
アルバレスがバディダの顔を見る。「どうする、ボス?」
「……乗った。この仕事、受けよう」
4日後 リムソンシティ 西区
平屋の住宅街と古びた集合住宅が密集する西区。低所得者や中央区を追われたホームレスが蠢くこの街並みの中に、突如として異物のような大邸宅が佇んでいた。レンガ造りの近世ヨーロッパ風建築。
「こんな目立つ屋敷に引きこもってて、よく足がつかなかったもんだぜ」
バディダは覆面を深く被り、バンのドアを開けた。
「行け!」
バディダの合図で、チンピラ風に変装した若手構成員たちが屋敷の柵越しに爆竹を投げ込む。弾けるような破裂音が静寂を切り裂いた。
その隙に、バディダとアルバレス、そして2人の下っ端が門の影に滑り込む。
「おいガキども! 何やってやがる!」
騒音に気づいた護衛の1人が、警棒を手に門から飛び出してきた。その背後から、バディダが間髪入れずにスタンガンを押し当てる。崩れ落ちる男。
「よし、ガキどもは逃げろ! 待機場所のバンへ行け!」
バディダたちは一気に敷地内へと侵入した。
屋敷の地下監視室。
モニターに映る門の映像を睨みつけ、傭兵団のボス・チャベスは不機嫌そうに無線へ怒鳴り散らした。
「ガキは追うな、陽動だ! 侵入者がいる。監視カメラで位置を確認しろ。サイレンサー付きで静かに処理するぞ」
敷地内を進むバディダとアルバレスは、目配せをして二手に分かれた。
だがその直後、けたたましい銃声が響く。
「ぐわっ……くそっ!」
バディダの背後にいた下っ端が肩を撃ち抜かれ、鮮血を噴き出した。
「ちくしょう、もうバレたか! 隠れてろ!」
下っ端を植え込みの影に引きずり込み、バディダはサブマシンガンを構えた。前方からライフルを構えた男2人が走ってくる。バディダは身を乗り出し、最小限の連射で2人の頭部を撃ち抜いた。
一方、東屋の向こうでも激しい銃撃戦が始まっていた。アルバレス側だ。
アルバレスは耳を削られ、同行していた下っ端は片腕から大量の血を流している。完全に抑え込まれていた。
「これでも喰らいやがれ!」
バディダは腰のポケットから手榴弾を引き抜き、ピンを抜いて放り投げた。
直後、凄まじい爆風と悲鳴が上がり、護衛の身体が宙を舞う。
「手榴弾を持ってきて正解だったな!」
安堵したのも束の間、奥のドアからチャベスともう1人の護衛が姿を現した。
「ゴミにしちゃあやるようだが……ここまでだ」
チャベスは言うやいなや、予備動作ゼロでピストルを撃ち込んできた。
「おっと……!」
バディダは寸前で身を捻ったが、脇腹の肉が削げ、熱い血が吹き出す。
「ふん……死線はくぐり抜けてきているようだな。だがチャベス様を舐めるなよ」
「悪りぃが……俺も一流の殺し屋に仕込まれててね。あんたらが殺してきた有象無象のギャングとは訳が違うんだよ!」
バディダは痛みを無視してピストルを抜き放ち、相手が2発目を撃つ前に5発連続で叩き込んだ。
チャベスは胸を打ち抜かれ、「な……に……」と目を見開いたまま倒れ伏す。動揺したもう1人の護衛も、バディダは躊躇なく眉間を撃ち抜いた。
「アルバレス! 手負いの奴らを連れて医者へ行け! それからホランドを呼んでくれ。派手にやりすぎた、後片付けが必要だ」
「ボス、あんたは!?」
「俺は一人で地下から中に突入する」
監視室の鍵を撃ち破り、地下から屋敷の内部へ侵入したバディダを待っていたのは、地獄のような光景だった。
壁一面に飾られた「作品」。人間の頭蓋骨に塗りたくられた絵の具、乾燥した何本もの人間の手を繋ぎ合わせた鎖、人間の血で描かれた巨大なハーケンクロイツ……。
「……胸くその悪い」
殺された被害者たちの無念が部屋に満ちているようだった。バディダは吐き気を抑えながら階段を駆け上がり、上の階へと向かった。
ドアを押し開けた先は、重厚な書斎だった。
ベッドの上には肥満体の老女が横たわり、本を読んでいる。扉の音に気づいた女はバディダと目が合うと、耳をつんざく悲鳴を上げた。
「なにごとだ、ママ!?」奥の部屋から、巨漢の男が飛び出してきた。顔中を覆うボサボサの髭と髪は垢と泥で固まり、衣服は破れ、黒々とした体毛で覆われた腕が覗いている。爪は伸び放題で黄ばんでいた。
「侵入者よ! フレッド、おやり!」
男――『西の解体屋』フレッドは汚い歯を剥き出してニヤりと笑うと、壁に掛けられた巨大な手斧を手にとった。
ズドン!
バディダのピストルが即座に火を吹いた。
弾丸がフレッドの右腕を撃ち抜く。手斧が床に転がり落ちた。
「痛い! 痛いよお、ママぁぁっ!」
巨躯を丸め、まるで幼子のように泣き叫ぶフレッド。その声は低く、酷く濁っていた。
「……気の毒だな。狂った親に育てられて、善悪の区別もつかないまま殺人をさせられていたのか」
バディダは静かに銃口をフレッドの額に向けた。
「だがな……お前が奪った命は戻らない。ここで終わりだ」
引き金が引かれ、フレッドの巨体が崩れ落ちる。
「フレッド! ああ、私のフレッド……!」
母親が泣き叫びながら息子の死体にすがりついた。バディダは深く溜息をつき、静かに言った。
「地獄で親子水入らず、やり直しな」
2発目の銃声が、静かに部屋に響いた。
屋敷の外には連邦警察の汚職警官ホランドが待機していた。
「連絡を受けて駆けつけたぞ。ガソリンを持ってきた。例の『芸術品』とやらに撒いて燃やしたら、すぐにチカーノのシマへ向かうぞ。あっちに『西の解体屋』が出現したらしい」
「待て……アルバレスから聞いてないのか? 『西の解体屋』なら、たった今俺が中で仕留めたぜ」
「何だって……!? じゃあ、チカーノのシマでギャングを襲っているラキア人の巨漢は一体誰なんだ? あんたらをバックアップしているドランダ一派も狙われているらしいぞ!」
ホランドの言葉に、バディダの顔色がかわる。
「……なるほど。サイード・カルテルか。遂に動き出しやがったな」
ラキア系麻薬カルテル「サイード・カルテル」のリムソン支部。
『西の解体屋』の混乱に乗じ、彼らが本格的なラテン系ギャング排除へ乗り出したことを、バディダは確信していた。




