悲劇の事故
※1話前の「悪魔の秘密」の続きとなります。
2017年 ハワイアン・ジェファソンシティ
真夜中の公道を、数台のスポーツカーが猛烈な排気音を響かせて爆走している。街の暗部で行われている違法公道レースだ。
そのレース車両を警護するように、キューバ系ギャング「ハバナ・ボーイズ」のメンバーを乗せたバンが並走していた。
「おい! 遂に来やがったぞ!」
運転席のバディダが鋭く叫んだ。サイドミラー越しに、スポーツカーの列に急接近するバイクの集団が見える。全員が片手にピストルを握り、殺気を放っていた。
「ホートマンから聞いてた通りのジャケットだ。間違いねえ!」
助手席のバラドがライフルを引き寄せながら応じる。
このレースの主催者である「サンズ・ユピテル」と敵対する、ボナード系バイカーギャング「タレオール隊」の連中だ。奴らはレースをぶち壊しに現れたのだ。
「開けるぞ!」
バディダの合図とともに、バンのバックドアが跳ね上がった。最後部に陣取っていたメンバーたちが、容赦なくライフルの火を噴く。先頭を走っていたタレオール隊のバイクが火花を散らして転倒し、後続が次々と巻き込まれていった。
「くそっ、寄るんじゃねえ!」
バラドが窓から身を乗り出し、右側に並んだバイク乗りの頭をライフルの銃床で叩き伏せた。乗り手を失った鉄塊はガードレールに激突し、激しい火柱を上げる。
「後ろは片付いたぜ!」
後部座席のガルドが吠えた。
「了解だ。一旦閉めるぞ」
バラドはバックドアを引き込み、固くロックした。
だが、死角からさらなる影が迫っていた。
新たに現れた集団は、先程のギャングとは明らかに異質だった。軍の特殊部隊を思わせる重装備に身を包み、頭部全体を鋼鉄のフルフェイスヘルメットで保護している。
何より、彼らが狙っているのはレース中のスポーツカーではなく、このバンそのものだった。
その異変にバディダがいち早く気づく。
「まずい、別の組織か!?」「何だと?」
バラドが再び銃を構えるが、時すでに遅かった。謎のバイク集団は、訓練された動きで瞬時にバンを包囲したのだ。
「振り切るぞ!」
バディダはハンドルを激しく切り、バンを左右に蛇行させた。弾き飛ばされたバイク二台がコース中央へ転がっていく。それを避けようとしたスポーツカーが隣の車両と激突し、公道は一瞬にして鉄の地獄と化した。
このカオスを、至近のビルの一室から冷徹に見つめる男がいた。
警備会社「ハワイアン・ジャガー・コーポレーション」の社長、バーンズだ。彼は窓越しににやりと口角を上げた。
「……中々やるじゃないか」
路上では、黒ずくめのバイカーたちがバンに密着し、体当たりを繰り返していた。窓ガラスに銃口が押し付けられる。
背後に回った一台が、バンの後輪へ正確に弾丸を撃ち込んだ。
「おっと……こりゃマズいぜ!」
バディダが悲鳴を上げる。バーストしたタイヤが悲鳴を上げ、巨体が制御を失う。追い打ちをかけるように、後続のバイク数台がバンの背面にフロントを押し当て、力任せに突き飛ばした。
「させねえよ!」
バラドがドアを開け、捨て身の射撃で数名を叩き落とす。だが、慣性は止まらない。
「ダメだ、耐えきれねえ!」
バディダの絶叫と同時に、バイカーたちが一斉に離れた。
直後、バランスを崩したバンがアスファルトの上を滑り、横転。凄まじい火花と金属音を残し、コース中央で横たわった。
静寂。煙の上がる車体を、再びバイク集団が取り囲む。
リーダー格の男がヘルメット越しに、くぐもった声で無線に囁いた。
『ボス。……皆殺しでよろしいですか?』
「よくやった。一人残らず始末しろ」
バーンズの冷酷な指令が下る。
「よし、全員殺せ!」
男の命令で、全員が迷いなくピストルを抜いた。
ひっくり返った車内で、バディダはどうにか意識を取り戻した。
「皆、大丈夫か……?」
「あ、ああ……生きてる」
仲間たちの苦悶の声が響く。だが、状況は絶望的だった。
「クソッ、囲まれてる……!」
バディダは腰の銃に手を伸ばした。その瞬間、鼓膜を震わせる轟音が至近距離で炸裂した。
温かい液体がバディダの顔に飛散する。目を見開いて隣を見た彼は、言葉を失った。
胸を撃ち抜かれたバラドが、力なく崩れ落ちていた。
「おいおい、邪魔すんじゃねえよ……」
ビルの屋上からその光景をスコープ越しに覗く男がいた。殺し屋「片目のボブ」だ。彼はバディダに家族を奪われた女性から依頼を受け、今日この場所で彼を仕留めるつもりだった。
「バディダの命を獲るのは俺だ。余計な掃除屋はいらねえ」
ボブは標的をバイカーたちに切り替え、アサルトライフルの引き金を引いた。精密な射撃が次々と重武装の男たちを排除していく。
周囲で予期せぬ銃声が響き、自分たちを追い詰めていたバイカーたちが次々と倒れていく。
その混乱の中、バディダは必死の思いで車外へ這い出し、バラドの体を抱き寄せた。
「おい、バラド! しっかりしろ!」
激しく揺さぶると、バラドは短く喘いだ。
「バディダ……」
「今救急車を呼ぶ、死ぬんじゃねえぞ!」
震える手で携帯を取り出そうとしたバディダの腕を、バラドの血まみれの手が掴んだ。その感触は、恐ろしいほどに冷たかった。
「よせ……もう、無理だ。……お前と再会できて、嬉しかったぜ、バディダ……」
「何言ってやがる! リムソンシティで最強のギャングを作るって約束しただろ!」
「悪いな……だが、こんなクソッタレなバンの下敷きになって死ぬなんてよ……ハハ……」
その乾いた笑い声に、バディダはパニックに陥った。
「喋るな! 今止血してやるから!」
自分の服を引き千切り、溢れ出す鮮血を必死に押さえる。だが、バラドの瞳から光が失われていくのを止めることはできなかった。
「よし、今度こそ終わりだ」
屋上のボブが、再びバディダの眉間にレティクルを合わせた。
だがその時、「おい、そこをどけ!」という怒声が背後から響いた。
運悪く、ボブが陣取っていたのはバーンズの警備会社が入るビルだったのだ。
「チッ、邪魔が入ったか」
ボブは暗殺を断念し、背後の追っ手に向けて銃身を翻した。
「……皆……お前らと、過ごせて……楽しかった……」
それがバラドの最期の言葉だった。
脇を通り過ぎていくスポーツカーの、どこか他人事のようなエンジン音に混じり、夜の道路にバディダの慟哭が虚しく響き渡った。




