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夢か現か

 寝台ではなく、赤い敷布団と赤い掛け布団。近くには目に優しい赤色の机と、目が痛くなるような赤色の鎧兜。キキが目覚めてすぐに視界に収めたのは、その四つだった。


「僕の部屋……は壊れたし、診療所にしては置いてる物がおかしい。ピノの家だとしても、ここまで悪趣味な鎧は置いてなかったはず」


 上半身だけ起こしたまま、全く痛みのない顎に手を当てながら、少年は周囲を見渡した。置いてある物品は視界に映した物以外には特になく、強いて上げるとすれば、机の上にガラス製の湯呑みが置かれているぐらい。

 そもそも空間自体が異質で、四つの赤が異様に目立つようにしているのか、それとも意図せずなのかキキには判別がつかなかったが、とにかく真っ白だった。目に入る場所は、とにかく白。白い壁、白い床、白い天井。境界線がパッと見ただけでは分からない為、そう呼ぶべきなのかも分からない。


「これは床とか天井に分類して良いのかな」


 そう言って首を傾げた時、少年は右の頬に何かが当たるのを感じ取った。

 それは細く、温かみのある何か。時々ピノにやられる悪戯を思い出し、キキは視線だけを右に向ける。


「一応部屋だから、そういう分類で良いんじゃないかな?壁とか床の定義なんて知らないけど」


 そこにいたのは、真っ赤な髪に褐色の肌の女。それは人間の髪とは思えないほど赤く、なぜか宙を蛇のように動いていた。

 そしてついでに服も赤一色である。貫頭衣のような飾り気のない衣服なのだが、その燃え盛る炎のような赤のせいで、どうしても派手な衣装に見えてしまっていた。


「初めましてだね。私は……桜を君と出会わせた張本人さ」

「……つまり、サクラが時々口にしていた神だと?」

「ご名答」


 カラカラと笑う神の姿は、キキが今まで見てきたどの女性よりも美しかった。街中で出会って唐突に女神だと言われたとしても、少しは信じてしまうぐらいには美しいと言えば、分かりやすいだろう。

 桜も悪い容姿ではないが、勇者と言ってもろくに信じてもらえていないのだから。


「君はやはり聡明だね。その年で二つ名を冠しているだけある」


 数年振りに見知らぬ他人から頭を撫でられて、キキは何とも言えない表情を浮かべた。

 別に頭を触られるのが不快というわけではない。撫で方が気に入らないというわけでもない。桜はもちろん、ティナよりも起伏に富んだ体。それに加え、外見年齢は二十歳を過ぎたぐらいだろうか。当然、大人特有の形容し難い色香も持ち合わせている。そんな女性が相手だ。

 キキも健全な十五歳の男子なのだから、ティナが殴ってくる可能性を考慮しないのであれば、普通であれば喜んでいただろう。


 しかし、彼はダチョウに蹴り飛ばされたことを記憶している。捨て身の覚悟で対峙していた怪物の目を焼き、薄れ行く意識の中で浮遊感を味わったことを、キチンと覚えている。

 だからこそ、上手く反応ができない。


「ここはどこですか」


 見覚えのない場所で神を名乗る不審な女に頭を撫でられるなど、自分の気が狂ってしまったか、もしくは夢を見ているか。基本的にはその二つだ。

 色々と考えた結果、キキは現状の把握を行うことにした。


「ここは……何だろうね?」


 だが、聞いた相手が悪かったことにすぐ気づかされた。惚けているわけではなく、本当に分かっていない様子の女神はキキの頭から手を離すことなく、再びカラカラと笑う。


「まあ、大丈夫さ。君の体はポニーテールの女の子が守ってくれてる。それにさっき神託下したから、桜も大急ぎで向かってるはずだよ」


 話の後半部分にはかなりの不安が残っているが、キキにはそれよりも前半部分が気になった。理由は言わずもがな、桜の扱うような意味の分からない単語のせいである。


「ぽにぃ?」

「馬の尻尾みたいに。ほら、こんな感じ」


 そう言うと、自称女神は右手で髪をグッと纏めた。

 それはキキには見覚えしかない髪型である。そして、その髪型で自分の身柄を守ってくれるような女の子は、残念ながらと言うべきかは分からないが、一人しか心当たりがなかった。


「ああ、ティナですか」

「そうそう、そんな名前」


 女神はキキが時々行うように指を弾き、何がおかしいのか、またカラカラと笑い始める。

 こういう人、もしくはこういう神なのだろうと半ば諦めながら、少年はもう一つの質問を投げ掛けた。


「救援がサクラっていうのは、こう……。もう少し誰かいませんでした?」


 桜が悪い人間ではないことは知っている。

 だが、援軍としては不適切なのは間違いない。それをキキは路地裏で理解させられた。それだけならまだしも、桜は魔力酔いで診療所で寝かせていたはずだ。

 キキの隣で未だにカラカラ笑っている自称女神の言葉が真実だとすれば、先刻まで倒れていた病み上がり同然の少女を走らせていることになる。

 全てを合わせて考えると、病み上がりの非戦闘員一人が援軍に駆けつけるということだ。もし名軍師が指示を出していたとしても、自殺行為としか思えない状況である。


「その様子だと、まだあの子を信用してないんだね。まあ、仕方ないとは思うけど、称号自体は本物の勇者だから安心してほしいな」


 笑い声を一旦抑え、諭すような声色で女神がそう言う。実際、彼女の言う通りではある。キキは桜が勇者であるという話を信じていない。

 だが、それは単に嘘吐きであると判断しているからではなく、判断材料も判断基準も非常に曖昧であるからだ。桜という一個人に対しては、むしろ好感を持っていると言っても良い。


「信用するにしても、色々と足りないでしょ」

「気持ちは分かるよ。先代勇者を前例にしようにも、大昔過ぎて御伽噺になってるって考えたら、どうやって勇者って判別するのかって感じだよね」


 まるで思考を読まれたかのような発言を気味悪く思いながら、キキは表情には出さずにゆっくりと頷いた。

 流石にどこの誰かも分からない存在相手では、警戒心の方が優先されていつもの癖も出なかったのだ。罷り間違って、面と向かって気持ち悪いなんて言葉を吐いてしまえば、どうなってしまうかなど想像もつかない。


「参考までに、何が足りてないと思う?」


 そんな少年の内心など分かっていない女神は、人懐っこい笑みを浮かべながら、そんな問い掛けをした。

 勇者として足りていない要素。キキには勇者に関する知識など大してないが、それでも色々と足りないであろう部分は思いつく。


「まあまず、全然勇者らしくないです」


 ピンと指を一本立て、指摘する。


「ああ、それは私も思ってるよ。でもそれをもっと分割してほしいかな」


 だが、そんなことは女神も百も承知だったらしい。しかもそれを分割しろと言われ、キキは律儀に思いついたことを脳内で箇条書きにしていく。


「嘘が吐けないところとか」

「正直なのは良いことさ。勇者なら尚更、ね?」


 嘘も方便という言葉はあるが、嘘吐きな勇者と正直者の勇者。どちらがより勇者らしいかと言われれば、間違いなく後者の方である。

 普通の人間として生きていくのであれば、時に卑怯に時に狡賢く生きるべきだが、勇者が舌先三寸で人を騙すようなことをしていれば、子供の教育には確実に向いていない御伽話が完成してしまう。

 そうやって一人で納得し、キキは続ける。


「あの年齢で魔力酔いになるのとか」

「それは世界間の違いが悪いよ。流石の私も体を作り変えるまではできても、彼女の過去の改変はできないからね」


 言葉自体は大して難しくない。桜のような変な単語を使っていないから、キキもその話自体は理解できた。

 しかし、言っていることが分かるからこそ、その壮大さに若干置いて行かれてしまっていた。世界間の違い、つまり世界と世界の差異。体を作り変えるという芸当に、過去の改変はできないという文言。

 神を名乗っている以上、ごっこ遊びの設定として語っているのか。それとも本当に神なのか。やはり判断はできなかった。


「そもそも、私だって魔術を使う場面になったらメッセージの一つや二つ送るつもりだったんだよ?でもあの子、大福キャッチする為だけに身体強化なんて使っちゃってさ。こっちの方が大慌てだったよ」

「ああ、なるほど」


 話の一部は分からなかったが、大福の着地点に飛び込んだ際の常人離れした動きに合点がいき、キキは思わず両の手のひらを打ち鳴らした。


「魔術を使うなんて、早くても明日ぐらいだと思ってたんだ。流石、私が見込んだ子だよ、無意識で使っちゃうなんてね」

「無意識?」


 無意識下で魔術を扱うのは、不可能ではない。

 朝起きて顔を洗う為に魔術で水を出す。完全に習慣づけている人間であれば、頭がボーッとしていても、何か考えごとをしていて上の空だったとしても、無意識下でその程度のことは行えるようになってしまっている。

 しかし、それは本当に習慣になっている人間だからできる芸当で、ただ大福を落としたくない一心でやるようなことではない。


「そう、無意識。才能ってだけなら十分に勇者だろう?」


 キキの心の中は半分以上が呆れで埋め尽くされていた。

 大福の為に人生で初めての魔術を行使した挙句、その結果として魔力酔いで倒れる。一桁の子供がやったならともかく、桜は十五を過ぎた少女だ。

 もし後世にこの話が伝わったとすれば、相当な笑い話である。それがもし本当に勇者なのだとすれば、尚更だ。


「いや、勇者の才能なんて分かりませんけど」

「それもそうか」


 またカラカラと笑い、女神はいつの間にやら手に持っていた湯呑みの中身をグイと煽った。

 空になった湯呑みはそのまま宙へ放り投げられ、跡形もなくスッと消え去る。キキも似たようなことはできなくもないが、流石に落下する音を掻き消すことはできない為、目を丸くしながら耳を疑うことになった。


「他には何かないかい?」


 驚きのあまり静止してしまっているキキの頬を再び突き、女はまたカラカラと笑う。

 それに反応し、キキは一瞬だけ口を開いた。だが、すぐに閉じてしまう。声を出したのに笑い声で掻き消されたということではなく、そもそも声すら出していなかった。


「色々ありますけど……」


 急に口を噤んだキキに対し、一体どうしたのかと少しばかりの困惑を見せる女神。

 そんな若干困惑している姿も非常に美しいのだが、キキの中では未だに胡散臭い自称神である。


「やけに肯定的ですね、サクラに対して」

「ああ、そういうことか」


 アッハッハ。そんな風に態とらしく笑い声を上げながら、女は手を叩いた。


「この私自ら選別した勇者だよ?肯定して味方するのは当然だとも」

「自ら?」

「そう、多忙な合間を縫って自らさ」


 女神が自慢げに胸を張ると、そこにある双丘が主張するように揺れた。

 キキも男子である。それらに瞳が吸い寄せられたが、すぐに頭を振って頰を若干赤くしたまま、視線だけ赤い机の方へ逸らした。


「私が勝手に実施してた適正審査で、ある一つの項目を除けば全部最上位だったんだから」


 いつ、どのようにそんな審査を行なっていたのか。

 そんな疑問を抱いたものの、神ならどうにでもなるという理屈で、のらりくらりと質問を回避されるだろうと一人で納得し、キキはそれと一緒に浮かんでいたもう一つの疑問を口に出した。


「ある一つ?」


 勇者としての適正審査における、桜に足りていない一つの要素。


「そう、一つ。何だと思う?」


 キキの疑問を復唱し、眼前で可愛らしく小首を傾げる。見た目は二十歳を過ぎた女性であるのに、その行動はあどけない少女のよう。

 そんな女神に調子を狂わされつつも、キキはパッと思い浮かんだ要素を挙げた。


「……性別ですか?男と女の膂力の差は響いてくると思います」


 キキの知る勇者は、女ではなかったらしい。特に何の変哲もない男の勇者が、当時いたとされる魔王と死闘を繰り広げていた。

 そんな戦闘において大事なモノとなると、やはり力である。魔術や天候や、その日の調子。様々な要素に左右されるかもしれないが、結局のところは元々持っている力に左右される。

 そう考えての発言だったのだが、どうやら違ったらしい。キキの前でチッチッと声を出しながら、女神は立てた人差し指を振り子のように揺らした。


「そこはどうにでもなるさ。技術、経験、勇者のステータス補正とか」

「なら、その前者二つ」


 技術と経験も大事な要素である。

 それは戦闘をする人間に限らず、料理人のような何かを作り出す人間にも共通している。基礎基本となる技術と、それを実践していき培う経験。経験が技術に更なる磨きを掛け、受け継がれた技術は更に研鑽される。

 桜は明らかな非戦闘員。それらが欠けているとキキは考えた。


「確かに欠けてる。ただ、それは今後君達と培ってもらう予定だよ」


 しかし、それも神にとっては勇者に関係ない要素だった。

 そして何やら聞き捨てならないことも口走っていた。これには口を挟まなければならないと、キキはまだ何かを喋ろうとしていた女神の声に被せるように、素早く声を上げる。


「ちょっと待ってください。今僕達って言いました?」

「そう、君達」


 ビシッと自分を右手で指差され、キキは聞き間違いではないことを理解した。


「まずは君」


 少年を指差したまま、そんな言葉と共に女神がもう一方の手で親指を立てる。


「それにさっきの女の子」


 続いて、人差し指。

 言わずもがな、さっきの女の子というのはティナのことだ。そもそもキキがいつもいる面々となると、それは自ずと三人に絞られるのだから、特に予想するまでもない。


「それからいつも一緒にいる騎士の子供」


 当然のように知られており、当然のように頭数に入れられるピノ。

 中指が立てられたことで丁度三人。それ以上にもそれ以下にもなるはずがなく、女神の左手の指がそれ以上の動きを見せることはなかった。


「その面子に桜を足すのさ。前衛二人、後衛一人。そして比較的何でもできる君。完璧な布陣だろう?」


 停止している左手に、人差し指だけ立てられた右手が迫り、合計四本。

 完璧な布陣かどうかは定かではないが、ピノ一人よりが前衛をするよりは安定しそうではある。しかし、それはもう一人の前衛が一般的な前衛である場合だ。


「前衛?サクラが?」


 狂人でも見るような目つきで、キキは女神の顔を真正面から見据えた。

 だが、その顔は至極真面目。確かに笑顔ではあるが、何度も見せていた態とらしい笑みではなく、女神らしい微笑みだった。


「そう、前衛だよ」

「前衛ができるような状態ではなかったと思いますけど」


 キキが思い出したのは、路地裏での一幕。

 二人組に迫られ、木の棒を握りしめていた少女の姿。撃退したのはキキ一人の魔術による結果で、桜は特に何か目立った行動をしたわけではない。


「……聡明な君のことだ。そろそろさっきの答えに近づき始めたんじゃないかな?」


 微笑みが意地悪そうな笑みに変化したのを見て、キキは顔を俯かせた。

 口振りからして、答えに辿り着く為の鍵は既にいくつか入手している。入手していたのを、再認識させられたというのが正確だろうか。

 思考を巡らせながら、少年は小声で得た情報を整理していく。


「勇者らしくないっていうのを細かく」

「そうそう」


 結局、キキと自称女神は最初から位置を移動していない。

 敷布団の上で上半身だけ起こし、思考の海に潜っている美少年と、その隣で楽しそうに笑う褐色の肌を持つ美人。その笑みがどこか獣を思わせるようなモノでなければ、非常に美しい光景だっただろう。


「前衛ができる状態じゃない。でも、経験や技術は追々身につける予定……」


 つまり、能力は関係ないのだ。

 後から得ることができる部分ではなく、より重要な根幹部分がどこか欠けている。


「勇者。勇気ある者」


 女神はその言葉を耳にし、口を三日月のように開いた。

 しかし、そんな獰猛な肉食獣を思わせる笑みを見せながらも、決して声を漏らすことはない。口だけ開いたまま、堪えるように目を瞑り、必死で声を押し殺す。

 それは単に、目の前の少年の邪魔をしたくないから。


「勇気は別に敵と戦うことじゃない。目の前の敵から、迫ってきた恐怖から逃げずに耐えること」

「ああ、そうさ」


 女神は少年の背中に手を回し、ギュッとその体を抱きしめる。

 その姿はまるで迷子の子供と母親が再会したようだったが、もちろん二人の間にそんな筋書きはない。

 キキからしてみれば、身に覚えがないのにただひたすらに褒められている状態だ。


「君は本当に賢い。やっぱり君になら、あの子を任せられる」


 女神はその体勢のままキキの頭を撫で回した後、名残惜しそうにゆっくりとその体を離した。

 相変わらずキキは変な顔をしていたが、自称女神はそれすらも愛おしそうに見つめた後、親指と人差し指で円を形作る。

 その円の中には、風景があった。その円の中だけ別の世界に繋がっているような、水面を通して別の空間を覗き込んでいるような。一瞬だけしか目に映せなかったキキには、そのぐらいしか分からなかった。

 女はその指の間を、まるでそれが万華鏡か何かであるように楽しげな表情を浮かべ、右目で覗き込む。しかし、彼女の口はすぐへの字に曲がった。


「路地裏でも君の後ろに隠れていたし……いや、あれは君が隠したのかな?まあ、それはどっちでも良いか。今もダチョウ相手に不意打ち以外では酷い有様だ。回避するタイプの盾役は相手の動きを制限できないから、普通はダメなんだけどね」


 女神の見ている光景などキキは知らないが、言葉にした内容だけで考えるなら、キキの体があるはずの場所の景色を見たのだと推測した。

 だが、催促をしてしまったせいで酷い不安に駆られることになった。それは体を守っているという友人のこと。

 桜が酷い有様だという話を聞いてしまえば、その不安が増長してしまうのは当たり前である。


「でも、森人の優秀さに助けられてるね。あの子、弓だけなら神相手にも勝てるんじゃないかい?流石、君が側に置いているだけあるよ」

「言い方、どうにかなりません?」


 自分の大切な友人であるティナをモノか何かのように言われ、キキは不機嫌そうに顔を顰める。

 二つ名持ち故、そういう物言いをする人間と顔を合わせることは度々あるが、やはり慣れそうにはなかった。


「ごめんごめん、悪気はなかったんだ」

「……まあ、良いですけど」


 神を名乗るような女性。傲慢不遜とまでは言わずとも、桜に対してやっていることからして、かなり自分勝手なのは考えなくとも分かる。

 キキは半ば諦め、しょうがないと頭を振った。


「とどのつまり、あの子に足りてないのは、所謂勇気と呼ばれるモノさ」


 キキの耳には、それはかなり致命的なことのように聞こえた。勇者と呼ばれる存在であるのに、勇気がない。それはそもそも勇者を名乗るべきではないのではないか。

 自分が勇者だと自信満々に語っていた桜の姿を思い出しながら、少年は眉間に皺を寄せる。


「それさえ手に入れたなら、あの子は成長曲線に乗れるはずだよ」


 だが、そんなことなど知りもしないし、それ以前に気にしてもいなさそうな神はそう言ってのけた。

 それがどれだけの難易度であるか。心持ちを変化させるのがどれだけ難しいか。決して曲げられない信念を持っているキキだからこそ、それが良く分かった。


「で、どうしろと」


 そして結局のところ、キキには目の前の女が何をしてほしいのか分からなかった。

 何故呼ばれたのかも説明がなく、現状把握しようとして始めた質問も成果がなく、桜がどういう人間かという情報の整理をしただけである。赤が点在する真っ白な空間において、キキが得た物は女神からの少しばかりの好感度ぐらいだ。


「あの子の手助けをしてあげてほしいんだ」


 あまりにも普通のことを言われ、キキはそれ相応に普通に困惑を示した。


「それだけですか?」

「それだけさ。それだけの為に、君をここに呼び出した」


 あっけらかんとそう言い切り、女神を指を弾いた。

 パチンと小気味良く空間に音が響いたかと思えば、フッと何もかもが消失し始める。キキが寝ていたはずの赤い布団も、真っ赤な鎧兜も。全てが先ほど虚空へ消えた湯呑みのように。何の前兆もなく次々と消え去っていき、最後に残ったのは白い空間そのものと、そこに佇むキキと真っ赤な女のみ。

 そして何故か、木製に見える両開きの扉が二人の前に鎮座していた。いつ現れたのかも分からないぐらいに何気なく、そこにあるのが当たり前だと誤認してしまいそうなほど、厳かな雰囲気でそれは存在していた。


「さあ、行っておいで。あの子達には君の助けが必要だ」


 トンと背中を押され、キキは後ろを振り返る。そこに立っているのは自身より頭一つ分ぐらいは大きそうな、女神を名乗る真っ赤な髪の褐色美人。

 座っていたせいで両者気づいていなかったが、二人の間にはかなりの身長差が存在していた。


「……分かりました。色々と聞きたいことはありますが、それはまたの機会にします」


 ため息を吐き、扉に手を掛ける。大した力を加えずとも、それはキキの意思に呼応するかのように音もなく開き、隠していた道の姿を露わにした。


「じゃあ、また会いましょう」

「そうだね、また会おう」


 今度こそ問い詰めてやる。そんなことを考えつつ、キキは先の見えない道を進む為、迷いなく足を前に踏み出す。

 桜がどうこうという以前に、自身を殺しかけたダチョウを相手にしているというティナが心配だったから。




 そんな少年の背中が完全に消えたのを確認し、女神は再び意地悪く破顔した。


「本当に良いね、キリレンコ君は。私に君の、君達の紡ぐ物語を見せておくれ」


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