表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/21

どこでも路地裏は似たような

 ハミルトンの『色彩』が保護者をしているし、大丈夫だろう。

 そんな適当な審査で門を通り抜けたものの、後から問題にならないかどうか、キキは非常に不安に感じていた。キキという少年がそれなりに知名度と実力があり、それに加えて門番と多少仲が良かったから見逃された部分が大きいのであって、桜本人の信用はあまり得られていないのだ。

 最も、信用をあまりされてないというだけで、彼女が悪さをしそうな人間ではないことは理解されている。されているのだが、やはり一般常識に欠けていることを危険視されたようで、キキは二人に目を離さないように言われたのだった。

 その対象は、もちろん未だにキキの隣を歩いている少女。第一関門を潜り抜けたにも関わらず、彼と桜は相変わらず一緒にいた。


「もう少し一緒にいたかったな」


 そう言いながら桜が振り向く先には、ダチョウの絵が描かれた看板が立てられている、妙に大きな木造建築。短い旅の時間を共にしたダチョウが、今はその中にいるのだ。


「ただのダチョウだよ?」

「でもさ、慣れたら結構可愛かったんだ、あの子」


 最初に見た時は失神しそうな勢いで驚いていたはずなのだが、キキも知らない間に、妙な愛着が湧いてしまっていたらしい。

 ダチョウの方は特にそんなモノはなかったようで、離れる時もさっさと厩舎に戻っていたのは、つい先ほどのこと。貸出屋の主人曰く、賃貸ダチョウとしてはかなりの玄人であり、客との馴れ合いはあまりしないという話だった。


「別に今生の別れじゃないんだから」

「こんじょ?」

「……もう一生会えないわけじゃないだろう?」


 死んだのなら不可能だが、ダチョウは元の居場所へ戻っただけである。借りに行く、もしくは見学に行く。幾つかの手段を講じれば、キキ達が借りていたダチョウにまた会うことは可能だ。相手が覚えているかどうかはともかくとして。


「でも、またオムスケに会えるかは分からないじゃん?」

「オム、何て?」

「オムスケ。オウムみたいな羽の色だったから」


 オウムというのがキキには分からなかったが、どうやらキキの知るダチョウと桜の故郷のダチョウに似ていなかっただけで、似ている動物はいたらしい。

 話せば長くなる上、結局は途中で桜の知識がキキの知的好奇心に追いつかなくなって、何とも言えない雰囲気で会話が終わるのは予想できることだ。故に少年はオウムという未知の生物について特に何も言わず、敢えて無視することにした。


「僕、そろそろ帰りたいんだけど」

「待って、せめてウチの泊まる場所見つけるまで一緒にいて。ね、お願い!」


 縋り付くようにして外套を引っ張る少女、そして必死で抵抗する少年。

風貌が似通っていれば、単なる兄妹か姉弟の喧嘩に見えているぐらいのやる気のない攻防である。しかし、二人は顔が比較的整っている。一方は少しばかり知名度があり、もう一方はシラカバ王国近辺では見掛けない黒髪黒目の少女。

 周囲の注目を集めてしまうのは、当然と言っても過言ではない。


「痴話喧嘩か?」

「『色彩』が東方から奴隷を連れてきたって聞いたが」

「他国の王女を誑かしたんじゃないのか?」


 野次馬達の声を聞いた結果、キキは呻いた。

 好き勝手に喋っているのは、普段から交流のある面々ではなく、キキのことを一方的に知っている連中。彼らからしてみれば、単に転がり込んできた面白そうなことを、話のネタにしているだけである。

 少年が見知らぬ少女を連れて歩いているのは既にバレており、そこに尾鰭が付いてしまっている状況だ。

 そうなってしまえば、否定しても何をしても話が拗れるのは目に見えている。シラカバ王国を含む世界各国津々浦々において、噂話は庶民の暇潰しにはもってこいなのだ。


「最悪だ……」

「なんか、ごめんね」

「良いよ、別に。サクラのせいじゃない」


 そう言ってキキは懐から杖を取り出し、周囲の視線を誘導するようにクルクルと先端を回し始めた。騒めきながらではあるが、周りの人間の視線がある程度集まったことを確認すると、少年はそれを放り投げる。

 至極単純な視線誘導の一つに、魔術師である彼は隠し味を加えていた。それはクマノミ遺跡でも見せていた、明かりを灯すだけの簡単な魔術。昼過ぎであることに加え、手を離していることで魔力が上手く伝達していないが、それでも目眩し程度の発光はキキにとって朝飯前である。


 突如として閃光を放った杖。それによって視界を奪われた野次馬達は、流石に倒れるような被害などは出ていないが、目元を覆い隠すなり、何かを叫びながらフラフラと去っていくなり、各々で適当な反応を示していた。

 そのまま宙から戻ってきた杖を掴み取り、キキは背中を見せる野次馬達を睨み付ける。キキ自身、それがあまり良いことではないのは理解しているが、彼にとっては重要な自己防衛なのだ。

 とにもかくにも、一時的に注目を逸らすことに成功した少年がすることは、もちろん逃走である。


「さ、行くよ」


 事前に被害を受けないようにしていた犯人は、何ごともなかったような顔をして桜の手首を掴む。掴まれた方の少女は何が起きたか分かっていないようだったが、そんなことはキキに関係ない。

 とにかく人目のない場所へ行く為に視線を彷徨わせ、おあつらえ向きな脇道を見つけると、二人はそこへ駆け込んだ。


「まだ目がしょぼしょぼする」

「ああいうの、嫌いなんだよ。ごめん」

「気持ちは分かるから、大丈夫」


 申し訳なさそうな顔のまま、キキは握ったままだった桜の手首を離し、懐に杖を仕舞い込む。

 二人に対する興味を失ったのか、単純に目についたから騒いでいただけなのか。オーデマリの住民達の思考回路は分からなかったが、とりあえず追いかけてきている物好きがいないことを確認したキキは、深く息を吸い込み、そして吐き出す。

 視線を隣へ向けると、唸りながら目を閉じている桜。唸っては目を開き、また唸りながら目を閉じて、再度開ける。


「よし!戻った!」


 そう言って桜は手のひらを合わせ、バチンと弾けるような音を立てた。その光景を見ていたキキですら驚くぐらいの音量は、やはりそれなりの代償があったらしい。赤くなった手を少年の方に向けながら、少女は照れくさそうに笑った。

 それを見てため息を吐くと、キキは頭を指でコツコツと叩きながら口を開く。


「何の話だっけ……。ああ、思い出した。泊まる場所なんて、僕じゃなくてもそこらで聞けば良いじゃないか」

「続けるんだ、しかも普通に」


 若干引いた様子の桜を見て、キキは眉間に皺を寄せた。

 ドタバタとした寸劇を繰り広げながらも、話の筋を元に戻したというのに、話を切り出した本人が妙な反応をするのだから、少年の反応も仕方ないことではある。


「じゃあ別の話でもするかい?僕がさっさと帰りたいってい」

「待って待って待って!泊まる場所の話したい!めっちゃしたい!」


 キキが嫌がらせのように一つ前の話題を出せば、少女はそれを凄い勢いで遮った。宿泊施設愛好家のようなことを言っているが、ほぼ間違いなくそんなことはないだろう。もしその類の人間ならば、オーデマリではなくチュロスに向かうべきだ。


「で、僕にどうしろと?寮に住んでるから、宿なんて知らないよ?」

「まあ、それはそうかもしれないけど……」


 態とらしく、桜は動いた。

 両手の人差し指を胸の前で突き合わせ、今尚嫌そうな顔を披露しているキキを流し目で見る。端正な顔立ちのおかげで様になっているが、少年の心は別段動かない。


「ウチって非常識らしいから、現地の人いた方が心強いじゃん」


 どうやら、門番の二人に言われたことを根に持っているのだということを、キキはこの時理解した。自覚があるとはいえ、人に直接非常識だと言われるのは、それなりに辛かったようである。


「まあ、そうだね」


 だがしかし、それに多少なりとも振り回されている少年からしてみれば、否定できることではない。

 間髪入れずに同意した結果、少女は不機嫌そうに唇を尖らせる。


「否定してくれても良いじゃん」

「だって、ねえ?」


 そこで言葉を途切れさせ、キキは視線を僅かな上に逸らした。

 良識のない行動をしているわけではないが、常識のない言動は多い。大陸全土で知られているはずのダチョウも知らなければ、意味の分からない板を身分証だと言い張る。後者は認められたから良かったものの、少し血の気が多い門番が相手であれば、即刻牢屋送りでもおかしくはなかったのだ。

 単純に外国の常識なのかもしれないが、キキの知る限り、王都に時々訪れる外国人でもそこまで頓珍漢なことはしない。礼儀作法が異なることはあっても、その土地の作法や規則には相当の理由がない限りは従う。

 桜も見様見真似でやってみたり、空気を読んだりする程度のことはできているのだが、イマイチ根本の部分でズレている節があるのだ。


「それに、海外だと日本人って狙われるらしいし?」

「何を言ってるのか、僕にはさっぱり分からないよ」


 キキもさっぱり分からないとは言っているが、理解することを放棄しているわけではない。ニホンという単語が桜の故郷を表しているのは理解しているし、音の響きでカイガイという単語も大凡の意味は掴んでいる。

 それでどうして狙われるのかは分からないし、何に狙われるのかも分からないというだけだ。


「とりあえず、宿ならあっちの方だよ。ただ何日も泊まるには高いと思うけど、さっきの財布の中身からして四日ぐらいは大丈夫じゃないかな」

「あっちね、分かった!」


 そう言うや否や、少女は目の前にあった小道に向けて走っていく。方向自体は間違っていないのだが、王都とはいえ暗がりというのはあまり良くない場所である。

 昼間は多少治安も良くなるが、あくまで多少、高が知れている。半ば手遅れであることを察しながらも、少年はそれを追いかけ始めた。


「あんまりイノシシみたいに走ったら、面倒なことに」


 キキが言い切る直前、案の定情けない悲鳴のような声が響く。その直後、路地を曲がったはずの桜が飛び出してきた。反射的に抱き止めたことで倒れることはなかったが、少女の勢いのせいで少年の方も情けなく呻く羽目になった。


「き、ききき、き」

「落ち着きなって。サルみたいになってるよ」


 後の祭りであることは、桜の反応のおかげでキキも何となく理解している。故に慌てることなく、震えながら指を路地に向ける少女を、幼子をあやす時のようにポンポンと背中を叩くことで落ち着かせる。

 側から見れば、再会した恋人同士。実際にはそんなことのない二人組が立つ場所の右側、桜が飛び出してきた路地から、下卑た笑いと小さく駆けるような音が響いてきた。


「おいおい、逃げんなよ」

「別に食おうってわけじゃねえ」


 声だけで既にガラの悪さが伝わってくる、男二人の声。荒ごとに多少慣れているキキはともかく、桜からしてみれば非常に恐ろしいことのようで、未だに少女は少年の腕の中で震えている。


「あ?恋人連れかよ」

「奴隷じゃねえの?あんな変な髪の女、俺は初めて見たぜ?」


 漸く姿を表した男達は、幸いなことに二人のみ。片方は長身痩躯、もう片方は低身痩躯とでも言うべきか。

 何れにせよ、どこからどう見ても表の道で生活している人間ではないことは確かだ。臭いも酷ければ、着ている服も綺麗とは言えない。容姿が整っていれば、男娼なり何なりまだ使われる道もあったのかもしれないが、別段そういうわけでもない。

 奴隷になってしまえば、身分は落ちるが衣食住は保障される。しかし、大抵の人間はその身分を許容できない。腕っ節が人よりも強ければ、荒ごとを生業にでもできるが、そこまで強いわけでもない。

 そういう人間が行き着く先が、路地裏の住人である。


 そんな男達はキキを視界に入れると、これ見よがしに顔を顰めた。

男はお呼びじゃない。言外にそう告げられているのは察したが、キキもそこで引き下がるような人間ではない。元々途中で放り捨てる予定だったとはいえ、一応はまだ旅の連れである少女を見捨てられるほど、腐った人間ではないのだ。


「その制服、魔術学校の奴じゃねえか。良いとこの坊ちゃん嬢ちゃんが、こんなとこで何してやがんだ」


 キキがハミルトン魔術学校に入学する前、魔術師協会に呼び出されていた時のこと。南の方の田舎町からやって来た、文字通りのお上りさんの感覚でフラフラと歩いていた時も、現在目の前で起こっていることと似たようなことがあった。

 馬鹿にされないように、という理由で両親に着させられた妙に良い服のせいで、路地裏の人間に追い回されたのは彼にとってかなり苦い思い出である。


「ちょっと近道をしようとしただけですよ」


 自分で質問をしてきたくせに、男は一切話を聞くつもりはなかったらしい。キキの言葉に被せるように、先ほどと同じ下卑た笑い声を上げると、汚れた腕を摩り始めた。


「丁度良いや、そこの女がぶつかってきてよ。医者のところ行きてえから、金貸してくれよ」

「君達に貸すほど、僕の懐は暖かくないんだ。それにどうせ返すつもりも、返す方法もないだろう?」


 腕の中にいる少女を背後に隠しながら、キキは懐に手を突っ込んだ。

当然、手の中にあるのは魔術師としての得物。いつでも引き抜けるように魔力を込めながら、にじり寄ってくる男達に合わせて、ゆっくりと後退する。


「生意気なこと言ってんじゃねえぞ」

「初対面で金貸してくれっていうのも、かなり生意気だと思うよ」


 始まってしまっているのだから、穏便に終わらせることが非常に難しいことはキキも理解している。故に、片頬を吊り上げながら煽る。頭に血が上った相手ほど御し易い存在はないのだ。

 そして、その目論見は上手くいった。男達が舌打ちをすると同時に、キキは背後の少女をトンと押す。下がっていろ、という合図である。

 打ち合わせをしたわけではなかったものの、流石に察することはしたらしい少女は、路地裏から飛び出てきた時と同じように大急ぎで距離を取った。


「うるせえ」

「調子乗ってんじゃねえぞ、ガキ」


 何気なく、本当に何気なく。まるで当然のことのように、その拳は振るわれた。日常的に使っていなければできないぐらいの気軽さで放たれたそれを、キキは余裕を持って避ける。

 続けて振るわれた背の低い方の拳も、引き抜いた勢いそのままに杖で逸らした。そしてそのまま距離を取り、キキは一番得意な魔術を頭に描く。


「仕方ない。先に売ってきたのはそっちだからね」

「黙っとけよボンボンが。魔術師なんざ、近くで殴れば終わりだろうが」

「良くある勘違いだね。戦い慣れてる魔術師は、まず近くに寄らせないのさ」


 男達がキキに近寄ろうとした瞬間、その足元に真っ赤な線が走った。

 正確には、足元だけではない。キキと男達の間に境界線でも引くように、両側の壁にもその線は走っている。もし道に天蓋でも付いていれば、そこにも赤い線が描かれていただろう。


「知名度はそれなりのモノだと思ってたんだけどな。オーデマリで僕のことを知らない相手に会うのなんか、久々だ」


 キキが言葉を紡ぐ間も、境界線は増え続ける。

 今度は青、続けて黄色。若葉のような明るい緑に、大木の葉のような濃い緑。底の見えない海のような青に、朝日が昇ったばかりの空のような薄い青。

 数えるのも億劫になるほど、大量の線が引かれていく。


「おい、お前もこれ見えるよな」

「お、おう」


 数多の線を隔てた先にいる男達も、困惑した様子で顔を見合わせていた。

 その元凶である少年は、その間も自由気ままに杖を振るう。右に左に、上に下に。杖が振るわれた先は元の色を失い、段々と景色がグチャグチャになり始めた。

 元の壁の色など、もはや何色だったのか分からない。子供が大量の染料をぶち撒けたような、無秩序な空間がそこに広がっていた。


「これが僕が僕たる所以。ここはもう君達が知っている空間じゃない」


 カツ。態とらしく踏み鳴らされた靴音に、男達は肩を跳ねさせる。

 目の前にいる少年が、一体全体何者なのか。表の知識がない彼らには、それはさっぱり分からなかったものの、関わってはいけない種類の人間であるということは本能的に理解できた。

 そして、逃げ出すには手遅れだということも同時に。


「感覚がおかしいかい?あまり長いこといると、遠近感も狂うよ」


 そんな少年の姿を後ろから眺めるのは、一人の少女。

 言わずもがな、現状キキの厄介ごとの原因となっている桜である。

 開戦した直後、腕っ節の弱そうな少年を何とか助けようと、近くに落ちていた棒を拾い上げてはみたのだが、その結果として、彼女はあまりに頼りない姿を晒していた。武器を振るうにしては姿勢が良くない上、男と喧嘩をして勝てるような肉の付き方はしていない。そもそも得物も棒が一本。

 棒は棒でも、訓練用の木の剣や、鉄製の棒ならともかく、すぐに折れそうな木の棒である。


「キ、キリレンコ君。ウチもやるよ?」

「……いや、大丈夫」


 喧嘩慣れしていないです。そう言わんばかりの格好をしている少女に、流石のキキも前線に出ろとは言えない。

 彼は桜の手の中にある棒を受け取り、そのまま男の片割れに向けて放り投げた。辺りを埋め尽くす色に視界を奪われている背の低い男は、避けることもできず、頭頂部に棒を直撃させる。


「いっつ」


 苦痛というよりは、単なる驚き。

 痛みを想起させないぐらい、非常に軽い音が響く。


「ほら、もう一発」


 続けて投げられたのは、単なる石ころ。何の変哲もない、どこにでもある石材の欠片である。いつの間に拾っていたのか、拳大のそれをキキは容赦なく投擲した。

 石ころとは言うが、殺傷能力は十分にある。頭に直撃すれば、ただでは済まないのは明白である。当然、それは相手が男でも女でも関係ない。


「うぐっ」


 再び声を上げる小男。


「よし、百点」


 その声が示す通り、キキの投擲物は再度直撃していた。しかし、今度は頭ではなく、顔の中心。

 今度は聞くだけで痛い音を響かせながら、男は手で顔を覆った。その隙間からは血が流れており、最低でも鼻血ぐらいは出ていることが見て取れる。


「お座敷のやり方じゃねえな」

「田舎出身なのさ。狩りとかで良く使ってたよ、こういうのは」


 再び舌打ちを一つ漏らし、長身の男は自身の周囲を見渡す。

 彼らとて、貴族の子息や魔術師を相手にするのは分が悪いことを、理解していないわけではない。捕まるだけなら御の字。最悪の場合、カツアゲをしている最中に首を刎ねられて人生が終わる。

 今までは運良く生き延びてきただけで、いつ死んでもおかしくなかった。生きる為に残飯を漁り、世間知らずから小銭を奪う。そんな人生から脱却しようにも、学がなければ力もない。

 しかし、目の前の少年は何なのか。今まで遠目から見てきた魔術師とは異なる、不気味な魔術を行使している。それだけならまだしも、見るからに自分より年下なのだ。

 そこに生じるのは、行く当てのない悔恨と嫉妬。そしてそれを憶えてしまう惨めさ。

 その足は本人も気づかない間に、相手をすべきキキの方ではなく、元々いた路地の方へ向いてしまっていた。


「別に追いはしないから、帰りたければ帰りなよ」


 だが、そう言われたことで引き返せなくなった。

 嫉妬が中心の八つ当たりであることは自覚していても、それが情けないなことも理解している男は、更に舌打ちを一つ鳴らす。


「気持ち悪いな」


 漸く絞り出した言葉も、悪態。


「敢えてだよ。綺麗にしようと思えば、王宮の絵画みたいにもできる」


 そんな長身の男ではなく、石を投げつけた男の方に向け、少年は杖を向けた。

 殺そうと思えば、簡単に殺せる。魔術師は学者として扱われるか、兵器として扱われるかの二つに一つだ。ただ、それは使われ方の問題である。

 元々は、世の中を便利にする為の技術。それを善に寄せるか、悪に寄せるか。どのように善悪を区別するのかはさておき、つまるところ、魔術は元来殺傷能力を携えているという話である。


「何色が好きだい?」


 だが、キキのそれに、直接的な殺傷能力はない。

 結果的に怪我をしてしまうことはあっても、あくまで着色するだけの平和的な魔術だ。


「兄貴、目が見えねえよ。真っ暗なんだ」


 鼻を抑えていた方の男が、唐突にそんなことを言い始めた。水中でもがくように手を動かしながら、兄貴兄貴と譫言のように口を開き、壁にぶつかりながら歩き回る。

 鼻から流れている血が酷いこともあり、その姿はまるで亡者のように見えた。

 路地裏という若干日陰である環境も相まって、その姿は非常に惨たらしい。実際、キキの背後からは息を呑むような声が聞こえてきた。


「コイツに何しやがった、テメエ」

「死にはしないよ。君が小馬鹿にしてた魔術師の、単なる面白手品さ」


 そんな手品があってたまるか。

 そう言いたげな長身の男と、見た目だけなら死にそうな小男。そして驚き慄き右往左往している少女。余裕綽々なのはキキ一人。元より形勢も何もあったものではない、単なる路上での諍いは、一方的な終わりを迎えようとしていた。


「そうだなぁ。君達が元いた場所に帰ったら、僕もその魔術を解くよ」

「もう二度と関わるな、とでも言うのかと思ったが」


 フラフラ歩きながら血を垂れ流す男を捕まえ、もう一人の男がキキを睨み付ける。かなり恐ろしい形相だが、彼は怯むことなく柔らかく笑った。


「言わなくても、もう関わらないでしょ?」


 何度目か分からない舌打ちをして、男達は出てきた路地の方へ去っていく。

 キキが僅かに違和感を感じて、頭だけ後ろの方へ向けると、少女が震えていた。男二人の姿をそんな状態で見つめながら、キキの外套に皺を作っている。


「少し、気を付けようか」

「うん」


 ティナとも母親とも違う類の少女の扱いに困りながら、少年は頭を掻いた。







 路地から出て、二人は広場にやって来ていた。近くの露店で買った串焼きを片手に、キキは路傍に座り込む。それを真似して桜も隣に腰掛けるが、その表情は暗いままだった。


「肉、嫌いだった?」

「いや、好き。魚より好き」

「僕は魚かな。実家じゃそんなに食べれなかったし」


 そこで会話を一旦止めて、二人はほぼ同時に串焼きに目を向けた。

 まずキキが動いた。木製の串から肉を一切れ引き抜き、噛み締める。単純に塩を振っただけではあるが、十分に美味しい。

 幸せそうに口を動かす彼に感化され、少女も齧り付く。上品さだけで比べるならば、キキの方が幾分か綺麗に見える。しかし、見ていてどちらが気持ち良い食べ方かといえば、十中八九桜が選ばれるだろう。


「美味しい」

「ミツメウサギモドキは煮物にしても美味しいけど、単純に焼くだけでも十分なのさ」

「そんな名前なんだ、この肉」


 自分で焼いたわけでもないのに自慢げな少年と、そんな少年のことなど気にせず、まだ見ぬ肉の原材料をやや恐れている少女。

暫くの間、二人してモゴモゴと口を動かし続ける。 


「何か忘れてる気がする」

「大事なこと?」

「そうでもないと思う」


 食べ終わり、キキが手に付いた肉汁を舐めようかどうしようかと悩み始めた瞬間、桜が切り出した。

 食べている最中は鳴りを潜めていた、どこか悲しげにも見える雰囲気が溢れ出る。原因が分からない為、キキもとりあえず何か食べさせようと思ったのだが、やはり根本的な解決には至っていなかったらしい。


「ウチ、ここのことナメてた」


 切り出されたのも唐突で、口から出てきた言葉も要領を得ない。

 今まで起こったことを精査していき、キキも何となくの推量から口を挟んでみる。


「路地裏なんて、どこもあんなもんだよ」


 だが、それは桜の求めていた言葉ではなかった。

 正確には、そもそも言葉を求めていないようだった。


「ここ、本当に夢じゃなかったんだって、さっき気づいた」

「遺跡でも似たようなこと言ってたね」


 それに対し、少女は頷く。

 夢だと思い込んでいて、漸く現実だと認識した。そういう話なのかと質問しようかと口を開けば、少年の言葉を遮るように少女は一人語り続ける。


「ぶつかった時さ、ビックリしたし、痛かったし、言って良いのか分かんないけど、臭かった」

「だろうね」


 自分が初めて路地裏に迷い込んだ時のことを思い出しながら、キキは頷いた。


「それにさ、凄く痛そうだった」


 そう言って、桜は膝の間に顔を挟み込む。キキの方からは顔を確認することができないが、肩が震えていた。どこからどう見ても、あまり良い状態ではない。


「ここで、一人で生活するの?嫌だよ、そんなの」

「えっと、そう?」


 キキの記憶では、桜は一人暮らしを羨んでいたはずである。先ほどのことがそれほどまでに衝撃的だったのか、それとも付随して何か心の傷を開いてしまったのか。

 何一つ分かっていない様子のキキを放置して、少女は言葉を紡ぐ。


「キリレンコ君、ウチ、どうしたら良い?ただの高校生だったのに、突然こんなとこで世界救えって言われても、意味分かんないよ」

「君の事情が分からないから、何とも言えないな」


 ポツポツと、少女の足元が湿り始める。

 俯いたまま嗚咽を漏らす少女と、事情があまりにも理解できずに泣きたくなっている少年。妙にどんよりとした空気が流れ出した後方で、ふわりと花のような匂いが漂う。


「やっぱりキキじゃない。何してるのよ、こんなとこで」


 輝くような金色に、馬の尻尾のように紐で括られた長髪。オーデマリではあまり見掛けられない、少しばかり横に長い耳と見目麗しい乙女。

 そしてキキの二人しかいない友人の片割れである、ティナ・フレッチャーその人である。


「あれ、ティナ。弓の件はもう良いのかい」


 振り向いた先にあるのは、どこか緩んだティナの顔。

 しかし何がそこまで嬉しいのか、キキにはさっぱり分からなかった。普段のキリっとした表情が崩れそうになるぐらい、特に口元のあたりが緩んでいた。

 そんな少女に対し、少年も無理矢理作った微笑みを返す。澱んでいた空気が霧散するほどではないが、幾分か緩和しているようにも見える。


「受け取りに行って、試しに何回か射ってみただけ。昼前には終わったわよ」


 確かに、ティナの服装は洒落を重視しているようだった。制服のような穿袴ではなく、やや飾り気のある普通の袴。

 右手には小さめの鞄を提げており、完全に外出用の格好である。


「キキこそ、遺跡はどうだったのよ」

「いや、まあ色々と」


 言葉を濁した少年は、乾いた笑いを上げながら、串を持ったままの手で顳顬の辺りを掻く。

 話したいことは色々とあったが、まず解決すべきことは彼の隣の少女である。そちらの方へチラリと視線を飛ばした後、キキはティナへ向けてパチンと手を合わせた。


「ちょっと助けてほしいんだ」

「何よ。もしかして課題のこ……」


 そこまで言って、ティナの動きが静止した。


「何?誰、この子」


 固定された視線の先には、先ほどから啜り泣く声を漏らしている桜。

 その声は確実に聞こえる範囲内、視界にも確実に入る距離だったにも関わらず、ティナは驚いたような、呆れるような顔をして黒髪の少女を見つめていた。


「気づいてなかったの?」

「い、いや、気づいてたわよ。アンタしか見えてなかったとか、そういうわけじゃないから」


 気づいていなかったことと、自分の視界に一人しかいなかったこと。二つの羞恥に襲われながら、少女は顔を赤くする。

 ただ、落ち着くまでそれほど時間が掛かることはなく、すぐに元の白い肌を取り戻したかと思えば、振り払うようにブンブンと頭を振った。


「それで、何?泣かせたの?」

「君は僕を何だと思ってるんだ」

「……別に何とも」


 非常に鈍感な二枚目だとか、無自覚などうしようもない女たらしだとか。

 色々と言いたいことをグッと堪え、長い耳の少女は目を瞑る。自身の経験、そしてたった今言おうとした言葉を顧みれば、キキには非がないことが多いのも事実なのだ。

 そして実際、俯きっぱなしの少女の口からも、それを裏付けるような言葉が漏れてきた。


「キリレンコ君は、悪くないの。ウチが勝手に、泣いた、だけ」


 泣きじゃくるその姿は、形容するならば迷子の子供。

 ティナも元々大して責める気はなかったが、少女の様子があまりにも酷いせいで、完全にその気はなくなってしまっていた。


「……本当に色々あったみたいね」


 口の端から息を漏らし、ティナは腕を組む。

 場所は道端。なるべくキキが嫌がることはしたくない彼女としては、人目に付く場所からは早々に離れたかった。口にはしていないが、キキ本人もどことなく居心地が悪そうな顔をしているのが、その考えを加速させた。


「とりあえず喫茶店でも行く?こんな所で話すのも何だしさ」


 少女の提案に、残る二人は頷く。立ち上がるのに、そう時間は掛からなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ