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王都オーデマリ 入門編

 二人が遺跡を出ると、そこには巨大な鳥が佇んでいた。

 言わずもがな、キキをクマノミ遺跡まで乗せたダチョウである。光があったとはいえ、暗闇から出たばかりの彼らにはあまりにも目に悪い色をしている。


「え、何?モンスター?」

「……ダチョウだよ。もしかして、ダチョウも知らないの?」

「ダチョウ!?これが!?」


 話には聞いたことがあったが、こんなモノだとは思わなかった。

 そういう意図の言葉なのだとキキは推測したが、どうやらそうではないらしかった。


「ダチョウってもっと首から上が禿げてるみたいで、黒と白?みたいな羽だって。こんな孔雀みたいな派手なのじゃない。形は似てるけど」

「うん、そうか。君の国ではそうなんだね。僕の国ではこれがダチョウだよ」

「ぷぎぃ」


 振り向きざまに相変わらずの妙な鳴き声を上げるダチョウ。

 それがあまりにも衝撃的だったのか、少女は白目を剥いて倒れそうになっていた。ギリギリのところでキキが手を掴まなければ、今頃頭から出血。運が悪ければ、そのまま世界に手を振る羽目になっていただろう。


「分かった。これがこっちの常識ってことね」


 掴まれた拍子に気を持ち直したらしく、少女はブンブンと黒い頭を左右に振りながらそんなことを口にした。金髪の少年からしてみれば、常識と口にするのも馬鹿らしい次元の話なのだが、どうやら彼女の目には全てが奇抜に映るらしかった。


「さっきから気になってたんだけど、君は何者なんだい。意味不明な単語を撒き散らすわ、ダチョウを知らないわって。容姿だけなら東方だけど、そういうわけでもなさそうだしさ」


 そんなに時間が経っているわけではないが、二人はかなり濃厚な時間を過ごしている。キキの中で生まれた疑問も、ある意味当然のモノだ。


「ウチがキリレンコ君の立場だったら、絶対に信用できない話だからなぁ」

「なら言わなくていいや」


 だが、関わりたくないという気持ちがあるのも間違いない。

 口に出したくないのであれば、そこで切り上げてしまおう。そんな考えがあったからこそ、すぐにキキは会話を途切れさせようとしたのだが、少女はそれがお気に召さなかったようだった。


「そこはもっと聞いてよ」


 ムスッとした表情を見せてくる少女をどう扱えば良いのか、キキには分からなかった。まだ迷子の子供の方が扱い易い。

 適当に露店で食べ物を買い与え、そのまま街の衛兵か信用のできる店にでも預ければ、それで解決するのだから。


「ああ、そういえば名前は?」


 とりあえず話し相手をしなければならない。しかし、真面目に話を聞くのも面倒臭い。

 当たり障りのない、片手間に話すことのできる内容を考えた果てのキキの選択は、少女によって始められ、少女によって中途半端に終わらせられた自己紹介の続きだった。


「突然過ぎじゃない?いや、確かに言ってなかったけど」


 涙の跡は未だに消えていないものの、調子は大分取り戻しているようだった。しなし、少女は何故か何とも言えない表情を浮かべた後、決心したように胸を叩く。緩衝材になるモノがないせいで、若干鈍くドンという音が鳴った。


「なら、聞いて驚け!だっけ」

「知らないよ。というか、驚かされるような名前なのかい」


 貴族の家名でも口にするのか、それとも勇者に倒された魔王と同じ名前なのか。将又、口にするのも本来は憚られるような忌み名なのか。

キキが色々と考えたにも関わらず、口に出されたのは単純に奇妙な響きの名前だった。


「ウチの名前は桜。根角桜」

「……ネズミ?」


 ネズミと聞いてキキが思い浮かべたのは、実家でも度々被害を受けていた小さな動物である。

 ずんぐりむっくり。自分の母親がそう形容していたのを、彼はよく覚えている。どこにでも住み着くせいで、その土地の魔力に応じて色々と変化を見せる種の動物だが、その姿形は基本的に変わらない。目が増えたり、角が生えたりすることはあるが、そういったネズミ達は全てひっくるめてドブネズミと呼ばれている。

 学名自体は色々あるのだが、一般人がそんなことを気にするはずもない。愛玩用に改良されたネズミならともかく、基本的には害獣なのだ。


「違う。学校でもよく言われてたけど、ネを強く言うの。リピートアフタミー、根角」

「ネズミね、分かった」


 強調する場所を指摘されるも、キキの頭の中ではチューチューと騒がしい小動物が暴れていた。


「そう呼ばれるぐらいなら、桜の方が良い!」


 馬鹿にされていると感じたらしく、地団駄を踏むことこそないが、明らかに怒った様子の桜。

 確かに名前を揶揄するのは不味かった。そう考えたキキは、素直に頭を下げる。早いこと別れはしたいが、殺し合いをして死に別れをしたいわけではないのだ。


「今回だけは許してあげる」


 その言葉が聞こえてから、キキは漸く頭を上げた。先程の発言からも分かるが、既にこういった下りは彼女にとって慣れ親しんだモノのようだ。

顔を上げた少年の目に映った桜の顔は、先程の姿とは一変して、朗らかに笑っていた。

 そしてキキは、頭にふと浮かんだ疑問を解消することにした。


「サクラが名字じゃないの?」

「あ、いや。日本……じゃなくて、ウチの故郷だと先に名字を言うの」

「変な文化だね」


 キキの生まれた場所では、名字のない人間はそれなりにいた。彼も実家が由緒正しきキリレンコ精肉店の息子でなければ、おそらくは単なるキールとして産まれていただろう。

 それはシラカバ王国だけでなく、大陸ではよくある文化である。名字のない平民はそれなりにいるし、名前が途中で無くなる場合もある。それは何らかの犯罪行為やそれに準ずる何かをした際、名前自体を剥奪されて奴隷になるからだ。それは比較的重い刑罰であり、大抵の場合は投獄される。一番重い罰は言わずもがな、死刑である。

 何れにせよ、名前と名字の順序が逆という文化は、キキの知識にはない。自分が生き字引だとはキキも思っていないが、同年代の中では比較的多くの本に目を通している。

 だが、そんな文化は全く記憶にない。色々と考えてみたものの、やはり東方の文化なのだと割り切るしかなかった。


「なら、サクラ」

「え、やば。よく考えたらイケメンに下の名前で呼ばれるのって初めてかも」

「……騒がしいね、本当に」


 顔を赤らめて一人でキャーキャーと騒ぎ始めた桜から視線を外し、キキは相変わらず草を啄んでいるダチョウに声を掛ける。


「なあ、お前って二人乗りできる?」

「ぷご」


 鳥とは思えない鳴き声を上げ、ダチョウは桜の方へと視線を向けた。そして再びキキの方へと顔を向けたかと思えば、唾液に塗れた草の塊を吐き出してくる。それはベチャリと生々しい音を立て、キキの足下に落下した。

 杖で殴り飛ばしたい衝動に駆られつつも、一応は借りモノであるダチョウに手を出すことなどできず、少年は怒りを笑顔で覆い隠しながら、未だに騒いでいる少女に声を掛ける。


「じゃあサクラだけ乗って。僕は歩くから」

「え、これに?」

「これに」


 赤かった顔が青くなり、キキの顔とダチョウの顔の間を桜の視線が行ったり来たり。まるで初めてダチョウを見て怯える子供のような反応に、キキは僅かに口角を上げる。


「大丈夫だって。乗ってれば勝手に歩くから」

「ウチ、乗馬経験なんてないんだけど」

「鳥だから」


 そう言われ、桜はもう一度ダチョウに目を向けた。

 確かに鳥である。彼女の知るダチョウとは似ても似つかない色合いではあるが、形自体は鳥によく似ている。


「いや、鳥……まあ、鳥だけど」

「いいから、早く乗りなよ」


 グイグイと少女の背中を押すキキ。彼が桜をダチョウに乗せようとしている理由はたった一つ。

 単純に賃貸料が無駄になるのを嫌っているだけだ。ダチョウを借りたにも関わらず、ダチョウに乗らないなど何の為に銅貨を渡したのか分からない。

 それにダチョウを連れて二人で歩く姿は、どこからどう見ても間抜けである。少し性格の悪い人間が通りかかれば、あの二人はダチョウの使い方も知らない馬鹿だ、と罵られることは間違いない。

 だから、せめて片方は乗っているべきなのだ。そうでないと、キキが貯金箱から泣く泣く取り出した銅貨は、単なる募金になってしまう。それが孤児院への寄付ならともかく、自分の前で草の塊を吐き捨てるような鳥の餌になってしまうと思うと、どうしても許せなかった。


「乗る、乗るから。心の準備だけさせて」


 ダチョウの体に接吻できそうな距離まで近づけられて、漸く桜は覚悟を決めたらしい。大袈裟に深呼吸をすると、ダチョウの背に両手を乗せ、跳ねた。

 しかし、届かない。


「も、もう一回」


 もう一度跳ねて、届かない。


「……サクラ、もしかして貴族の令嬢か何か?」

「違うからね!?」


 そう言って三度目の跳躍を敢行するも、やはりダチョウの背に跨ることはできそうにない。試行回数四度目にして惜しいところまではいったのだが、またもや失敗。

 結局、ダチョウの背がそれなりの高所にあるせいで、桜の足が吊り上げられた魚のようになっていた。


「何なの!」

「君の運動不足じゃないかな」

「中学の時はバスケ部だったから!」

「知らないよ」


 新たに登場した知らない単語に嘆息しつつ、キキは未だにジタバタと暴れている少女の足首を掴み、そのままグイと押し上げる。

 一瞬だけ漏らされた嬌声にやや顔を赤くしながらも、どうにか桜をダチョウの上に乗せることに成功した少年は、満足そうに頷いた。

 肝心の運動不足系少女は干された洗濯物のようになっているが、上に乗れたのだから、後はどうにでもなる。


「セクハラ」


 桜が不満げにそんなことを言うが、キキには意味が分からない。つまり、正しい反応の仕方が分からない。

 分からないが、何となく自分の行動が非難されているのは理解できたので、とりあえずの自己弁護だけはしておくことにした。


「それが何なのかは分からないけど、僕が悪いみたいな言い方はやめてくれよ。君が自力で乗れないのが悪い」

「酷い」


 そう言うものの、そうでもされなければ自分が乗れなかったという自覚はあるらしい。それ以上は何か言うこともなく、少女はモゾモゾと虫のようにダチョウの背中で角度を変えた後、そのまま腰を下ろした。


「それじゃ、王都へ向けてレッツゴー!」

「ぷごぉ」


 能天気とは言わないが、何とも緊張感に欠けた掛け声と共に一人と一羽が歩き出すが、キキはそれをジトッとした目で見つめたまま動き出そうとしない。

 しかし、それも当然である。


「サクラはともかく、どうしてお前が真逆の方向に行くんだ」


 賢いとはいえ、やはり鳥は鳥なのだった。







 歩き出してから暫く経ち、豆粒のようだった王都の正門が漸く迫ってきていた。

 キキは相変わらず徒歩。桜は慣れないことをしているせいか、時折太腿を気にしている。だが、見慣れない景色を楽しみたいということもあって、決して降りることはなかった。


「あれが王都、正式な名前はオーデマリ」

「名前もそうだけど、なんか地味」

「初代国王の方針が質素倹約だったらしいよ。もう何百年も前の話だから、僕も詳しくは知らないけど」

「徳川の……誰だっけ。あの人みたい」

「誰だい、そのトクガワって」


 道中の会話も基本的に同じようなモノだった。

 キキが何かを紹介すれば、桜が何かに似ていると言う。しかし、彼女もそれを上手く説明できないものだから、彼もまた上手く反応できずに会話が止まりかける。

 そんな会話と呼べるのかも分からない会話を繰り広げながら、彼らは街道を歩いてきたのだった。


「キリレンコ君はあそこに住んでるの?」

「寮だけどね。実家はもっと西の方」

「良いなぁ」


 寮で暮らしているキキからしてみれば、何が良いのか分からない。

 食事は食堂で食べられる上、寝る場所に困らないというのも確かに良い話ではあるが、慣れ親しんだ実家に勝るものはないというのが、一年以上の経験者である少年の感想だ。


「ねえ、名産品とかあるの?」

「名産?オーデマリの?」

「そうそう。もし帰れたら、お土産とかいるじゃん」


 桜の物言いに違和感を感じつつ、キキは首を捻った。

 王都の名所であれば、第一に思い浮かぶのは王宮だ。その他にも先程まで二人がいたクマノミ遺跡だったり、由緒正しくも不人気なハミルトン魔術学校だったり、色々と名所と呼べる場所はある。

 しかし、名産品となるとパッと思い浮かぶ物がなかった。オーデマリはあくまで王都であり、農民がいないとまでは言わないが、地方都市のように何かを大規模に栽培してはいない。王がいるだけで街は栄え、人が集まるのだから。

 結論として、特筆すべき名産品はない。王都ではなくキキの地元ならば、彼は迷わずキリレンコ精肉店のウサギ肉だと言っていただろう。ちなみにウサギの肉など、別に名産でも何でもない。

 とにかく、オーデマリの名産品は皆無と言っても過言ではないのだ。


「……王宮、かな?」

「買えないじゃん、それ」

「それはそうだけど」


 再度首を捻るものの、地方出身のキキから見て珍しい物品は思いつかなかった。

 高いモノなら沢山あるが、それがオーデマリの名産品ということはない。高い布、高い果実、高い本。大抵の場合、どれもが輸入品である。

 それも非常に多いとは言えず、交易都市ならば余裕で上回るであろう量だ。


「ないよ、オーデマリの名物」

「えー、本当?」

「そんなすぐに思いつかないよ。君だって、王都の名物は何かって聞かれたら困るでしょ」


 そう言われて、桜は片手を顎に当てた。もう一方の手は、ダチョウの羽をギュッと握っている。そのまま思い切り引っ張れば、おそらく鳥の絶叫が聞こえるぐらいにはキツく握り締めている。


「王都……ウチの国の王様……」


 眉間に皺を寄せてまで考えることなのか。

 そう言おうとしたが、キキはその言葉をため息に変換した。彼女が世間知らずであるというのは、彼も重々承知しているからだ。


「バナナ?」

「ばなな?」


 ウンウンと唸りながら考え込み、パッと閃いたような顔をした桜。しかし、単語を紡ぎ終えると同時に首を傾けた。


「いや、違う。別に名産品じゃないや」


 少女の思考回路は一体どうなっているのか。

 様々な言葉が頭の中から溢れてくるのを、キキは眉根を寄せながら堪えた。


「確かに思いつかないかも。岡山とか長野とかなら少しは思いつくけど」

「まあ、僕が知らないだけかもね」


 帰ったらピノとティナにでも聞こう。

 そんなことを考えながら、少年は指を鳴らした。


「お土産にするなら、高い菓子とか茶葉が良いよ。父さんと母さんはそれで喜んでくれてる」

「じゃあウチもそういうのにしよ」


 そんな受け答えで機嫌が上向きになったのか、それとも何か意図があるのか。桜は鼻歌を歌いながら、ダチョウの首を撫で始めた。


 そうこうしているうちに、二人は目的地の真正面に。

 文字通りの第一関門である門の左右にはそれぞれ一体ずつ、全身銀色の人型が立っている。瞳すら確認できない兜に、全身を覆う鎧。そしてキラリと穂先を輝かせる槍。

 オーデマリの誇る騎士……などではなく、単なる門番二人組である。

 そのうちの一人に寄っていきながら、キキは軽く手を上げた。


「ん?おお、ハミルトンの『色彩』じゃねえか。早かったな」

「それやめてください。恥ずかしいんですって」

「そうか?格好良いと思うけどな」


 豪快な笑い声を上げながら、甲冑が腕を振り上げた。次にされそうなことなど読めているのだから、馬鹿正直に受けるはずもない。

 キキは振り上げられた手が、自身の背中に向かってくると同時に素早く蹲った。


「うおっ、と」


 空振ったせいで体勢を崩すものの、流石に鍛えているだけあって転けるようなことはない。耳に悪そうな音を立てながら、元の位置に戻ろうとする甲冑を睨みつけつつ、キキは言う。


「痛いんですからね、それ」

「男だろ?」

「そういうのはピノだけにしてください。僕がやられたら死んじゃいますから」

「ノラレス家の倅にそんなことできるわけねえだろ。俺が死んじまうっての」


 豪快な笑い声が兜で反響し、奇怪な音になってしまっていた。しかし、別段不快というわけでもない。王都に住み始めてから一年以上、何度も出入りしていることもあり、キキからしてみれば慣れたものである。

 そんな二人に歩み寄るのは、もう一人の門番。全く同じ物を装備しているはずなのに、騒がしさは欠片もなかった。問題はやはり、使用している人物らしい。


「『色彩』、遺跡に行くんじゃなかったのか」

「ちゃんと行ってきましたよ。書くこともなさそうだったので、とっとと帰ってきただけです」

「そうか」


 キキの言葉は嘘ではない。書けることがなかった、というのが正確なところだが。

 そんな遺跡探索の成果物とも言える少女、蚊帳の外にされている桜だったが、不満げな様子は一切ない。興奮して少し慌ただしい動きをしているせいで、ダチョウが見るからに嫌そうな顔でキキの方を睨んでいるが、それだけである。


「凄ーい!教科書で似たような鎧見たことある!」


 門番達の一般的な鎧を指差し、パチパチと手を叩くその姿は子供そのもの。体型だけならば特に違和感はないが、残念なことに背丈と妙に高そうな衣服のせいで、王都に来て燥いでいる地方貴族令嬢と言った方が、妙にしっくりくる状態だ。


「で、そこの黒髪の嬢ちゃんは誰だ?出る時いなかったろ」

「えーっと、成り行き?」


 それ以上のことは、キキの口からは言えなかった。

 何もないのに、歴史だけは無駄にあるクマノミ遺跡。そこで妙な通路を発見し、奥から現れたのを保護した。

 経緯だけを説明するならば、それで終わる。だが、そんな話をすれば面倒なことに巻き込まれるのは目に見えている。キキとしては、二つ名があるだけでも面倒なのに、それ以上に面倒そうなことに首を突っ込むのは御免被りたいのだ。


「成り行きで女連れか!やるなぁ!」

「不埒だぞ、『色彩』」

「そういうのじゃないですからね。迷い猫拾ったみたいな感じですから」


 目の前で泣き始めた少女を放置するのは、正解か否か。

 状況にもよるが、キキの場合は放置しても勝手について来ていただろう。


「別にお前は素通りさせても良いんだが、一応身分証を出せ」

「学生証で良いですよね」


 懐の奥に押し込まれている財布を手に取り、キキは中に入っている学生証を取り出した。財布とは言っても、そんな上等な物ではない。中身が零れ落ちないように多少加工してあるだけの袋である。

 それを静かな方の門番に手渡し、暫く待つ。当然、王都の人間であるキキに問題らしい問題は見受けられず、すぐに返還された。

 再び財布に学生証を戻しつつ、少年は未だにダチョウの上に座っている少女に目を向ける。少女の方も聞きたいことがあったようで、すぐにその視線は交わった。


「学生証出せば良いんだよね」

「うん。そんな簡単に偽造できる物じゃないからね。サクラはオーデマリの人間じゃないから、お金は取られるだろうけど」


 キキの言葉を耳に入れた途端、桜が取り出そうとした財布をポトリと地面に落とした。慌てて拾う為に少女自ら飛び降りるも、着地が妙に危なっかしい。足を挫くような醜態を晒すことはなかったが、一歩間違えれば転倒していたようにも思えるぐらい、ヨタヨタとしていた。


「お、お金もいるの?」


 少女の周りの男三人が静止した。

 街を通る際には、そこの住民でない限りは通行料とでも呼ぶべきものを支払う必要がある。辺境の村や、税を取ることで人が遠退くのを問題視する交易都市などでもない限り、それは当たり前のことだ。

 その姿形からして良家の出身であろう少女が、その程度のことも知らないのは中々に衝撃的な話だったのだ。

 だがしかし、キキはもう慣れている。目の前の少女がかなりの非常識であることは、道中も含めて散々思い知らされているのだから。

 彼はすぐさま立ち直り、既に仕舞い込んでいた財布を取り出した。


「……分かった。通行料ぐらいなら僕が払うから、身分証だけ用意しといて」

「あ、違うよ?ウチも流石にお金は持ってるから。神様がウチの財布に入ってた分、両替してくれたんだ」


 その言葉に安堵しつつ、キキはタタラを踏んだ。財布なんて持ってないとでも言い出しそうな雰囲気は、一体全体何だったのか。色々と言いたいことを我慢して、少年はコメカミを抑える。

 そんな少年の内心など知らない桜は、ニコニコと笑いながら、拾い上げた財布をキキの前に持ってきた。ほら、と言って広げられたのは財布の内側に引っ付いている、妙に小さな小銭入れ。キキが初めて見る加工が幾つも施されていたが、問題はその中身である。


「電子マネーも全部交換してくれたから、めっちゃあるの!」


 金貨が数枚と大量の銀貨。銅貨もあるにはあるが、銀色に埋め尽くされている。

 それらのせいで、高級そうな財布が悲鳴を上げているのだ。基本的に硬貨のみを運用しているシラカバ王国においては、中々の自殺行為である。実際、キキの前で広げられているそれも、何故今の今まで弾けていなかったのか分からないぐらいに変形してしまっている。


「それ、大丈夫?」

「財布のこと?全然大丈夫!普段はアイテムボックスっていう……良く分かんないところに入ってるから!」

「ああ、そう」


 もはや、キキは何も言えなかった。意味不明な単語もそうだが、それを自分自身でも理解せずに利用している少女。

 ティナも中々に気が強く、平気で男子生徒や貴族の息子との面倒ごとを呼び寄せる存在だが、現在彼の前で自由気ままに振る舞う少女よりはマシだ。


「我慢しろ、我慢するんだキール・キリレンコ。門の内側に入れて、そのまま帰れば終わりなんだから。我慢しろ」


 それっきりの関係である。あるはずだ。

 もし推測が大外れで、桜が国家転覆を目論む他国の間者だったとしたら、最悪の場合は一緒に処刑という哀れな結末を迎えるかもしれないが、とりあえずは門の中に放り込むことで解消される関係だ。

 空に向けていた瞳をギュッと瞑り、顔を元の位置に戻す。そのままゆっくりと目を開けば、そこには桜の顔が二つ存在していた。


「それに学生証もあるから!」

「……何、これ」


 片方は当然、桜本人である。黒髪黒目の見慣れない顔つきの少女。

 もう片方は小さな紙のような物の隅に貼り付けられた、精巧な絵。一瞬怪訝な顔を浮かべたキキだったが、それが噂に聞く写真だと察するまで、そう時間は掛からなかった。


「鎧さん、これで良い?」


 それを手にして鎧姿の門番二人に駆け寄るも、二人の反応はあまり良くない。もし兜がなければ、二人とも渋い顔をしていただろう。


「……見たことないな。お前は?」

「……記憶にないな。シラカバの物じゃなさそうだ」


 二人組の言葉に、キキも心の中で同意した。

 そもそも持ち主がシラカバ王国の国民とは似ても似つかない風貌なのだから、その持ち物がシラカバの物でなくても不思議ではない。


「嘘をついてるとは思わないんだが、一応他に何かないか?」


 騒がしい方が自身の兜をコツコツと叩きながら、桜に向けて問い掛けた。言われた方はやや納得がいっていないらしく、不満の声を上げている。

 再び取り出した財布から、手のひらに収まるぐらいの四角い紙のような物を大量に引き抜き、パラパラと扇のように開く。


「あ、これとかどう?」


 暫くして少女が自信あり気に手に取ったのは、やや硬そうな青っぽい何か。何やら文字が大量に書かれているものの、キキにはそれが何か読み取れなかった。文字の大きさの問題ではなく、単純に知識の問題である。


「何なのさ、それ」


 指差しながら問い掛けるのも当然だ。むしろ写真があるだけ、先ほどの学生証の方が効力は高そうに思える。にも関わらず、手に取った時の反応は学生証の時よりも自信に溢れていた。

 桜は鼻を鳴らすと、陽の光を浴びさせるようにソレを掲げた。


「保険証!」


 高らかに掲げられたそれを呆然と眺める三人組。何を根拠にそこまで自信満々になれるのかも分からないし、保険証という物が何なのかも分からない。


「さあ!これで通してもらおうか!」


 どうしよう。そう言わんばかりに顔を見合わせる二人に同情しながら、キキは顔を背けた。視線の先には色とりどりの羽毛を生やした、巨大な鳥。律儀に待っているらしい。


「ぷぎぃ」


 だが、流石に飽きてきたようだ。キキと目を合わせるや否や、やる気なさそうに鳴いた。

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