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明くる日

 

 顔には巨大な絆創膏。制服の胸元から僅かに見える部分は真っ白で、手の甲も包帯だらけ。そんな状態であるにも関わらず、キール・キリレンコは食堂で大量の紙と睨み合っていた。


「大変そうね」

「中身は簡単なんだけど、量が多過ぎてさ」

「簡単か?俺らの学年で習う内容じゃねえと思うぞ、これ」


 キチンとした処置を施され、小綺麗な三角巾で腕を吊るしたティナ。特に怪我らしきモノもなく、机の上で塔を作っている紙を一枚手に取り、酷く顔を顰めているピノ。

 そんないつもの三人組は、いつも通り食堂の一角にある四人席を占拠し、普段と変わらない昼下がりを送ろうとしていた。


「先週習ったわよ?」


 冷静なティナによる指摘に対し、キキは無言で頷く。先週の講義で習ったのは彼も覚えていたというのもあるが、何より講義を三人の中で最も真面目に受けているティナが言っているのだから、否定しようとも思わなかった。


「……そ、そういや、遺跡の課題はどうなったんだよ」


 二人からの哀れみのような視線を受け、赤毛の少年は露骨に目を逸らす。その先は何もない壁。明らかに誤魔化そうとしていた。


「部屋が壊れたせいで書けなかったって言ったら、見逃してもらえた」

「諦められたんじゃないの?」


 三日前、キキは職員室で説教されていた。その原因となったのが、遺跡と魔術の関連性を示すという課題だ。彼はそれの主題を大きく間違えていたせいで、トンプソン教諭によって長々と有難い話をしてもらっていたのである。

 しかしながら、二日前のほぼ真夜中。その課題をやり直している最中に襲撃を受けた結果、部屋は半壊。ダチョウが暴れ回ったことで部屋の中身は荒れ放題、扉も枠ごと破壊されてしまっている。今朝キキが様子を見に行くと、数人の作業員が大量の木材を廊下に並べ、修復作業をしている真っ最中だった。


「そうかもね」


 首を振りつつ、少年は筆を紙の上に走らせる。サラサラと簡単そうに書いていくが、その内容はあまりにも難解。隣から覗き込んでいるピノはもちろん、その反対側にいるティナにも分からない。魔術の理論などが書いているのは分かっても、それ以上は小難し過ぎた。


「ま、俺には手伝えそうもねえし、ちゃっちゃと飯食うことにするよ」


 早々に中身を読み解くのを諦め、赤毛の少年はキキの座る椅子の対角線上に腰を下ろす。ティナもそれに続いてキキの隣に座り、二人同時に献立表と書かれた薄い冊子を手に取った。


「キキはもう食べたの?」

「いや、まだ。二人が来てからにしようと思って」


 少女が開いた献立表を横から覗き込む。彼女の頬が若干赤くなるのも気にせず、彼がいつもの安い品目の部分に目をやろうとした時、ピノが何か企んでいるような笑い声を上げた。


「どうしたんだい」

「俺が奢ってやるよ。好きなもん頼め」


 金髪二人組が揃って顔を見合わせ、そのまま流れるように赤毛の少年へ視線を移す。そこにあるのは何の変哲もない、普段と変わらないピノの姿。どことなくガラが悪く、目つきも若干悪い。


「何だよ。言いたいことでもあんのか?」


 そして二人の視線によって、態度まで悪くなった。見た目だけならば、完全に不良生徒である。


「気前が良いね。普段ならケチケチしてるのに」

「別にケチケチしてはねえだろ」


 不良生徒モドキは不機嫌そうに呟き、一枚の硬貨をピンと指で弾いた。それの色は銅色でも銀色でもなく、キキ達が一番目にする機会の少ない色。即ち金貨だった。


「兄貴が渡してきたんだよ。何でも食えるぜ?」


 二人は悪そうな顔をする少年から大急ぎで視線を外し、平時ならば決して見ない部分に目を通し始める。普段ならば、飲み物は水一択。しかしながら、金貨が一枚あるだけで食事は数段豪華にできる。少なくとも、味気ない水を飲む必要はない。


「まずは果実水でしょ。アタシは桃」

「僕は蜜柑かな」

「……別に兄貴の金だから良いけど、遠慮とかしねえのな」


 呆れたように遠くを眺め始めたピノなど、もはや二人の眼中にはない。彼らの視界にあるのは、献立表の普段よりゼロが一つ多い品のみ。決して、彼らが普段食べている野菜炒めが不味いというわけではなく、より美味しい物を食べられる機会を逃したくないだけだ。


「どうしようか」

「天ぷら……いや、蕎麦も捨て難いわね」


 その他にも多くの選択肢はあったものの、ティナの中ではその二択に絞られていた。これまでにないぐらい真剣な表情で悩んでいるらしく、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。元々の美しい顔立ちは、一体全体どこへ行ってしまったのか。唯一の救いは、唸り声を上げていないことだろう。一歩間違えれば、確実なハミルトン魔術学校の男子生徒の恋心が軒並み粉砕されていたかもしれない。元より成就する可能性が低いのはさておき。


「お前はどうすんだよ」

「肉類かな」

「珍しい。こういう時は魚だと思ってたぜ」


 キキはキキで、未だティナの手の中にある献立表の一部を、穴が空くほど凝視している。そんな二人の様子に若干怯えつつ、ピノはふと思いついた疑問を、少女に向けて投げ掛けた。


「その腕で食えんのか?」

「突匙なら大丈夫でしょ。そもそもアタシ、箸苦手だし」

「確かに。なら利き手がソレでも大丈夫だな」

 

 そんな調子で二人は悩んだ。昼食程度でそんなに悩むのかというぐらい悩み、それが決定したのはそれなりの時間が経ってから。ピノが欠伸を五回ほど噛み殺した後だった。


「僕は腸詰めの香草焼き。二人前ね」

「間を取るわ。かき揚げ蕎麦よ」

「なら俺は親子煮かな」


 そして二人が注文の為に席を立とうとするのを見越して、ピノは一足先に立ち上がり、年にしてはゴツゴツとした手を突き出す。


「怪我人二人は座っとけって。俺が持ってきてやるから」


 彼なりの気遣いである。ティナも見るからに酷い状態だが、キキも傷の多さだけならばかなりのモノだ。身体中が包帯だらけなのが、その何よりの証拠だろう。


「ぶち撒けたら許さないから」

「その赤毛、真っ白にしてあげるよ」

「冗談抜きでやめてくれ」


 感謝されてもおかしくないことをしたのに、どうしてか彼に返ってきたのはそういった類の言葉ではなく、どう考えても脅しに分類される言葉。キキの悪戯ぐらいならともかく、少女の言葉には妙な威圧感があった。


「さて、その間に」


 ミランダから押しつけられた書類作成を進めようと、少年は筆を握る。期限があろうとなかろうと、どちらにせよ片付けなければならない仕事は、早急に片付けるに限る。

 そんな風に考えながら、筆先を紙に押しつけた矢先のこと。何やら外が騒がしいことに気づいた。食堂内で騒いでいるのではなく、外で騒いでいるにも関わらず、中まで聞こえてくるのはかなりの音量である証拠だ。キキが気づけるのだから、彼より感覚が鋭敏なティナが気づかないはずがない。二人は揃って首を傾げると、音のする方向へ目を向けた。


「騒がしいわね」

「貴族でも来たんじゃない?」


 素知らぬ顔で流そうと思っても、どうしても生じてしまうのが野次馬根性というモノだ。ピノが帰ってくるのを待たずして、二人は席を立って食堂を出た。

 そこでは何故か男子生徒が何人も集まっており、各々が杖を握ったり、そこらに落ちている木の棒やら石ころやらを拾い上げたりして、更に奥にいる何かに向けて攻撃を仕掛けている。


「ダチョウだ!また出やがった!今度は何しに来やがった!」

「全員石投げろ!魔術でも良い!」

「やめてってば!」

 

 どこかで聞き覚えのある声も混じっていたが、キキとしてはそれよりも聞き捨てならない言葉があった。


「ダチョウ?」


 それは荷車を引っ張ったり、人を運んだりするのに利用される、国民的に愛されている巨鳥。そして彼の部屋を壊した鳥でもある。その一個体を示す名前ではなく、種族名を表す名前ではあるものの、どちらにしても彼にとって良い思い出のない鳥だ。二日前ならば、単なる移動用の鳥という評価を下していたかもしれない。しかしながら、現在の彼にとっては仇敵にも似た存在である。


「またアイツか?」


 それに付随して思い出されるのは、ダチョウによる襲撃を企てたと思われる男の姿。今となっては真相は闇の中だが、口振りからして間違いないだろうとキキは考えている。

 嫌な考えを頭に過らせ、彼は杖を握り締めた。そのままティナにも注意を促そうと横を向くと、少女は緊張感の欠片も感じられない表情で突っ立っている。あまりにも間の抜けた姿に困惑していると、少年の耳に再度聞き覚えのある声が響いてきた。


「オムスケに石投げないで!悪い子じゃないから!」


 そこで漸く、彼もティナの心境を把握することができた。気が抜けてしまうのも当たり前である。その声だけならともかく、ダチョウの名前らしき妙な響きも考慮すると、彼女がやったことはキキでなくとも容易に予想できるだろう。


「変な女も乗ってやがる!アイツが首謀者か!」

「でもアイツの服、うちのだぞ?」

「潜入の為かもしれねえ」

「なるほど。投げろ!」

「違うから!ウチ何も悪いことしてない!」


 思われても仕方ない。少年は騒いでいる集団の気持ちも理解しつつ、一応確認することにした。自分より聴覚が優れており、一昨日の晩の様子を良く知っている少女に。


「……ねえ、ティナ」

「アタシに聞かなくても分かるでしょ」


 行きなさいよ。そう言わんばかりに顎をクイッとされ、キキは嘆息した。大して仲良くもない男子の集団に声を掛け、黒髪黒目の少女を庇う。それをすること自体に忌避感はないが、それをすることによって目立ってしまうというのが嫌だった。

 しかし、自分より酷い怪我をしているティナに任せるわけにもいかず、彼は渋々といった様子で集団の中に突っ込んでいく。


「ごめん、ごめんね。通してくれるかい?ありがとう」


 左右に不定期に顔を向け、感謝と謝罪の言葉を述べる。そのまま半ば無理矢理に突き進んでいくと、漸く男子生徒の群れを突っ切ることに成功した。その前方にいたのは、彼の予想通りの一羽と一人。見慣れている色鮮やかな生き物と、見慣れない真っ黒な髪の少女。本来ならば黒の方が地味な色のはずだが、逆に酷く目立ってしまっている。


「あ、キリレンコ君!」

「やあ、サクラ」


 悲しそうな顔を瞬時に輝かせ、石ころが飛んでくるのを片手で捌きながら、もう片方の手を頭上でブンブンと振る。どう見ても、現在進行形で酷い目に遭っている人間の行動ではない。


「ごめんね。皆からしたら不審人物かもしれないけど、一応僕の知り合いなんだよ」

「またお前か!」

「あの時のダチョウは僕のせいじゃないよ!」


 いつか見た男子生徒に言い返しながら、キキは杖の先を小さく光らせ、追い払うように左右へ振り回す。その行動に対する反応は様々。キリレンコの知り合いなら、別に攻撃する必要もないか。そう考えて去っていく者もいれば、狂人キリレンコが来たという理由で、蜘蛛の子を散らすように逃げていく者達もいた。何れにしても共通しているのは、大半の生徒が各々の居場所に帰っていったということである。


「それで?何しに来たのさ」

「ちゃんと見たら分かると思うよ」


 フフンと自慢げに鼻を鳴らし、ダチョウの上でない胸を張る少女。その姿は特に物珍しくはない。三日ほど連続で見せられている、艶やかな黒髪と丸っこい黒目。

 そしてハミルトン魔術学校の制服。男女兼用の穿袴と、鈕を用いて前で留める種類の上着。女子もそれなりにいる学校であることに加え、彼の近くには大抵一人の女子生徒がいる為、やはり珍しくはない。珍しくはないのだが、確実におかしい。そのことに少年は気づいていなかった。


「そのダチョウを盗んだから、逃げ切る為に僕を人質にしに来たとか」

「オムスケは借りてきたし、キリレンコ君を人質になんてできません」


 半ば冗談である。もし一晩の間に勇者から盗賊に変わったとすれば、キキが夢の中で出会った自称女神も涙を流しているだろう。


「じゃあ何だ?」


 彼は四つの白い目で見られていた。当然の結果である。石を投げていた生徒達ですら気づいていたのに、キキは彼らより近くに寄っても気づいていないのだから。


「いや、どうして気づかないのよ」

「ウチのこと嫌い?」


 もし彼が桜のことを嫌っているならば、アルベルトと同等の扱いをしている。見つけた瞬間に顔を歪め、寄ってきたら面と向かって暴言を吐きつつ、魔術を行使してでも追い払うだろう。来て

 目の前の少女にそんなことをするつもりはないものの、キキにはやはり昨日との違いが良く分からなかった。毎度のように首を傾げ、手に持ったままの杖をクルクルと回す。


「これ!制服!ティナちゃん達と同じやつ!」


 そんな少年に痺れを切らしたのか、桜は見せつけるように自身の服をグイグイとキキの方へ引っ張り始めた。そして杖を持ったまま軽く握った拳と、広げた手のひらでポンと音を鳴らす。


「……ああ、そういえば」

「酷くない?」

「キキは元々こんな感じでしょ」


 憤慨した桜に軽く胸を叩かれ、傷だらけの少年は悶絶した。彼女が身体強化を使っていたのではない。胸の擦り傷に直撃したのである。一日経っているからといって、傷が完全に塞がったわけではない。大したことのない傷であっても、触られれば痛いのだ。


「け、拳闘士になれそうな一撃だね」

「え、どゆこと?中国行くの?」

「え?」

「え?」


 男女が見つめ合っているにも関わらず、連立していくのは疑問符ばかり。互いに互いの言いたいことを理解していないせいで、酷い状況が出来上がっていた。挙句の果てには、緑と黒の瞳が揃ってティナの方を向いてしまう。


「……一旦戻らない?ピノもそろそろ戻ってるだろうし」


 しかし、キキの言いたいことは分かっても、桜の言いたいことは全くもって理解できなかった。助け舟になりたい気持ちはないわけでもなかったが、流石に分からないものは分からないとしか言えない。仕方なく、少女は話を逸らすことにしたのだ。


「それもそうだね。お腹空いたし」

「オッケー!」


 後者はともかく、少なくとも前者の同意を得られた。そう判断したティナは、キキを連れ立って早々に食堂へ進み始める。桜もそれに追従しようとしたが、自身の後ろにいる鳥の存在を思い出し、ポンポンとその派手な頭を触った。


「オムスケはここで待っててね」

「ぷごぉ」


 引き紐に繋がれることもなく、その場に放置されるダチョウ。聞いているのか分からない返事だったが、特に悪さをする様子もない。去っていく桜の背に向けて、巨鳥はもう一度気の抜けるような鳴き声をぶつけた。


「どこ行ったのかと思ってたら、サクラの出迎えか」


 三人が食堂に戻ると、席には既にピノが戻ってきていた。机の上には三つのお盆が並んでおり、それぞれの席に各々が注文していたモノが鎮座している。


「知ってたのかい?」

「知ってたよ。俺もティナも」

「流石にダチョウに乗ってくるとは思わなかったけどね」


 どうして二人にだけ伝わっていて、自分は知らされていないのか。ノラレス邸で知らされていたのであれば、キキが同席していてもおかしくはない。そもそも彼女を入門させた際の責任者は、他でもない彼である。


「……なるほど、僕が連れ去られた後か」


 特に時間を要することもなく、少年は勝手に答えに辿り着いた。やや語弊のある言い方をしているが、彼としては連れ去られたも同然である。同意や交渉をする余地もなく、大女の肩に担がれて馬車に放り込まれたのだから。


「連れ去られたわけじゃないだろ」

「あの状況は誘拐と大差ないと思うんだ」


 キキは同意を得るようにティナを見たが、彼女は首を振っただけだった。つまるところ、自業自得だと伝えたいらしい。少年は肩を落とした。


「で、どうしてここの制服を着てるんだい」

「アルバートさんが、折角なら友達と一緒に生活した方が良いって」


 アルバートという言葉が飛び出した瞬間、キキは顔を顰めた。アルベルトとは別に意味で苦手な、何とも言えない存在。友人の家族でなければ、あまり仲良くしたくない類の人間である。


「……ピノ」

「俺も兄貴が何か企んでんのは分かるけど、今回のは別に悪くねえと思うぞ?ソイツが身元不明なのは変わらねえんだし、ここに在籍してる方がマシだろ」


 それ自体は何一つ間違いではない為、彼も否定はしなかった。アルバートの今回の行動は、オーデマリに身分証もなしに招き入れたキキの尻拭いをした形になる。貸し一つという形になるのかもしれないが、それだけではどうにも飲み込みづらい。


「サクラは何も思わなかったのかい?」

「うーん」


 僅かに考え込んだ結果、少女が口に出したのは五歳児のような感想だった。


「アルバートさんが優しかった」

「……分かった。さっさと食べよう」


 キキもピノの兄が優しいことを否定するつもりはない。立場上出会ってきた貴族の中でも、彼に一番良くしてくれているのはアルバートである。それは間違いないのだが、どうにも桜がそれを根っこまで信じているのが、彼には信じられなかった。


「優しいじゃん!お風呂も使わせてくれたし!」

「優しいのは否定しないけど、貴族の優しさは九割裏があるよ」

「え、そうなの!?」


 偏見を生む発言ではあるが、そこまで間違ってはいない。貸し借りやら双方の利益やら。意見の僅かな相違、もしくは合致が生まれただけで、昨日までの敵と味方が入れ替わるのが貴族社会である。


「ねえ」

「どうした」


 勝手に騒がしくし始めた路地裏の主役二人を放置し、残された二人もまた二人だけの会話を切り出した。

 

「この二人って本当に会って数日?」

「俺も思ってた」


 キキの社交性が案外高いのか、それとも桜のモノが想像以上に高いのか。おそらくその両方ではあるが、それを差し引いても非常に仲が良く見える。決してピノ達の間にある関係と同等ではないが、側から見た表面上は大差なく映るだろう。


「嫉妬か?」

「なわけないでしょ。ぽっと出の女に負けないわよ」

「強気だな」


 フンと鼻を鳴らし、少女は余裕そうにしている正面の少年を見据えた。


「アンタこそ、サクラは仕事の対象内じゃないの?」

「サクラはキキをどうこうしようってガラじゃねえよ」

「まあ、アレでそんなこと考えてるなら、世界最高の間者になれるわね」


 二人が視線を向けた先にいるのは、貴族の裏表に関して簡単な講義を受けている桜。キキの一言一句に対し、ぽけーっと口を開いて感嘆の声を漏らしているその姿は、何かを企んでいる人間にしてはあまりにも間抜け過ぎる。それが演技なのだとすれば、役者として食べていけるだろう。

 ピノ達が若干失礼なことを考えていると、視線に気づいた桜が首を僅かに逸らし、ティナの方へその黒い瞳を向けた。


「ティナちゃん、麺伸びちゃうよ?」


 その一言で顔つきが変わった少女は、かき揚げを少しだけずらし、下にある麺に突匙を突っ込んだ。それを指先だけで回し、麺を上手く絡めとり、嬉しそうに口に運ぶ。それだけの行為でも、元の素材が非常に良い。十分に絵になる光景だ。だが、桜はティナではなく運ばれていく物に目を奪われている。ついでに小さくお腹を鳴らし、照れ臭そうに笑った。


「サクラも何か食べたら?ピノが奢ってくれるってさ」


 元より金貨一枚というのは、三人で食べても十分にお釣りが返ってくる金額だ。高級料理店ならいざ知らず、比較的安い学校の食堂となると一人二人増えたところで、そこまで差はない。そもそもアルバートの金である為、誰も懐が痛まないのだ。それ故にピノも文句は口にしなかった。


「え、ホント!?ならミートソースのスパゲティとかある?」

「「「ない」」」


 相変わらずのサクラ語に惑わされることなく、少年達は各々自分の前にあるモノを頬張る。ティナも突匙でどうにか掬い上げた蕎麦を一本、ツルツルと啜っていた。


「メニューとかないの?」


 再び飛び出した少女の奇妙な言語。しかしながら、キール・キリレンコは学習する少年である。状況的に一番欲しい物となると、それしかない。


「ほら」


 机の端で紙の山に紛れそうになっていた献立表を手に取り、桜に手渡す。その行動に彼女は一瞬キョトンとしたものの、すぐにそれが何かを理解したようで、即座にパッと花のような笑顔を咲かせた。


「ありがとう」

「……どういたしまして」


 呆気に取られ、頬を僅かに赤くする。そんな少年の姿を小馬鹿にするように、どこからか気の抜ける鳥の鳴き声が響いてきた。




_

 これで一章は終了になります。


 ここまで読んでくださった方々へ

 本当にありがとうございました。拙い作品だと思っている為、読んでいただけただけでも非常に嬉しいです。今後は更新ペースが落ちると思いますが、度々覗いていってください。ちまちまと彼らの物語を紡いでいく予定ですので。

 もし良ければ、下の☆型の評価や感想を置いていってくれると、励みになります。我儘を言って申し訳ありません。

 今後ともよろしくお願い致します。


ミツヒコ

https://twitter.com/mitsuhiko0920?s=20

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