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離脱、そして離脱


 治安が悪いことで有名であっても、路地裏では四六時中喧嘩が起こっているわけではない。一般人が入るべきではないというだけだ。そんな薄暗い空間はどうしてか、血だらけの戦場に早変わりしてしまっていた。少し表に出れば、きっとそこではいくつかの露店が肉やら何やらを焼いている。そんな昼時にも関わらず、少年少女は得物を手にしている。

 やや広い空間。路地裏の広場のようになっている場所の端の方で、胸の上下以外の動きがないまま、地面に倒れ伏すピノ。その奥では状況を理解できず、壁にもたれながら目を白黒させている桜。そして意識のない少年には目もくれず、消耗している少女に向けてゆっくりと足を進める男。


「やっぱり東方の方が珍しくて目につくってことかしら」


 ティナがややズレたことを口に出しつつ、迷わず腕を引く。そして新調したばかりの長弓による、容赦ない一撃を男の顔面に向けて放った。

 その矢には慈悲はもちろん、躊躇もない。遮る物があるわけもなく、風の抵抗で僅かに軌道がズレるのみ。狙っていた場所からは、決して外れていない。


「鈍い」


 しかし、高速で迫るそれを、男はハエでも追い払うような動きで叩き落とした。続く第二の矢も同様の末路を辿るものの、ティナは桜の退路を確保する為だけに更に矢を番える。


「冗談キツいな」


 異常な反射神経が為せる技か、それともまた別の力の利用か。同じような芸当を披露できる人間はそれなりにいるが、そんな人間の大半は元々の才能を多少なりとも鍛えた人間だ。

 しかし、キキの目の前にいる男は路地裏で暮らし始めてから、かなり長いであろう姿形をしている。とどのつまり、才能はともかくとして、まともに食べる物もないような生活を送っている人間が、鍛えるような余裕があるのかという話である。


「サクラ、こっち来なさい!早く!」


 風を切る音を響かせ、覚束ない足取りの少女の手を掴む。そのままの勢いで、やや強引に後方へ押した。そして再び矢筒から一本取り出し、備える。


「うぷ……うん」


 彼女の弓の腕はかなりのモノだ。天賦の才を持っていると言っても、決して過言にはならないほどに。しかし、そんな天才的な能力を持ってしても、結局のところ弓は弓である。あくまでも遠距離を主体とする武器である以上、近距離になると大幅に弱体化するのは言うまでもない。

 近接に持ち込まれないようにしなければ、最悪の場合はキキとお荷物三人という酷過ぎる団体ができあがるということだ。


「キキ!時間稼いで!」

「了解」


 桜はどうにか動けるぐらいには持ち直しているが、未だに本調子からはほど遠い状態。せめてまともに走れるようにならなければ、倒れているピノを回収した上での撤退というのは、かなり厳しい状況にある。

 もしピノが無傷の状態で目覚めることがあれば、そのまま桜を連れて逃げることも可能だろう。しかし、それは彼が無傷だという前提条件が必要になる。放り投げられて壁に激突したのだから、身体中の骨に異常をきたしていても、何らおかしくはない。

 そのどちらの作戦を取るにしても、共通するのは時間の確保だ。それを行える面子は現状、キキとティナの二人のみ。どちらも近接戦に向いているとは言い難いが、それでも窮地を脱するには二人でどうにかするしかない。


「はい、こっちに注目」


 キキは態と声を張り上げ、クルクルと短杖を回すと共に周囲の色を乱雑に変化させ、怪物の目を桜から逸らした。相手は見るからに様子がおかしい男ではあるが、理性が完全に消え去っているわけではない。言葉を口にすることも、キキ達の声に反応することもできる。ただ少し桜に執着のようなモノを見せているだけで、基本的には人間と同じ扱いをできる。

 相手が思考能力のある人間だというだけで、キキとしては十分だった。昨晩のダチョウのように、完全に狂ってしまった相手は止めようがない。しかし、少しでも目という感覚器官と正常な判断のできる脳が機能しているのであれば、彼にとっては十分過ぎる。その二つの要素が揃うだけで、彼は相手を自分の領域に連れ込むことができるのだから。


「色、変。昨日、見た」

「覚えてくれてたのかい?ありがとう。こんな手品みたいな魔術だけど、一応は二つ名持ちなんだ。よろしく」


 少年が杖を振るうだけで、再び周囲の景色が切り替わる。森のような様々な緑色が壁も地面も埋め尽くし、路地裏特有の薄暗さも相まって瞬時に薄気味悪い空間が完成した。


「どうかな?結構な自信作なんだよ、これ」

「気持ち悪い」

「それは良かった」


 キキは男が目を逸らさないように絶妙な距離を取りつつ、近くに落ちているゴミやら石ころやらを適当に手に取る。殺傷能力は低くて良い。目的は注意を向けさせることなのだから、少しの衝撃さえあれば十分だ。


「ほら、的当てだ。景品は君」


 余談ではあるが、彼はモノを投げるのが得意だ。ティナの弓の腕ほどではないが、彼の投擲に関する才能もそれなりのモノだと言っても良いだろう。

 ヒュンと音を立て、次々と飛来する礫。一つや二つならまだしも、四つも五つも連続でキキが投げるものだから、腕が二本しかない男には流石に捌き切れず、一部が顔やら肩やらに直撃し始めている。


「相変わらず上手いわね」


 人の姿をした怪物の周りを駆け回るキキに合わせて、ティナも狙撃できる箇所を探し始めた。一見無防備に見える立ち姿ではあるが、油断ならないことは百も承知である。

 もし本当に無防備ならば、ピノは今も無傷でキキの代わりに走り回っていたはずだ。しかし、今は補助役のキキが走り回るという変則的な戦術を取っている。本来ならばピノが相手をし、キキが掻き乱し、その間にティナが撃破していくという非常に楽な戦いを行うはずだった。

 それが崩れたのは、別にピノのせいではない。桜の身が危ないのは誰の目から見ても明らかだったのだから、誰かが飛び出す必要はあった。それが今回は彼だったというだけで、一拍の差で飛び出していた人間は変わっていただろう。


「頭……いや、心臓?」


 引き絞り、呟く。眉間、喉仏、心臓、鳩尾。基本的にそれらは一直線上に並んでいる。それ故にティナの狙うモノも、男の体の中心を走る線。その線上であれば、どこに当てても大抵の場合は急所になる。

 本当にそこを射抜くだけで終わるのだろうか。そんな突拍子もない疑問が脳内に降って湧いてきたが、ティナは一旦それを無視して矢を放った。結果は変わらず、叩き落とされるだけ。

 

「どうしろってのよ」


 矢は叩き落とされるものの、効果がないわけではない。もし効果がないのであれば、落とす必要もないのだから。そこから導き出される結論は、殺せるということ。つまり、先ほど少女の頭の中に現れた妙な考えは、おそらくあり得ない。


「……やっぱり、気持ち悪いのはどう考えても君だと思うよ」

「人間、うるさい」


 拳大の石を顔面に投げつけられても、男は微動だにしない。鼻から血を垂れ流そうとも、体に後々青くなりそうな赤みが増えていこうとも。逃げ回るキキをゆっくりと追っている長身痩躯のバケモノは、本当に反応していないのだ。

 痛覚が機能していないのだとすれば、衝撃でたたらを踏むことはあっても、痛みによって怯むことはあり得ない。つまり、矢を針山のように刺したところで、隙が生まれることはほぼない。


「目潰しはどうなの」

「一回試したけど、僕の魔力が届く前に相殺された」

「相殺って、魔力って普通は無色透明でしょ?」

「どういう理屈かは分からないけど、起こったんだから仕方ないよ」


 知らない間に手段の一つが潰されていた。そんなことが起こっているのだから、顔を合わせなくとも、キキには少女の顔が顰めっ面になるのが分かった。実際にティナは眉間に皺を寄せ、見るからに不機嫌そうな顔で矢を手に握っている。


「……なら、アレしましょ」


 走り回る少年にギリギリ届くかどうかの声量で、ティナは声を掛けた。


「アレ?」

「迷彩よ」


 要するに偽装である。軍の急襲専門の部隊などが、森や平原などで姿を隠す為、その場所に応じた布やら衣服やらを利用していることから着想を得て、キキが自身の魔術と組み合わせたモノだ。

 決して彼自ら考案したわけではないが、彼の魔術師としての研究成果の一つになっている。ちなみに報告書の名前は『魔術を応用したかくれんぼの発展』だ。そもそも彼以外に色の魔術をまともに使える人間がいない為、報告書が製作されただけで、それ以上の進歩はないというのが問題点である。


「……分かった」

「何よ、言いたいことでもあるわけ?」


 キキが動き回っているせいで、いつの間にか二人は男を挟んで話していた。若干怒ったような顔つきになっているだけでなく、弓を構えていることで余計に威圧感が増しているティナに一瞥され、少年は思わず足を止めてしまう。


「嫌な予感がするんだよ」

「奇遇ね。アタシもさっきしてたわ」


 二人して苦笑するも、そこで止まることはできない。揃って視線を向けた先には、未だに目を閉じているピノがいた。キキにとってもティナにとっても、数少ない大切な友人である。見捨てることなどできない。

 当然、桜のことも忘れていない。彼女も顔色が悪いまま、再び壁にもたれて息を整えている真っ最中だ。巻き込んだと言うべきか、巻き込まれたと言うべきか。その何れにしても、もはや友人と大差ない存在になっている桜を、明らかに彼女を狙っている男を前にして、放置した挙句逃げるなどという選択肢はなかった。


「行くわよ」


 阿吽の呼吸。ティナが口に出すよりも先に、少年の杖は彼女の体に向けて振るわれていた。


「いち」


 少女に向けて振るわれた短杖を、今度は男に向けて振るう。その目的は単純な視線誘導。

 会話が筒抜けであったところで、二人がやろうとしていることを男は理解していない。しかし、何かしようとしているということは分かる。故に二人から視線を外すことはできない。どちらも男にとって脅威ではないとしても、相手取らなければ目的の少女に辿り着けないのだから、多少は行動を知っておく必要がある。


「にの」


 二人にキキの魔術が着弾するのと、全員が動き始めるのはほぼ同時。

 一方は着弾と言っても、払い除けるのみ。ティナの矢と同様に乱雑に裏拳で弾くことで、魔力同士の衝突が起きて打ち消される。それはキキも予測していた。一度無効化されたのだから、二度目もきっと無駄に終わる。そう考えていたから、精神には大して衝撃もない。

 本命は別にある。男の向こう側にいる、少年が唯一信頼を置いている射手。輝くような金の髪を弾ませながら、キキの放った魔力に自ら当たりに行った。


「「さん!」」


 刹那、少女の姿がその場から消え去った。あまりにも自然に、まるで元々そこにいなかったとさえ思えるぐらい、スッと。


「姿が」

「見えなくなっただろう?」


 決して動き易い服ではない。貴族の家で見繕われた女性用の服となると、どうしても妙な飾りなどがついてしまう。制服のような穿袴ならともかく、今のティナは少しばかり豪勢な袴を身に纏っているのだ。

 そんな状態で機動力を確保するとなると、袴の着飾る物としての機能を崩壊させる他に、実はもう一つ存在している。それは相手の速度を落とすことで、相対的にティナの速度を上げるという方法だ。


「本当は逃げる為、隠れる為のモノなんだけどね。緊急事態だし、君はかなり厄介だからさ」


 では一体、どのようにして相手の速度を鈍らせるか。

 それは相手の動き出しを遅くすれば良い。反応を遅くすれば良い。何かが起こる前に行動されるのではなく、何かが起こった後で行動させる。姿が見えない存在が相手ならば、大抵の場合は後者になる。


「かなり注がせてもらうよ」


 それでも念には念を入れた。キキの魔術はあくまでも非戦闘向き。単に色を変えたり、光らせたり。その量を調整して自衛手段に利用しているだけで、基本的に攻撃力はないのだ。

 腕っ節に関しても弱い。剣を自分の一部のように振るえるピノはもちろんのこと、幼少期から木登りや狩りを好んでいたようなティナにも勝てないぐらいだ。

 そして彼自身の思想も合わさった結果、彼が戦闘で行うことは基本的に二つ。石ころなどの投擲による牽制と、見た目が派手な魔術による補助だ。

 

「これは落ちるかもね」


 しかし、それはあくまで行動面での話。実際には、合間に色々と欺瞞を織り交ぜている。それは単に言葉による誘導であったり、彼の良く使う大袈裟な動きによる視線の誘導であったり。

 今もそうだ。落ちると言いながら、今まで見せたこともない下投げをしている上に、顔面直撃の軌道を描いている。相手が普通の人間であれば、その動きだけで三つや四つは考えることが増える。

 相手の思考能力が低く、基本的に避けないという選択肢を取るのが、今回においては難点だろうか。それでも十分に注意は引けている。


「変」

「何だい、その言い草は!」


 なぜそこまで不意を突くことに固執しているのかと問われれば、短期決戦をするしかないからだ。本当に頭の打ちどころが悪くなければ、致命傷になることは少ない石である上、落ちているそれらにも限度がある。ティナの矢も同様だ。負傷して動きが鈍ってきているならば、多量の出血なり何なりを狙って長期戦を狙っても良いが、全て叩き落とされている。回収できないわけではないが、近寄った瞬間にピノのような目に遭う可能性は捨て切れない。

 それ故の短期決戦。奥の手まで出し切っているわけではないが、有効になりそうな手札はほぼ全て切り、最低でも目の前の男を意識不明まで追い込む。それより後は彼らの仕事ではない。彼らが今やるべきことは、全力での撤退なのだから。


「勇者、寄越せ」

「勇者なんて知らないね」


 どうして男が勇者という単語を口に出しているのか。何の理由があって桜を狙っているのか。魔神の手下の手下という存在は、目の前の男で合っているのか。

 もし相手が普通の知識人なのであれば、キキは頭の中に浮かぶ様々な疑問の答え合わせをしたいところだった。しかしながら、相手は人かどうかも怪しい男である。それだけならまだしも、そんな興味深い上に頭をかなり使わなければいけない問答をすれば、ティナの支援が疎かになるのは目に見えている。


「その女、勇者臭い」

「女の子に言っていいことじゃないよ、それ」


 仮に言った相手が現在姿を消している少女であれば、問答無用でキキの前にいる男は吹き飛んでいただろう。矢で滅多刺しにされていてもおかしくないぐらいの、あまりにも酷い暴言である。勇者という言葉がついていたとしても、どちらかと言えば強調されるのは『臭い』という部分なのだから、女性に興味を持っているのであれば、絶対に言うべきではない。

 少年が困ったような顔で注意すると、男は続けて彼を指差した。


「お前も、臭い」


 一体何を言い出すのかと思えば、今度は自分に対する暴言。思いもよらぬところから来た攻撃ならぬ口撃に、キキは思わず胸を押さえた。別段大して衝撃的でもないが、路地裏の人間にそれを言われる筋合いはない。

 そもそもそんなことは、思ったことを割とすぐ口に出してしまうキキであっても、一旦止まって口に出して良いか考える類の言葉である。最終的に口に出すとしても、それは嫌われても良い相手、例えばアルベルトが相手の時ぐらいだ。


「僕が男だからって何言っても良いわけじゃないんだけど?昨日風呂も入ったのに、そんな臭うかな?」


 スンスンと鼻から音を出し、キキは自分の体臭を確認した。けれども、ティナのような甘い香りもなく、かと言って分かるほど臭いわけでもない。確認するまでもなく、目の前の男の方が酷い臭いであるのは確実だ。


「お前、臭い、不快。勇者も、不快」

「……僕が傷つかないと思ってるのかな。石投げられて怒ってる?」


 投げる物の手持ちもなくなり、キキはヒョコヒョコと小鳥のような動きで男の周りをちょこまかと動き回る。その距離まで寄られたことで、漸く男も迎撃の姿勢を取り始めた。

 武術の欠片も感じ取れないような、見様見真似すらできていないぐらいの姿勢から、尋常じゃない速度で放たれるのは乱雑な拳。先日見た喧嘩慣れしている拳とは、明らかに異なっていた。

 だが、そのどちらも脅威であることに変わりはない。前者は十中八九身体強化の類を用いており、後者は単純に経験から来る強さがある。ピノが良く使っている分、キキ個人としては前者の方が比較的マシだというだけだ。


「不快、不快」

「友達傷つけられてる僕の方が、君の千倍不快だよ」


 振るわれる拳を紙一重で避けながら、キキは思考の海に足を浸す。周りに目を向ける余裕はない。そこまでバカにして相手ができる存在ではないのは、既にピノが証明している。


「避けるな」

「そう言われて避けないのは、かなりの間抜けだね」


 右、左、正面。次々と襲い掛かってくる拳を捌きながら、ほんの僅かにできた隙で、少年は視線を僅かにズラした。その視線が本来捉えるはずだったモノは、地に伏している少年の姿。

 その姿はそこから遠く離れた位置にあった。目が覚めている様子はない。未だに目を閉じたまま、身動ぎ一つせずに仰向けで寝かされている。それをした犯人に大凡の見当をつけたキキは、もう一度だけ拳を避けた。

 避けると同時に調子の速い踊りでもするように、トットッとかなりの速度で後退する。それを追うこともせず、男は譫言のように不快と口にしていた。何がそこまで不快なのかと問いたい衝動に駆られながらも、少年は右手を少しだけ見える空に向けて突き上げる。


「もう良いよ」


 優しげに笑い、指を鳴らす。

 意味ありげな動きではあったが、それで何か起こることはなかった。ただヒュウと小さく風が鳴いたぐらいで、それ以上のことは何もない。強いて言うなら、ヒュウヒュウと風が良く鳴くようになったぐらいだろうか。


「……何?」

「おかしいなぁ、これで君は爆発四散するはずだったんだけど」


 本当にそうだったのであれば、キキはもっと焦っているだろう。だが実際、そんな様子は微塵も見られない。態とらしく首を傾げながら、ああでもないこうでもないと呟き、杖の調子を確かめるようにトントンと叩いている。


「不発、愉快」


 全くそうは感じられない声色と表情でそう言って、男は少年を再度指差した。それに対し、少年の方も思ってもないことを口にする。


「おっ、漸く楽しんでくれたのかい?それは良かった」


 轟、と。

 キキがそう言うが早いか、風が吹き荒れた。風の通り道が極端に少ない路地裏で、絶対に起こることのない暴風。少年が投げつけていた石ころやゴミ、何度も叩き落とされていた矢、ピノが投げ飛ばされた拍子に落としていた剣。ありとあらゆる物が風に攫われ、やがてそれは男に向けて飛ばされ始めた。


「キリレンコ君!何これ!」


 ただ、標的が男になったというだけで暴風が止んだわけではない。余波で飛ばされそうになっているのは、キキだけでなく休んでいた桜も同様だ。二人とも辛うじて壁に張りついて難を逃れているだけで、一歩間違えば旋風に巻き込まれた枯れ葉のように、クルクルと天に上らされるだろう。


「何って、風の魔術だよ」

「風……ってことはティナちゃん?」

「うん」


 まるで何でもないことのように、キキは平然と頷いた。それは一年以上の付き合いがあるから平然とできるだけで、何も知らない桜からしてみれば、天変地異が人為的に引き起こされているのだと告げられたのと、大して差はない。


「ウチが助けてもらった時は、こんな凄くなかったよ」


 風により体勢を崩され、礫により殴打されて完全に転倒し、そこに追い討ちのように飛来する剣。それを拳で殴りつけたり、風で押し戻されながらも強引に体を回転させたり、男はありとあらゆる手段を用いることで、どうにかそれらを凌いでいる。


「君がいつ助けられたのかは知らないけど、咄嗟の時はこんな大魔術は使えないよ」

「そうなの?」


 男が悲鳴一つ上げずに飛来する凶器と戦っている横で、二人はいつもの調子で講義を開いていた。


「魔術は規模が大きければ大きくなるほど、集中力も時間も必要になるんだよ。片手間でやる人間もいるけど、そういうのは一部の例外だけ。今回は時間をかなり稼いであげたからね。これぐらいしてもらわなきゃ困るよ」

「キリレンコ君は全部簡単そうにしてるけど」

「慣れもあるからね。一回やっちゃえば、それと同じ要領で似たようなことはできるし」


 得意げにするでもなく、キキは本当に何気なくそんなことを言う。実際に一回や二回したところで、彼のように簡単にすることはできない。

 魔力を何に変換するか。どれぐらいの量に変換するか。変換した後にどのような動きをさせるか。非常に簡単に分けても、魔術は三つの段階を踏まなければならない。それに細かな調整を加えて、漸く実践で使えるかどうかだ。

 その異常性に桜が気づけるはずもなく、そんなものなのかと感心と驚愕の半々の感情を抱いていると、不意に聞き覚えのある少女の声が空間に響き渡った。


「言ってくれるじゃない」


 ビクリとキキの肩が跳ねた。そしてすぐに悲しげな顔をして、申し訳なさそうに頭を掻き始める。本心からの行動かどうかはともかくとして、少女はその動きを見て多少は満足したらしく、フンと鼻を鳴らすのが二人の耳に届いた。


「なら、良く見てなさい」


 それだけ言い残すと、礫が止んだ。風が止んだわけではなく、礫の雨が止んだだけである。一体何が始まるのかと思えば、続いて降り始めたのは、文字通りの矢の雨だった。


「キ、キ、キリ」

「サクラ、落ち着いて」


 突然そんな物が降り始めれば、誰だって困惑する。自分を狙っていないと分かっていても、かなりの恐怖を感じるのは間違いない。何度か似た光景を見たことのあるキキでも、まだ慣れていない景色の一つである。


「ほら、落としてみなさいよ」


 弓で放つ時よりも、明らかに速度は劣っている。ただし、矢筒に入っていた矢、その全てを利用しているであろう量が宙を泳いでいた。一本ずつであれば、男もおそらく捌き切れただろう。


「無理」


 バカ正直に男は言った。その言葉通り、最初の数本は強風の中でもどうにか避けることに成功していたものの、それ以降は最低でも掠めるという結果を残している。重要な器官に直撃することは避けたいらしく、そういった部位に当たりそうになれば、男は進んでその腕や足を犠牲にしていた。


「すご」


 それは矢を操っているティナに対してか、それとも矢を何の躊躇いもなしに四肢で受けている男に対してか。どちらを指しているにしても、キキは同意しかできない。

 魔術に関する知識は膨大でも、キキが実践してきたモノは色や光のソレ一辺倒である。基礎基本程度ならできなくもないが、ティナの暴風とその中で起こしている精密な風力操作の領域になってくると、全くもって手の届かない範囲に突入している。

 それに対して男の行動。これは戦士としては当然なのかもしれない。死ななければ、まだ勝つ可能性はある。そんな理論に基づいての行動だと、少年は勝手に結論づけた。戦士ではない少年には、戦士の理屈も精神性も知らない分野のモノだ。理解できないわけではないが、自分が同じ立場に置かれれば、まず第一に痛くない方法を取るだろうとも考えていた。


「ウチもできるかな」

「無理じゃない?」

「もう少し考えてくれても良いじゃん」


 二人がやや緊張感に欠けた会話をしているのは、相も変わらず壁に張りついているからだ。矢の雨は未だ止まず、それを操る風ももちろん止んでいない。身動きが一切取れないほどではなくとも、動くのは得策ではないという判断から、行動しないという行動を選択していた。

 それでもキキは、ティナと周囲に掛けた魔術を維持しつつ、不定期に風に適当な色の魔術を放り込んでいる。見る人間がそれなりの知識を持っていれば、それだけで口をあんぐりと開けて驚愕していたかもしれないが、残念ながら彼の隣にいる人間は知識人とはほど遠い少女だ。



 そんな二人を一瞥しつつ、ティナは男の背後に回っていた。内心は穏やかではない。ピノが倒されたことも、二人が仲良さげに話していることも若干気に食わなかった。それ以上に、人を殺した上で平然と自分の友人を狙っている男が気に食わなかった。

 かなりの腕だと自負している矢を幾度となく弾かれ、現在進行形で使っている風の大魔術を利用して、漸く傷をつけれたという事実。男の正体が常人ではないのは、彼女も既に察している。


 だからこそ、彼女はキキに迷彩を提案した。最初に倒された少年のことを考えれば、それだけでは不十分なのも分かる。そこは司令塔も理解していたようで、十分過ぎるぐらいに彼女の為に時間を稼いでくれた。

 風と矢、その他数種類の礫による不定形の檻。迷彩だけでは足りない仕込みを補う為、ティナはそれ相応の魔力を消費させられた。普段はしないぐらいに集中したせいで、頭も割れるように痛んでいる。

 それでも彼女は自分の仕事を果たそうと、足音を消して一歩一歩男の後ろに矢を片手に近づいていた。風景と一体化するように絶妙に調整され続けているキキの魔術と、自分の技量。その二つがあれば十分倒せる。


 そう考えていた。


「臭い。あの男と、同じ臭い」


 突然、自身の眼前にまで迫った男が呟いた言葉によって、彼女の足はやや強制的に止められた。そこまで意図していたかどうかはさておき、戦闘においてはその一瞬が、後々の全てに影響してしまうのだ。


「そこ」


 子供に無理矢理捻じられている縫いぐるみのように、矢の突き刺さったままの右の手足がグンと後ろへ回り、一拍遅れて体が半転。最後に気味の悪い動きで首が回り、いつかのダチョウのような瞳で、男は明確にティナを睨んでいた。


「なっ!?」


 気づかれた。そう思っても無理はない動きをした男のせいで、少女は思わず声を漏らした。そんな至近距離で声を出してしまえば、姿をほぼ消していることなど、ほとんど意味を為さなくなってしまう。

 動き出しで有利を取れていたはずなのに、ほんの一瞬でその形勢は逆転された。


「終わり」


 更に遅れてやってきた、もう片方の手足による遠心力と身体強化を乗せた殴打。普段のティナであれば、きっと回避もできていたはずだ。しかし、バレたという動揺と、使い慣れない高度な魔術の行使による精神的疲労。その二つによって、彼女の判断能力は鈍ってしまっていた。


「待て!」


 いくつかの魔術は破られたが、キキは内心でたかを括っていた。矢によって痛みはなくとも、注意は引けている。後はティナにトドメを刺してもらうだけ。

 そんな調子でナメて掛かって、仲間が手痛い反撃を受けそうになっている。突然のことに慌てて閃光を弾けさせようとしたものの、既に手遅れだった。


「待つ奴、間抜け」


 意趣返しのような発言と共に、少女の体が跳ね飛ばされる。ほぼ直線を描くように飛ばされ、着地点は薄汚れた壁。体の真横から殴打されたこともあり、ティナはその小柄な肢体が受けるはずだった衝撃を、ほぼ全て体の左側面で受ける羽目になっていた。


「ティナ!?」

「ティナちゃん!?」


 少しの間キキが持ち堪えて、ティナが二人を連れて行くべきだったか。そもそも路地裏に来るべきではなかった。ピノもティナも自分のせいで倒れているのに、自分は何をしているのか。

 自責の念、目の前の男と自分に対する悔恨。負の感情が湧き上がってきても、少年は激昂して猛進することはなかった。そんなことをしても、状況はより酷くなるだけだ。

 血が上り始めた頭を一旦落ち着かせ、少女が吹き飛んだと同時に風の止んだ空間を、少年は黒髪の少女と共に駆け抜ける。


「いったいわね……」


 既に迷彩の魔術が解かれたティナの体は、あまりにも痛々しかった。衣服に大した被害はないが、咄嗟に自分の身を守る為に犠牲にしたであろう右腕は、完全におかしな形になっている。袴と靴の隙間から見える足首も腫れており、上手く着地できずに挫いたか何かをしてしまったことは、専門家ではないキキでも理解できた。


「確実に腕の骨が逝ってる。休んどいて。僕がやるから」


 そこからの判断は一瞬。まず継ぎ接ぎだらけの外套を脱ぎ、三つに裂いた。添木代わりに近くに落ちていた矢を数本集め、矢尻をへし折る。痛がるティナを抑え、矢と外套の残骸の一つで固定。最後は三角巾のような形に折り畳んだ布で腕を吊り、申し訳程度の冷水を魔術で用意した。


「これで冷やしな」


 最後の布をそれに浸し、キキは立ち上がる。見据えるモノは決まっていた。


「でも」

「僕がやる。二人が怪我してるのは、僕の責任でもあるんだから」


 本来ならば、キキが全体を見ながら二人に指示を出して盤石な態勢を整え、無難に勝つ。それが彼らの戦い方だった。ピノがまず潰れ、相手の力量を見誤ったことでティナが潰れ、残るは特に何かできるわけではない魔術師一人。


「キリレンコ君、逃げた方が良いよ。ね?逃げよ?」


 そしてもう一人。男に狙われている、勇者を名乗る少女。泣きそうな顔をしながら、キキの服の袖をグイグイと引っ張るその姿は、完全に幼子である。


「逃げない」


 生き残るだけならば、桜の判断が正しい。それは少年も理解している。ただそれをする選択肢は、彼の頭の中にはなかった。


「まだ二人がいる。僕が残るから、サクラは助けを呼んでくれ。身体強化使って、さっきの貸しダチョウ屋に行けば兵士もいるはずだから」


 桜よりは戦闘能力もあり、戦闘経験もある。殿を務めるのであれば自分だ。それらを抜きにしても、状況を招いてしまった自分がケリをつけるべき。そう考えて、彼は少女を逃すという選択肢を選んだ。

 桜も考え自体は似たようなモノを思い浮かべていた。しかし、実際にそうなってしまうと分かると、同時に最悪の未来を想像してしまう。ただ泣きそうだった少女の顔にポロポロと水滴が現れ始め、下唇を噛んだ。


「……分かった」

「うん、良い子だ」


 脱兎の如く駆け出した少女の後ろ姿を目で追うことはせず、キキはすぐさま男を睨みつけた。彼本来の優しげな表情は鳴りを潜め、そこにあるのは怒りの色のみ。

 そんな彼を嘲笑うように、男は三度彼のことを指差した。


「魔力、同質。分かり易い」

「同質?僕と君がかい?冗談はやめてくれよ」


 言葉自体は戯けたようなモノだったが、苛立ちは一切隠せていない。男を睨みつける碧眼が更に鋭くなり、周囲の景色がおどろおどろしい色に変化していく。


「お前、同じ。同じ、不快?」

「不快に決まってるだろ」


 赤黒く、触ればドロドロとしていそうな趣味の悪い色。空から覗いている太陽のおかげで多少緩和されているが、気味が悪いのは間違いない。そんな光景の中で、少年は足を一歩踏み出した。


「これでも二つ名持ちの魔術師だ。卒業前だから卵だけどね」


 短杖を指でクルクルと回し、キキはフッと小さく笑う。いつもの女性ウケの良さそうな笑みではなく、自虐するような哀しげな笑み。


「それでも僕は『色彩』だ。わけも分からない路地裏の人間に負けたとは言えても、大事な友達の仇を討てなかったとは言いたくないのさ」


 それを隠すように再び剣呑な目つきに戻し、彼は先手必勝とばかりに杖を振るう。手始めに放たれたのは、爆発的な光だった。


 

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