調査(仮)
貸しダチョウ屋に到着した矢先、彼らが目にしたのは兵士に体のあちこちを触られて、相変わらずの鳴き声を出しているダチョウ達の姿だった。
「コイツらの鳴き声、どうにかならないのかしら」
「無理だろ」
ボロボロだったキキの外套は新調されたわけではないものの、侍女達が見た目だけは取り繕ってくれていた。ティナの着替えも上等なモノが用意されていた為、桜だけが妙に馴染まないからと昨日と同じ異国の装束に身を包んでいる。
ピノは護身用に帯剣しており、ティナもノラレス邸に置いていくのもどうかという理由で弓矢一式を背負っている状態。その為、半ば武装集団のようになっているが、四人中二人がまだ年若い少女であることでかなり緩和されている節があった。
「可愛くない?」
「昨日のアレの後だと、余計に可愛くないわ」
「鳴き声をどうにかしたいなら、種として作り直す必要があると思うよ」
牧場も兼ねている施設である為、ダチョウの数自体はかなり多い。それ故に彼らの特徴的な鳴き声も、そこらを歩いている時の数十倍は聞こえてくるのだ。
聴力が人より優れているティナにとっては、奇声とも悲鳴とも思える巨鳥の鳴き声というのは、かなり鬱陶しいらしい。耳を塞ぐことこそしていないが、明らかに不機嫌そうな顔つきに変わってしまっている。
「流石にうるさいからって殴んじゃねえぞ?」
「アンタ、アタシのこと何だと思ってるわけ?」
余計なことを口走った結果、赤毛の少年が追い回されることになってしまった。しかし、それはいつものことである。当然、キキにとっても日常の風景だ。なのでピノが耳を引っ張られていることなど気にすることもなく、彼はダチョウの体を触る兵士達の姿を眺めていた。
そんな彼の視界の端に映ったのは、桜が一羽の無愛想なダチョウに抱きつく姿。一体どうしたのかとキキが視線を向ければ、少女は喜色満面でフワフワの巨鳥の名を呼んだ。
「オムスケ!」
「ぷごぉ」
返事をしたのか、それとも抱きつかれていることに腹を立てているのか。ダチョウの気持ちなどキキには分からなかったが、何となく鬱陶しそうにしているのは辛うじて分かる。それでも振り解こうとはしないあたり、やはりダチョウという種族は本来かなり温厚らしい。
「どうやって区別つけてるんだい」
「え、分かるくない?」
「分からないよ」
体に特徴的な傷がついているわけでも、羽毛の色が他と異なっているわけでもない。柄でどうにか判別ができなくもないが、流石のキキも数刻の付き合いであるダチョウの柄など記憶にない。
桜はあまり賢くない。それは不定期に愉快な言動を行うことからも分かることである。そういう評価を勝手に下していたことに加え、昨日の彼女は精神的にあまり余裕のなさそうな素振りを見せていた。そんな状態でダチョウの羽毛が描く模様を覚えているなど、キキは全く思っていなかったのである。
「ほら、顔も可愛いし」
「……君、適当言ってないかい?」
「嘘じゃないもん!」
「ぷぎぃ」
オムスケなるダチョウのことなど、彼の記憶の中では唾液塗れの草を足下に吐き出してきただけだ。つまるところ、大して覚えていないということになる。その為、違いが分かるという桜がそう言うのであれば、少年がそれ以上口を出すことはなかった。
「その……オムスケに異常は?」
「ない!」
なぜそこまで自信満々に断言できてしまうのか。そう言いたいところではあったが、昨晩彼の部屋を襲撃したダチョウの姿を思い返せば、異常がないのは明らかである。
目も血走っていなければ、狂ったように暴れているということもない。それは桜が現在抱きついているオムスケだけでなく、おそらく調査に来たであろう兵士達が触っている個体も同様だった。
「無駄足だったかな」
そもそも兵士が調査している以上、キキ達が率先して調査活動に赴く必要は皆無である。それでも彼らが動いているのは、自分達が襲われた理由がハッキリしないからだ。原因が分からないのだから、今後同じようなことが起こらないとも限らない。また同じようなことをされても困るので、先んじて行動しているというのが、一番適切だろうか。敢えて悪い言い方をするのであれば、不良学生集団による抗争に近い。報復や逆襲と言うべきか。
何れにせよ、キキがこの場所を訪れたのは、本来はそういった調査の一環だった。しかしながら、彼の目に映る兵士達はダチョウの様子を確認してはいるものの、特に収穫があるようには見えなかった。
ほぼキキの直感だが、ダチョウの一部が何らかの奇病の類を発症したとか、悪戯で何者かに薬を盛られたとか。後者の方が可能性は高いが、何となくそういう話に落ち着きそうな雰囲気が漂っている。
キキはとりあえず顔馴染みでも何でもない、近場にいた兵士に声を掛けてみることにした。少し押せば融通の効きそうな、周りと比べると少しばかり若い兵士に狙いを定めると、ダチョウと遊ぶ桜から距離を取った。そして、友人に話し掛けるような気軽さと共に片手を上げる。
「どうも」
しかし、声を掛けられた方は当然のようにキキのことを知っているらしく、彼に向けて律儀に頭を下げた。二つ名持ちの魔術師としては当然の扱いなのだが、少年は内心むず痒く感じながら、それに合わせて軽く会釈をする。
「怪我をしたと聞いていましたが」
「別に大したことはないですよ」
社交辞令のような挨拶を交わし、少年は青年の姿を今一度確認した。特に勲章のような飾りはなく、髭も大して生えていない。明らかに下っ端の方である。
狙う相手を間違えたかと、キキは表情には出さずに静かに落胆した。だが、現場には現場だからこそ気づけるモノがあることも彼は知っている。何にせよ、時間を無駄にしないように少年は本題を切り出すことにした。
「コイツらに何か異常は?」
「特にないかと。ハミルトンの寮で暴れたのはここので間違いないみたいですけど……」
それ以上のことは分からない。そう言いたいらしく、若い兵士は申し訳なさそうに首を振るだけ。それを見て早々に諦めようとしたキキを引き止めるように、彼は慌てて口を開いた。
「ああ、でも」
「でも?」
ほんの少しだけ視線を下にずらし、兵士は僅かに考え込むような素振りを見せる。
「まあ、キリレンコさんは当事者なので大丈夫でしょう」
そう呟いてパッと表情を切り替えると、青年はすぐに生真面目そうな顔を作り直して喋り始めた。キキに話すべきか否か、彼なりに一応の精査をしていたらしい。兵士の内情など知らないキキとしては、やはり上役に聞くべきなのではないかと思いはしたものの、話して怒られるのは目の前の若い兵士だという若干薄情な理由から、それを口に出すことはなかった。
「獣医の話だと、少なくとも病気ではないらしいです」
「……根拠とかは聞いてますか?」
何となくの予想はつくが、専門家の話も聞いておきたい。そんな理由で、彼は若い兵士へ質問を追加で投げ掛けた。
「伝染病なら、二羽だけというのはおかしい。普通の病なら、二匹同時に同様の行動を取るのがおかしい。そう言っていました」
伝染病の場合、二匹だけが異常を見せているのは不思議な話である。人間でも流行り病というのは存在している。全てがそうだとは言えないが、その大半は連鎖的に大量の人間が患うモノだ。人間のようにバラバラに居住していてもそうなのだから、強制的に密集させられている牧場内のダチョウ達なら、それは尚更だ。
一方で普通の病。持病であったり、何らかの要因で発症する臓器の病であったり。何れにしても、同じ病気を持つこと自体は珍しくない。珍しくないのは確かだが、それがほとんど同じ時に発症するというのは、あまりにも奇妙なことだ。
どちらも可能性としては低いだけで、ゼロではない。しかし、ほぼ間違いなく起こらない。とどのつまりが、それが専門家の意見ということだ。
「なるほど」
キキも似たようなことは考えていた。それに自分より獣のことに詳しいであろう獣医が言っているということに加え、そもそもその意見に納得してしまっているのだから、否定をしようとは全く思わない。
「となると、薬とか?」
「私もそう思っていますが、まだ調査も始まったばかりなので」
時刻はまだ昼にならないぐらい。襲撃が深夜だったことを考えれば、むしろ調査はそれなりに進んでいる方である。アルバートが何らかの口出しをしたのか、それともキキが『色彩』であるからか。何れにしても、半日も経っていない状況下で多少なりとも成果を出している彼らを、キキは内心褒め称えていた。しかし、年上の人間を褒めるというのは彼でも何となく言いづらく、言葉にすることはできなかった。それでも尽力してくれていることに対する感謝は忘れず、言葉を紡ぐ。
「ありがとうございました。また何か分かったら教えてください」
もう一度小さく会釈をし、名前も知らない兵士の元を去る。縁があればまた会うだろうと考えつつ、少年は桜の方へ目を向けた。
いつの間にかティナが戻ってきており、その傍には赤くなった耳を涙目で触っているピノが立っている。そして肝心の桜はなぜかオムスケと勝手に名づけたダチョウの背に乗っており、金髪の少女がそれに注意をしているのが見て取れた。
「どんなに仲良くても、アンタのじゃないでしょ?」
「だって……」
「だってじゃない!」
もはや親である。それに渋々といった様子で従っている桜も、その無邪気とも思える行動のせいで子供のように見えた。背丈だけで見れば、桜の方がティナより少しばかり高いのだが、どうにも精神年齢はそれなりの差が出てしまっているようである。
「怖いな、あのお母さん」
懲りずに悪ふざけに走るピノが青い瞳で睨みつけられているのを分かりながらも、少年はそれに便乗した。
「そうだね」
「誰がお母さんよ!」
逃げようとした赤毛の少年だけ平手で背中を引っ叩かれ、キキは額を弾かれる。どちらが痛い目に遭っているかなど、一目瞭然である。
「オカンだ」
「サクラもされたいのかしら」
熊手のような形にした手を見せつけられ、桜は首を尋常ではない速度で横に振って拒否した。当然である。赤毛の少年は現在進行形で悶絶中なのだから。
「それで、何か分かったの?」
「病気じゃなさそうってことぐらい?それも確証はないけど、どちらかと言えば薬の方が可能性は高いと思うよ」
態とらしく両の手のひらを空に向け、肩を竦める。戯けているようにも見えるが、本当に収穫がないのだから仕方がない。せめてダチョウの一羽にでも異変があれば、良くはないが、多少の成果を得ることができていただろう。それすらないのだから、ほぼ全てを予測で補うしかないのである。
「薬、薬ねえ」
「薬師に知り合いとかいるかい?」
「いや、いねえ。その様子だとお前もだろ?」
顔を合わせて頷き合い、二人はその視線を横にずらした。その先にいたのは、居心地悪そうに若干顔を顰めているティナ。絶対に知らないであろう桜は、そもそも彼らの眼中にはなかった。それに対して寂しそうな姿を見せるでもなく、彼女は相変わらずダチョウと戯れている。
「アタシもいないわよ。簡単な薬なら作れなくもないけど、今回はそういうのじゃないでしょ?」
再び首肯。
ティナが作れる薬は森で得られる野草などから作る、基本的には特に害のない薬である。しかし、今回の薬はどう考えてもそんな優しい薬が原因ではない。副作用という可能性がないわけではないが、そんな薬があるのであれば、シラカバ王国では開発者が永久追放されているだろう。だが、キキにそんな話を耳にした記憶はなかった。
「なら次点にしよう」
「次点って何よ」
「薬師ほどじゃなくても、薬を扱う職業はあるからね」
ピンと来ていない様子の二人に若干悪い笑みを見せ、キキはとりあえずダチョウと遊んでいる能天気な自称勇者を捕まえることにした。
・
ティナの顔は若干バツが悪そうに歪み、何も知らないピノはそれを不思議そうに眺め、桜はなぜか顔を青くする。そんな色とりどりな頭の面々を束ねるのは、二つ名持ちのそれなりに著名な魔術師の卵。
「理由は分かった。分かったが、どうしてワシなんじゃ」
そしてそれに相対するのは、長い白髪を頸のあたりで束ねた老医師だった。悲観するような素振りを見せているものの、別に心底迷惑そうな顔をしているわけではない。むしろどこか喜んでいるような雰囲気すらあった。
「薬について詳しそうな人が思いつかなかったので」
「ワシは平凡な町医者じゃよ」
ホッホッホ。そんな絵に描いた老人のような笑い声を上げる医師。時間がないということもないので、少年はとりあえず老人の遊びに乗ることにした。
「平凡な方が良いですよ。ヤブ医者とか腕の悪い医者は五万といますから」
どんなに悪評のある医者だったとしても、藁にもすがる思いで訪ねて来る患者は一定数いるものだ。だからこそ、彼らは医者として生計を立てることができている。
だが、シラカバ王国の中心であるオーデマリでそんな医者がいれば、十中八九淘汰される。そんな中で見るからに老人と分かる年齢になっても、未だに自分の診療所を一つ抱えているのだから、陰で密かに人気のある類の医者であるのは間違いない。
「じゃあヤブじゃ」
「衛兵呼びますけど」
「やめてくれ。老い先短いワシをいじめるな」
何にせよ、ヤブではないのは明らかである。二人は顔を見合わせてケラケラと笑い声を上げた。
「まあ薬の話は聞いてやらんでもないが、その前に一つ」
笑みの消えた老人の言葉にキキが首を傾げていると、ため息が漏らされた。それでも一体全体何のことか理解できず、少年は今度は逆側に首を傾ける。
「ほれ」
察しが悪い。そう言わんばかりに老人は右の手のひらを上に向け、そのままキキの方へ向けて突き出す。それで漸く少年は彼の言いたいことを理解できた。
「いくらですか?」
金が欲しいのだろうと勝手に納得し、継接ぎされた外套の懐から財布を取り出そうとすれば、突き出されていた手のひらがクルリと回転し、静止するような形になった。
「お前さんじゃないわい」
今度はシッシッと追い払うように手を払う老人の意図が掴めず、キキは怪訝そうな顔をしながら、老人の言う通りに体の位置をずらす。キキの後ろに立っている面々は三人。その中で老医師に面識があるのは、ピノ以外の二人のみ。
少年はまずバツが悪そうなティナを見た。表情の理由は何となく予想がつくが、それと老人が金銭を請求することは結びつきにくい。少女の生意気な言葉に傷ついたというイチャモンでもない限り、ティナがそういう扱いをされる謂れはないのだ。
続いて、未だに顔を青くしている桜の方へ視線を向けた。少女はキキの視線にビクリと反応すると、青かった顔を段々と白くし始め、更には涙を下瞼に溜め始める。
「ちょっ、何だい?僕が何かしたかい?」
睨みつけたのならともかく、キキはただ単に見ただけ。昨日度々見せていたような涙とも、どこか種類が異なっている。少年は色々と思案してみるものの、原因は何一つ分からない。それは横に立つ二人も似たようなもので、どうしたものかと悩んでいるようだった。
「あのっ、おがね……」
何を言っているのか聞き取りづらい声で、桜が指を空中に這わせ始める。それは昨日も何度か見せていた動きであり、キキにとっては既に見慣れた奇行の一つだ。
「おがね、わずれてまじだ……」
えぐえぐと嗚咽を混ぜながら、桜がどこからか取り出したのは入門する際にも持っていた、明らかに容量を超えてしまっている高そうな財布だった。
そこからジャラジャラと硬貨を診療所の床にバラ撒き、吐きそうになりながら四つん這いになってそれを拾い集める。状況を知らない人間が見れば、乞食が銭を恵んでもらって咽び泣いているか、財布の中身をぶち撒けられて虐められている少女と捉えるかの二つに一つだろう。
「……嬢ちゃん、そんなに怒っとらんから、泣き止んでくれんか?」
優しそうな町医者の裏の顔は、幼気な少女を陥れる闇金業者だった。
そんな見出しと共に街中に張り出されてもおかしくないぐらい、側から見れば老医師が悪役になってしまっている。しかしながら、昨日の一連の流れを知っている二人は、老人の行動の理由が分かってしまった。
「サクラ、まさかアンタ……」
「そういうことか……」
分かってしまったから、二人して頭を抱えた。
「何だ?何かしたのか、この子」
ただ一人何も知らないピノだけが取り残され、一体全体何が起こったのかと落ち着かない様子で四人の間で視線を動かす。
「おがね、だします」
そう言って座り込んだ桜が差し出したのは、両手一杯の銅貨と銀貨の山。明らかにそんな量はいらない。何か高価な薬品を使用したとか、ちょっとした手術でも行ったならともかく、彼女が診療所で受けたのは簡単な診察だけである。一晩の宿としても使ったことも考えたとしても、絶対にそこまでの金銭が必要なことはしていない。
「いや、絶対にそんないらないでしょ」
ティナの指摘通り、老医師が手に取ったのは銀貨二枚だけだった。
「これだけで良い。そんなに取らんわい」
そのまま銀貨を握り締め、老人は部屋の隅に座り込んだ。そこにある金庫らしきものを弄ったかと思えば、金に対する扱いにしてはやや乱雑に放り込む。中から響いた音は多量の硬貨がぶつかる音だったが、キキからは老人の体に隠れて何も見えなかった。
「ずびばぜん」
そんな彼の後ろ姿に向け、座り込んだまま桜が頭を下げた。頭を下げる動きで何となく謝罪だと分かるだけで、もはや何を言っているのか分からない。涙だけだったのが鼻水まで垂れており、異国のモノとはいえ比較的整った顔立ちが台無しになってしまっている。
「顔拭きなさい。みっともないわね」
それを取り出した手拭いでゴシゴシと拭うティナ。その姿はまさしく。
「……お母さんだ」
「何か言ったかしら?」
「何でもありません」
睨みつけられ、キキは一瞬で黙り込む。
その代わりに喋り出したのは、金庫を閉めてやや楽しそうにしている老医師だった。
「朝起きてここに来たら、もぬけの殻。高名な魔術師様に申し訳ないとさっきまで泣いておったんじゃぞ?」
明らかに巫山戯半分だが、自責の念に駆られている少女に判断は中々つけられない。案の定、収まりそうだった涙を再びポロポロと溢し始めてしまった。
「ごべんなざい」
「サクラ、絶対にタチの悪い冗談だから聞かないで良いわよ」
「酷いのう」
少女を無駄に泣かせたせいで、老人はティナに噛みつかれ始めていた。
「アンタねえ、ちょっとは加減しなさいよ!」
「すまんかった」
烈火の如くとまではいかないが、それなりに怒っているらしいティナの形相に、流石の老医師も素直に頭を下げている。
そんな三人の喜劇だか悲劇だか良く分からない寸劇を眺めている少年の元に、スススと音を立てずにピノがやって来た。帯剣しているのに金属音一つ鳴らさない隠密性能にキキが内心驚いていると、耳元に顔が寄せられる。
「何したんだよ」
どうやら、三人の寸劇だけでは状況が把握できなかったらしい。キキも何も知らない状態であれだけ見せられれば、全く意味は分からないだろう。
だがしかし、どう説明したものかと少年は頭の中で昨日のことを思い出し始めた。大福を取る為に身体強化云々の話は、他人に話すべきではないだろう。もしキキが桜と同じ状況であれば、恥ずかしくて一月は寝る前に思い出して布団の上で暴れ回る自信があった。
「色々あって倒れたのを僕らが運んで、ここで一晩寝る予定だったんだ」
故に、少年はかなり省略した説明をした。アルベルトの下りや大福の話は必ずしも話す必要はない。少女が泣きながら精算している説明をするだけならば、キキのあまりにも簡略化された説明でも十分である。
「あ?でも、昨日の夜俺の家に来た……そういうことか」
事情を理解し、ピノも先ほどの二人と同様に頭を抱えた。夜は診療所で寝るはずだったのに、二人と共にノラレス邸へやって来ていたという事実があれば、若干頭の悪いピノでも十二分に理解できる範疇に突入している。
「そもそも出る時に金貨の一枚と書き置きでも置いとけば良かったじゃねえか」
「そんな気が回らなかったんじゃないかい?」
男子二人が適当なことを言っていると、漸く泣き止んだ桜がヨタヨタとした足取りで近寄ってきた。一体どうしたのかとキキが見つめていると、少女は突然とんでもないことを口に出そうとしたのである。
「だって神様が」
「サクラ、口閉じて」
余計なことを言おうとした桜の口を手で塞ぎ、そのまま少年はやや強引に彼女の顔を別の方向へ向けた。
今の今まで普通にしていたのに、唐突に神がどうという話をしてしまえば、どうなるか分かったものではない。調査に協力してくれなくなる可能性があるのも問題だ。
協力はそのまましてくれたとしても、ちょっと変わった異国の少女を連れた一団から、トチ狂った異国の少女を連れた一団という扱いに変わってしまうだろう。それはキキに限らず、誰であろうと精神的にかなり辛いところがある。
それだけではない。勇者関連の話に無関係であろう老医師を、桜の軽率な一言で巻き込むわけにもいかないのだ。既に多少関わってしまっているとはいえ、浅いか深いかによっては話がかなり変わってくるのだから。
「何を話そうとしたんだい」
キキが小声で耳打ちすると、桜の体がブルリと震えた。顔を赤くした少年が体を少し離せば、少女の顔も似たような色に変わっているのが目に映る。二人して若干顔を赤くしたまま、彼らは小声で言葉を交わし始めた。
「ゆ、夢の中で神様が出てきたの」
「それで?」
夢の中、神様。その二つはキキも思い当たる節がある為、あり得ないと切って捨てることもできない。それに彼は自称女神から、桜を援軍に呼んだという話を聞いている。それ故、おそらく本当なのだろうと判断した。
「そしたら、魔神の手下の手下がキリレンコ君達襲ってるからって……」
重要な手掛かりである。夢の中で神が言っていたという、戯言のような前提条件が証明される必要こそあるが、二人が似たような夢を見ているのだから、それなりの信憑性は存在している。
「……どうして先に言わなかったんだい?僕が何の為に」
そこまで言って、キキは口を噤んだ。彼を見る桜の目が、どこか責めるような目つきに変わったからだ。
「だってキリレンコ君、昨日嘘つきとか色々言ってきたじゃん」
唇を尖らせ、あからさまに自分は拗ねていると表現するその姿は、どこかいじらしい。しかし、キキはそれを可愛らしいと思うより先に、多大な自責の念に襲われることになった。
「……そうだ、僕が悪いね。もう少し君を最初から信用してれば良かった。ごめん」
そして言い訳などせず、小さく頭を下げた。小声ではあるものの、誠心誠意。バカにする様子など一切見せず、彼は彼女に向けて頭を垂れたのである。
「え、何で?信用してくれるの?」
昨日までの彼の言動を思い出し、桜は困惑した。
「僕にも色々あるのさ」
自分も夢で見たから。言うのは簡単だが、キキは未だに自称勇者と自称女神を信用し切ってはいない。嘘ではなさそうだと思っているだけで、信用に足る証拠もないのだ。個人的に信用したいというだけである。
「それで手下はどこに?」
そこまで分かるなら、犯人の手掛かりも知っているだろう。そんな軽い気持ちでキキが問い掛けてみると、少女は何気ない顔で口を開いた。
「知らない」
「え?」
たった一言ではある。だがしかし、あまりにも非情。そんなことを普通に言われたものだから、思わず少年は口をポカンと開けて静止した。
「手下の手下が手を加えはしたけど、ダチョウは普通のダチョウだって言ってた」
「……つまり特に進展はないと?」
「だから言わなかったの」
バツが悪そうに頬を指で掻きながら、桜は再び唇を尖らせる。彼女の気持ちは十分に理解できる為、キキは特に責めることはせず、静かに目を閉じた。そしてキキは、頭の中で少女の口から出た言葉を並べ始める。
魔神の手下の手下。普通のダチョウに手を加える。手を加えるという言葉の中身が明言されてない以上、薬という可能性が消えたわけではない。そもそも手下の手下とは。
謎自体は増えたものの、情報は多いに越したことはないのも事実である。キキは情報源である少女に微笑んだ。
「でもありがとう。少しは手掛かりが増えた」
「う、うん。どういたまして」
そして二人は話を終え、逸らしていた顔を再び三人の方へ向けた。三人とも律儀に待っていたようだったが、ティナだけはどこか不機嫌そうな面持ちで腕を組んでいる。
「どうしたのよ」
「内緒話だよ」
キキの返答が気に食わなかったのか、元々不機嫌そうだった顔が更に酷いことになった。ウマの尻尾のような髪をブンと音が出そうなほど振るい、そのままの勢いでそっぽを向く。その際に甘い香りが少年の鼻腔を突いたが、それを口に出すような状況ではないのは彼も理解できる。
「キキ、ほどほどにしとけよ?」
「何がだい?」
「……骨は拾ってやるさ」
赤毛の少年の忠告の意味が良く分からず、キキは不思議そうな顔をして首を傾げた。その背を軽くポンと叩き、ピノは苦笑する。
そんなことをされても、少年の頭の中では疑問符が乱立するのみ。何にしても目的を早く達成してしまう為、彼は老医師に質問を投げ掛けた。
「それで先生、ダチョウを暴れさせるような薬に心当たりは?」
そんなものがあるのだろうか。それがキキの正直なところではあったが、老人は何か意味ありげに腕を組んで呟いた。
「動物を凶暴化させる薬のう……」
「心当たりが?」
「いや、ない。そんな興奮剤みたいなもん、ワシが使うわけないじゃろう?」
一刻を争う状況であれば、誰かから手を出されていてもおかしくない。そこまで緊迫した状況ではない為、誰もそんなことはしなかった。ただ全員からジトっとした視線を送られるだけである。
「期待させないでください」
「ないが、ありそうな場所は知っとるぞ」
また期待させるだけかもしれない。たった一言で信用を少し失ってしまっている医者に向け、キキは諦め半分で再度問い掛ける。
「どこです?」
「路地裏じゃよ。あそこなら、真っ当じゃない薬もあるじゃろ」
「ああ、なるほど」
医者の言葉に納得しつつも、少年は顔を顰めた。路地裏というのは法律がないわけではない。しかし、法の手が届かないから路地裏なのだ。確かに普通の薬も普通じゃない薬もあるだろうし、もっと恐ろしい物もあるだろう。
そこにはいつでも誰でも行ける場所にあるのに、正常な人間は誰も寄りつかない。所謂、王都の闇。そう言っても、決して過言ではない。




