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御伽噺


 ダチョウによる襲撃事件から一夜明け、キキ達が布団の中から各々這い出てみれば、既にニワトリの鳴く時間は過ぎてしまっていた。それだけ疲労が溜まっていたのは事実だったとしても、本来は貴重な休日であったと考えると、かなり悲しいことである。

 キキは元々課題を片付ける必要があったが、今となってはその紙もそれを置いていた部屋も瓦礫だらけ。課題に追われていたであろう休日が、友人宅でのお泊まり会となったと思えば、かなり嬉しいことでもある。

 しかしながら、当の本人はそんなことを考えているとは思えないぐらい、ぬぼーっとした表情で食卓に腰を下ろしていた。


「ほら、キキ。箸持てって」

「うん」


 朝食で最も無難な献立は何か。

 そんな問いが試験で出題されれば、シラカバ王国の人間はまず間違いなく、現在キキの目の前に並ぶ三品を記述するだろう。


「和風、和風なんだけど……嬉しくないなぁ」

「ならアンタの味噌汁寄越しなさいよ」

「嫌だ!ご飯は大事なの!」


 キキの前に並んでいる三品と全く同じ物が、少女達の前にも並んでいた。焼き魚、味噌汁、潰した丸芋。そして湯呑みに注がれた水。キキ達にとっては極々普通な朝食なのだが、桜はどこか納得がいかない様子で右手で握った箸を睨みつけている。


「ティナちゃん、ウチの目おかしくない?」

「真っ黒なだけよ。別におかしくないわ」

「真っ黒!?あ、黒目のことか」


 二人が何やら騒がしくしている間に、男子二人は黙々と箸を動かしていた。少しだけ塩味のする芋を口に含み、凶悪な顔のまま焼かれたであろう魚の腹に箸を突っ込み、白身を掴み取る。そして時々味噌汁を啜る。

 そんな動作を繰り返していたかと思えば、金髪の少年が漸く口を開いた。


「焼きサバ、美味しい」

「え、鯖なのコレ」


 薄く焦げた白身を放り込んだ結果、口から出た言葉がコレである。別段悪いことではないが、明らかに語彙力が十年分は退行してしまっている。

 しかしながら、彼の前の席に座る黒髪の少女は、彼の語彙力よりも彼の発した言葉の方に驚かされていた。彼が凶悪な死に顔をしている魚のことをサバと呼んだのを、彼女は確かに耳にしていたからだ。


「ねえ、ティナちゃん。サバってこんな怖い顔だったっけ。ウチもそんなに頭まで見たことないけど、ここまでヤバい顔はしてなかったと思う」

「昨日のダチョウの方が怖いわよ」

「そうだけど!」

 

 桜が騒ぐものだから、隣に座るティナまで突匙を動かす手が止まってしまっている。キキは久方ぶりに食べる魚に夢中で、唯一ピノだけが周りを見ることができていた。

 見れていたからこそ、話の進まなさそうな気配をいち早く察知し、いつもの三人とその他一名の中の纏め役に声を掛けることにしたのだった。


「キキ、どうすんだよ」

「どうって……何が?」


 だが、やはり少年の頭は回っていない。目の前の魚云々を抜きにしても、まだ朝早い状況では頭が寝惚けているらしかった。話を振ったピノ自身、まだ怪しい状態ではあったが、キキなら大丈夫だろうとたかを括っていたのが、そもそもの間違いである。

 ピノは大袈裟に手のひらを額に当て、パチンと音を鳴らした。そもそも彼は纏め役から何をどうしたいという話すら聞いていないのだから、代理として纏めることもできない。


「うーん」


 一拍遅れて、キキが箸を持ったまま腕を組んだ。考え込むというほどではなく、一桁の足し算をするぐらいの気軽さ。ほんの少しだけ緑色の瞳だけを天井に向け、何かを思い出すような素振りを見せた後、彼は漸くその手から箸を手放した。


「詰所に行って事情説明しても良いけど、僕らのことはアルバートさんが言ってくれてるだろうし、あの場に残った男子達だけで十分事件の中身は伝わると思うよ?僕なんて起きてたら全部終わってた、みたいな状態だったんだからさ。周りにいた彼らの方が事情は良く知ってると思わないかい?」


 ほんの一時の思考の末、完全に目覚めていた。食事をして目が覚めたのか、まともに話を振られて目を覚まそうと思ったのか。何れにしても、彼が覚醒したことはピノにとって僥倖だった。

 二人が騒がしく喋っている状況で取り残されるというのは、大抵の人間は気まずいモノである。それはノラレス家の少年も例外ではない。彼だって貴族の家柄というだけで、根っこは普通の人間なのだから。


「じゃあどうするんだ?」

「……勇者について」

「勇者?」


 唐突に友人の口から出てきた単語に対し、彼は疑問符を浮かべる。キール・キリレンコという魔術師の卵が考えていることなど、ピノは基本的に分からない。だが、今回のは全く見当がつかなかった。

 ダチョウに襲われ、ノラレス邸に避難し、少し遅めの朝食を四人で食べる。この過程において勇者という存在が関わっているようには、誰しも思えないだろう。


「過去の勇者について、ピノが知ってることを知りたい」

「俺が知ってるのなんて、良く聞く御伽話ぐらいだぞ?」


 それでも何か考えがあってのことだと思うピノだったが、キキの得ようとしている何かが自身の中にあるとは思えなかった。勇者の血などノラレスには流れていないし、考古学に精通している人間もいない。


「そもそも、どうして急に勇者なんだ?」

「それは……」


 少し渋るような顔をして、キキは顔を前の席に向けた。そこに座っているのは、味噌汁を啜っている桜。彼女は何か納得のいかないような顔をしながら、何度も椀に口をつけて首を捻っている。


「味噌……味噌なんだけど、味噌?」

「普通の味噌汁でしょ」


 未だに食べ物のことで話している二人に向け、金髪の少年は招くように手を動かした。それで漸く視線に気づいたらしく、二人して椀を片手にキョトンと首を傾げる。二人とも容姿が整っているおかげで妙に良い絵になっているが、現在のキキにとっては別段重要なことではない。


「サクラ、身の上話」

「え、急に何、どゆこと」


 あまりにも雑に話を振られ、桜は明らかに困惑していた。身の上話をしてほしいというのは理解できても、何をどう話せば良いのかも分からない様子である。

 それに助け舟を出したのは、一年以上の付き合いによって彼の思考回路を多少は理解できるようになっているティナだった。目の前の男子二人の会話と唐突な振りを合わせて考えれば、キキが何を話してほしいのかは明白である。


「アンタが昨日アタシ達に話したことを、コイツにも話すのよ」

「ああ、そういうことか!」


 どういうことだよ。ノラレス家の末っ子はそう言いたかったが、他の三人は理解しているようなので口を挟むこともなく、ただひたすらに味の薄い芋を口の中に突っ込んでいた。


「ウチ、勇者なの!」

「は?」


 礼儀作法など気にすることなく、ピノはあんぐりと口を開ける。白と黄色の中間のような色の芋を見せながら、古い扉のような動きでキキの方を見るも、彼も首を振るのみ。また似たような動きでもう一人の友人へ顔を向けても、キキと全く同じ反応を示した。

 それでも尚信じられないピノは、箸を置いて両耳を両手でベチベチと音が鳴るほど叩き、口の中にあった芋を水で流し込んだ。そして指を一本、桜が見えるようにピンと立てる。


「だから、ウチが勇者なの。お分かり?」

「いや、分からん」


 至極当然の反応である。ちょっと変わっているだけで、基本的には常識人であるキキやティナも同様の反応を示したのだから、それは当たり前の反応でしかないのだ。狂人や変人扱いしないだけ、まだ優しい部類の反応だ。


「お前ら、変な薬でも飲まされたのか?」


 代わりにその半ば暴言に近い文言の矛先は、友人達に向かっていた。


「酷くないかい?」

「サクラじゃなくてアタシ達にそれ言うの?」

「ソイツが頭おかしいようには見えねえからな」


 それを自分で言って、自分で気づいた。別段頭がおかしいようにも、会話をした際に何らかの違和感を感じるわけでもない。そんな少女が至極真面目な顔つきで、気でも狂ったような発言をする。

 素面でそういうことをできる人間がいるのは、ピノも知っている。しかしながら、彼の眼前で今もない胸を張っている少女がそんなことをできるとは到底思えなかった。


「うん、だから僕達も困ってる」

「……だからってどうして俺に聞くんだよ」


 そう言って少年が頭を抱えると、ティナが間髪入れずに口を開く。


「アンタ下っ端だけど貴族じゃない」

「貴族だからって何でも知ってるわけじゃねえ!」


 思わず大声を出してしまったが、ピノは別段悪いとは言えない。意味が分からないわけではないが、とばっちりに近い理由で助けを求められても、どうしようもないこともあるのだ。


「何よ!他に良い案でもあるわけ!」


 そして大声を出されてぐらいで気の強い少女が怯えるわけもなく、更に大声で言い返される。それを見て緊張感の欠片も見せず、腹を抑えて笑うキキと、どうしたものかとオロオロし始める桜。

 

「ねぇけど……」

「じゃあほら、早く」

「ほらって言われてもな」


 頬を掻きながら、少年は天井を見上げた。吊り下げられた豪勢な魔力灯がユラユラと視界の中で動くのを眺め、もう何年も前に聞いた御伽噺を記憶の奥底から呼び覚ます。


「まず勇者が現れたのは、森人……つまりティナとか俺達みたいに分かれる前、本当の本当に大昔のことだったらしい」

「ティナちゃんとキリレンコ君達?」


 彼の言葉がピンと来なかったらしく、桜は話題に出されたティナの顔と男子二人の顔の間で、黒い視線を行ったり来たりさせ始めた。そうやって何往復か繰り返し、漸く彼女は声を上げる。


「耳!」

「まあ、見た目の特徴だとそこになるわね」


 照れ臭そうな顔をしつつ、ティナは正解の意図を込め、両手を使って小さく丸を形作った。


「何度か言ってるけど、ティナは森人。森での生活に向いてる人種なのさ。耳がちょっと長いのは感覚を普通より鋭くする為……なんだっけ?」

「多分ね。アタシも詳しいことは知らないわ」


 二人とも多少腕が立つとはいえ、基本的には単なる学生である。それも人類史などを学んでいるわけではなく、魔術学校の生徒だ。多少の一般的な知識は保持していても、専門的なモノは欠けていた。二人が知らないのだから、彼らより勉学が苦手なピノが知っているはずもない。問い掛けられる前から、黙って首を横に振っていた。

 だが、生徒である桜が気にしていたのは、全く別のモノだった。ティナの耳が大して気にならないというわけではない。もし可能であれば触りたいぐらいには気になっていたが、それとは別にもっと根本的な部分に対して疑問を抱いていた。


「他にも種族ってあるの?」

「海人ぐらいかな」


 質問が出るや否や、キキは特に考える間を挟むこともなく答える。それに対して桜は、やや考えるような素振りを見せた。そうかと思えば、またいつものように愉快なことを口走る。


「下半身が魚みたいになってるとか?」


 魚みたい。そう言われて三人が揃って目を向けたのは、もう骨だけになってしまっている焼き魚だった。そして桜の口にしたような姿形の人間を想像し、三人は何とも言えない表情を浮かべた。


「何だい、その恐ろしい生き物は」


 キキの言葉に残る二人は黙って頷く。それが納得できなかったのか、桜はバンバンと食卓を叩いた。全員の食器が既に底を見せているから良かったものの、まだ中身が入っていれば机が大惨事になっていただろう。


「人魚!海って言うから人魚だと思っただけ!」


 人魚という音の響きで三人とも彼女が言いたいことは理解できても、なぜそのような怪物が即座に浮かび上がるのか、それが理解できなかった。


「君のいた国は、そんな……何と言うか、魑魅魍魎の跋扈する地獄みたいな国だったのかい?」

「違うから!」


 ではなぜそんな怪物が頭の中で形成されてしまったのだろう。三人全員がそれと似たような疑問を抱いたが、それ以上は何か闇が深そうな部分である為、特に言及することもしない。そのままキキは話を戻すことにした。


「海人はそんな怪物じゃないよ。手足に水掻きがあるだけ。それから若干体温が低い」

「……地味だね」


 たった一言だった。確かに人と魚を混ぜた、一体全体どのようにして生命活動を行なっているのかも想像がしにくい、人魚なる怪物と比べればかなり地味ではある。


「いやまあ……否定はしないけどさ」


 否定はしないが、肯定もしない。地味と言われれば地味なのかもしれないが、それが当たり前の世界で生活してきたキキにとっては、極々普通のことなのだ。

 もし海人に会うことがあれば、まず真っ先に桜の口を塞ぐべきかもしれない。そんなことを考えながら、少年はため息を一つ漏らした。


「なら、三種類ってこと?」

「僕達の知らない種族もいるかもしれないけど、とりあえず今話せるのはその三種類だけだね。今後住む場所が変わってきたら、もっと増えるかも」


 現在確認されている三つの人種も、住んでいる環境に適応する為に何世代にも渡って体が変化した結果だ。もし高いとこに住む人間が現れれば、体のどこかしらに滑空用の皮膜か、それに準ずる何かが生成される可能性だって存在している。

 何にせよ、現存している種族は三種類である。特に必要でもない話に時間を割くわけにもいかない為、キキはそれ以上話が長引かないよう、語り部を担当している少年へ催促を兼ねた視線を向けた。


「俺も良く知らねえけど、そういう分類がないぐらい昔だったってことだよ」


 ピノはそれで彼の意思を汲み取れたようだったが、残念ながら妙に知的好奇心が旺盛な少女は止まらない。


「じゃあ、皆がサルだった頃?」

「サル?まあ、言葉とかもなかったみたいだし、今の俺達と比べたらサルだろうな」


 サルと言うと侮蔑しているように聞こえなくもないが、実際に文明的には狩りをするサルぐらいだったというのは、比較的大勢が知っている事実である。農耕を始めたのは数千年単位で見ればつい最近の話であり、より立派な文明と呼べるモノが誕生したのは、更に最近のことになる。それ故に、赤毛の少年は特に何か否定的なことは言わなかった。


「人類が生まれる前にこっち来たんだね、ウチの先輩」


 桜が何を指して人類と言ったのか。そんなことは当事者でないキキには、分かるはずがない。しかしながら、何となく勘違いをしていることだけは分かったので、訂正も兼ねて口を挟むことにした。


「どっちの人類を指してるか知らないけど、一応人類は生まれた後だよ」

「どっち?一応?」


 キキの言っていることが良く分からず、桜はコテンと首を傾げる。


「勇者の物語が始まる前、人間は一回滅んでるんだ。その時に滅んだのが旧人類で、今の僕達は新人類。歴史でもそう分類されてるよ」

「え?」


 何をバカなことを。そう言わんばかりに軽く笑った桜だったが、キキの表情が何一つ変化を見せないことで、それが事実であるということを漸く理解したらしい。

 段々と浮かんでいた僅かばかりの笑みが消え、驚きと怯えが綯い交ぜにになったような表情で、再度少年へ向け問い掛ける。


「恐竜みたいに隕石で?」


 相変わらず、キキには桜の言葉が理解できなかった。音の響きで予測したとしても、何かの竜と何かの石というのが分かるぐらいで、それ以上のことは何も分からない。竜と聞いて心が踊らないわけではなかったが、別段話の本筋とは大して関係ないので、これまた一旦放置することにした。


「……何か分からないけど、滅んだ理由は簡単だよ。どこかの国が大魔術を行使して、全人類と引き換えに何かに対処したって説が有力」

「その何かっていうのは?」


 当然の疑問である。全人類と引き換えに行う魔術など、一体全体何をしでかしたのか。それがどれだけ重大なことであるか、魔術を学んでいる人間には当然理解できる。魔術を学んでいない人間でも話の壮大さでそれは何となく理解できる部分だ。


「誰も知らない。当時の魔王に対しての切り札だったとか、魔王よりも上の何らかの脅威が彼らを襲ったとか、色々と説はあるよ」


 勇者より古い世代のことなど、非常に少ない痕跡と切れ端のような文献からしか分からない。真相が究明されるとしても、相当魔術の発達した未来だろうとキキは考えている。


「アタシは空から星が降ってきたっていう説が好きよ」

「それ!それ隕石!さっき言ってたやつ!」

「無難に流星とか、落星とかじゃないの?ゴツゴツしてそうね、その呼び方」

「……隕石ってどうして隕石って言うの?」

「知らないわよ」


 また女子二人が騒ぎ始めたのを遮るように、赤毛の少年が咳払いをした。


「話戻すぞ?」


 話の腰を折りかけていたのを察して、容疑者達はコクコクと素早く首を縦に振る。それを確認した後、少年はため息を吐いて御伽噺を再開した。


「勇者がその姿を初めて現したのは、クマノミ遺跡の近くだったらしい」

「そこでオオカミが出てくるよね」


 基本的に、クマノミ遺跡とオオカミは切っても切れない関係にある。今でも少なからずオオカミが生息していることもあるが、それよりもピノの現在語っている御伽噺の方がより根が深い。


「ああ、俺が聞いてたのだと、そこでオオカミを仲間にしてた」

「アタシの知ってるのはオオカミに襲われたってヤツね」


 文献や人によって中身は変わるが、その二つが出てくることだけは十中八九変わらないからだ。


「色々あるんだね」

「そのどっちもって説もあるし、文献がハッキリ残ってるわけでもないからね」


 結局は人の伝聞次第である。良くある伝言遊びのように、誰かが意図的に話を変えたり、意図的でなくとも言い方を変えてしまったりすることで、最終的にその中身は大きく変わってしまう。


「で、勇者は各地で集めた仲間と一緒に、世界中を旅したらしい。行く先々で伝説残してるぞ?」

「どんなの?」

「有名なのだと……村を襲う大蛇を討伐したり、八つの首を持つ龍と死闘を繰り広げたりした話だな」

「八つ?」


 両手で八を指折り数え、桜が変な顔をした。クモのように八つの足を持つというのも奇妙な姿形なのだから、八つの首を持つ生命体というのが想像しにくくても仕方がない話である。

 絵本の挿絵でキキも数種類見たことがあるが、そのどれもが八つの首はあったものの、生えている場所も首の長さも大きく異なっていた。それだけ想像がしづらい上、気味が悪いものなのだ。

 

「アタシのとこも似たような話だったけど、省略し過ぎじゃない?」

「ここら辺はどこも似たようなモンじゃねえの?」

「もっと必要な話あるでしょ」


 そう言って頬杖をつき、ティナはあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。何がそんなに気に食わないのかと疑問に思いつつも、キキは口に出すことはなかった。手が飛んでくる距離ではなくとも、触らぬ神に祟りなしという言葉もあるのを、彼は知っている。


「ウチの先輩、そんな凄いのと戦ったの?」

「嘘か本当かは分からないけど、実際にその龍の骨も残ってるらしいからね。信用するしかないのさ」

「俺一回見たことあるぞ?王宮の半分ぐらいの大きさ……キキ、どう表現したら良いんだ?」

「知らないよ」


 キキやティナは理解できても、桜がイマイチしっくり来ない様子で黒い眉根を寄せている。しかし、他二人も桜の分かる王宮の半分ほどの大きさというのが分からない為、誰一人として上手く表現できないまま、時が止まってしまった。


「……それで旅の途中、とある国に立ち寄ることになる」


 ピノが強引に話を切り替え、桜もその何ともできなさそうな空気を察して、少年の動きに便乗した。


「とある国?」

「獣の国って呼ばれてるよ。もうないけど」

「ないの?」

「うん、滅んだ」


 御伽噺である為、特に心が痛むこともない。知っている国ならまだしも、名前しか知らない過去の国だ。自分が生まれる遥か昔に、一つの国が盛衰の歴史を辿った。そんな話を深刻に語る必要などないのだから、キキは本当に何気なく言った。


「えっと……動物達の国ってこと?」

「大体合ってる。今の俺達みたいな国を、動物達が作ってたらしい」

「ちょっと行ってみたいかも。ライオンが服とか着てたのかな」


 どうして動物が服を着るという発想に至ったのかは三人とも良く分からなかった。そもそもライオンというのが分からない。出会った当初からずっとこの調子なので、キキが特に聞き返すこともない。彼がそうするならと、残る二人も言及することはなかった。


「……良く分かんねえけど、そこの王様してたのが、後々勇者と殺し合うことになる魔王だ」


 漸く登場した勇者の宿敵の名に、自称勇者はキッと背筋を伸ばして反応した。やはり勇者としては聞き捨てならない存在であるらしい。


「魔獣王ロボっていうのが正式名称らしいけど、そういうのは絵本とかでは出てこないね」

「どうして?」

「長いからじゃねえの?」

「アタシは魔王ロボって教えられてたわ」


 子供向けにする為に簡略化したのか、伝えた人間に何らかの意図があったのか。色々と思い浮かぶ理由はあるものの、当事者がいない為、追及しても仕方のないことである。


「地域差ってのもあるかもね。僕は魔王だけだったよ」


 一番無難そうな理由を出してその場を収め、別の手掛かりをどうにか掘り起こそうと他の逸話に移そうとしたキキだったが、思わぬところで邪魔が入ることになった。


「というか、アタシのご先祖様との恋物語はどこよ。一番大事な話でしょ」


 それは先ほどから明らかに不機嫌そうな様子を見せていたティナだった。どうやら自分の一番好きな話が話題に出なかったことで、若干を機嫌を損ねていたらしい。


「森人以外はあんまり知らねえんだよ、その話」

「え、何それ!めっちゃ気になる!」


 女子二人が女子らしい会話に興じ始めたので、男子二人は話を続けることを諦めることにした。もし話を続けたとしても、三人の知る話の齟齬が発覚するぐらいで、特に何の成果も挙げられないのは目に見えている。

 故に二人とも口に出すことはなく、各々体をパキパキと鳴らしたり水を口に含んだりすることで、話は終わりだと示していた。


「それで?欲しかった情報は手に入ったのかよ」

「全く」


 残念そうに首を横に振り、キキは椅子の背もたれに体重を預ける。そのまま後方の二本の足と自重で均衡を保ち、グラグラと起き上がり小法師のような挙動を見せ始めた。


「サクラが勇者っていうのが、今回のことに関係してるんじゃないかと思ったんだけど……」

「あの子の言うこと、信じてんのか?」


 正気なのか。ピノは表情だけでそう問い掛けていた。

 キキ自身、自分が正気なのか疑っているところもある。しかしながら、ダチョウに気絶させられている間に、夢のような場所で出会った自称女神の言うことが全て戯言だとも思えないのも事実なのだ。

 信じているわけではない。桜も、自称女神も。そのどちらもキキは心の底から信用しているわけではないが、何もかもが嘘だとは考えにくい。偶然の一致にしては、あまりにもでき過ぎているのだから。


「……お前が信用するってんなら、俺は何も言わねえよ」


 いつもより若干険しい顔をするキキに向け、ピノは告げた。深く追求することはせず、彼は彼の友人を信用することにしたのだ。


「ありがとう」

「気にすんな」


 短いやり取りを挟み、金髪と赤髪の少年達は示し合わせたように揃って息を吐いた。それにこれまた二人揃って顔を見合わせ、短く笑いを漏らす。


「どうしようかな、手掛かりにすらなりそうにないや」


 襲撃事件の真相の手掛かりにも、桜が勇者であるということの証明に結びつく何かにもならない。知識の共有ができたという点では時間の浪費にはならないが、結局のところ収穫自体はゼロである。

 別段それを悲観することでもないが、キキとしてはピノが多少情報を握っていることを期待していた為、若干の肩透かしを食らった状況だ。


「オオカミじゃないもんな。襲ってきたの、ダチョウだったんだろ?」

「うん」


 オオカミではなく、ダチョウ。その二つを置き換えて考えてみても、桜とダチョウの関係を表すとすれば、乗る側と乗られる側になったというだけである。


「一応、遺跡出てすぐにサクラとダチョウは出会ったけど、あれを仲間になったって言うべきかな?」

「知らねえよ。どうせ貸しダチョウだろ?なら、言わないと思うぞ」

「だよね」


 あくまで貸し出されたダチョウであるなら、仲間ではない。そもそも動物を仲間と呼ぶのはどうなのか。色々と下らないことが頭の中に流れ込み始めたのを察知し、キキは振り払うように頭をブンブンと振る。


「とりあえず、貸しダチョウ屋にでも行ってみるか?オーデマリでダチョウって言ったら、あそこしかないだろ」


 その話に食いついてきたのは、古の勇者の恋愛話に夢中になっていたはずの桜だった。隣では話し足りていない様子のティナがいたが、その表情は先ほどの不機嫌そうな顔つきよりは大分良いモノに変化している。


「じゃあそうしよ!オムスケにも会いたいし、犯人は現場に戻るって、ドラマで言ってた!」

「……勇者サマがそう言うなら、そうするか」


 取ってつけたようなサマ呼びに、桜はムッとした表情で不満を示す。そんな少女の顔を見て、赤毛の少年は片頬を上げた。


「バカにされてる気がする!」

「してねえよ」

「してないってば」

「……されても仕方ないわね」

「どうして!」


 ティナの肩を掴み、そのままグラグラと揺さ振る。それを見てケラケラとピノが笑うも、即座に揺さ振られている少女に睨みつけられ、顔を青くした。その間にも黒髪の少女は若干涙目になりながら、雑な扱いに対してワンワンと不平不満を漏らしている。


「そもそも現場って言うなら、寮だと思うんだけどな」


 そんなキキの呟きは三人の騒ぎ声に掻き消され、最終的に一行の昼からの予定はダチョウ牧場兼貸しダチョウ屋見学となるのだった。


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