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夜分遅くに

 街中に点々と存在する街灯に照らされ、一行は足を進めていた。道に慣れている二人が先を行き、桜が少し後ろを歩くという布陣である。


「こんな格好で行っても良いのかしら」

「大丈夫だよ、別に大した問題じゃないさ」


 彼らは一連の騒動の後、着替えることもせずに街に繰り出していた。キキの外套を羽織っているが、その下はボロボロの寝巻き。それなのに弓矢を装備しているティナ。ズタボロで土塗れの寝巻きしか着ていないキキ。そして白と黒を基調にした良く分からない服の桜。明らかに貴族の家を訪問する服装ではない。


 本来ならば誰かが衛兵でも呼んで、事後処理やら事情聴取やらに付き合う必要があったのだが、それに協力する前に三人はハミルトン魔術学校の寮を後にした。色々と面倒であることは確かだが、それ以上にキキが桜について知られることを嫌がったというのが、さっさと出立した大きな理由だ。

 キキが夢のようなどこかで会った赤髪の自称女神。彼女の言葉を信じるならば、桜はほぼ確実に勇者である。まだ勇者として未熟極まりないだけで、勇者であることは九割型間違いないのだ。

 それが確実に面倒な事態を引き起こすと、キキは予想している。何が起こるかなど、最善から最悪まで想像すればキリがないが、勇者を祭り上げる団体や奇妙な宗教団体が現れる可能性は確実に存在する。

 何が起こるにしても、いるかもしれない妙な団体よりも先に行動し、多少なりとも権力を持つピノの実家に匿ってもらうというのが、キキの考える最善策だった。


「どこまで歩くの?」

「すぐそこだよ。もう疲れたのかい?」


 キキが肩越しに後ろに目を向けると、そこでは桜が若干フラフラと歩いている。酔っているというより、単純に疲労で足元が覚束なくなっているような、そんな足取りである。


「だって、あの病院みたいなとこから、さっきの寮まで全力疾走したんだよ?その後もダチョウにめっちゃ睨まれるしさぁ」

「そんな距離じゃないでしょ。情けないわね」 


 情け容赦の欠片もないことを言われ、桜が胸を抑えながらよろめいた。桜の運動不足が多少悪いのは間違いないのだが、明らかに敵意を向けてくるダチョウを相手に暫く睨み合っていたのだから、体力が擦り減るのも当たり前だ。

 普段戦うこともしないような少女が、唐突に殺意を向けてくる相手と相対する。それ自体が中々あり得ない状況ではあるが、その後何ごともなかったかのように変化の一つもないという方が、もっとあり得ない話である。


「ティナみたいに小さい頃から森でクマ殺す生活送ってないんだから、仕方ないよ」


 立ち止まったキキが、ティナの発言に茶々を入れた。しかし、それを冗談なのかどうか判断できない少女が、間の抜けたことを言い始める。


「え、ティナちゃんって野蛮人なの?」


 確かに聞く限りはかなり野生味溢れる人間だが、決して野蛮人などではない。森で暮らしていたのも合っているし、クマを狩ったこともあるが、森人には森人の文化もある。未開の地で暮らす部族のような扱いを受けないわけではないが、そのような扱いをするのはごく一部の差別主義者のみである。

 つまるところ、桜の発言は半ば差別的なモノだった。桜が非常識であることを考慮に入れたとしても、森人からすればそう簡単に許せることではない。

 もし怒りに任せて殴るようなことがあれば止めようと、キキが若干身構えるものの、それは杞憂に終わった。桜に伸ばした少女の手は拳を作ることもせず、ただ彼女の顔の真横で止まり、両頬を引っ張るだけに留まったからだ。


「誰が野蛮人よ。アンタ、少しは考えて発言しなさいよ。そこのバカもかなり考えなしに喋るけど、アンタは失礼なことも言うところがダメ。そこのバカみたいに相手の立場とかも考えた上で、なるべく失礼のないように話しなさい。分かったわね?」


 いつものティナならば、かなりの声量で怒鳴っていてもおかしくない状況だ。そんな状況では大体の人間が寝ている時間だということも、大抵は頭から吹っ飛んでしまうのだが、今回は妙に落ち着いていた。その妙な落ち着きに加え、桜が非常識人であるという事前情報があったこともあり、本当に注意するだけで終わっていたのである。

 予想できなかったわけではないが、かなり優しい対応に終わっていることにキキは若干困惑した。平時のティナであれば、本当に拳の一発や二発飛んでいてもおかしくないのだ。

 二人の間、もしくはティナの中で何か思うところでもあったのだろう。そんな推測を頭の中に浮かべながら、キキは何度か揶揄されたことは無視した上で、とりあえず二人を見守ることにした。


「はひ」


 両頬を引っ張られている状態でキチンとした言葉を出せるはずもなく、桜の口から漏れたのは何とも気の抜ける返事。ただ、そんな返事でもティナは十分満足したらしく、優しげな微笑みを見せつつ、桜にビシリと指を突きつける。

 

「次野蛮人なんて言ったら、アンタの頭の上にモモ乗せて、的当ての練習してやるわ」


 そのまま両手で弓を引く真似をし、軽く声を出して笑った。それに対して桜は怯えるわけでもなく、またもや間抜けなことを言い始める。


「モモ?果物の?こっちにもあるの?」

「食いつくとこそこなの?」


 何を言っているのか。キキの方へ向いたティナの表情は、そんなことを言っているようだった。桜の非常識さに多少寛容になれても、まだ慣れができているわけではないらしかった。


「モモぐらいどこにでもあるでしょ」

「いや、どこにでも……うーん、まあ良いか」

「ハッキリしなさいよ」


 言い淀む桜の脇腹を人差し指で突き、少女は余っている方の手を腰に当てる。整っている容姿も相まって美術館の像にでもありそうな格好ではあるのだが、その顔は完全に呆れ顔。

 そんなティナの様子を見て、桜は突っ立っていたキキの耳元にズイと顔を寄せ、小声で問い掛けた。


「ねえ、キリレンコ君。ティナちゃん、ウチに当たり強くない?」

「ティナはそんなもんだよ。女の子には特に」


 キキも限りなく小さな声で返したのだが、相手は残念ながら地獄耳。完全に二人の声は捉えられてしまい、今度はキキの両頬が被害に遭うことになった。


「風評被害も甚だしいわね。誰のせいだと思ってんのよ」

「ひぃっ」


 短く悲鳴を上げたのは桜だったが、ティナの態度はキキのせいである。キキはそれなりの知名度を誇る魔術師だ。それ故に人が寄ってくるのだが、あまり気にしないのである。興味を持ってほしい人間なら、それで心を痛めてしまうだろう。しかし、キキの何かしらを利用して悪さをしようとしている人間からすれば、気にされないというのは利点しかない。

 個人の感情が多分に含まれているのはティナも否定しないが、キキ本人の危機管理能力の低さを補うという側面もあるのである。


「いたた……」


 横に限界まで引き伸ばされ、若干赤くなった両の頬を撫でるキキ。その姿を見てどこか満足げなティナと、どうすべきか判断に困ってオロオロとしている桜。

 この場面にピノが混ざったらどうなるだろうか。ふと自称女神に言われた四人組のことを思い出し、キキは頬を摩りながら疑問を思い浮かべた。どうせ笑っているか、呆れているかの二つに一つだろう。すぐにそんな結論には至ったが、想像するよりも簡単に検証する方法があるのだから、少年は先を急ぐことにした。


「とりあえず、後はここを真っ直ぐ行って曲がるだけだよ」


 桜の最初の質問に今更答えつつ、キキはピンと人差し指で道の突き当たりを指差す。


「え、本当!?」


 漸く聞けたキキの返答を皮切りに、桜が途端に調子を取り戻した。疲労自体は抜け切っていない様子だが、休める場所が近いと知って喜びの方が表層に出てきているらしい。


「ここで嘘吐く必要はないと思うよ」

「そうだね!」

 

 そのまま二人を追い越し、そのまま突っ走っていこうとし、急停止。どうしたのかと残された二人が顔を見合わせていると、追い越した時よりも大急ぎでキキの後ろまで戻ってきた。


「昼に危ないって言われたばっかりだった」


 そして照れくさそうに後頭部を手で抑えながら、そんなことを口にした。それをティナは理解できていなかったが、キキは路地裏のことを思い出し、スッと納得させられた。路地裏でないのに警戒するほどではないと思わないでもなかったが、警戒するに越したことはない。

 そもそも三人でまとまって歩いているのも、怒り狂ったダチョウがまた現れても大丈夫なようにする為なのだから、桜の考えも何ら間違ったことではないのだ。ただ少し警戒し過ぎというだけである。


「路地裏で突っ走って、ああいうのにぶつかったんだよ」


 特に何を指差すわけでもなく、キキはそう言った。ティナは一瞬意味が分からなさそうにしたものの、すぐに思い当たったらしく、複雑そうな表情で頷く。


「……なるほどね。でも、アンタがいたなら大丈夫だったんでしょ?」


 ティナの問い掛けに反応するよりも早く、再び後方から桜がズイと飛び出してくる。しかし、今回は顔と腕だけだった。


「そうそう!なんか、こう周りの色をめちゃめちゃにして、ビビらせてた!あれも魔術なの?」


 やや興奮気味に派手な身振り手振りで表現しているが、二人には何一つ伝わってこない。キキがその場にいた張本人であること、ティナがキキのやり方を知っていること。その二つがなければ、二人とも疑問符を浮かべるぐらいには、身振り手振りが役目を果たしていなかった。


「そういうのも説明するから、とりあえずピノの屋敷に行こうか」

「屋敷?」


 再度疑問符を浮かべた少女を半ば強引に無視し、二人は先に進み始めた。







 少年の言う通り、距離はほとんどなかった。少し真っ直ぐ進んだ後、右折するだけ。本当にそれだけの移動で彼らは目的地に辿り着いた。

 彼らの視線の先に鎮座しているのは、見るからに高貴な人物が住んでいるであろう屋敷。門の中心には剣と花が交差している家紋のようなモノが刻まれており、知識のない桜でも何となく凄い場所なのだと分かった。


 その屋敷の名はノラレス邸。王都の中心から少し外れた位置にある、キキの友人ピエール・ノラレス、即ちピノの自宅である。キキとティナにとっては見慣れた豪邸。桜にとっては常識外れな大豪邸。どちらの感覚で捉えても、結局彼の家は間違いなく豪邸なのだ。

 もう家人はほとんど寝てしまっているらしく、魔力灯の光は端々に点在するのみ。そんな状況で訪問するのは些か問題があるのかもしれないが、キキには秘策があった。


「これ、キリレンコ君の友達の家なの?」

「うん」


 桜が問い掛けると、キキは間髪入れずに頷いた。続けてもう一人の同行者の方に顔を向けるも、そちらも質問をする間もなく頷かれる。そのまま黒髪の少女はあんぐりと口を開き、動きを完全に止めてしまった。


「王都に来たばっかりの時を思い出すよ」


 そんな桜を見て軽く笑いながら、少年はティナが止血に使っていた切れ端を寝巻きの衣囊から取り出した。それの用途が何となく予想できたティナが顔を顰めるが、キキは意に介さず協力を要請する。


「ティナ、水出せる?」

「またアレするの?」

「それぐらいでしか呼び出せないからね」


 ため息を一つ漏らし、少女は目を瞑った。そして首を捻り、ウンウンと暫く唸った後、覚悟を決めたように強くその目を見開いた。


「出せるわ」

「よろしく」


 キキはそう言って端切れを差し出し、ティナが手を翳してその少し上から魔術で水を垂れ流す。そしてその光景を興味深そうに眺める桜。

 全員があまり綺麗とは言えない服装。そんな怪しげな三人組が、貴族であるノラレス家の塀の裏でゴソゴソとしているのは、控えめに言ってもかなり不審だった。もし見回り中の兵士でもいれば、十中八九声を掛けられていただろう。


「せいっ」


 しかし、幸いなことに周りにそんな人間はいない。それを好機と捉えた少年は、何とも気の抜ける掛け声と共に、赤い液体の滴る端切れをノラレス邸の窓硝子の一枚に向け、何の迷いもなく投擲した。その軌道は寸分の狂いなく、目標としている窓との距離をドンドンと詰めていく。


「え、何してんの!?」


 桜が驚愕の声を上げるのも当然だ。石や動物の死骸ではないが、濡れた布切れを他人の敷地内に投げ込むだけでも、かなりの迷惑行為である。今回に至っては標的が窓硝子。布であるからまだ可能性は低いが、最悪の場合は硝子が砕け散るのだから、酷い悪戯兼迷惑行為であるのは間違いない。


「何って……呼び鈴代わり?」


 次の瞬間、少し離れた位置の彼らにも聞こえるぐらいの音で、水浸しの布が窓に着弾する音が響いた。ベチャリという水々しい音だけならともかく、その布から流れるのは普通の水ではなく、キキの血が大量に含まれた赤い水だ。

 人が大抵寝静まる真夜中、窓硝子に血のような液体と、謎の端切れがへばりついている光景。あまりにも衝撃的な恐怖体験である。もし布ではなく、何らかの虫や動物の形をした玩具だったとすれば、それなりの間は心の傷として残るだろう。


 そして案の定、異音に気づいて窓掛けを退かしたらしい住人の、何とも可哀想な悲鳴が響き渡る。


「うおわぁっ!」


 それは金髪二人組にとっては聞き覚えのある少年の声だった。そして暫くドタバタと駆けずり回るような音を鳴らし、少し経って部屋の灯りが点される。それで漸く住人は何が起こったのか理解したらしく、窓がガラガラと音を立てながら開いた。

 その音に合わせ、キキが塀の縁を掴んで体を浮かび上がらせる。


「ピノ、暇かい?」


 塀の上から顔だけ覗かせ、キキが声を掛けた。返ってきたのは、先ほどと同じ少年の声。ただ違ったのは、それが明らかに不機嫌そうな声色をしていることだ。


「俺、お前に嫌われるようなことしたか?」

「全然」


 窓から顔を覗かせているのは、赤毛の少し柄の悪い少年。ピエール・ノラレスという名前の頭文字から、ピノと呼ばれている金髪二人組の親友である。


「ティナもいるんだろ?止めてくれよ。俺も流石にこの時間には寝たいんだって」


 ピノの声掛けに反応し、馬の尻尾のような髪を揺らしながら少女がキキの隣に頭を並べた。仲間外れは嫌だと思ったのか、それに続いて桜も塀の上に頭を出そうとするも、縁を掴むだけで精一杯。体の高さを維持することができず、まだ見ぬキキの友人に顔を合わせることもできないまま、無様にずり落ちていった。


「アタシも普通なら止めてるわよ。でも、この時間に呼び出したいぐらいの緊急事態なの。アタシは良いんだけど、キキの泊まる場所がなくなったのよ」

「なくなったぁ?」


 寮に住んでいるキキの泊まる場所がなくなる。それだけでかなりの酷いことが起こっているのは、ピノもすぐさま理解できた。故に特に何かを考える素振りも見せず、赤毛の少年は若干深刻そうな表情で口を開く。


「ちょっと待ってろ」


 赤い頭が部屋の中に引っ込み、窓が閉められる。それを確認し、二人は塀の上部を掴んでいた手を放した。そのまま二人して塀にもたれかかり、汚れた手を叩いて乱雑に汚れを払い落とす。まるで打ち合わせでもしていたかのように、無駄に息の合った動きだった。


「とりあえず泊まる場所は確保できたね」


 家主でも何でもないピノが待つように言っただけで、実際にはまだ何一つとして決まっていない。それでもキキが確信したように話しているのは、何度か友人の家を訪れているからである。家の仕組みは何となく理解しているのだ。


「夜食とかもらえないかな」

「アンタはまず自己紹介とかよ。わけ分かんないこと言わないのよ?」


 女子二人がそんなことを話しているうちに、三人が背を預けている塀の近くに草を踏む音がやってきていた。


「兄貴が泊まれってさ」


 ガチャガチャギィギィ。若干耳障りな金属音の鳴る方へ三人が目を向けると、そこには門と格闘しているピノの姿があった。門を開けるのに手こずっているらしく、足で押さえたり力任せに引っ張ったりしているものの、中々開く気配がない。


「身体強化でも使ったらどうだい」

「俺が加減苦手なの知ってるだろ、お前」


 結局表と裏の二人掛かりでどうにか門を開き、三人はノラレス邸の敷地内に入ることができた。


「キキとティナは良いんだが、その子は誰だ?見たことねえけど……他国からの転校生の案内でも任されたか?」

「それならまだマシだったね」

「酷くない!?」

「酷くないわよ」


 転校生の案内なら、幾分か楽だっただろう。出自がハッキリしているというだけで、相当扱い易くなる。別に悪戦苦闘を強いられたわけではないが、キキが門番を相手に無駄な手続きをする必要もなかったのだから。


「異国からの迷子だよ。僕も詳しいことは分からないけど、今回の騒動の関係者だ」

「迷子じゃない……と言い切れない」


 キキの雑な紹介を否定し切れずに項垂れている桜。その背中をティナが指で突き、耳元へ顔を寄せる。


「ほら、自己紹介」

「あ、根角桜です!十五歳の女子高せ……勇し……一般人!」


 身分を詐称しているのが丸分かりな自己紹介ではあったが、それでピノからの疑惑の視線を向けられたのは、連れてきた少年だった。


「大丈夫なのか?」

「僕も詳しくは知らないけど、害はないよ」


 何とも頼らない証言である。それでもキキがそう言うなら、現状問題はないのだろうと判断し、赤毛の少年は右足を半歩後ろへずらして体を半転させた。


「……まあ、仕方ねえか。とりあえず入れよ」


 そう言ってさっさと屋敷の方へ戻り始めるピノを、キキが小走りで追いかけ、その二人の更に後ろを女子二人が追いかける。


「で、何があったんだよ」

「ダチョウに襲われて、部屋と寮の一角が壊された」

「はぁ?」


 キキ自身、何を言っているのか分からなかった。ダチョウに襲われるだけなら有り得なくもないが、それで建造物が破壊されるというのは理解し難い。いくらダチョウを怒らせたとしても、蹴り飛ばされて終わりというのが一番多いのだ。

 それはピノの認識も同様で、キキが何を言っているのか分からないとでも言わんばかりにティナの方へ視線を向けた。しかし、ティナも首を横に振るのみ。言外に嘘ではないと告げていた。


「何やらかしたんだ?」

「僕がいつも問題を起こしてるみたいな言い方はやめてくれないかい」

「この前学校の実験室爆破したろ」


 事実である為、少年の口からはぐうの音も出なかった。


「でもダチョウには乗ったぐらいで、特に何もしてないよ。これは本当」


 一応ダチョウ関連のことについては否定しながら、ピノの手によって開けられた扉を三人が通り抜ける。天井に吊るされている集合灯に光はなく、屋敷の中には点々と小さな灯りがあるだけ。注意をしなければ転びそうな状態だった。


「この時間に客が来るとは思ってなかったんだ。何も出せねえけど、文句は言うなよ」

「僕達が急なのは理解してるさ」


 軽く笑ったキキが衣嚢から取り出したのは、愛用の短杖。彼がそこに魔力を流し込めば、それは簡易的な魔力灯に早変わりした。


「便利だよな、それ」

「ピノにも教えただろう?」

「俺が強化以外まともに使えねえの知ってるだろ」

「光らせるぐらいなら適当に考えてもできるよ」


 バカにするような口調で返され、ピノはとりあえず隣を歩く少年の脇腹に肘を打ち込んだ。ピノ自身大した威力を出せるとも思っていなかったが、特に痛がる素振りもなく笑われるのは若干応えたらしく、もう一度少年の脇腹に肘が打ち込まれる。


「ウチでもできる?」


 じゃれ合う二人に向けて、子供のような無邪気な質問が投げ掛けられた。キキは若干痛む脇腹を摩りながら、その声の主に向けてジトッとした視線を向ける。


「そもそも君、魔術を知ってるのか自体怪しいんだけど」


 桜に対する評価は、キキもティナも未だに変わっていない。悪い人間ではないとか、本当に勇者なのかもしれないとか、多少肯定的な修飾節はつくものの、最終的には非常識人に帰結するのだ。


「呪文唱えてドカーンみたいな」

「……君、五百年ぐらい前から来たのかい?」


 案の定、魔術のマの字も理解していなさそうな発言をしてしまい、三人全員から何とも言えない表情を向けられてしまっていた。


「仕方ないじゃん!知らないんだもん!」


 一歩間違えば泣き出してしまいそうな表情にも関わらず、開き直る姿は体型も相まって少し大きな子供である。そんな少女を指差しながら、ピノは彼女を連れてきてしまった張本人に問い掛けた。


「この……何て言えば良いんだ?常識のないお嬢さんはどっから来たんだ?」


 それはその場にいた桜以外の全員が聞きたいことである。当然キキもそのうちの一人である為、クマノミ遺跡で色々と聞いたことを思い返しながらも、首を傾げてふにゃふにゃした態度で一言だけ告げた。


「さぁ」


 そこまで行ってしまうと、もはや非常識なだけでなく不審人物である。ピノは怯えているようにも見える態度で、不審人物は目を向ける。


「自分の出身地も分からないとかじゃないよな?」

「そんなことない!このバカ!」

「わ、悪かったよ」


 どちらも初対面同士とは思えない遠慮のなさではあったが、流石に集団で一人の女子を弄るというのもあまりよろしくはない。素直にピノが頭を下げ、一旦事態を収めることにした。

 そんな夜とは思えないバカ騒ぎをしながら、一行は客間に辿り着いた。不審人物扱いされた少女はその荘厳さに目を丸くし、残る二人は勝手知ったる我が家のように、何の遠慮もなく部屋の中に入っていく。


「とりあえず、兄貴に色々と伝えてくるよ。飲み物は……って俺が用意した方が良いか。爺や達起こすのも悪いし……」


 三人を長椅子に座らせ、ピノは指を折り曲げて来客時の対応を思い出していた。本来は使用人の一人や二人出てくるものだが、流石に時間がよろしくない。予定されていた、もしくは昼間の来客ならばともかく、現在は真夜中。もし使用人達が起床したとしても、動くにはかなりの時間が必要なのは間違いない。

 それ故、仕方なくノラレス家の六男であるピエール自らが動くことにしたのだ。


「面倒だし、緑茶で良いか?」

「何でも良いよ」

「ウチも」

「アタシは果実水が良いわね」

「そんな高いもんポンポン出せねえよ」


 やや乱雑に扉を閉めてピノが姿を消したのを確認し、キキが桜の方を向いた。右手にはいつもの短杖、そして左手は人差し指をピンと天井を差している。


「この隙に簡単な魔術講座でもしようか」


 自称女神に手助けしろと言われたのを抜きにしても、キキには目の前のあまりにも知識がない少女を放置することはできなかった。いくら非常識でも、魔術について知らないのは、少なくともキキの中では一般常識以前の問題なのだ。


「まず魔術の根幹にあるのは魔力と想像力だ」


 今時子供でも知っている魔術に関する基礎基本。キキは自身の魔術で机に図を描きながら、それを説明することにした。


「想像力?」

「そう」


 キキが杖を軽く振るうと同時に、『魔力』と内側に書かれた丸と、『想像力』と内側に書かれた丸が机の上に描き出され、桜は思わず感嘆の声を漏らした。喫茶店で似たようなことをしているのを見たことがあるとはいえ、いざ目の前の事象が魔術で行われていると認識すると、それなりの感動を覚えたらしい。


「魔力は万物の源。生命体以外なら大抵のモノに変換できる」


 棒と丸で作られた人型、そして簡略化された木や魚が描かれるも、すぐに上からバツ印が被せられる。


「ただ、その変換の過程には正確な想像が必要になるんだ」


 『魔力』と描かれた丸から下に矢印が伸び、その途中で『想像力』の丸から伸ばされた矢印が交差した。その図が分かりにくかったわけではなく、単にキキの言葉の意味が上手く噛み砕けず、少女は首を傾げる。


「どういうこと?」


 そんな桜の為に、少年は上部が尖った楕円を描いた。


「例えば、水」


 別に描く必要もなかったが、折角図を描いているのだからと描き加えてみたものの、どうにもキキの納得できる形にはならなかった。二度ほど描き直した後、彼は再度杖を振るって簡略化された水滴を机の上から完全に消し去った。


「水は普段から触れる機会が多いし、幼少期から身近にあるモノだよね」

「うん」


 それに桜が口を挟むこともなく、かといって雑記することもない。キキもほとんど自己満足で話している為、別段それで不機嫌になることはない。そのまま手振りと図説を交えながら、何事もなかったかのように説明を続けた。


「だから水はこういうモノだっていう想像が簡単にできる。ティナは苦手だけどね」

「森人は基本的にそうでしょ。森人は水遊びよりも木登り優先なんだから」

「本人曰く、そういう理屈らしい」

「何よ、何か文句でもあんの」

「ないない」


 キッと睨まれるも、もはや条件反射のようにすぐさま両手を上げ、キキは降参の意思を示す。そしてティナが鼻を鳴らしてそっぽを向くのを確認し、息を吐いた。


「じゃあさっき見た土も?」

「さっき……ああ、男子達か」


 ダチョウに土と水流を浴びせていた光景を思い出しつつ、キキは頷く。


「土もそうだね。そこらにある土とは厳密には違うモノだけど、大まかには土。水と同じように身近にあるし、子供って泥遊びが好きだろう?だから使える人間も多いのさ」

「なるほどー」


 間延びした返事をされ、講師は肩を竦めた。別段ボーッとしている様子はないものの、理解していそうではない桜の様子に半ば呆れながら、彼は視線をティナの方へ向けた。

 ティナはティナで面白くなさそうな顔をしていたが、キキと目が合うとすぐにプイと別の方向を向いてしまう。

 

「基本的にはこれぐらいかな。聞きたいことは?」

「キリレンコ君のは何なの?光らせたり、色つけたりしてるけど」


 そういう質問が飛んでくるであろうことは予想しながらも、いざ問い掛けられると、キキは言い淀んだ。


「……光は普通の光だよ。色の方は普通の染料の真似さ」


 表現するのに困ったというよりも、どこか誤魔化すような口調。桜にはどこが変なのか明確には分からなかったものの、何となくそう感じ取れた。

 しかし、追求するのもどうかと思った結果、室内に流れ出したのは何とも言えない気不味い雰囲気。どうしたものかと三人全員が各々悩んでいると、扉の向こう側から人の駆ける音が響いてきた。


「やあ、『色彩』にティナ嬢。それにサクラさんだったかな?一旦、情報共有の時間にしようか」


 そんな文言が放たれながら、扉が勢い良く開け放たれた。そこから現れたのは、ピノをそのまま縦に伸ばしたような容姿の偉丈夫だった。ただ一つ大きく違ったのは、その雰囲気だろう。

 ピノの持つ妙な柄の悪さなど一片たりとも存在せず、人当たりの良い笑みを浮かべるその姿。青年の背後から申し訳なさそうにピノが顔を出したことで、その差はより分かり易くなっていた。


「どうも、アルバートさん」

「今回は事件は事件でも規模が違うみたいだね。お兄さんに詳しく話してみな?」


 キキの会釈に対しても、その表情は一切崩さない。逆に気味の悪いぐらいに口角を上げながら、青年はキキの背中をバシバシと叩くのだった。

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