ハミルトン魔術学校
最強の魔術師は誰か。
そんな問いを投げ掛けられた時、人々の解答は様々だ。派手な火の魔術を使う『業火』を上げる人間もいれば、軍の人間の多くは見慣れた『紅海』や『剛力』を推挙する。魔術師の多くは協会の会長の名を出し、一部の人間は地方で有名な奇特な魔術師の名を出すこともある。
では、最優の魔術師は誰か。
一文字変わっただけの問いを出されて、戸惑いを覚える人間は多い。だが、それは一般人と下級の魔術師に限った話だ。ある一定の地位を持つ人間や、ある程度の知識を得た魔術師になってくると、口を揃えて言うのだ。
「最優?それなら『色彩』だろう」と。
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ハミルトン魔術学校。
王都において最も人気のない魔術学校である。唯一の救いなのは、魔術学校は王都に三つしかないという点だろう。もし百も二百もあって、その最底辺だったならば、もうどうしようもない。
そんな学校の職員室で、キール・キリレンコは担任に長々と説教をされていた。ちなみにだが、彼は特筆するほどの問題児ではない。
「誰がヨツメツノウサギの調理方法なんざ書けって言ったよ」
「トンプソン先生、ヨツメツノウサギじゃないです。ミツメウサギモドキです」
「どっちでもいい」
片田舎の宿場町チュロス、そこにあるキリレンコ精肉店の息子としては聞き逃すことのできない、中々に食肉に対して失礼な発言だった。しかし、これ以上説教を引き延ばさない為にも、思ったことを口に出さずにはいられない類の人間である少年は、固く決意して口を噤むことにした。
「キリレンコ、確かにお前は成績優秀だ。その年で『色彩』なんて呼ばれてるんだから、天才って言っても問題ないだろうよ」
「やめてください。恥ずかしいんですよ、それ」
心底嫌そうな顔をする少年を僅かに睨み、トンプソンは鼻を鳴らした。
「どうしてハミルトンに来たのか分からないぐらい、魔術に関しては成績が良い。でもどうしてこう、不真面目というか何というか」
「そういうつもりはないんですけどね」
「知ってる。でもコレだろ?不真面目に見えるって話だよ」
机の上に置かれた紙束を容赦なく叩きながら、男性教員が声を荒げる。
周りの教員達がヒョコヒョコと机の陰から顔を出すが、その対象がいつもの金髪碧眼だと分かると、すぐに白けたような顔をして去っていく。
少なくとも二週間に一回程度は似たようなことが起こっている為、もはや誰も気にしていないのである。
「ピノもティナもそんな課題の話していませんでしたけど」
「ピノ?ああ、ノラレスのことか。アイツもフレッチャーもお前には話したって言ってたぞ。どうせ他のことでもしてたんだろ」
「まあ、多分そうですね」
否定もできず、彼は頷くしかなかった。記憶にないのだから仕方ない。
目の前の教員が提示した課題は、王都近郊にある遺跡群と魔術の関連性を調べること。それに対して、彼が提出した紙束の一枚目に書かれている題名は、『魔術を用いたミツメウサギモドキの調理方法』である。
大抵の場合あるはずの弁解の余地が、そこには一欠片もなかった。どこかの遺跡にしかいないご当地のウサギの一種ではなく、ミツメウサギモドキはどこにでもいるのだ。ちなみにヨツメツノウサギもどこにでもいるし、味も似ている。肉の専門家でも、何も言わずに出されたら区別がつかないぐらいだ。
「二日で書き直してこい」
「本気で言ってます?」
「本気に決まってるだろ」
現在は週末の放課後、つまるところ休日は全て課題の為に潰すということになる。彼の趣味である読書はもちろんのこと、友人二人との遊びの約束もできそうにない。
自業自得とはいえ、精神的な衝撃はかなり大きかった。肩だけでなく、その金色の頭もガクリと倒しながら、少年は悲しげな声で呻く。
「じゃあ提出は週明けってことで?」
「ああ、朝一番でな」
提出が放課後ならば、真面目に聞いているフリをして授業中に書くこともできたが、朝一番となると余裕はほとんどない。一日を調査、もう一日を課題の作成に捧げることが確定した瞬間である。
これでは完成度など高が知れている。だが、適当に書いて提出したところで、再び職員室での説教になるだろう。それで引き伸ばすこともできなくはないが、説教が長引くのも目に見えている。完全に詰みならば、まだ諦めもついたかもしれない。しかし、不可能ではない。微妙に厳しいというのが、余計にタチが悪いところだ。
そういった翌日以降の面倒は頭の片隅に追いやり、説教を食らっていた少年は、書き直しを言い渡された紙の束を手に取った。そしてそのまま、ウサギを彷彿とさせる跳ねるような足取りで去っていく。どちらかと言えば、面倒な話から解放された方が嬉しいらしい。
そんな教え子の態度を見て、トンプソンは頭を抱えるのだった。
・
職員室を出たキリレンコが向かったのは、学内で最も規模の大きい施設である食堂だった。ちなみに二番目は実技用の施設だ。彼はつい先日そこの一部を破壊してしまった為、暫くの間は使用できなくなっている。
そこに向かう目的は幾つかあったが、第一は友人達がそこで待っているからである。課題の提出まで時間がないのは間違いないが、夜になろうかという時間から遺跡に入る度胸は、彼にはなかった。単純に面倒臭がっているというのもあるが。
「ようキキ、今日の説教は何だった?」
彼が食堂に入った瞬間、窓際の四人席から声が飛んできた。キキというのは、キール・キリレンコの渾名である。単純に姓名の頭文字から取ってきた、それだけのモノだ。
それを口に出したのは、赤い髪に赤い目の少年。年の割に若干鋭い眼も相まって、どことなくガラが悪く見える。しかし、そう見えるだけだ。実際のところは心優しい少年である。そして当然、彼とキキは険悪な仲ではない。むしろ良好な関係と言って良いだろう。キキのたった二人しかいない、気の置けない学友の一人なのだから。
「ピノ、説教って決めつけるのはやめようよ」
「お前が職員室に呼ばれるのなんか、説教が九割だろ」
「否定はしないけどさ」
肩を竦めるキキの隣までやってきて、ピノと呼ばれた赤毛の少年はその背中をバシバシと叩いた。
そのまま一頻り笑った後、再び椅子に腰掛ける。友人の後に続いて、キキも彼の対角線上に腰を下ろした。その隣には人こそいないものの、食べ掛けの野菜炒めが置かれている。
「で、内容は?」
「この前の課題の内容が違ったんだってさ」
まるで他人事のように言いながら、キキは懐から丸めた紙束を取り出した。書かれている内容は、言わずもがな。グイグイと癖になりかけている丸みを取り、机にそれを広げる。既に題名からしておかしいのだが、ピノの視点では見えにくいのか表情に変化はなかった。仕方なくそれを手渡そうとした瞬間、キキの鼻を甘い匂いが覆った。
「何よこれ、遺跡のイの字も書いてないじゃない」
金の頭の上から顔を覗かせていたのは、同じように金の髪を持つ少女。下が明るさを重視した色合いなら、上は輝かしさを重視した色合いである。薄黄色と黄金。そう表現するのが適切だろう。
そんな彼女の視線はキキの手元。つまるところ、題名と序論あたりが書かれている紙束の一枚目に向けられていた。嘲笑うとまではいかないが、若干馬鹿にするような物言いをした少女に対し、その紙束の制作者は口を開いた。
「相変わらず、良い匂いだね」
思ったことをそのまま口に出す。彼の性分である。そのせいで怒鳴られることも多々あるが、治る気配のない悪癖だった。意識すれば多少は我慢も効くのだが、そもそも意識しようと思うことが少ないというのが難点だろうか。
そんな全く関係ないことを言い始めたキキが、クイッとその首ごと緑の瞳を上に向ければ、丁度下を向いていた青い瞳と目が合った。そのまま数秒見つめ合った結果、先に折れたのは少女の方。
唇を居心地悪そうに動かしたと思えば、その異様なまでに整った顔を、キキ達より少し横に長い耳と一緒に赤くし、馬の尻尾のように束ねている髪を揺らしながら、明後日の方向を向いてしまう。
「……そういうの、本当にその、やめた方が良いわよ」
ピノの呆れたような視線には二人とも気づかず、片方はキョトンとして上を見上げたまま。もう一人は目をあちらこちらに向け、最終的に自分の両手を頬にペチンと叩きつけた。
「ティナ、もう一年以上の付き合いなんだぜ」
漸く視線に気づいたティナは、バツの悪そうな顔をして再びそっぽを向く。
「分かってるわよ。分かってるけど」
「はいはい」
半年以上前から似たような話を繰り返している。そして似たような回答が返ってくる。それをしっかり記憶している赤毛の少年は、何も言うまいと両手を上げた。
「そうだ、ティナにあげるよ。どうせもう捨てるか、陣の落書きするだけだし」
「ゴミの処理ぐらい自分でしなさいよ」
「君は料理が上手いし、有効活用できると思うんだけど」
「アタシの料理なんて普通よ」
野菜炒めの乗った皿の隣に湯呑を置き、ティナはキキの隣に腰を下ろす。度々食べる机は変わるが、四人掛けの席ではこの三角形が三人の定位置だった。
「この前の野外実習でも、少ない材料で他の班より良い物食べさせてもらったしさ」
「だな。アレは美味かった」
男二人がコクコクと頷く姿を見て、どうにも恥ずかしくなった少女は、突き匙で橙色の根菜を貫いた。そのまま秋真っ只中の小動物のように口を膨らませ、二人の視線から逃げるように目を閉じ、モゴモゴと口を動かし始める。
「それで?どうするんだ、それ」
「書き直し。明日明後日で」
「ま、お前が悪いな」
「ふぉうふぇ」
未だに頬が袋を作っているにも関わらず、ティナが突き匙を片手に会話に口を挟む。何を言っているのか聞き取れはしなかったが、首を縦に振っていたことから、二人は何となく彼女の言いたいことを察した。
「一人で大丈夫か?」
「別に問題ないって。獣とかが出てくるかもだけど」
キキが財布を手に取りながら答えると、赤毛の少年は口を三日月のようにし、意地悪そうに笑い始める。
「お前の魔術はタチ悪いからな。本気で心配はしてねえよ」
「タチ悪いって何さ」
キール・キリレンコという魔術師を知っているならば、ピノの表現は間違っていないと言える。
しかし、外見だけならば似合わない言葉の筆頭だろう。美少年と呼んでも、大抵の人間は否定しないであろう容姿の少年なのだから、タチが悪いと言われてもあまりピンと来るものではない。
「アタシは嫌いじゃないけどね」
「俺も嫌いとは言ってねえよ。でも何て言うんだ?相手したくはないだろ、アレ」
「まあ、そうね」
タチが悪いと評されたキキの戦法を思い出しながら、ティナは再び根菜を突き刺した。だが、今回は口が埋まるほど頬張ることはせず、その半分程度を齧るだけ。顔の赤みも既になくなっていた。
「頭おかしくなっちゃうわ。あの中にずっといたら」
「だろ?」
「酷いなあ」
若干不機嫌そうになったキキに向け、ピノが湯呑みを差し出してくる。備え付けの水差しから、これまた備え付けの湯呑みに水を注いだだけのものではあるが、残念なことに食堂で無料の飲み物は水しかない。
それ以外で勝手に使っても構わない物は、調味料が少しあるぐらいだ。茶のような高級品は置かれていないし、果実水や酒はそれなりの金額になる。結果として、大抵の学生は水で我慢している。
キキもそんな学生の一人、他二人も同様だ。差し出された湯呑みを受け取り、中身を半分ほど煽った。
「そういうピノだって、かなりタチ悪いじゃないか。魔術学校に来てるのに魔術というよりは物理。残虐にもほどがある」
「そりゃ俺のは壊すの重視だし」
ベキベキ。敢えて文字にするならば、そんな小気味良い音が鳴った。だが、別に何かを壊したわけではない。単純に赤毛の少年が左手で右手を包み込み、指の関節を鳴らしただけである。
「壊すの重視だからって、座学は疎かにしちゃダメだよ」
「疎かにはしてねえって。苦手なだけだ」
「似たようなもんでしょ」
「大違いだっての」
何も知らない人間が見聞きすれば、後少しで殴り合いでも始まりそうに思うだろう。しかし、二人の間にはそんな雰囲気は微塵もなかった。今もキキが空になったピノの湯呑みに水を注いでいるのだから、ここから喧嘩に発展するのだとすれば、彼らは余程の鉄仮面である。
「キキ、アタシも」
「はいはい」
横合いから伸びてきた手。ニヤリと笑みを浮かべた少年は、その中にある湯呑みにナミナミと水を注ぎ込んだ。
「あっぶないわね」
そう言いながらも、ティナの手はプルプルと震えている。物理法則によってギリギリ溢れていないだけで、少しでも均衡が崩れてしまえば、机の上は水浸しになってしまうのだから当然とも言える。
そのまま何とか口元まで持っていき、少女は溢れない程度まで水を口に含んだ。
「良い加減にしとかねえと、殴られるぞ」
「ティナは殴るけど、この程度のことなら殴らないよ」
「そうね、そんな簡単に手は出さないわよ」
そう言ったかと思えば、少女がその白い手を伸ばした。そのままキキの背中をペシリと叩いたのを見て、ピノは目を細める。
一体全体、数秒前に彼女の口から出てきた言葉は何だったのか。
「いてっ」
叩かれた方も反射的に声を上げ、ピノと似たような反応を示すが、少女は長い耳の先をピコンと一度跳ねさせただけ。完全に知らん顔である。
だが、男二人は諦めない。十秒ほどの膠着状態の後、視線を向けられていた方が咳払いをした。
その美貌のおかげで視線には慣れているティナであっても、流石にそういう類の視線には居心地の悪さを感じたらしい。
「というか、アタシには何かないの」
そのままそっぽを巻いた少女が、小声でそんなことを言う。
何のことかと二人で顔を見合わせ、鏡のように首を傾げた。それから再び鏡のように反応を示すと、握り拳と手のひらでポンと音を立てた。
「お前のは基本的なヤツだし」
「そうだね。魔術は全体的に普通に使えて、弓と風使うのは特に上手い」
「そうそう。森人らしい森人だ」
決して貶されているわけではない。一応は褒められているのだが、二人の言い合いを経た上で聞くと、あまり評価されているようには聞こえないのも事実だ。
「なんか、普通過ぎて反応しづらいんだけど」
嬉しいような、嬉しくないような。
そんな気持ちを口元を動かして表現するものの、彼女がそれ以上口に出すことはなかった。
正確には、出す暇がなかった。
「僕らが変わってるだけだよ」
「俺を巻き込んでんじゃねえよ。騎士はああいう方法で戦う人が多いんだっての。あのルークさんだって使ってんだぞ」
ちなみにだが、ピノの言うことは間違っていない。
誰でも大なり小なり行使することは可能だが、どんなに慣れていても大抵は隙が生まれるのが魔術だ。つまり、近接戦闘においては腕力がモノを言う。その腕力を引き上げる類の魔術を利用している騎士は多く、ピノも将来的に使う為に学内でよく使っているのだ。
騎士の内情など知らない肉屋の息子には、そんなことは関係ない。知らないものは知らないのだから、口から出る言葉も半ばバカにしたような言葉である。
「この脳筋見習い騎士め」
「何だと、このイカれ魔術師」
若干不穏になった空気を敏感に感じ取り、ティナは食器で両手をいっぱいにして隣の机に移動した。
するとすぐさま、ガシャガシャと騒がしい音が食堂内に響き始めた。原因は言わずもがな、赤い頭と金の頭の少年である。
「今日こそはノラレス流の剣の鯖にしてやる」
そんなことを言っているが、抜剣はしていない。キキの方も拳を構えているだけで、短杖を取り出してはいなかった。一年以上の付き合いである少女には、それが特に大きな問題になるものではないことが理解できた。もし本気ならば、どちらも得物を取り出している。
「もう、知らない」
それでも男二人の悪ふざけに付き合うつもりのない少女は、無関係のフリをして皿に視線を移す。机越しに取っ組み合いをする馬鹿二人を背景音楽に、長い耳の少女は葉野菜を頬張るのだった。