第九話 とても優しい前当主様
突然出会ってしまったヴォルフ様のお父さんの前で、私は時間が止まってしまったかのように固まってしまっていた。
ど、どどど、どうしよう……自分の事で手一杯で、ヴォルフ様のお父さんに挨拶をしていなかった! 絶対怒ってるに違いない!
「父上、彼女が以前お話した僕の婚約者です」
「ほう、君がセーラか。初めまして、前当主でヴォルフの父である、ラドバル・ライルだ。基本的に仕事で家にいなくてな。挨拶が遅れてしまった」
「あ、あわわわ……」
自ら自己紹介をしてくれたうえに、手を差し出して握手までしてくれようとしているのに、私は変な声を漏らす事しか出来なかった。
「大丈夫だよ、セーラ。父上は強面だが、とても優しいお方だ」
「は、はひ……せ、セーラっていいます……ご、ご挨拶が遅れてしまい……その……」
「…………」
私に差し伸べられていた手が、そのまま私の頭の上にまで伸びていく。
これは、私に腹を立てて叩かれるんだ。そう思い、ギュッと目を瞑った――が、痛みは無いどころか、頭を撫でられる感覚を覚えた。
「堅苦しい挨拶をしてすまなかった。まさかこんなに怖がらせてしまうとは、微塵も思っていなくてな」
「え、えぇ……?」
「だから言っただろう? 父上は優しいお方だと」
見た目とは正反対な、明るくて優しい声のせいで、全く状況についていけていない。本当に怒ってないのだろうか……?
「旦那様、あまりセーラ様を怖がらせないでくださいませ。ただでさえ旦那様の顔は、歩いているだけで幼子を泣かせるくらいなのですから」
「ははっ、相変わらずエリカは手厳しいな。一体誰に似たのやら!」
「私もそれは是非知りたいところですわ」
……なんていうか、とても楽しそうに話す人だ。顔は確かにマスターといい勝負が出来るくらい怖いけど……ヴォルフ様の言った通りなんだと感じる。
「あの……せ、セーラっていいます。ヴォルフ様やエリカさん達には、とてもお世話になっています……」
「よろしく、セーラ。ふむ、少々気弱そうな一面もあるが、真面目そうで良い子じゃないか」
「そうでしょう父上! セーラはとても良い子でして! 実は――」
「こほん。ヴォルフ様、その辺にした方がよろしいかと」
「……た、確かにそうだね」
冷ややかな顔で見つめるエリカさんから、顔を逸らしながら口を紡ぐヴォルフ様を見てると、本当に主従関係なのかちょっと怪しく見えてしまう。
「なんにせよ、ヴォルフにようやく婚約者が出来て安心した。私がいくら言っても、全く婚約者となる者を見つけない所か、縁談もすべて断っていたのだよ」
「……ヴォルフ様はとても優しいですし、カッコいいのに……どうしてですか?」
「それは本人に聞いてみたらどうだ?」
確かにその通りだ。そう思ってヴォルフ様に視線を向けると、ヴォルフ様は顔を手で覆いながら、そっぽ向いていた。
なんだか耳が真っ赤になってるけど……違う、手とか他の所も赤くなってる。もしかして、熱があるとかじゃないよね?
「実はな、ちゃんと好きな人じゃないと、婚約はしないと言っていてな」
「ち、父上!? どうして言ってしまうんですか!?」
好きな人……か。その人を見つけるまでの繋ぎとして、私の事を偽物の婚約者にしたという事か。
こうして面倒を見てもらえて、優しくしてもらえているだけで嬉しいし、感謝するべきなんだろうけど……なんだろう、この胸のモヤモヤ……。
「だから、親としてはようやく見つけた婚約者というのは、嬉しいものなのだ。ヴォルフ、彼女はお前がついに見つけた意中の人という事だろう?」
「ええ、その通りです」
「あ、ありがとうございます」
このモヤモヤはよくわからないけど、あまり変な顔をしたら心配をかけてしまうと思った私は、バレないように笑顔を浮かべるのだった――
****
■ヴォルフ視点■
「どうにかできないだろうか」
父上にセーラを紹介した日の夜中、僕は自室でエリカに悩みを打ち明けていた。悩みというのは……当然セーラの事だ。
「どうと仰られましても。私はこちらに伺ったばかりですので、状況を理解しておりません」
「セーラの事だ」
「それは言わなくても察しております。セーラ様の何で悩まれておられるのですか?」
「なんとかして、彼女のお父上に会わせられないだろうか?」
貧乏な暮らしの中で、こつこつと貯金をしてまで、お父上に会いたがっているセーラの事を、僕は助けてあげたい。
しかし、セーラは僕が直接的な支援をするのを嫌がっている。だから、どうすればいいか、エリカに相談をしたというわけだ。
「そうですね……お金じゃなくて、お父上の所にまでお連れする術をご用意させていただくとか」
「それもセーラの事だから、遠慮しそうだな……僕達が何かしら支援するとわかれば、どんな事でも遠慮しそうだ」
「そうなると、やはり生活の支援をして出費を抑えてさしあげるしか……」
やはりそれが現実的なところなのか……でも、それでは今すぐに会わせてあげる事が出来ない。
考えろ……僕ならではの方法があるはず……。
「一つ、思いついたのですが」
「なんだ?」
「セーラ様へのお給料を増やすんです」
ランプの光によって照らされたエリカの整った顔をジッと見つめながら、僕は彼女の話をじっくりと聞く。
「確かにそれなら、バレずに支援できる……それに、僕じゃなきゃ出来ない方法だ」
「決まりですね。そうなると、作戦が不自然だと思われないようにしませんと」
「意図的に仕事を忙しくすれば、相応の対価として渡せるんじゃないか?」
「それでは、セーラ様が大変じゃありませんか?」
エリカが心配するのもわかる。でも、セーラは自分で気づいてはないけど、とても優秀だ。だから、忙しくなっても大丈夫だと僕は信じている。
「セーラなら大丈夫だ。それはエリカも近くで見ていたのだから、知っているだろう?」
「……そうですね」
少し考えるような素振りを見せてから、エリカは小さく頷きながら答えた。
「そうと決まれば……どうやっていつも以上に忙しくするかだね」
「期間限定で値引きとかいかがでしょう? それか、新商品を提供するか……」
「うん、いいね。新メニューも、最近新しいのを考えていたから、それを出そう。値引きに関しても僕が何とかするから、宣伝をお願いできるかな?」
「かしこまりました。少々お待ちを」
そう言うと、エリカは一度部屋から出て行くと、紙と羽ペンを持って戻ってきた。
チラシかポスターを作るのだろうか? 確かに宣伝をするのなら、とても効果的なものだが……嫌な予感がする。
「…………こんな感じでいかがでしょうか?」
「これは……」
エリカは自信たっぷりに、仮作成をした宣伝用の紙を僕に見せる。そこには……はっきり言って、何が書いてあるかわからない文字と、とても可愛らしい猫のイラストが描かれていた。
「頼んだ僕が言うのもあれだが……相変わらず字が下手すぎて、読めたものじゃないね」
「ちゃんと読めるじゃありませんか。ヴォルフ様の目がおかしいだけですわ」
「読めるのは書いた本人だけだよ!?」
こんな虫がはいずり回っているような文字、僕じゃなくても読めないから! 全く……昔から文字が汚いのは知ってたけど、改善されてないとは思ってなかったよ。
「わ、私の文字は達筆すぎて、ヴォルフ様には読めないだけです!」
「そういう事にしておくよ。でも、絵の方はとても良い。相変わらずこういった可愛い物が好きなんだね」
「はい、もちろん。ヴォルフ様がお望みなら、良さを語って差し上げますが?」
「勘弁してくれ。前にそれで話を聞いたら、その日の仕事が何も手につかなくなるくらい、ずっと熱弁したじゃないか」
「さあ、身に覚えがありません」
……まあいいか。今は可愛い物談議よりも、セーラの事が第一優先だ。
とりあえず、新メニューの案は既にいくつかあるから、あとは材料の確保と宣伝か……うまくいくと良いんだが……。
最悪失敗だったとしても、別の方法で何とかするつもりだ。でも、セーラがお父上に会うのが先延ばしになってしまうから、なるべくなら避けたいところだね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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