創世未遂
そもそも、世界という物語はまだ完結していない。
理想の結末さえ、ようやく見えはじめたばかりなのだ。
つくり手は、四季の中では、ある地域の夏がもっとも好きだった。あらゆる色彩があざやかに輝き、あらゆる生命力が最も強い季節だ。
この夏が全ての時間を支配する世界としよう、それができたら完成だ。目指すべき物語の結末を、つくり手はそのように決めたのだった。
つくり手が身を置く長い長い時間からすれば、つくりはじめた物語はまだ道半ばだ。試行錯誤が終わらないから、この世界は、たった何十年、たった何百年ごとという短いスパンで、姿を変え続けているのだ。
大地の配置を変えてみよう。海の上に島嶼を増やしてみよう。
水の流れを枝分かれさせよう。新しい生き物を生み出そう。
変わる、まだ変わる、生まれて五十億歳にも満たない、未だあどけない世界。
登場人物がつくり手の意のままにならないなんて、ありがちな話だ。何かを変えるたび、何かを動かすたび、納得と同時に、別の箇所に小さな綻びが生まれる。三歩進んで二歩下がるような完成度、まるでいたちごっこだ。
そのたびに、つくり手は首をひねりながら、また変化を起こした。
夏の割合が、どんどん増えてゆく。
世界はどんどん暑くなる。夏は徐々に秋をのみこみ、やがて冬を奪い去り、ついに春までも駆逐した。
ついに世界は、常夏の星となった。
それから四、五百年のときが経った。ようやく、つくり手の理想とする世界に大きく近づいたか、と思ったのに、何かが足りない。
つくり手は頭をかきむしった。
なぜだ。どんな季節よりも愛しい夏で、すべてを支配したのに。
地上の声に耳をかたむけるうち、その理由がわかった。
世界は百年ほど前に、つくり手の思う夏にあたる概念を失っていた。夏ということばはすでに古語となり、氷菓の屋台や、あざやかに輝く緑や、ゆらめく陽炎は、いつでもどこにでもあるものと化していた。そこに、かつて目にしたときにおぼえた、わけもない郷愁や懐かしさのような特別な感傷は、起きない。
涼しい季節を失った動植物の在り様や、見目かたちも時を経て変わってしまっている。そこに、つくり手の愛した夏の姿はなかった。
春や秋、冬の消滅は、夏の喪失とも呼ぶべき事態を招いたのだ。
つくり手は苛立った。
三つの季節がなくなってしまったことは、あまりにも大きな変化だ。
その夏で世界を支配する方法をまた考えるためには、つくり手の好きだった夏の姿をまずは蘇らせなければならない。そのためには、もとの四季ごと復活させるところから始める必要がある。
また、多くを動かさなければならない。
作り手は少々うんざりしていた。
うだるような世界を前に腕組みして、計算を始めた。
再び春を作りだすのに、数十年。秋を取り戻すのに、数百年。冬をよみがえらせるのに、数千年。
ざっと、これくらいはかかるだろうか。
つくり手の生きる長い長い時間からすれば短い年月だが、同じような作業を繰り返すには、いささか長い。
愛しい夏を取り戻すのに必要な手順ではあるけれど、考えるだけで飽き飽きした。
めざした夏のことが、愛しさ余って憎くなりそうだった。
つくり手は首を横に振った。これでは本末転倒だ。
そもそも、永遠の夏が続くことを己にとっての理想と定めて、ようやくこの世界の結末を決めることができたのだ。そこがぶれてはならない。
では、どうするべきか。うだるような世界を前に、つくり手は、百年ほど考えこんだ。
そして彼は決断した。
世界中がよく晴れたある日のこと、どの国、どの大陸からも、巨大な入道雲が見えていた。
青い青い空に、真っ白い入道雲がむくむく湧いているさまは、別段珍しいものではない。だが、地上の幾人かは、まぶしげに目を細めながらつい足を止め、見上げてしまうほど、その日の空は原色のように青く、入道雲はシミ一つなく白かった。
その空を眺めていると、パッケージに『古ながらの』などと銘打たれた、見た目と味わいの古風なアイスクリームを買いたい気分になってくるのだ。
数百年前と比べて種類も鳴き方も変わってしまって、現代の人類にとっての蝉とはますますわずらわしいばかりの虫だったが、蝉の声にちょっと耳をかたむけてみようか、という気にもなった。
蝉の声を聞き、アイスクリームをかじりながら、空を眺めていると、夏という言葉がかつて表していたのは、こんな日であったのではないか、などと思えたのだった。
それは、つくり手が時空のあちこちからかき集めた、かつての夏の欠片の結晶のような一日だった。
つくり手は、現時点の世界で作りうる限り、最も理想に近い夏の日を再現したのだ。せめて楽しい一日を過ごしながら、最期の日を迎えられることを願って。
この世界の状態から軌道修正して、つくり手の夢見た夏の世界を完成させようと思うなら、また同じ作業をいくつも続けなければならない。
そんなことをして、あれほど愛した季節を、そして世界をつくる作業そのものをきらいになってしまうくらいなら、一から作り直したほうがましだ、と思ったのだ。
入道雲が高く高く背伸びして、蝉たちの合唱がクライマックスに差しかかり、誰かがアイスクリームの最後のひとかけらを飲みこんだころ。
つくり手の指が、どこまでも青く透きとった空の外殻をはじいた。
かくして、世界は未完成なまま粉々に砕け散った。
粉砕された夏の色たちが、きらきらと輝きながら宇宙の奥底へ沈んでゆく。
ああ失敗した、というつくり手の小さな呟きが、線香花火の終わりのように、世界のあとを追って落ちていった。