5.それは予想外で
一般的にゾンビを訊きますと、ただ獲物を求めて彷徨い続ける動く死体を思い浮かべますが。
この少し離れた場所で魚を焼くわたくしをチラチラと見つめてくるカリエさんはゾンビと言われなければ気付けない程と思いますわ。血色も良いですし、瞳も綺麗ですし。
ただ、今はローブを着直したので見えてはおりませんが彼女の右胸には短剣で付けられた刺傷がありますわ。
その傷口からは血は出ておらず、だからこそ死んでいるという事でしょうね。
永遠に肉体は腐ることが無く彷徨い続ける。まるでファンタジーのような状態になっていますがカリエさんは元から乙女ゲームの主人公なのでファンタジーにファンタジーが追加された程度でしょう。ファンタジーと言うよりもホラーの様な気がしますが。
にしても、ずいぶんとカリエさんはアンジェリークに対して鬱憤を溜め込んでいたようで。
まあアンジェリークは取り巻きを引き連れてカリエさんに冷水を浴びせかけたり、カリエさんに対してあらぬ噂を流したり。
なお、ここまでは王子ルートを選ばない場合の嫌がらせ。
嫌がらせをする理由は、昼間から酒に酔った貴族のナンパ男達がアンジェリークよりもカリエさんに絡んだのが気に入らず、さらにカリエさんがやんわり断ってもしつこく付き纏うナンパ男達をアンジェリークの婚約者である王子オズウェルが撃退したのがアンジェリークの気に触れたらしい。
ひとこと言わせて。あほ御ハーブですわ。
普通にカリエさんは悪くありませんわ。ほんと、ただ薬草を売りに街中を歩いていただけなのに。こんなの居眠り運転のトラックに轢かれるぐらい運が無いとしか言いようが有りませんわね。
まあそれでも、物語が進めばアンジェリークの嫌がらせは次第に落ち着いていくのですが。
これが王子ルートに突入した場合は、嫌がらせは更に過激となっていきますわ。
アンジェリークは手下のチンピラを使いカリエさんの家に火を点けさせたり、泥棒の濡れ衣を着せたり、仕舞いにゃ度が過ぎた嫌がらせをし過ぎて王子オズウェルに婚約破棄されたのを逆恨みしてプロポーズされてる最中のカリエさんを刺し殺して……ほんとロクでもねー女ですわアンジェリーク。
だからカリエさんの口から恨み言が濁流の様に溢れ出てくるのは当然の事ですわね。
動く死体などの突然の情報量による脳のキャパオーバーによる混乱とカリエさんからの死ね発言で不覚にも昔の様にプッツンしてしまったわたくしですが、本来のわたくしは完璧なレディなのです。
だから、今度はカリエさんの恨み言に対して最後まで心を寛大にして受け入れる事が出来ましたわ。
……けど顔面グーパンは止めて欲しかったですわ。カリエさんが恨み言を吐き終わった後に持っていた手鏡でコッソリ確認しましたが、くっきりと右目のあたりに痣が出来ていましたわ。
「……あの」
先程からチラチラこちらを見ていたカリエさんが声を掛けてくる。
その声音はちょっとだけ控えめの、冷たさを感じさせないような声で。
そう感じるという事は、つまり仲が少しは進展したという事でしょうか。
ならば、もう少しだけ仲が進展してから真実を言おうと思いますわ。わたくしの中身がアンジェリークではない事を。
わたくしにはアンジェリークとしての記憶が無いのですからどう取り繕うともアンジェリークを演じる事なんて出来ませんわ。
だから、わたくしはアンジェリークが仕出かした事に対して彼女に謝らない。やっても無い事で謝るのは、カリエさんに失礼なのですから。
「あの、アンジェリークさん」
いけないですわ。考え事に意識が向きすぎてカリエさんに返事をしていなかったですわ。
はい、何ですのカリエさん。
「魚、焦げてます」
「……あびゃぁ!?」
意識が考え事に集中しすぎて魚を見ていませんでしたわ!?
凄い焦げ焦げになってますわ、わたくしの昼食がノォォオオオオオ!!
◇
まるで別人のようだとカリエは彼女を見て思った。
恨み言を全て吐き出す間、例え拳を飛ばしてしまっても彼女は黙って最後まで聞いてくれた。
少しでも表情に出てしまえば烈火の如く怒り狂った彼女が、最後まで私の言葉を受け続けてくれた。
そして恨み言を言い終えた私に対し、彼女は謝ることも無くただ静かに目を伏せて私の頭を撫でた。吐き出してくれてありがとう、そう優しく私に声を掛けて。
もう私が失ってしまったものは元に戻らない。
だから、やっぱり私は彼女を許すことは出来そうにない。
「焦げが苦っ、でもいけますわね」
そう言いながら、彼女は焼き過ぎた魚を食べている。
彼女の言葉、少しだけ信じてみようかなと、カリエは思った。
もし彼女に心境の変化があって、別人のように心変わりしたのなら。
「あの……」
声は―――続かなかった。
異音が聞こえた。まるで空気を切り裂いているような重い音。
それが段々と近づいてきているのか大きくなってくる。
彼女もその音に気付いたのか魚を食べるのを止めて空を見回して、そして驚きの表情で固まった。
彼女の視線の先にカリエも視線を向けると、頭頂部が凄い速さで回転している何かが海の向こうからこちらへと近づいてきている。
鳥とも、ワイバーンとも違う。初めて見るアレは、ワイバーンと同等以上の速度で島へと向かってくる。
「なっえっ?
マジですの、えっ?」
彼女も正体不明のアレを見て混乱の声を上げている。
そうしている間にも、正体不明のアレは島の上空へと辿り着いてけたたましい音を鳴らしながら滞空する。
次の瞬間、声が聞こえた。けたたましい音に負けないぐらいの、大きな男の声が。
『そあらお嬢様、見つけましたですぞ!!
よくぞ御無事でした!! このじいや、ようやく胸の痞えが取れました。
今より着陸しますゆえ危ないので近づかないでくだされ!!』
どうやら、アレには人が乗っていて。
聞こえてきた声に、カリエは声を零した。
「そあらって誰?」
次回、悪役令嬢に憑依した竜宮木そあらは思い知る事になる。
この現実の真実を。なお、そんな深刻な問題ではない模様。