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アンクレイド  作者: 橋元春
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1話


 男が一人、倒れるように横になっていた。

 

 怪我や疲労で動けないわけではない。

 汚れることすら気にせず地面に耳を当てるのは、対象となる外獣の方角と距離、その正確な情報を大地から来る地響きによって読み取るためだ。

 

 それだけ聞くと馬鹿らしい理屈にも思える。

 勿論通常であれば男だってこのような真似はしない。外獣の音程度ならば立ちながらでも分かるし、地響きを感じる為にも横になる必要はない。ただ今回の戦闘にあたって、舞台となる土地が悪かっただけなのだ。

 

 男は生存圏とされる領域からおよそ20kmも離れたところで待ち構えていた。

 

 吸音樹木がそびえたつ、通称音無しの森。

 名前の通り群生する木々が周囲の環境音や振動を吸収してしまうため、会話をするのも耳を近付かなければ成り立たない。特に木々が密集した場所でのコミュニケーションは、筆談くらいしか手段がないとまで言われる特異な空間である。

 

 作戦として待ち構えるにしても、不意を突かれては元も子もないだろう。木々が吸収してしまうのなら根の少ない地面から測れば良いと、男はそう判断して横になっていた。

 

 もしここが本来通りの自然であれば、小鳥の囀りや小動物の駆け足がするものだ。しかしここでは生物はおろか、風の音すらも聞こえない。

 無音のまま揺れる葉を眺めていれば、そのうち自分の耳が可笑しくなったのかと混乱する者も少なくはない。

 

 そんな中で、男は冷静に待っていた。

 少し強めの呼吸をする。深い森に流れるひんやりとした冷たい空気が肺を支配して、これから戦闘だと昂る肉体を落ち着かせる。

 緊張などで焦ることは決してしない。下手を打てば死ぬことになるが、下手を打たなければ良いのだと、そう己に言い聞かせたのだ。

 

 スッと目を細め、集中する。

 やがて対象のものと思わしき地響きが、曖昧な音から鮮明な音へと移行した。外獣の方角と距離、そして到達までの時間を経験則から割り出した男は、土埃を払って前を向いた。

 

 そこでふと、この前聞いた発展都市での狩り方を思い出す。

 浄化済みの海とやらでは効率良く魚を取るために、小舟を使って仕掛けた定置網まで小魚の群れを追い込む方法とやらがあるらしい。


 ただし男は市場に流れる魚を見たことはあるが、海を目にしたことは一度もない。任務として遠征することも何度かあったし何ヵ月も帰らないときもあった。

 だが流石に遠く離れた浄土海域のあるエリアまで足を運んだことはないのだ。


 そのため分かりきった気持ちで言うわけではないが、誘導する方も中々苦労するんだなと、大陸育ちの男は思うのである。

 現在追い詰めてる同僚達が小舟だとすれば、まるで自分は大口を開けて魚を待つ定置網だ。


 恐らく今やってる作戦とやらは、

 


 ───追い込み漁みたいなものなんだろう。

 


 奥の木々が大きく揺れた。

 それを皮切りに周囲の大木は凪ぎ払われ、砕けた木片は塵となり男の眼前を覆っては視界を奪う。

 

 密集していた吸音樹木が散乱したことにより一時的にだが広場が生まれた。

 目標である外獣の地響きと咆哮が、遂には大気を震わし肌をビリビリと響かせる。

 

「……目標を確認」

 

 そう言って立ち向かう男だが、その手に得物となる存在は握られていない。

 外見上はみすぼらしい、中央都市の住人から見れば民族衣装のようなローブを羽織ってるだけである。訓練過程である程度身体は鍛えているが、それで同等に渡り合えるほど外獣は甘くない。

 

 人間など、外獣からすれば障害にすら成り立たない路上の小石同然である。

 しかし男を含めた彼らは外獣を追い詰め、今まさに命を狩ろうとしていた。

 

 目標の外獣は、例えるなら豚みたいに寸胴な体型である。しかし踏みつけられればそれだけで何人もの命を奪える大きな四足に、魚のようで金属同等に硬い鱗を持っていた。大喰らいのためか口は大きく、その左右には上下で対となる歯よりも大きな毒牙が備えられている。

 

「外獣でも大型種……、確かにメニワ猛猪(もうい)だな」

 

 メニワ猛猪と呼称されしその外獣は、大柄な体格に似つかわしくない速さで男の下へと駆けていった。

 道中で地面が抉れては土埃が波のように辺りを覆う。その行動を狭めようと生息する吸音樹木は、彼岸花の茎のようにあっさりと折れては倒木していった。

 

 それを眺めて、男は告げる。

 祝詞のように、決め台詞のように。

 

「……開拓者として言っておこうか」


 仕事の合図のように、言霊を。






「───侵略者であるお前を処理する───」






 男の声が周囲に聞こえたのかは分からない。しかしメニワ猛猪を追ってここまで連れてきた仲間達が次なる一手に行動を移したのは確かであった。

 

 呪文が、唱えられる。

 

 


 【暗術】《ΣΖЭИΝΓЫЙΝΒΠΕΥΘΧΜ/亡霊墜とし》

 


 

 メニワ猛猪を中心とした空間は突如として歪み、光の透過率が低下する。薄暗い夕闇の幕が降りたようにその場で円上の空間が現れた。


 同時に術の中心にいたメニワ猛猪は、その脱兎の如き逃走劇を停止した。

 まるで上から獣が取り押さえられるように四足を折り曲げては頭を垂らす。抗う素振りを見せつつ立ち上がろうとするが、歪んだ空間はそれを決して許さない。


「ピギィッ!?」

 

 強大な圧力によって大地に伏せられた大型の外獣。


 そしてその真下に位置する地中には、この瞬間を待ち構えてた者によって張り巡らされた攻撃系統の魔術式。


「フゥーッ! フゥーッ!!」


 天敵とされる魔術を本能によって勘づいたのか。捕縛された獣は荒い息を吐いて、追手を払おうと必死にもがき続ける。


 でも、それでも、

 

 ───もう許された時間はない。

 

 


「【紅術】《ΡΕΨΚΤθΝΓΠΖЭИΡΖΧΚΝΓΞΓΝΓ/血肉穿つ紅槍》」

 

 


 男の手によって魔術式は放たれる。


 地中から大地を抉り上げ我先にと空を裂いたのは、何十にも及ぶ歪な槍。

 赤黒く、絡まった樹木のような見た目のせいで、先端が鋭利な刃でなければ槍と判断するのは厳しいだろう。


 それほどまでに奇怪な光景であった。


 ぐしゃりと音を立てる。


 槍の一つ一つが伏っしているメニワ猛猪の頑強な鱗を砕き、肉を裂いては腸を溢す。そして循環する筈だった血液を撒き散らしながら、勢いに任せ天高く持ち上げる。その巨体が持ち上げられることで重力も加わり、歪な槍は更に深々と血肉を穿つ。


 また、ぐしゃりと音を立てる。


 余った槍が腹部だけでなく手足や頭部を突き刺してはその肉を抉り、装甲の薄い箇所では何本かが貫通した。内部で骨が砕けたのか、四肢はだらしなく垂れ下がっていた。


 ぐしゃり、ぐしゃりと音を立てる。


 その血を水柱のように撒き散らす。

 

 思えば時間にすればたったの一瞬。

 一瞬で、地獄のような処刑が行われたのだ。

 

 

 獣は一息鳴くと、その身を震わせることなく絶命していった。











「流石だなアルバ。この大きさのメニワ猛猪を仕留めるとは大手柄だぞ」


 アルバが術式を解除すると、そんな労いの言葉が掛けられた。

 振り向くと散々追い回して疲れたのか、ぐったりとした表情を貼り付けた同僚が立っている。すっかり血の抜けたメニワ猛猪を見て、俺達は毒牙だなと、解体用ナイフを片手にだ。


 既に他のメンバーはメニワ猛猪の皮や肉を削ぎ落とし、毒牙以外の各部位の回収作業を行っていた。


 作業の気晴らしに、アルバは応えた。

 

「……俺だけじゃない。お前達4人掛けの足止めだって、立派な勝因の一つだろう」

 

「何を謙遜してんだ。亡霊墜としは比較的簡単な魔術式なのは知ってるだろ。……それに、お前の攻撃なんかと比べたら、天と地ほどの差がある」


 アルバは深い溜め息を吐く。


 実際にアルバの言葉は同業者からすれば、謙遜のように聞こえてしまうのも無理はない。

 仲間の言葉通りに、メニワ猛猪を足止めするだけなら、ある程度の妨害系魔術式で成り立ってしまうからだ。

 

 問題なのはそこからどう仕留めるか。

 メニワ猛猪は外獣のなかでも大型種に分類されるため、並みの剣ではかすり傷程度にしかならない。

 そもそも強硬な鱗が物理攻撃を遮断し手に終えないのが脅威とされる理由でもある。


 それでもアルバは自分だけが勝因だと思っていない。

 妨害と攻撃の両立は、やろうと思えば出来るが多少の時間を要してしまう。

 事実、仲間達が暗術による妨害を担ってくれたおかげで攻撃へと専念できたのはお世辞でもないのだ。

 

 因みにアルバが今回使用した攻撃系統の魔術式は教本にすら乗っていない代物。

 完全なオリジナルであった。




 アルバ=ローランズ。




 彼は7年前、外世界への探索権では最高位の一つとされる開拓者を、史上最年少で手にした人物。


 加護なし側の、天才である。



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