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夢一夜 これは夢とも言える出逢い

 毎週毎週予備校の授業を受けて家に帰り、復習と予習を済ませてアニメに浸る日々を過ごしているうちに気づけばもう5月の中盤に差し掛かろうとしていた。本当に気づけば5月の半ばに差し掛かっているわけで、ルーティン化された日々を送っていると時間の流れは進むのが速くなってしまうんだなぁと正直少し怖く感じてさえもいる。

 予備校に入学してからというもの、特に1年を切磋琢磨する学友も無ければ、新しい驚くような解法に出会うわけでも無く、その日その日をただ機械のように過ごす平調であり単調な日々を淡々と消化していた俺は、もうすぐ予備校の定期テストの時期であることもあって、これまであまり使用して来なかった自習室の中で数学の問題と向き合っていた。数学に関しては二次試験の時に木戸に付きっきりで面倒を見てもらったこともあり、今回のテスト範囲であるセンターレベルの問題はそこそこ普通にこなせるので時に問題にはなっていなかった。

 自習室は定期テスト前ということもあり、いつにも増して授業のあとに残って自習をしている人が多いように感じた。予備校生という高校生でも大学生でもなく、社会から少しふわついた身分である自分たちが一堂に会し、ただひたすらに静寂の中で机に向かう様子は、もちろん自分が言えたたちではないことは重々承知なのだが、かなり非日常的、というか社会から隔絶されて己の成長に邁進する特殊な空間の中にいることを感じさせた。自分含め受験生を十把一絡(じっぱひとから)げにして結論付けることは出来ないが、ここにいる者は皆、社会から離れて受験に立ち向かう同志である。受験者同士である。

 ということは、俺にもいつか受験における同志が出来るのでは……。

 志望校が被って同士討ちは避けたい所ではあるが。

 あぁ、友達が欲しい。

 俺は自習机に向かい顔をうずめながら、横目で先日結菜が買ってくれた合格祈願の刺繍が入った筆箱を眺めていると、少し元気が湧いた。まだ受験が終わったばかりなのにもう合格祈願の商品が出ているのかと、モールで見かけた時は驚いたが、よくよく考えてみると、去年の売れ残りという説が高い。運を1年溜め込んでいるだけあってパワーを割増で秘めているなんてことは……ないかな。

 そんなどうでもいいことも考えながら、俺は相も変わらずノートにペンを走らせる。


 必死になって勉強に励むうち、気づいたら時間は夜の8時を迎えていた。自慢ではないが一度集中するとエンジンが中々切れないことに定評のある俺である。自称。

 周りを見渡してみると、あんなにいた予備校生ももうさすがに帰ってしまったのか、まばらにぽつぽつと残っているだけだ。

「今日は帰るか」

 誰にも聞こえないような小声で以て立ち上がると、ふと俺の視線にあの時ーあの春の予備校見学会ーを思わせるようなデジャブにも似た光景が飛び込んできた。

 他の受験生が消え、静寂とともに佇む幾多の机と椅子の中に見慣れた姿の女の子がいた。

 黒く長い髪を椅子の後ろにかけながら黙々とその視線は机の上の参考書とノートのみに注がれている少女。間違いなくあの時に見た子だ。斜めからなのでその顔の詳細は分からないが、同じCクラスで毎回一人前線で授業に集中して取り組んでいる子。名前は……なんだったかな。

 分かっていたことだけれど、春休みの間に勉強のしすぎでオーバーヒートを起こしてしまうかもという予備校スタッフの心配は杞憂だったようだ。

 ちょっと気になるな。

 俺は自習室を出る際、通り際に彼女の様子を一目見てやろうと思い、わざと扉とは遠くなる方向に向かって歩き始めた。ここで弁明しておくが、決して俺自身にやましい思いや考えは一切ない。決して彼女の匂いを通り際に嗅ごうとか、顔を見てやろうとか、そんなことは決して。……でも、世の中の男子諸君なら分かってくれるはずだ。この何とも言えなく特定の女の子を気になってしまう感じが。興味とは怖いもので、それがいつもなら絶対にしないはずの大胆な行動を起こすことがある。そのことが原因でお縄になってしまう人もいるほどに。

 彼女との接触に我、幸甚(こうじん)の至り!といった感じの雰囲気は一切醸し出さす俺は彼女の横をギリギリの横目を使いながら、すっとそれはさも自然な動きで通過した。通過電車にいちいち反応しない一般人と同じくらいに、すっと自然に。

 ギリギリの角度で見たため瑣末な情報しか手に入れられなかったが、ノートに書かれた文字はそれは形容がしがたいほど壮麗で、綺麗に並んでおり、この後に自分のノートを確認しようものなら全俺が泣いてしまうほど、比べ物にならない丁寧さだった。まとめノートを作っている様子だったが、色ペン等は一切使わずシャーペンの黒い文字だけがびっちりとノートに書かれていた。何が書かれていたかまでは見ることは出来なかった。


 俺は帰り際にCクラスのホームルーム教室となっている教室に寄って、教室の一番後ろに貼られているチェックテストのランキング表を確認した。もちろん彼女の名前を確かめるためだ。今までは10番前後に位置する自分の名前と平均点を確認するだけであったが、今回は各科目の一番上から順に眺めていく。

 彼女の名前はすぐに見つかった。

 名前が目立つというのももちろんあったし、何といっても全科目でほとんど1位と2位だったからである。ホームルームがある日の出席確認で担任の先生から名前が呼ばれてたこともあり、聞き覚えのあった彼女の本名は「夢野和奏」だった。

 横目で見た彼女の可愛いすらっとした顔に恥じない、夢に満ちた良い名前だと思った。


 それからというもの、一方的に夢野和奏のことを知る俺と、俺のことなんか絶対に眼中にない夢野和奏の「俺に見つめられる」日々が幕を開けた。

 再三再四のお願いで申し訳ないのだが、俺は天地神明に誓って夢野和奏にやましい思いは一切ない。ただ、興味があるという学生男子なら誰しもが持っている当然の習性が、文字にすると少し過激になってしまうだけなのである。興味がある。今日日興味を持ち始めた女子である。

 授業中彼女を見つめながら(とはいっても自分は最後尾に座っているため黒板を見ることは彼女を視界入れることと同義である)、発言こそしないものの、ずっとメモ魔のようにノートを取り続ける夢野の姿は出来る人だという感想が主に湧いてくるのだった。予備校の授業は基本学生に何かを問うことはなく講師が延々と解説を続ける内容が中心だった。静かに受験生活を送りたい俺にとっては絶好の環境であると言って良い。そのデメリットとして、解説を聞いて終わりなので周りとのディスカッションや発表を通して盛り上がるといった要素はゼロである。周りの人と関わりを持つタイミングを見つけることが難しい環境だった。

 授業が終わった後も、夢野は自習室に行ってひたすら勉強を続けた。

 俺も彼女に倣って自習室に通うたび、日々の勉強時間が増え、定期テストは全体で9番の成績を収めることが出来た。

 定期テストが終わり、少し人が減った自習室でも夢野の姿は消えることがなかった。

 そんな日々がさらに一週間ほど続いたある日。


 気付くとまた自習室で寝てしまっていた。

 いや、これだけ毎日自習室に篭って家に帰ってからアニメを見る生活を繰り返しているとそりゃ寝不足にもなるさ、という言い訳は置いておいて、担任の増田先生に起こされた俺は、誰ひとりいなくなった自習室を寝ぼけた目で見渡してから、ごそごそと帰り支度の準備に取り掛かる。

 去り際に増田先生から、親御さんも嬉しいだろうな、こんなに熱心に残ってやる子はまだこの時期は少ないからね、と笑顔で言われたが、去年からそれが出来ていれば俺はここにいない。

 まぁ今更何を言っても無駄なのだが、SNSで大学生活を謳歌している高校生のクラスメイトたちを見ていると何とも言えない気分になることも正直あった。

 自習室を出てから、建物の扉を開け、大学の資料ルーム横にあるエスカレータで本館の方へ降りようとすると、もう時間が遅いからかエスカレータは動かなくなってしまっていた。仕方なくその先の階段で降りようと向かった矢先ー

 階段の手すりの下に筆箱が落ちていた。誰かの忘れ物だろうか。近づいて手に取ってみる。

 シンプルなチャックが付いているだけの筆箱でカラーはピンク、見る感じ女子が使っているもののようだ。……というか妹の結菜と同じものだった。この前に結菜が買っていた筆箱と色違いのもので、女子学生にはシンプルながらもデコって楽しめるということで人気の筆箱であるらしい。目の前のそれは装飾こそされていなかったもののチャックに猫のキーホルダーが付けられていた。手作り感のあるロシアンブルーのキーホルダーだった。

「これ……」

 驚くことにこの筆箱には見覚えがあった。見た覚えが確かにあった。

 見覚え所か、毎日見ていて覚えるまでもない。

 それは夢野和奏の筆箱だった。

 これは言っては失礼なのかもしれないけれど、筆箱は少し汚れが目立っていてあまり夢野のイメージが感じられないのだが、これ以上は本当に失礼にあたるので言わないでおく。

 時刻は10時半になろうとしていたので、もう取りに来ないと考えた俺は明日の授業で理由を話して本人に渡そうと考えて一旦自分のバッグに入れて持ち帰ることにした。

 自分のバッグに夢野の筆箱が入っていると意識しただけで、電車に乗っている最中も気が休まることはなかった。目が合う人、すれ違う人一人一人が俺を断罪してくるように感じてならない。特にやましいことは考えてもいないし、してもいないのに、だ。

 だがこれで夢野和奏と話す良いきっかけが出来た。明日、授業の前に話しかけて返そう。そしていつも勉強していて、成績もすごいねという切り込みから話をしてみてあわよくば友達に……。

 そんな浮ついた期待があらぬ方向に、そしてあさっての方向に進んでいくとも知らず、俺は帰って早々に床に着いた。

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