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花結び  作者: そらねこ
4/6

おもいで


ブシュゥッ…


叫んだ蓮華の体のあちこちから、血しぶきが上がった。




「蓮華っ!」


血まみれになった蓮華は、再び、あの日の、最期(・・)の姿そのものになった。



「…うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


堪えようのない恐怖感に襲われ、俺は走り出した。



「はぁっ


はぁっ


はっ」


流石成人男性。

星志の体の時(・・・・・・)より、何倍というほど早く走れる。


走りながら、色々な記憶が蘇ってきた。




星志として生まれてくる前。

所謂(いわゆる)前世というやつだろう。

俺は、暁という名前だった。男だった。名字は思い出せない。



平凡な人生を歩んでいた。

楽しみも喜びも苦しみも悲しみも、適度に色々あった。


妻から、待ち望んでいた妊娠の知らせを聞いた時、それまでの人生で味わったことのある喜びが霞む程の、強い喜びを感じた。これが人生の本当の喜びというものかと、この世の全てに感謝した。


その2日後、真実の愛を知り、本当の喜びとは恐怖が沸き上がってくる程に、巨大で苦しいものだと知った。

蓮華と出会ったのだ。



仕事柄、接待も仕事の内で、相手は大事な取引先だったので、風俗店への誘いを断れなかった。

連れていかれたクラブに、蓮華がいた。


一目見た瞬間、雷に撃たれたのかと思った。

稲妻に照らされたように一瞬辺りが真っ白になり、体を電流のようなものが貫いた。


不思議なことに、蓮華は、好みのタイプでは無かった。


好みのタイプのど真ん中は妻だった。妻は容姿も性格も非のつけようのないほど、自分の好みによく合っていた。だから、そんな妻と結婚できたことに本当に感謝していたのだ。


蓮華に感じたのは、美人だとかスタイルがいいとか、そういう、ときめき、というような平凡な感情ではなかった。


ただ、見た瞬間に分かっただけ(・・・・・・)なのだ。

あぁ、俺の運命の人はこの人だったんだな、と。



この夜は、感情の渦に呑まれ、更に、やっと出会えた運命の相手への緊張でガチガチに固まってしまって、会話らしい会話を交わすことすら出来なかった。

ただ、自分の名前を、やっと声を絞り出して答えた後に、

「暁さん。綺麗な名前ね」

と、蓮華が笑顔で言ってくれた、それだけで、天にも昇るような幸せな気持ちに満たされた。



家に帰ると、妻とお腹の中の子供に申し訳ない気持ちになり、もう2度と蓮華に会わないと心の中で誓った。



でも、運命の人を求める欲求は、そう簡単には抑えることは出来なかった。


妻とお腹の中の子供を脳裏に思い浮かべ、なんとか抑えようとするのだが、蓮華に会いに向かう足を止めることは出来なかった。



何回か通う内に、少しずつ、蓮華と会話が出来るようになっていった。

周りから見た自分は、初恋をした少年のようだったのではないかと思う。緊張で肩をいからせて、拳を固く太ももの上で握りしめ、背筋はピンと伸ばし、でも顔はうつむき加減で、体を小刻みに震わせながら、声を震わせたまに裏返らせながら、たどたどしい単語の連発でなんとか話をしている。

蓮華は、そんな俺を怪しんだり気味悪がったりせず、普通のお客と同じようにもてなしてくれた。たどたどしい俺の話を聞き、笑って頷いてくれた。


初めは、それだけで、極上の幸せを味わっていた。


ところが、人間の欲望は、エスカレートしていくものである。


俺は段々、蓮華がホステスをしていることに耐えれなくなっていった。他の男に対し、女を売り物にする事をしてほしくなかった。大事な客なら断れず、もしかしたら、とんでもないサービスをさせられているかもしれない…そう考えると、胸が張り裂けそうになった。



本能のままに走って、蓮華を自分だけのものにしたい。蓮華と1つになりたい。俺の全てを捧げ、幸せにしたい。

でも、理性を捨てられなかった。

そんな自分をちっぽけに思い、憎んだ。

でも、妻とお腹の子供の事は、やはり、大切だった。失えない大切な物だ。

でも、蓮華も、失えない存在だった。

この捌け口のない苦しみは、自分の中に着実に蓄積されていったのだった。





「…またその話?」


最初は笑って流していた蓮華も、俺の言い方が段々強まるにつれ、眉間に皺を寄せるようになった。


「そうだよ。部屋を借りてあげる。なるべく、生活の支援もする。だから、こういう仕事は辞めて、もっと、普通の生活をしよう?」


「……」


蓮華はとても嫌そうな顔をした。



「蓮華ちゃんだって、好きでこの仕事をしてる訳じゃないでしょ?」


「!」ピクッ


蓮華のこめかみが動いた。




「俺はただ、蓮華ちゃんは、もっと違う生き方の方が、似合うと思うんだ」


「アンタ馬鹿にしてんの?」


「え!?」


初めて聞いた、蓮華の低い声だった。



「育ちが悪くて学もなくて、だから、こういう仕事しかできないんだよな、お前は。可哀想に。


て言ったのよ、アンタは」


「え!?何言ってるの蓮華ちゃん!俺は全然そんなつもりじゃ…」


地雷を踏んだようだ。慌てふためいたが、後の祭りだ。


「言っとくけど、アタシもアンタを馬鹿にしてるからね」


「え?」


「俺が部屋を借りてあげる?

はっ、一体どこのキッタナイぼろ部屋よ。


生活の支援もする??

毎月どれくらい支援できるっていうの?アンタに」


「そ…それは…」


「あんた、しがないサラリーマンでしょ?暁サン

アタシが望む水準の生活をするには、毎月いくらかかるか分かってる?

アンタにアタシが養えると思ってんの!?

てんで可笑しい。笑っちゃうわ」


カタン

蓮華は立ち上がった。



「あ!

れ、蓮華ちゃん!どこに!?」


「気分が悪くなったから、今日はもう無理。ママに頼んで上げてもらう」


「え、だ、大丈…」


「お願いだから、もう2度と、私を指名しないで、暁さん」


「…!」



蓮華は店の奥へと去っていった。





嫌われた……。



それがどれ程の絶望だっただろう。



ただ、この時の俺は、既に少し、可笑しくなっていたのだと思う。


蓮華は、俺がしがないサラリーマンだから、養えないと思っている。なら、俺が今よりもっと稼げるようになったら…?安心して俺を頼ってくれるのではないか?風俗を辞めてくれるのではないか?


そのような考えに、俺は辿り着き、傾倒した。


それからはもう、がむしゃらに、

昇進目指して、仕事に没頭した。


昇進するまで会わない、そう決めたので、尚更に、熱は上がった。


蓮華の事が頭に浮かぶ度、その強い思いと時間は、昇進への努力に費やした。




努力の甲斐あり、俺は昇進した。



早速、蓮華に報告に向かう。



開店にはまだ何時間も早い時間なのに、鍵が開いていたので、待ちきれず、俺は久方ぶりに、その店へ足を踏み入れた。


当然まだ準備中で、店内にはママしかいなかった。






「え?


蓮華が…!?」



「そうなのよ。



あの子、実はね…」



開店準備中ながら愛想よく話をしてくれるママから、俺は衝撃的な事実を耳にした。






ダダダダダダダッ


無我夢中で、蓮華が独立したという店に走った。


蓮華は、ある暴力団の組長に気に入られ、上手く取り入り、自分の店を建ててもらったそうなのだ。


クラブやバーが建ち並ぶ歓楽街の細い道を、奥へ奥へと突き進む。


「ここか…!?」


小さいが洒落た印象の店だった。



カランカラン…


準備中と札のかかっているドアノブを回すと鍵は開いていて、俺は中に入った。



「お客さん、ご免なさいね。まだ準備中なのよ」


フルーツを切っていた手を止め、蓮華は顔を上げた。



「蓮華!」



「…暁さん?」



久方ぶりに名前を呼ばれただけで、あまりの嬉しさで胸が焦げたかと思った。


「蓮華!俺、昇進したんだ!

まだ課長だけど、これからも頑張って、もっともっと上を目指すよ!


だから、俺を頼ってくれないか?風俗なんて辞めよう!」


色々な興奮が入り交じり、一気に捲し立てた。

自信と興奮で、以前のようなオドオドした口調にはならなかった。




「……」



「なぁ、蓮華」


「随分遅い独立祝いでも持ってきてくれたのかと思ったら…」


「?」


「わざわざそんな事言いに来たの?」


ため息と共に蓮華はそう吐き捨てた。



「蓮華…?」


蓮華が喜んでくれると思っていた俺は、意味が分からなかった。




「じゃぁ100歩譲って。


アンタが社長まで昇りつめるはいつ?」


「しゃ…社長!?」


「仮になれたとしても、あと10年以上は先の事じゃないの?」


「…」


何も言い返せなかった。



「課長になったって喜んで来られてもねぇ…。

こっちは、はぁ?としか言いようがないんだけど。


アンタみたいな男、せいぜい社長くらいにはなってもらわないと、何の魅力も感じないのよ」


「そ…そんな…」


想いが打ち砕かれたようだった。



俺には蓮華が運命の人だと分かるのに、蓮華はそう感じないのだろうか?


そんな筈はない!


ガタン!


「きゃあ!」


俺は蓮華に歩みより、カウンター越しに両肩を掴んだ。



「君を…


愛してるんだ!


こんな気持ちは初めてだ!」


「離して!」


蓮華は怯え、力いっぱい俺を突き飛ばした。


ドッ


俺は床に倒れた。


カチャンカチャン!


蓮華の持っていた果物ナイフが勢いでその手を離れたようで、俺の近くの床に落ちた。


「っ…」


弾みで口の中が切れたようで、血の味が広がった。


胸ポケットの中身が床にこぼれているのに気付く。

ボールペンと手帳。

手帳に挟んでいた妻と子供の写真。


あまりの俺の転倒ぶりに慌てたようで、近寄ってきた蓮華の足元で、写真の中の妻と子供は明るく笑っている。



「…結局は家族が一番なんでしょ?」


聞いたことの無いほど冷たい声だった。


「…」


「もし仮に、私がアンタを受け入れたら、

アンタ家族はどうするの?

捨てられるの?

捨てないんでしょ?」



…蓮華と結ばれた時、俺は家族を…。


「…っ」


考えると、涙が込み上げてきた。


「うっ…うぅっ…」


ボロボロと情けなく涙を流した。



…捨てられる訳がない。

妻を。我が子を。


それが分かる。



「遊びならまだしも、双方に本気だからタチ悪い。



…いい?

今の私のお得意様はね、ある組の組長なの。私は本気の覚悟でこの世界に足を踏み入れたの。

そこから私を奪おうなんて考えたら、アンタ自分がどうなるか分かるわよね?




自分の大切なものすら中途半端に扱ってて、ほんっとうに、私、アンタがだいっきらいだわ」



俺は、蓮華と結ばれることはないのだろうか。


蓮華とひとつになることは叶わないのだろうか。


こんなにも、胸が突き破られそうなほどの強い想いなのに。


運命の相手なのに。



今まで溜めに溜め込んできた全ての負の感情がついに爆発したようだ。


胸が締め付けられ、息ができない。

頭に血が上り熱い。

目は距離感覚を失った。




この想いが叶わないのなら…。

蓮華が俺と結ばれず、他の男を選ぶのなら…!


それなら俺は…!



カシャン!


それまで鉛のようだった体が、嘘みたいに瞬時に動いた。


俺は右手に果物ナイフを掴みながら立ち上がり、左手で目の前の蓮華の左肩を掴んだ。


「!?」


一瞬の出来事に、蓮華は身動きもできなかったようだ。


「な、なにを!?やめ」


右手を一気に前方へ押し出した。


「!!!!」


サクッ…という感覚だった。

ナイフは簡単に蓮華の腹部へ深く刺さった。


「っ、あぁぁぁぁぁぁぁっ」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


1度刺すと止まらなかった。

俺は何度も何度も蓮華の体を刺した。

蓮華の悲鳴を自分の呻きで掻き消すように叫び続けながら刺した。







「はぁっ

はぁっ

はぁっ…」


やっと我に返った時、まず頭に浮かんだ考えに、自分で自分が恐ろしくなった。

それは、蓮華を殺した事への謝罪や後悔の気持ちではなく、どうやって(・・・・・)この殺人を隠すか(・・・・・・・・)というものだったから…。


捕まるわけにはいかない。

俺には妻と子供がいるんだ…!

自分の身を守ることしか考えられなかった。


だが、殺人なんて全く縁のない世界で生きてきた。どうすればいいのか分からない。

とりあえず、本日休業の札が目についたのでそれを表にかけ、内側から店に鍵をかけた。

そして店内に飛び散った血を拭き取り始めた。


「はぁっ…

はぁっ…

はぁっ…」


恐怖と興奮で息が苦しい。


蓮華の叫び声が耳に媚りついて離れない。

蓮華の血は俺の体内に染み込んだように思えた。


店内を綺麗にし終わったら、時刻は9時を回っていた。

自分の黒いスーツは、あまり血が目立たなかった。

ロッカーに入っていた黒いフードつきのロングコートを蓮華に着せ、背中におぶった。


俺は遺体を背負って町外れの山に行き、そこに蓮華を埋めた。スコップなどないので、木の枝を折りそれで何時間もかけて穴を掘った。


何もかもが、粗雑だった。


店から出て喧騒な町を抜けるまで、沢山の人とすれ違った。


今思えば、バレない訳がないと思う。



だが、バレなかったのだった。


俺は殺人を犯してから2年後に不治の病で死ぬのだが、死ぬその時まで、警察と無縁だった。



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