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覚醒の兆しと共に絶望は始まるのだ。
それはまるで悪夢のように───
───ある日突然にやって来る。
運命というものは実に身勝手な生き物だ。
運命は人の意思に左右されてはくれない。
今宵、運命は私を絶望へ堕としこむのだ。
どれほど私が拒んでも、
どれほど私が足掻いても、
どれほど私が泣き叫んでも、
今宵、運命は私を絶望へ堕としこむのだ。
じわりじわりと焦りが心を占めていく、
どうにか、嗚呼、どうにかしなくては......。
逃れる術などないと知っていても抗わずにいれない。
だが絶望はもう私の『中』にあるのだ、
例え何処まで行こうとも逃れられはしない。
いや、否か。そも、もう一歩たりとも動けない。
絶望を認識した時点で足1つ動かせないのだから。
私に与えられた僅かな刻、それももう終わる。
今宵もまた、私は絶望に飲まれるのだ。
今までがそうであったように、
今宵もまたそうであるという、只、それだけだ。
何度も何度も繰り返し、
何度も何度も逃れ得ず、
何度も何度も屈してきた。
そして───今宵もまた。
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「......ぁ.........ぁぁ! ぁぁぁあああぁ足吊ったああああぁぁぁぁああぁんッ!!!」
なんかふと夜中に目が覚めたと思ったらコレだよ!
あぁむ、コレどっちぃ?
足反るのが正解? 足伸ばすのが正解?
究極の選択肢来たぞコレ、一先ず軽く反っ......。
「ああ! ダメ! 違う! お前そっちに動いていい筋肉じゃないから!! 待って、ヤメテ、止ま、痛い痛い痛だだだ痛ったい!」
クッソ痛恨のミス、1/2の確率で外すなんて運のない。しかし次はそうはいかん、反るのがダメなら伸ばすのみ。去るがいい激痛よ!
「アイエエエ!? キンニク=サン!? キンニク=サンナンデ!? イタイ! イダダーッ!?」
明け方を迎えようとするベッドのミューラーは驚愕のあまり容易に混乱し、喚いた。反ってもダメなら伸ばしてもアウト。一体誰がこの事態を予期しえただろうか。少なくともミューラーは予想外。
こうなってしまっては下手に動かす訳にもいかずジリー・プアー(徐々に不利)、堪らずミューラーなるべく痛みの少ない体勢でやり過ごそうとする。しかし、おおナムアミダブツ! 更なる悪魔めいた絶望がミューラーに襲い掛かるとは、かのノストラダムスですら予見しえなかったであろう。
「貴様もかブルゥゥゥゥタスゥゥウウゥウウゥウゥウウウ!!」
示し合わせたかのような華麗なるコンビネーション。隙を生じぬ二段構え。右足に続けとばかりに左足も猛烈に吊った。更にご丁寧な事に此方も反ろうが伸ばそうがお構い無しの猛者。ああ、なんという泣きっ面踏んだり蹴ったり。あとハチ公。最早打つ手無し、憐れミューラーは今宵も絶望へ沈むのだ。ショッギョ・ムッジョ!
アトルの街に着いてから早数日。
そんな朝の一幕から今日も1日が始まる。
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ギルド内に設けられた酒場スペース。夜通し騒ぎ倒した冒険者が死屍累々と転がるこの場所に、灰色キルモーフを前後逆さにして羽織った男が1人。
「朝からひっでぇ目に遭ったぜ......」
誰もが経験のある絶望を味わった男。ミューラーである。
「なんだぁ? 今日は朝から冴えねぇ面してんじゃねぇかあんちゃん」
「朝から足吊ったんだよ、しかも両足いっぺんにだぞ?」
「そーりゃ朝からついてねぇな。で、今朝は何にするよ?」
「あー......いいや、今回もいつもの炒め物で頼むわ」
初めてここに来た時に食べた旨くも不味くもない炒め物。しかし、ミューラーはこの料理を思いのほか気に入っている。何を頼むか悩んだ時にとりあえず頼む程度には気に入っている。生ビールのようなものだろうか。
「またかよ。いや、別に悪いわけでもねぇが、あんちゃんの懐事情を知る人間としちゃ、もちっと高いモン食ってもよくねぇか?」
「どうにも口に合わねんだよ。俺は安物で十分だわ」
前に一度この酒場で一番高い料理を頼んでみたことがある。結果として出てきたのは分厚いステーキ、聞くところによるとそれは魔物の肉であるとの事。
そして実際旨い。旨い...が、何処か味気ない。肉の旨味は申し分ないのだが調味料が圧倒的にたりないのだ。異世界あるあるになるがこの世界の調味料は高い、買えない程ではないが贅沢品の類だ。
そんなわけで肉の旨味に調味料が追い付いて来れないのである。似たような例を挙げれば、ワサビ抜き醤油無しの刺身だろうか。決して単品でもまぁ不味くはないが、逆に物足りなさが際立つ有り様となる。
ならば最初から安物の炒め物で済ませてしまおう、とミューラーが考えるのもある意味当然の帰結であった。量だけはあるので腹も十分に満たされる。
そんなこんなで今日も朝から謎肉と謎野菜による炒め物である。ここ数日繰り返される毎朝の光景だ。旨くも不味くもないが、とりあえず物足りなさは感じない。
「ミューラー、貴方今日もまたソレ食べてるの?」「毎日食べてるのに、よく飽きないねお兄さん」
ついでにミーア・ニーアがテーブルにやって来て、俺の食事に呆れつつ一緒に食事するのもここ数日繰り返されている。別に時間を合わせているわけではないのだが、何故かいつもタイミングが重なるのだ。不思議。
「......先に言っとくが、今日は行かねぇからな」
何の話かと言えば依頼の話である。この男、冒険者になって数日は経つというのに、未だにまともな依頼をこなしていない。
「まだ何も言ってないじゃない」
否、厳密に言えば依頼は毎日こなしている。とろマナポや白マナポの納品はミューラーへの指名依頼という形で行われているからだ。なにせ『仕入れ先は秘匿する』という条件は出したものの、下手に人目を盗んでギルドに納品している所を目撃されれば怪しまれるやもしれない。
ならばむしろ依頼された品を持ち込んだのだ、と堂々としていれば然程人目も引かずに済むというものだ。実際それはギルドではありふれた光景であり、今のところ部外者にバレそうな気配もない。
「言われなくても分かる。だが断る」
そんな背景もあり、ミューラーは毎日依頼をこなしている立派な冒険者と言えなくもない。しかし、先も述べたようにまともな、というよりも上記の指名依頼以外はひとつもやった事がない。これでは冒険者というよりも只の卸売り業者でしかない。
「お兄さんも既に休養十分、そろそろどうかと思う次第」
これに不満を持ったのがミーア・ニーア姉妹である。折角パーティー登録をした相手がまともに依頼を受けないのだ。それでも1日2日ならまだ問題はなかった、自分達も落ち着いてミューラーの羽織る『不滅のキルモーフ』を観察出来るのだから。実際2人はここ数日ミューラーといつも行動を共にしていた程である。
しかし、何事にも限度と言うものがある。なんせミューラーの1日は朝は適当にアトルの街を散歩或いは観光、昼は風通りの良い場所を探して昼寝、夕方には最早ミューラーの私室と化したギルドの医務室に帰ってくる。端的に言って何もしていない、羨ましい程にスローライフ。またの名を穀潰し。
「一応言っとくが、俺は俺で色々やってるんだぞ?」
これも一応ウソではない。例えば医務室に居る時に負傷した冒険者が来れば、鑑定で調べた薬品棚の薬を使ってヤブ医者をしていたりする。ヤブなので面倒臭い時にはポーションぶっかけるだけのザル対応。ポーションは別に飲まなくとも患部に掛けるだけで傷は治るとミューラーはこの数日間に学んだのだ。その場合はHPMPの回復量が減少する代わりに傷の治癒力が高まるのである。
ついでに散歩したり昼寝で微睡んだりしてる時もMPが全回復する1時間毎の薬品生成を欠かしてはいない。お陰でレベルが上がり新スキルも増えたし、生成出来る薬品も増えている。だが、これまでの件で隠し事は下手だと自覚しつつ、ポーション等をスキルで生成している事だけは隠し切ろうと頑張った結果、姉妹からは何もしていない様に見られているのだ。悲しい。
「確かに毎日例の物を納品してるのは知ってるから、それが全くの嘘とは言わないけれどね」「いい加減私達の方が体が鈍りそう。討伐依頼でも受けて体を動かしたい今日この頃」
「.........それ、お前らだけで依頼受けりゃ良くないか?」
「あーもう! 私達みたいな美少女2人が誘ってるのに!」「ある意味すごい失礼、お兄さんは今、世界中のモテない男性を敵に回した」
「あぁー分かった分かった、分かったから睨むな。でもとりあえず明日な、今日はちっと行きたい所があんだよ」
ミューラー、根負け。
ただ正直に言えばミューラー自身も依頼を受けてみたかったのも事実。ただそれよりも優先しておきたい事が有ったから先伸ばしにしていたに過ぎないのだ。
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「ここ、だよな......?」
あれからなんとか双子を説得し、あと1日という猶予を勝ち取ったミューラー。その後彼が向かったのは街の大通り......から逸れて路地裏に入り、上上下下左右左右の順に進んだ先にある1軒のお店。
怪しい、実に怪しい店だ。最早怪しさが可視可して見えそうな勢いで怪しい。更に言えば店の人間なのだろうか、軒先には二つの人影......黒の上下スーツにグラサン、スキンヘッドが直立不動である。服の上からでも分かる筋骨粒々な肉体からは威圧感しか感じない。怪しい。
思わぬ門番の存在に内心『聞いてねぇよあんなの!?』と今にも帰りたい気分になりつつ、なんとか平静を保って黒スーツに近寄っていく。
「.........用件を」
「買い物に来た」
さて、ここからは合言葉だ。
ミューラーはこの場所を教えてくれた人物から、キチンとこの店の合言葉も聞いていた。が、合言葉を確認してくる相手までは聞いていない。迂闊。己の迂闊さをミューラーは激しく後悔していた。
「.........人は人の上に人を置かず」
「人は人の下に人を置いた」
「.........持たざる者は己が身を」
「持つ者は己が財貨を」
「.........「以て此れを、契約とする」」
「.........ようこそ奴隷商会『ヌー』へ」
「.........財貨の有る限り我らは貴方の友人である」
合言葉クリア。
そそくさと店の中に入るミューラー、先程から心臓が早鐘を鳴らして仕方がない。明らかな裏世界の人間と相対出来るほどミューラーはメンタル強くないのだ。彼の脳内では万が一合言葉を間違えようものなら、深夜にコンクリ抱えて大海原へダイビングである。被害妄想なり。
「おや、お客人とは珍しい、今日はどういった商品をお求めで?」
店構えや門番とは違い、店内では至って平凡な男が笑顔で話し掛けてきた。ミューラーここでようやく一安心。一安心? 奴隷となったとはいえ、人間を商品と言って憚らない相手である。端的に言って悪党、安心する要素はない。錯覚であった。
「とりあえず戦闘が出来る奴、魔法は使えなくてもいい。男女は問わない」
気を取り直して必要最低限の会話だけを心掛ける。こんな所で働いている男なのだ見た目に騙されてはならない。糸目なので分からないがきっと目は笑っていないに違いない。コンクリダイブだけは避けるのだ。
「了解しました。ではこちらの部屋にて少々お待ちを、すぐに商品を運び出して参ります」
そう言って男はミューラーを店内の一室へ案内し去っていく。今度こそミューラーも一安心、部屋に備えられた椅子に座って深呼吸。先程の男が奴隷を連れてくるまでの間、束の間の休息である。
そも、何故ミューラーが奴隷商会などに来ているのか。それはミューラーがとある事実に気が付いたからに他ならない。
ご存知の通りミューラーは人々の頭上にHPMPゲージが見えている。それは老若男女関わりなく見えている。そして自分自身のも見えている。自分と他者のゲージ、それを見比べた時に気付いたのだ。
(アレ......俺のHPMP、低すぎ......?)
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