第五章 泉美と圭・命と月下 その3・命
お風呂から上がり、ベッドで悶々としているうちに、気が付いたら朝になっていた。
ボーとした頭で着替えを済ませ、少しはシャキっとしようと顔を洗っていると玄関のチャイムがやかましく鳴る。
「……だれだ、こんな朝っぱらから」
悩みすぎて機嫌が悪かった事もあり、ぼくは幾分ぶっきらぼうに玄関のドアを開ける。
「よう」
「月下さんっ!」
玄関を開けた途端、ドアップで目の前に現れた月下さんの顔を見て。ぼくは不覚にも腰を抜かしてしまった。
「なんじゃ、そこまで驚かんでもよかろうに」
「驚きますよっ! 何で急に……って言うか、どうやってぼくの家調べたんですかっ⁉」
唐突な月下さんの出現も驚きだが、彼女がぼくの家を知っていた事の方がもっと驚きだ。
「まぁ、そんな細かい事は気にするな。それよりほれ、行くぞっ!」
「行くって何処に……って、ちょっと月下さんっ⁉」
何が何だか分からないうちに、ぼくは月下さんに腕を掴まれて連れ出される。女性的な見た目に反して、とてつもなくパワフルな人だ。
「ちっ、何をしておるんじゃあやつは! 分かっておらん、まったくもって分かっておらんっ!」
月下さんは遠くに見える二つの人影に向かって毒づいている。
……いや、実際に毒づいているのはそのうちの一人だけか。
「なに、やってるんですか。月下さん」
ぼくは月下さんに困惑の気持ちを込めた白い目を向ける。
「決まっておろうが、泉美と圭の尾行じゃ尾行」
そう、月下さんとぼくが遠くから眺めているのは泉美ちゃんと圭だった。家から拉致同然で月下さんに連れてこられたのが、二人のデート現場だったのだ。
「いやなに、泉美がデートに行くのを不安がってのう。こうしてこっそり後からつけて行って、何かあった時には助ける約束をしたのじゃ」
月下さんは二人から目を離さずにぼくの質問に答える。その横顔はいたって真面目で、二人の事を冷やかすような意思は微塵も感じられない。
「だったら、何でぼくまで連れて来たんですか?」
「いいからいいから、気にするな。そのうち分かる」
「ちょっと、月下さん!」
月下さんは答えてくれず。ぼくを引っ張って泉美ちゃん達の後を追って走り出す。
二人の目的地は遊園地のようだった。そこは近隣にある中で最大の規模を誇っている事もあり、街中とは比較にならないくらい人が多い。
遊園地へと入場していく二人から一定の距離を保ちつつ、ぼく達も遊園地へと足を踏み入れた。月下さんは逃がしてくれそうもないので、ぼくも覚悟を決めて二人の後をつける。
遊園地に入った泉美ちゃんは、遠目からでも分かるほど驚いていた。これ程の規模だ、始めて来たならそうなるだろう。ぼくの隣でも一人、驚きに目を丸くしている人がいる。
「ほほぅ、何時の間にかこんな場所が出来ていたのか。くふふふふふ、楽しそうじゃのう」
月下さんだ。
彼女は本来の目的を忘れたかのように、周囲へ物珍しげな視線を泳がせている。何時もは力強さを感じさせる視線も、今だけは無邪気な子供のような光を湛えている。
「ちょっと月下さん。あんまり騒ぎすぎると二人に見つかっちゃいますよ」
「分かっておる、分かっておる」
分かっていると言いながら、その声は何時もよりワンランク上の大きさだった。幸い距離がある事と、周りが賑やかなので気付かれる事はなかったが、ヒヤヒヤとさせられる。
「……どうやら二人はジェットコースターに乗るみたいですね」
「ふむ、そのようじゃのう」
しばらく興奮気味の月下さんをいさめながら二人の後を追って進んで行くと、どうやら二人は最初に乗る乗り物をジェットコースターに決めたようだった。
「……でも」
「? どうしたんじゃ、命」
「いえ、ぼくの気のせいかもしれませんけど。泉美ちゃん、ジェットコースターに乗るの怖がってませんか?」
遠目から見ているのではっきりとは分からないが、どことなく泉美ちゃんの顔色が悪い気がする。表情は笑顔だし、楽しんでいるようには見えるのだが……。
「ほう……。分かるか」
一瞬驚いた顔をした月下さんだが、すぐにぼくに頷く。その視線が、どことなく優しくなっていた。
「って事は、やっぱり?」
「うむ。泉美はああいった絶叫系は苦手じゃ。昔ここよりも小さな遊園地に連れて行ってやった事があるが、コーヒーカップでさえ怖がっておったからのう」
ぼくは泉美ちゃんの事が心配になる。コーヒーカップでダメならジェットコースターは彼女には厳しすぎる。ぼくも苦手なので、その気持ちが手に取るように分かった。
「……乗ったな。よし、わしらも乗るぞ」
「えっ? いや、あの何も乗らなくてもいいのでは? 見失う事はありませんし……」
「何をつべこべ言っておるかっ! いいから、来いっ!」
「うわぁああ、月下さんっ! あの、ぼくもジェットコースターは苦手でぇーーーー」
ぼくの悲鳴もなんのその。月下さんはジェットコースターに乗り込むと、隣の席に無理やりぼくを押し込んだ。
プルルルルルルルッ!
発車のベルが鳴り、ジェットコースターがゆっくりと動き出す。