第四幕 泉美の悩み
「はぁ~」
夜。わたしは神社入り口にある大鳥居の上に腰かけ、十六夜の月を見上げていました。
「はぁ~」
でもわたしは月を見上げているだけで、その実ちっとも月は目に入ってきません。胸が痛かったり苦しかったりで、それどころではないのです。
理由は分かっています。命さんと別れ、圭さんに荷物持ちを手伝ってもらいながら帰路についていた時……。
「圭さん、その……。腕、どうしたんですか」
「? どうしたって、何が」
命さんと別れてから、わたしはようやくその質問を圭さんに尋ねました。なかなか踏ん切りる事が出来ず、それだけの質問をするのにだいぶ時間が経ってしまっています。
「い、いえっ! その、腕をを見せてもらった時に傷痕みたいなものが見えて気になったんです! ご、ごめんなさい」
自分から話しかけたにも関わらず、圭さんの事が怖くてビクビクした反応を返してしまうわたし。小さい頃の事が原因で、わたしは人間さんが怖いのです。
命さんが相手の時は怪我の治療をしていて慣れたのか、それ程でもないですけど、会ったばかりの圭さんでは、どうしてもこういう反応になってしまいます。
「謝んなくたっていいよ。君みたいな美人に興味もたれるなんて嬉しいからさ、俺は」
圭さんはにやけながら頬を掻きました。わたしは圭さんが怖いのもあってどう反応していいか分からず、曖昧に頷きました。
「腕の傷だったよね? いや実はさ、小さい頃に噛まれちゃっていまだに消えないんだよこれが。痛いわけじゃないんだけどさ」
「……そう、ですか」
圭さんの答えを聞いて、私はますます疑いを深めました。右腕に出来た噛み傷の跡、状況的には一致しています。
もしかして、圭さんが……。
「それよりさ、今度俺とデートしてよ泉美ちゃん!」
考え事に沈んでいた私の意識は、圭さんの熱っぽいセリフによって現実に引き戻されてしまいました。
「え、えっと。それは、そのぅ……」
わたしは困ってしまいます。先程までは一も二もなく断われましたが、圭さんがあの人かもしれないと考えると、断わってしまっても良いのか分からなくなってしまいました。
「ご苦労じゃったな圭よ。家はもうすぐそこじゃから、ここまでで良いぞ」
圭さんからの再三にわたるデートの申し込みを断る事も受ける事も出来ずに、曖昧な返事を繰り返していると、姉さまが突然圭さんに別れを切り出しました。
何時の間にか、神社のある山のすぐ近くまで来ていたようです。
「え? そんな、最後まで運びますよ」
「いや、それはさすがに悪い。それに、わしはお主のような軟派者に自宅を教えるほどお人好しではないぞ?」
「い、いやだなぁ~。家の場所が分かったからって押しかけたりしませんよ? そんなに信用ないですかぁ」
「残念ながら、わしはまだお主の信用できる面を見せてもらってはおらんのう」
「うっ……」
反論出来なかったのか、圭さんの肩ががくりと目に見えて落ちました。
「分かりました………」
圭さんは項垂れたまま自分が持っていた荷物を姉さまに返します。そのあまりの落ち込みように、ちょっと申し訳なく思いましたが、神社の場所を知られるわけにもいきません。
「うむ。だがま、助かったのも事実じゃからのう。感謝はしとるぞ?」
圭さんは姉さまに笑顔を向けられると、すぐに元気を取り戻した様子です。
「いや~、何のこれしきですよ。俺、鍛えてますから」
圭さんは姉さまに笑顔を返すと、一歩後ろを歩いていた私に振り返ります。そして何処からか取り出したメモ帳に何事かを書くと、それを破り取ってわたしに手渡してきました。
「デートする気になったらここに電話してよ、俺の携帯番号だから。じゃ、そう言う事で」
「へっ? え?」
人間さんの常識に疎いわたしが何の事だか分からず困惑しているうちに、圭さんは足早に立ち去ってしまいました。
「………」
わたしは視線を手の中の紙へと落とします。月明かりだけとは言え、妖かしであるわたしには、そこに書かれた電話番号が見えています。それが何なのかは姉さまに聞きました。
「……ここに居ったか、泉美」
鳥居の下から優しい声がわたしを呼びました。姉さまです、顔を見なくとも分かります。
「よっと」
姉さまは軽やかな身のこなしで数メートルはある大鳥居の頂上まで飛び上がると、わたしの隣に危なげなく着地しました。
そのまま姉さまはわたしが先程まで見ていた月に視線を向けて呟きました。
「のう、何か悩み事があるのではないか。泉美」
「姉さま………。はい、実はそうなんです」
姉さま相手に隠す気にもなれず、わたしは素直に頷きました。
姉さまの紅色の瞳がわたしへと向けられ、月の青白い光の中にあってなお黄金色に輝く姉さまの髪が、その動きに合わせてサラサラと服の上を滑る音がわたしの耳にも届きます。
「圭の事じゃろう?」
「! ……はい」
言い当てられて一瞬驚いたわたしですが、すぐに事情を知っている姉さまなら当然の事だと思い直して頷きました。
「あの腕の傷。………圭さんは、もしかしたらあの人かもしれません。そう思ったら、どうしたらいいのか、分からなくなっちゃいました」
「……嬉しくは、ないのか? もしかしたら泉美がずっと探し続けていた相手が見つかったのやもしれんのだぞ」
「分かりません。圭さんがそうかもしれないって思っても、何にも感じないんです。もし見つかったら、飛び跳ねるくらい嬉しくなると思ってたのに………」
「ふむ」
話を聞き終えた姉さまは、黙り込んでしまいました。顎に手を当てて考え込んでおられる様子です。
天頂で輝いていた月が雲に隠れ、再び顔を出したころ、姉さまはわたしへと向き直りその重い口を開きました。
「ならば、一度圭とデートをしてみたらいい」