第二幕 巫女さんたちのお風呂
スルスル……。
広くもない脱衣所に、複数の衣擦れの音。今から神社の皆さんと一緒にお風呂です。
「泉美、先に入っとるぞ~」
「あ、は~い。わたしも今行きます」
一足先に脱ぎ終えた姉さまがお風呂場に行くのを、わたしも急いで追いかけます。
……ガタンッ。
「?」
物音がした気がして、わたしは足を止めて振り返り、周りを見回しましたがそれらしい物は見当たりません。
「どうした、泉美?」
「あ、はい。何でもないです姉さま。今行きます」
たぶん気のせいでしょう。わたしはそのまま姉さまを追ってお風呂場に向かいました。
「月下さん、お風呂に浸かる前に身体を洗ってくださいよ」
「分かっておるわ、美琴はほんに細かいのう」
同じようにお風呂場へと足を向けながら、美琴さんが口をすっぱくして姉さまに言い募ります。姉さまはそういうところ無頓着なので、美琴さんからよく注意されています。
「おい兎姫子。美琴が月下に気を取られてる隙に、今日こそ飛込みを成功させるぞっ!」
「!」
「あ、こら! 二人ともやめなさい」
わたしと姉さまの後から、美琴さんと子栗鼠ちゃん兎姫子ちゃんもお風呂場に入って来ました。
子栗鼠ちゃんと兎姫子ちゃんはそのままお風呂に飛び込もうとしましたが、寸での所で美琴さんに捕まってしまいます。いつ見ても微笑ましい光景です。
「まったくもぅ、貴方達は何時も何時も。たまにはわたくしの言う事も聞きなさい。貴方達が命さんに見られたと聞いた時は、肝を冷やしましたよ」
美琴さんは子栗鼠ちゃん達を湯船から遠ざけ、一まとめにして無理やり洗いながら深いため息をもらしました。
「幸い、泉美さんが誤魔化してくれたから良いようなものの。わたくし達が妖かしだとバレたらどうするんですか」
「またその話かよ~。バレなかったんだから良いじゃんか~」
「……」
「そういう問題じゃありませんっ!」
ワシャワシャと髪を洗いながら、わたしは聞くともなしに美琴さんと子栗鼠ちゃん達の話を聞いていました。真面目な美琴さんが、やんちゃ盛りの子栗鼠ちゃんをお説教しているだけなのだけれど、その内容がわたしの胸にチクリと小さな棘を刺しました。
そうわたしは、わたし達は人間ではなく妖かし……妖怪なんです。
命さんにはコスプレだと言った、子栗鼠ちゃん達の耳や尻尾は本物。裸になった今でも、その身体からは触り心地のよさそうな耳と尻尾が生えています。
それは、わたしや姉さまも同じ。放っておいたら身体なんて洗わない二人を無理やり洗っている美琴さんにだって、さわり心地の良さそうな尻尾と犬耳が生えています。
それぞれ、美琴さんは犬。子栗鼠ちゃんは栗鼠。兎姫子ちゃんは兎。わたしと姉さまは狐の妖かしなんです。
最初は人間さんだと言う事もあり、怖く思っていた命さんですが、話してみるうちにとても良い方だと分かって。嘘をつくのが心苦しくなってきていたのです。
「……バレても良いのではないか?」
「月下さんっ!」
密かに悩んでいると。まるでわたしの心の声が聞こえたかのようなタイミングで、姉さまが声を漏らしました。わたしも美琴さんもビックリして姉さまの方に振り向きます。
私達の視線を一身に受けながら、姉さまは湯を被って髪に付いたシャンプーの泡を洗い落としました。
命さんと会う時は色を変えていた黄金の髪の毛一本一本がお湯を弾き、お風呂場の淡い明かりにキラキラと星のように輝いています。
純金で作られた金糸のような姉さまの毛色。尻尾の先から耳の先までいっさいの混じり気のない黄金は、地味な狐色のわたしには特に綺麗に見えます。
「わしが見たところ、あの命と言う小僧は信用できると思うがのう」
「それは、そうかもしれませんけど。でも、万が一にもわたくし達の事が世間に知れたら、沢山の仲間達に迷惑が掛かります」
わたし達のような妖かしは、かなりの数が人間社会に溶け込んで生活しています。中には人を襲う邪悪な妖かしもいますが、殆どの者は友好的で、美琴さんの言う仲間とはこういった妖かし達の事です。
「まぁ、それはそうなんじゃがのう……」
「?」
そこで姉さまは、何故かわたしに目を向けました。宝石のような紅色の瞳が、どこか物憂げにわたしを映していましたが、何故だか分からず。わたしは首を傾げてしまいました。
「…………。ま、もう少し様子を見てみるとするかのう。さ、もうこの話は終わりじゃ、さっさと風呂に入るぞ」
「あ、ちょっと月下さん」
姉さまはそう言って話を切り上げると、わたし達全員が悠々と入れる大きなお風呂のお湯をザバーッと豪快に溢れさせて湯に浸かりました。
「ふい~。極楽極楽」
「もう、オジサンくさいですよ月下さん」
話を続けようとしていた美琴さんは、姉さまの態度に話を続けるのは無理だと見て取ったのか、ため息を一つ残して自分も静々とお湯に入っていきました。
「おっしゃ、オレ達も入るぞ兎姫子」
「!」
「あ、こら二人とも泡を落としてから。きゃっ」
ドバーンッ!
美琴さんの制止の声もむなしく、子栗鼠ちゃんと兎姫子ちゃんは泡をつけたまま勢いよくお風呂に飛び込んでしまいます。
派手に飛び散った泡交じりのお湯を浴びて美琴さんは眉間をひくひくさせ、姉さまは楽しそうに笑っています。
わたしも皆さんの楽しそうな様子に小さく笑みを作って、お風呂に入りました。
「まあまあ、そんなに目くじらをたてるな美琴。せっかくの湯なのじゃ、楽しく入れれば良いではないか」
「まったくもう、月下さんは甘いんですから。そんなんだからこの子達が悪戯ばっかりするんですよ」
「なっははは、子供とはそういうもんじゃて。それよりもほれ、怒ってばかりおると頭にばかり血が行ってせっかくの胸がしぼむぞ」
そう言うと、姉さまはあろう事か美琴さんの豊かな両の胸を後ろからまわした手で鷲掴みにしてしまいました。
「きゃああっ! な、なな何をするんですか⁉」
姉さまの突然の行動に、美琴さんは顔を真っ赤にして狼狽しています。何時も冷静な美琴さんにしては珍しい事ですが、無理もありません。
「ほれ、ほれほれ‼ まったく、どうしたらここまででかくなるんじゃ? わしよりも大きいではないか」
「や、やめてください! もまないでぇ~っ‼」
は、はたから見ているわたしですら恥ずかしくなってくる光景。姉さまの胸も十分以上に大きいですが、美琴さんのはそれ以上!
「も、もぅ~。止めないなら、こうです!」
「ぬおっ⁉」
姉さまにいいように胸を揉まれていた美琴さんが、ここぞとばかりに反撃に転じ、姉さまの胸を掴みます。
「ぬうぅ、小癪な!」
そのまま二人は頬を染めながら胸の揉み合いを始めてしまい、腰巣ちゃん達もそれに触発されてか、互いの胸を突っつきだしました。
「あはははっ、兎姫子の胸ちっちゃいな~」
「! ……! ………」
「はあっ! そんな事ねぇよ。兎姫子の方がちっちゃいって」
小さくてもやっぱりそこは女の子。二人とも胸の大きさは気になるみたい。
「ぬはは。胸の大きさを気にするなんぞ、お前らにはまだ早い。もうちと育ってから言え」
「なにぃ~! オレ達の胸は十分育ってるぞっ」
「!」
「ぐっははははははは。そんなちんまい胸のどこが育っておると言うんじゃ」
「失礼な。オレも兎姫子も泉美よりはあるぞっ!」
――――――――――――――――――――――――――――あっ、目眩が。
ブク、ブクブクブク。
「お、おい泉美っ! しっかりせい、傷は浅いぞ。沈むな」
「そ、そうですよ。泉美さんはまだ若いんですから、まだまだ大きくなりますよ」
「そう、ですよね……」
何とか気持ちを立て直すも、子栗鼠ちゃん達にも負けてるとか言われると、さすがに傷付きました。……くすん。
「まあしかしあれじゃのう。泉美も胸の大きさなんぞを気にする年になったんじゃのう。わしが始めてあった頃は、胸はおろか素っ裸でおっても気にしていなかったのにのう」
わたしはお風呂の熱とは別の理由で頬が熱くなってくるのを感じ、視線を下げました。
「ね、姉さま。そんな妖かしになりたての頃の事なんか思い出さないでください!」
「ぬはは。すまん、すまん。じゃが、あの頃から泉美はかわゆかったぞ~。恩人に会いたい会いたいと、目をウルウルさせてせがんで来る時なんか特にのう」
「う、うぅ~」
は、恥ずかしぃ。
姉さまと始めた会った頃、わたしは妖かしではなく。必死に姉さまから妖かしになる方法を教えてもらっていました。
ただ、それまで森で普通の狐として生きていたわたしは、当然妖かしとしての常識なんてなく。その頃の恥ずかしい思い出を、姉さまには沢山知れれてしまっています。
「あら。泉美さんの恩人と言うと、たしか泉美さんがまだ普通の狐だった時に助けてくれたって言う?」
「あ、はい。そうです」
美琴さんに答えながら、わたしはその時の事を思い出して、心に温かな気持ちが満ちて来るのを感じました。
「たしか、小さな男の子だったのでしょう」
「はい。ただ、あれから十年以上経ちますから、あの人もだいぶ成長しているでしょうし、今会ってもあの人だとは分からないかもしれません」
「あら、それでも探しているんでしょう」
美琴さんに笑顔で言われ、わたしは少し気恥ずかしくなりながらも頷き返しました。
「あの時は、お礼も言えませんでしたし。それに……。それに、助けてもらった時に怪我をさせてしまいました。その事を謝って、償わなきゃいけません」
「怪我……のう」
不意に、姉さまが考え込むように眉をひそめました。
「? どうかしたんですか、姉さま」
「…………いや。何でもない」
「?」
よく分かりませんが、姉さまが何でもないと言うのですから、何でもないのでしょう。
「それはそうと、命の様子はどうなんじゃ? 今日は一緒に散歩をしたそうじゃが」
「ああ、命さんはですね」
「うん? 命なら泉美と抱き合ってキスしようとしてたぜ」
「何っ!」
「何ですって!」
「うああああっ! ち、違います。そんなことしようとなんかしてませんっ」
子栗鼠ちゃんたらなんて事をっ! 姉さまと美琴さんがものすごく驚いた顔でわたしを見てるじゃないですかっ。
「わたしが幽霊に驚いて命さんに抱きついちゃっただけで、キ、キキ、キスなんてしようとしてません」
わたしが強い口調で否定しても、子栗鼠ちゃんはニヤニヤと笑うばかり。
「もう、子栗鼠ちゃん。からかわないでくださいよう」
「でも、命の事が好きなんだろう?」
「ち、違いますっ! そ、そりゃあ嫌いってわけじゃないですけど。でも、好きとかそう言うんじゃないんですっ!」
身振り手振りを交えて必死に説明すると、子栗鼠ちゃんはばかりか、兎姫子ちゃんや美琴さんまで、子栗鼠ちゃんと一緒になってニヤニヤしだしました。
皆の反応で余計にむきになって言い募るわたしの頭に、姉さまがポンっと手を乗せます。
「落ち着け泉美。皆分かっておる。ただ人見知りなうえに人間が苦手なお主が、驚いたからとは言え、人間に抱き付いたのが珍しくってからかっておるだけじゃて」
「あ、う、うぅ……」
言い返せません。そんな風に言われると、確かに他の人だったらあの時抱き付いたりなんかしなかったかもしれませんし。
「くふふふふっ。泉美はほんに可愛いのう~。……うん?」
唐突に、わたしの頭を撫でていた姉さまの手が止まりました。どうしたのかと思って見上げると、姉さまは耳をピクピクと動かして難しい顔をしていました。
「どうかしたんですか、姉さま?」
「いや……変な物音が」
「物音ですか? ……まさかっ!」
音量を落としてささやくように呟いた姉さまの言葉に、一番に反応したのは美琴さんでした。美琴さんは出来る限り音を殺して壁際に移動し、そ~っと壁に耳を押し当てます。
わたし達は、そんな美琴さんの様子を固唾を呑んで見守ります。
「……………っ。そこっ!」
美琴さんの目がキラリと光ったかと思うと、その手が目にも留まらぬ速さで閃き。換気口の幾らか下の壁に穴が開きました。
「ぐえっ!」
すると、壁の向こうから蛙を潰したような悲鳴が聞こえてきました。
「ひっ! だ、誰かいるんですか」
怖くなったわたしは、自分の身体を抱いて声の聞こえた壁際から出来る限り離れます。
「ふんっ!」
美琴さんが壁の向こうにいる誰かを、掴んでいた腕ごと力任せに引き戻すと、お風呂の壁に大穴を開けて神主様が引きずられて来ました。
「やっぱり、貴方でしたか。一さん」
「ほんに、こりんのう。一」
「か、かか、神主様っ!」
「あ、一だ。たっくう、またかよ。こりねぇなあ」
「…………」
お風呂の床に叩きつけられた神主様を見て、わたしは恥ずかしくってお湯の中に縮こまり、子栗鼠ちゃん兎姫子ちゃんは呆れた顔で床に倒れる神主様を見下ろしています。
姉さまと美琴さんは、神主様がわたし達の裸を見れないよう顔を床に押し付け、鬼の形相で睨みつけていました。
「まったく、神社の付喪神の貴方に覗かれる事がないよう、わざわざお風呂を本殿から離して作ったって言うのに」
「わしはともかく、泉美の裸を見るのは……許せんのう」
「あ、あははは。二人とも、ここは穏便に」
『すむかぁーっ‼』
……その後、神主様がどんなめにあったのか、恥ずかしさと恐ろしさでしばらくお湯の中に沈んでいたわたしにはよく分かりません。ただ、息が続かなくなってお湯から顔を上げた時、すでに神主様はボロボロの見るも無残な姿に成り果て、縄で縛られた後でした。
「おい、泉美。それに兎姫子と子栗鼠。一の奴が気絶しているうちにあがるぞ」
姉さまの鶴の一声に、わたし達はお風呂を後にしました。わたしは神主様を避けて通ったのですが、子栗鼠ちゃん達が神主様を踏み越えて来た時には本当にヒヤヒヤしました。
「美琴、たしか物置にちょうどよい大きさの桶があったはずじゃのう」
「ええ、すぐに取って来ます。封印札も、これでもかってくらい張っておきますね♪」
何か、姉さま達が笑顔で怖い話をしています。
「うむ。……兎姫子、子栗鼠。ちょっと千代松を呼んで来てくれ」
「分かった。行くぜ、兎姫子」
「……」
美琴さん達は早足で出て行くと、程なくして戻ってきました。
「月下ちゃん、どうしたの急に呼び出したりなんかして?」
子栗鼠ちゃん達が連れてきた桂木さんが、姉さまに事態の説明を求めます。
「うむ。また一の奴がやらかしてのう。これから桶に詰め込んで生き埋めにするんじゃが。どうじゃ、一緒に入ってみんか? 木の妖かしであるお主なら土の中でも平気じゃろう」
「まあ! それって、密室で一ちゃんと二人っきりって事」
「ま、そうとも言うな」
「いやんっ❤ だったらこっちからお願いしたいくらいよ」
こうして、あっと言う間に神主様は桂木さんと一緒に桶に詰められ、埋められてしまいました。恐ろしいのは、これが初めてじゃないと言う事実。
神主様達の入った桶を埋め終わってしばらくすると、土の底からこの世の者とは思えない悲鳴が聞こえ。わたしは耳を塞いで足早にその場を後にしました。
翌日、命さんにこの話をすると、命さんは震える程驚いてしまいました。命さんも神主様から覗きに誘われていて、それを断わって止めようとしてくれたそうです。
命さんに裸を見られた時の事を考えると、恥ずかし過ぎて死んでしまいそうになるので、命さんが神主様の誘いに乗らなくて本当に良かった。