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第一幕 天渡し神社の巫女

 目を覚ますと、ぼくは布団の中で眠っていた。目に映った天井は、ぼくの知らないもの。

 ここは、何処だろうか?


「気が付いたか?」


 すぐ横から声が聞こえる。声の聞こえた方へ頭を動かすと途端に強い目眩がして、ぼくはうめいて目を閉じる。


「ふむ、あまり無理をするでないぞ? お主は頭を打っておったからのう」

「はい、すいません……」


 掛けられた言葉に答えながら、ぼくは目眩が治まるのを待つ。


「あ、あの。大丈夫、ですか?」


 先ほどとは違う声。気持ち悪さと目眩が治まってきたのを見計らって目を開けると、ぼくの目の前には二人の見知らぬ女性の姿があった。

 一人は艶やかで癖のない黒髪を腰の辺りまで長く伸ばし、切れ長の細目と陶磁器よりもなお白い肌をした、すらりと背の高い大人の女性。

 もう一人は、その女性の背になかば隠れるようにしている少女。年のころはぼくと同じか少し下くらいに見える。

 彼女が隠れている女性と同じく癖のない美しい黒髪は、肩より少し長いくらい。パッチリと大きく澄んだ瞳が、おっかなびっくりといった感じでぼくの事を伺っていた。


「あの……、どなたですか?」

「うん? おお、これは失礼したのう。わしは月下、弧印月下(こいんげっか)じゃ。これはわしの妹で泉美(いずみ)じゃ」


 大人の女性、月下さんはそう言ってその背に隠れている少女をぼくの前に引っ張り出す。


「ふえぇっ! ね、姉さま」


 姉に引っ張り出された少女。泉美ちゃんは、慌ててオロオロとする。


「まぁ、この通り人見知りの激しい娘じゃが、よろしくのう。お主の名は?」

「ぼくは日野命(ひのめい)と言います」

「命、か。ふむ、良い名じゃ」

「ありがとうございます。……それで、あの。ぼくは何でここに居るんですか?」

「ふむ、自転車で転んだ事は覚えておるか?」

「はい、何となくは。何で転んだかは、思い出せないですけど」


 ぼくは記憶を探り探り月下さんに答えた。まだ気持ち悪さが残っていて、思い出そうと頭を使うのは少しきつい。


「そうか、ならば話が早い。あの場にわし達も居合わせてのう。お主を助けるには救急車を呼ぶよりも、ここに連れてきた方が早くて確実だと思ったのじゃ。良い薬もあるでのう」

「そうだったんですか、ありがとうございます」

「なに、礼を言われるような事ではない」


 お礼を言うと、月下さんはカラカラと笑ってかぶりを振った。


「それより、具合はどうじゃ? お主が気絶している間に薬も飲ませたし、傷も治療した。雨で濡れた服も着替えさせたから、大丈夫だとは思うが」

「あ、はい。まだちょっと目眩がしますけど他は……」


 そこまで言いかけて、ぼくは月下さんの言葉に引っ掛かりを覚えた。


「…………服を、脱がせた?」

「そうじゃが。うん? 何じゃ、恥ずかしいのか?」


 月下さんはニヤニヤと意地悪な笑みをのぞかせる。


「は、恥ずかしいですよっ! 月下さんは、その……恥ずかしくないんですか? ぼくも一応、男ですし」


 顔が赤くなるのを自覚しながら訴えると、月下さんはニヤニヤ笑いをさらに深める。


「はっ! お主のようなガキの裸を見て恥ずかしがったりせんわ。わしは大人の女、じゃからな。ぬぅあっははははははは」


 高らかに笑う月下さん。なんだかどんどん恥ずかしくなってきて、ぼくは毛布を深く被って顔を隠した。


「うん? なんじゃ、もう寝るのか」


 ぼくの行動を見て勘違いしたのか、月下さんはぼくが眠くなったと思ったようだ。


「ではわしらは出て行くから、お主は今日はゆっくりと休んでくれ」


 月下さんは泉美ちゃんを連れて席を立つ。終始無言で俯いていた彼女は、逃げるように部屋を出て行く。知り合いでもないぼくと一緒に居るのが、いたたまれないのだろう。

 月下さんも彼女に続いて部屋を出ようとして襖に手を掛け、そこでぼくに振り返った。


「のう命よ。お主を着替えさせている時に見たのじゃが、お主のその右腕………」

「?」

「………いや、なんでもない」


 そこまで言って、月下さんは続きを言葉にするのをやめた。


「姉さまぁー?」


 襖の向こうから泉美ちゃんに呼ばれ、月下さんはそのまま部屋を出て行った。

 不思議に思ったが、疲れが出たのか本当に眠くなって来てしまったので、ぼくは考える事をやめて目をつむる。すると、ぼくの意識はすぐに闇に吸い込まれていった。



 翌日、目蓋の向こうに朝日の明かりを感じてぼくは目を覚ました。いまだ目眩をともなう気持ち悪さは治まっていないが、昨日よりはだいぶましになったように感じる。


「おはようございます。お目覚めですか?」


 声を掛けられて襖の方に目を向ける。するとそこには、ホカホカと湯気を上げるご飯の乗ったお盆を持って、柔和な微笑を浮かべる女性が立っていた。

 昨日の二人とはまた別の女性だ。

 丸っこい童顔に大きな縁無しの丸眼鏡。赤毛の髪を、白い紙筒のような物で括っている。あとで本人に聞いたところ、この白い紙は檀紙(だんし)と言うらしい。


「はじめまして。私は犬塚美琴(いぬつかみこと)と言います」


 眼鏡の女性。美琴さんはぼくの寝ている布団の横にお盆を置いて、綺麗なお辞儀をしながら名のってくれた。


「ああ、これはご丁寧にありがとうございます」


 丁寧な挨拶に、ぼくも上体を起こして頭を下げた。


「ふふ、礼儀正しいんですね命さんは。でも、あまり無理しないでくださいね? 昨日の今日なんですから」

「はい。ありがとうございます」

「朝ごはんをお持ちしましたので、召し上がってください。御口に合うかどうか分かりませんけど」

「はい、頂きます」


 美琴さんが持ってきた朝ごはんを頂く。炊き立てのご飯に、焼き魚に味噌汁と、典型的な日本食。特別な物は何もないけれど、作り手の心がこもった温かい料理だった。


「どうでしょう?」

「うん、美味しいです。とっても」

「ふふ、良かった」


 コンコン。

 程よい塩加減の味噌汁に舌鼓を打っていると、誰かが襖をノックした。


「やぁ、僕も良いかな?」


 目を向けると、ヒゲを生やした初老の男性がこちらを覗き込んでいた。


「ああ、一さん。すいません命さん。入れてもかまいませんか?」

「あ、はい。全然大丈夫です」

「ありがとうございます。……良いそうですよ、一さん」

「ありがとう、失礼するよ」


 美琴さんに一さんと呼ばれた男性は、部屋へ入ると彼女の隣に腰を下ろした。


「はじめまして、命君。僕は天杜一(あまもりはじめ)。この神社で神主を勤めさせていただいています」


 神社と聴いても特に驚きはしなかった。泉美ちゃん達も、美琴さんも。白衣に緋袴という巫女装束姿だったからだ。一さんの格好も似たようなもので、袴の色だけが空色だ。


「あれ? でもこの辺に神社なんて、ありましたっけ?」

「ええまぁ、山のかなり上にありますから、知らない人の方が多いと思いますよ」


 僕のかなり失礼な質問にも、神主さんは笑顔を崩さずに答えてくれた。


「天渡し神社と言う名前の、結構大きな神社なんですよ? とは言っても、鳥居くらいしか見る物はありませんけど」


 神主さんの説明を美琴さんが捕捉してくれる。神社の名前にもやはり聞き覚えはなかったが、ぼくも詳しい訳じゃないので、そうなのかと納得した。


「まぁ、美琴君の言う通り何もない神社ですが、ゆっくりして行ってくださいね命君」

「いえそんな、昨日泊めてもらっただけで十分ですよ。あんまり家も空けていられませんし、皆さんにも迷惑は掛けられませんからこれで………」


 食べ終わった茶碗を置いて立ち上がろうとして、ぼくはくらりとよろめいた。倒れかけたぼくを、美琴さんが寸前で支えてくれる。


「あっ、すいません。美琴さん」

「いえ。それより、まだ帰るのは無理ですよ。わたくし達の事でしたら気にしなくてかまいませんから、具合が良くなるまでゆっくりと休んで行ってください。ね?」

「でも……」

「い、い、から! しっかり休んでくださいっ」


 美琴さんに支えられていた身体が彼女によって強引に布団の中に戻される。美琴さんの力はけして強い訳ではないのに、ぼくはまともに抵抗も出来なかった。


「ほら、こんな状態じゃ危なくって帰せません。しっかり身体を治してください」


 笑顔でありながらも、有無を言わせぬ迫力で美琴さんがぼくを見据える。


「…………分かりました。すいませんけど、お世話になります」


 ぼくは観念して美琴さん達の申し出に甘える事にした。


「ただ、明日香が……幼馴染が心配してると思うので、伝言をお願いしてもいいですか?」


 今、両親はちょうど旅行中で家にいないのでそれは良いが。何時も何かと世話を焼いてくれる幼馴染の明日香には連絡を入れておきたかった。


「分かりました、かまいませんよ」


 快く承諾してくれた美琴さんに明日香の住所を教えて、ぼくはまた布団で横になる。


「ちゃんと伝えますから、命さんは休んでいてくださいね」

「すいません、お願いします」


 美琴さんは食べ終わった食器を持って部屋を出て行った。一さんも腰を上げる。


「僕も失礼するよ。命君、お大事にね」


 二人が立ち去った後、ぼくは天井を見詰めながら目を瞑った。眠くはなかったが、少し頭を動かすと途端に目眩がするので、出来るだけ頭を動かさないようにじっとしていた。



 美琴さん達が出て行ってからどのくらい経った頃だろうか、コンコンっと控えめに襖がノックされた。


「はい、どうぞ」

「し、しししし、失礼しますっ!」


 やけに緊張した声と共に襖が開くと、そこに居たのは泉美ちゃんだった。きょうは月下さんの姿はなく、一人らしい。


「お、お薬をお持ちしましたっ」


 泉美ちゃんは目線を合わせないようにしながら、ぼくの隣に腰を下ろした。ぼくも上体を起こして彼女を出迎える。


「その、これがまず飲み薬です」


 そう言って、泉美ちゃんは持ってきた幾つかの薬の中から和紙に包まれた粉薬と、コップ一杯の水を差し出した。


「ありがとう」


 彼女にお礼を言って、ぼくはもらった薬を水で流し込む。苦いかと思ったが、薬は無味無臭でとても飲み易かった。


「あ、後、こっちは塗り薬ですから。う、上を脱いで背中を向けてください」

「う、うん」


 女の子の前で服を脱ぐのは正直恥ずかしかったが、治療のためだがからと自分を納得させて服を脱ぐ。脱いでみて始めて気付いたが、ぼくの身体には幾つも包帯が巻かれていた。

 泉美ちゃんは包帯を解いて、ぼくの手が届かない背中と頭の打ち身や傷に薬を塗り込んでくれる。その度に彼女の小さく柔らかな指先が肌に触れて、何だがくすぐったい。

 薬を塗ってもらっている間、気まずくてぼくは泉美ちゃんとの会話を試みてみた。


「あの、泉美ちゃん」

「はいっ‼」


 ビクンッと背中にあてがわれていた泉美ちゃんの指がはねる。話し掛けたぼくが申し訳なくなるくらいの動揺っぷりだった。


「その、ありがとね。薬とか色々」

「い、いえそんな」


 人見知りの泉美ちゃんの事を考えて、背中越しに言葉を交わす。


「本当に助かったよ。何で転んじゃったかは思い出せないけど、あのままだったらどうなってたか……」


 ぼくが転んだのは人通りが少ない場所で、なおかつ雨まで降っていた。下手したらあのまま発見されずに冷たくなっていたかも知れない。


「…………うぅう」


 不吉な想像をしてしまい身震いしていると、薬を塗ってくれていた泉美ちゃんの指が途中で背中から離れる。


「泉美ちゃん?」


 不思議に思って声を掛けても反応が返ってこない。躊躇いながらも振り返ってみると、泉美ちゃんは痛みをこらえるような表情で俯いてしまっていた。


「ど、どうしたの泉美ちゃん! ぼく、何か酷い事言っちゃった⁉」


 今にも泣き出してしまいそうな泉美ちゃんに、ぼくは慌てる。怖がらせたりしないように気を付けていたつもりだけど、失敗してしまっただろうか?

 それとも、そうやって気を付けていた事が逆に気に障ってしまったのだろうか。


「……違うん……です」


 目眩も忘れるほどアタフタしていると、泉美ちゃんが俯いたまま喉の奥から搾り出すように呟いた。


「違うて、何が違うの」


 意味が分からず聞き返すと、泉美ちゃんは俯いていた顔を上げる。その瞳はすでに潤みきっていて、いつ決壊しても可笑しくない。


「命さん……の、……せいじゃないん……です」


 嗚咽をもらしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ泉美ちゃん。


「わたし……わたしのせいなんです。悪いのは全部、わたしなんです」


 話の要領がつかめなくて、ぼくは何も言わずに泉美ちゃんの話に耳をかたむけた。


「命さんが怪我したのは、わたしのせいなんです。……わたしが命さんの自転車の前に飛び出しちゃったから。それで、それで……」


「泉美ちゃん、が? ………あっ」


 思ってもいない事だった。てっきり、ぼくが勝手に転んだところにたまたま泉美ちゃん達が居合わせたんだとばっかり思っていたんだ。

 でも、泉美ちゃんの独白を聞いて、ぼくはようやくあの時の事を思い出せた。

 あの時、ぼくは買い物帰りで坂道を自転車で下っていた。突然雨に降られて焦っていたぼくは、何時もよりもスピードを上げていた。

 そこに突然何かが飛び出してきて、慌てててブレーキを掛けたけど、雨にタイヤを取られてガードレールに衝突してしまったんだ。

 飛び出してきたのが何だったのか、記憶にない。確認を取るような余裕なんてなかったのだ。でも、本人がそうだと言っているんだからそうなんだろう。


「ごめんなさい、命さん。こんな……こんな怪我までさせてしまって。昨日からずっと、謝らなきゃって思ってたんですけど、怖くて。い、言い出せなくって……ひっぐ」


 そこまで言い切って、ついに泉美ちゃんの頬を透明な雫が流れ落ちた。


「……泉美ちゃん」


 声を掛けると、彼女の身体がビクリと目に見えて震える。袴をギュッと握って目を硬く瞑る泉美ちゃん。その拍子に大粒の涙が数滴落ちたが、彼女は逃げようとはしなかった。

 身を硬くして、怒られる覚悟を固めている。殴られる事も覚悟しているのかもしれない。


「ぼくは……」

「あぁあっ‼ 泉美を泣かしてる!」


 ぼくが口を開けた直後、素っ頓狂な声が廊下から響いてきた。びっくりして泉美ちゃんと一緒に目を向けると、七・八歳くらいの女の子が二人、ぼくを指差して睨みつけていた。


「子栗鼠ちゃん、兎姫子ちゃん! 何でここに!」


 二人の登場には泉美ちゃんも相当驚いたようで、涙も吹き飛んでしまっていた。

「やいやい、泉美をイジメるのはこのオレ、胡桃子栗鼠(くるみこりす)青空兎姫子(あおぞらときこ)が許さないぞっ!」

「……! ………………‼」


 二人にはぼくが泉美ちゃんをいじめているように見えたらしく、ひどく怒りながらぼくに詰め寄ってくる。


「お、落ち着いて二人とも。これはそう言うのじゃないから!」


 泉美ちゃんがオロオロしながら二人を止めようとするが、怒っている二人は彼女の話なんか聞いちゃいない。おかげで、泉美ちゃんはさらに慌てる。

 ぼくもこの事態にはひどく驚いていた。

 誤解された事に関しては、まあそう見えただろうし、ぼくが泉美ちゃんを泣かせちゃった事にはかわりないので、これはいい。ぼくが一番驚いているのは、二人の格好だ。

 あまり背の高い方ではないぼくよりも、さらに頭一つ分小さな泉美ちゃんより、さらにちっこい身体を巫女服に包んでいる二人。

 子栗鼠と名乗った子は、栗色のクリッとした目と髪をした活発そうな娘で、短めにカットされた髪がさらにその印象を強めている。

 不思議な事に、その髪の間からは丸い耳が飛び出し。お尻の辺りからは、彼女の身体と同じくらいの大きさの尻尾も飛び出していた。

 子栗鼠ちゃんに兎姫子と紹介された子は、雪のように真っ白な髪と、ルビーのように赤く印象的な瞳をしていた。

 この娘の頭からは、真っ白な耳がニョキッと伸びていて、兎のような姿だった。床にふれる程長い髪の間からは、同色の丸い尻尾も見てとれる。


「あわわわわわっ!」


 泉美ちゃんは慌てまくって、言葉にならない声を出している。ぼくも驚きで思考を止めて(二人は何か怒鳴っていたが、驚きのあまり聞き流してしまっていた)いると、ついに泉美ちゃんの焦りが限界に達したらしい。


「姉さまぁーーーーーっ!」


 悲鳴に近い声で月下さんを呼ぶ。すると廊下の向こうから、室内でバイクでも走らせているのかと思うような轟音が轟いて、月下さんが光の速さで部屋に飛び込んできた。


「どうした泉美っ⁉」


 旋風を巻き起こしながら飛び込んできた月下さんは開口一番そう言うと、部屋の状況を見て取るが早いか。子供二人の頭を拳骨で殴り倒して連れ去ってしまった。

 この間数十秒。まさしく嵐のような早業だった。


「…………………………………………………。何だったの、今の?」


 あまりの急展開に、ぼくの脳が事態を把握するのにはたっぷり一分を要した。


「あ、あはは。あの、えっと、その…………。そう、コスプレですっ! あれはあの娘達が最近はまってるアニメのコスプレなんですっ」

「あ、ああ。なるほど?」


 身振り手振りを交えて必死に説明する泉美ちゃん。何でそんなに必死なのかは分からないが、ぼくは半ば押し切られるようにして納得していた。


「コスプレねぇ~。今の技術はすごいね、本物にしか見えなかったよ」

「ほ、ほんとですよね~」


 ぼくが感嘆のため息と共に素直な感想を口にすると、泉美ちゃんもすぐさま同意する。心なしか、ホッとしているように見えたのはぼくの気のせいだろうか?


「――――あっ」


 泉美ちゃんと目が合う。その瞬間、彼女はハッとしたような表情になり俯いてしまう。


「ごめんなさい、命さん。怪我をさせてしまったばかりじゃなくて、何だか変な誤解まで招いてしまって。本当に、ごめんなさいっ」


 頭を下げて、ガツっと畳に頭をぶつける泉美ちゃん。もともと座っていたので、すっかり土下座になってしまっている。

 急な展開に付いて行けなくてすっかり頭から飛んでしまっていたけれど、そう言えばこういう話をしている途中だったっけ。


「あ、顔を上げてよ、泉美ちゃん」


 こんな状態じゃ話も出来ないと、顔を上げてくれるよう促したが。泉美ちゃんは伏せたまま顔を振って、頑として顔を上げようとしなかった。仕方なく、そのまま話を始める。


「泉美ちゃん。ぼくは怒ってなんかいないよ。あの時はぼくの方だってスピードを出し過ぎてたんだから、お相子だって」

「そんなっ! あれはわたしが確認もせずに飛び出しちゃったのがいけないんです。わたしが全部悪いんですっ」


 泉美ちゃんは勢いよく顔を上げてぼくの言った事を否定する。


「……やっと顔を上げてくれたね、泉美ちゃん」

「……あっ」


 一瞬、固まって動きを止めた泉美ちゃんの額に手を伸ばす。畳に強く打ち付けられた彼女の額は、すっかり赤くなってしまっていた。


「はうっ⁉」


 指先が額に触れた瞬間、泉美ちゃんの口から声が漏れる。それにかまわず、ぼくは泉美ちゃんの額に指先を走らせた。


「はううっ!」


 僅かに熱を持った額は敏感になっているのか、泉美ちゃんは身震いする。


「……うん、怪我はしてないみたいだね」


 それだけ確認して、ぼくは泉美ちゃんから指を離した。


「命さん……」

「泉美ちゃん、お相子って事にしてよ。君にそんな顔をさせてたら、何だか悪い事をしちゃったみたいで、苦しくなってきちゃうよ」


 額から離した指をそのまま彼女の頭の上まで動かして、ゆっくり優しく撫でる。泉美ちゃんはそんなぼくを真ん丸に見開いた目で数秒見詰めた後、その視線を落とした。


「…………命さんは、ずるいです」


 ポツリと呟かれたその言葉に、ぼくは自然と頬が緩んでいくのを感じた。

 いっそう優しく泉美ちゃんの頭を撫でる。すると、幾らもしないうちに泉美ちゃんの頬はほんのりと桜色に染まってきた。


「め、命さん。……その、そろそろ、手を……」

「あ、ああ。ごめん、つい」

「いえ……」


 あまりにさわり心地が良いので、ついつい長々と撫で回してしまった。……と言うか、今更ながらかなり恥ずかしい事をしてしまった。

 泉美ちゃんも恥ずかしかったのか、その視線は頭から退けたぼくの手に注がれている。


「その、そんなに見詰められると、ぼくもちょっと恥ずかしいんだけど」

「はわぁあ! す、すいません」


 指摘すると、泉美ちゃんの顔はさらに真っ赤に染め抜かれた。

 この後美琴さんがお昼を運んできてくれるまで、他愛もないお喋りをしてすごした。少しは彼女と打ち解ける事が出来たのかと思うと、とても嬉しくって、胸のうちが温かった。



 翌日。目を覚ますと、今度は泉美ちゃんが朝食を運んできてくれた。


「命さん、具合はどうですか?」


 食事と一緒に昨日と同じ薬を持って、泉美ちゃんが聞いてきた。その表情は心配そうではあったが、思い詰めた様子はない。その事に安心しながら、ぼくは泉美ちゃんに答えた。


「うん、だいぶ良いよ。泉美ちゃんの薬が効いてるみたいだ。ありがとう」

「い、いえそんな……」


 なぜか照れ笑いを浮かべる泉美ちゃん。理由はよく分からないが、どことなく幸せそうなのでよしとする。それよりも、今は聞きたい事があった。


「ねぇ、泉美ちゃん。だいぶ具合も良くなってきたし、散歩とかしちゃダメかな? ずっと横になったままって言うのもあれだし、暇を持て余しちゃってさ」

「お散歩……ですか」


 泉美ちゃんは唸りながら考え込んでしまった。もしかして、迷惑だっただろうか?


「う~ん………。ちょっと待っていてくださいね、命さん。姉さま達に相談してきます」


 泉美ちゃんはそう言うと、食べ終わった食器を持って部屋を出て行った。そのまま待つ事数分。戻ってきた泉美ちゃんの返答はこうだった。


「大丈夫です。ただ、お一人ではもしもと言う事があるかもしれませんので、わたしもご一緒します」


 と言う訳で、ぼくはこの神社に運ばれてから始めて外に出た。境内だけと言う条件付きだったが、一日ぶりに吸う外の空気は格別だった。

 境内には本殿と、その裏にぼくが寝泊りしていた住居。わりと大きな物置小屋もあり、本殿正面には立派な鳥居と手水場。それに、破魔矢やおみくじを売る販売所もあった。

 泉美ちゃんの説明を聞きながら境内をゆっくりと回る。しかし、説明してもらう物がなくなると、途端に会話のネタが尽きてしまった。

 幾らか打ち解けられたとは思うけど、まだまだ仲良しとは言えず。沈黙が気まずい。無理やり会話を続けても、ぎこちなくなってしまう。


「ギャーーーーーーーーーーっ‼」


 悲鳴が聞こえてきたのはそんな時だった。


「今の……」

「神主様の?」


 泉美ちゃんと顔を見合わせて、悲鳴の聞こえた方角へ駆け出す。少し目眩がしたが、十分我慢出来る程度だった。


「「神主(様)さん」」


 ぼく達は程なく神主さんを発見する事が出来た。見つけた時、彼は純白の和服をあられもなくはだけた女性に押し倒されている所だった。


「「な、なななっ!」」


 ぼくと泉美ちゃん。両方そろって顔が沸騰する。


「ねぇ、一ちゃん良いでしょぉ~。……って、あら? 泉美ちゃんじゃない」


 泉美ちゃんへと向かった女性の視線が、彼女の隣に居たぼくもとらえる。


「あっ! そっちの男の子は命ちゃんでしょう。やん♪ 月下ちゃんから聞いてたより可愛いじゃないの~。……美味しそう」

「「⁉」」


 色っぽい舌なめずりに、ゾクゾク~っと、背中に悪寒が走った。

 ヤバイ、何がヤバイか分からないけど、とにかくあの人はヤバイ。

 ガサゴソッ。


「あぁ~っ! こら、一ちゃん何で逃げるのよ~」


 本能が発した逃げろと言う警告は、実行に移される前に終息した。彼女が気を取られている隙に、神主さんが逃げたのだ。彼女も神主さんを追って社殿の奥へと走って行く。


「あ、あははは。桂木さん、相変わらずです~」


 呆然と二人の立ち去った方を見ていると、泉美ちゃんが乾いた笑い声を漏らした。


「桂木さんって、あの女の人?」

「はい。桂木千代松(かつらぎちよまつ)さんです。ただ、その……」

「? 何、泉美ちゃん」

「桂木さんは、女の人、ではなくて……男の人、です」

「……………は?」


 思わず、間抜けな声が出てしまった。

 男? どっからどう見ても女性だったのに! 男の神主さんを襲ってたのに‼

 そう言う気持ちを込めて泉美ちゃんを見返すと、彼女は苦笑いの表情のままコクリと頷いた。


「……………」


 もう一度、神主さん達が駆けて行った方に視線を戻す。

 さっきの悪寒の意味が分かった気がした。


「………行こっか」

「………そうですね」


 二人でそそくさとその場を離れる。関わり合いになるのは危なそうだったので、何も見なかった事にして散歩を続ける。

 本殿をぐるりと回りこもうとしていた時の事だった。ふら~っと、半透明な何かがぼく達の目の前を通り過ぎて行った。


「ぴぎゃあっ!」


 それを見た泉美ちゃんの反応は劇的だった。ぼくの少し前を歩いていた泉美ちゃんが、電光石火の素早さでぼくの胸に顔を埋める。


「い、いい泉美ちゃんっ!」


 あまりの事に、心臓が破裂しそうなくらい驚いた。


「ゆ、幽霊が目の前をぬら~って、ぬら~ってぇ!」


 ガタガタと震える泉美ちゃん。どうやら彼女も幽霊が見えるらしい。そして、かなり苦手のようだ。


「大丈夫だよ泉美ちゃん。幽霊はもう行っちゃったから」

「ほ、本当ですか?」


 ポンポンと震える背中を軽く叩きながら話し掛けると、泉美ちゃんはぼくに抱き付いた格好のまま上目遣いに見上げてくる。


「本当だって。ほら、嘘だと思うんなら見てみればいいよ」


 泉美ちゃんはおっかなびっくりしながら、ぼくに言われたとおりに周りを見回す。そしてどこにも幽霊がいないことを確認すると、ふぅ~っと安堵の息を吐いた。


「命さんも、見えるんですか」

「うん、一応ね」

「命さんは、見えても大丈夫なんですね」

「そんな事ないけど。まぁ、小さい頃から見慣れてはいるからね」

「そう、ですよね……」

「……泉美ちゃん?」


 泉美ちゃんの声のトーンが落ちた。どうしたのだろうかと、彼女の顔を覗き込む。


「……わたしも、小さい頃から見えるんですけど、ダメなんです。怖くて怖くてたまらないんです。……巫女なのに幽霊がダメだなんて、可笑しいですよね?」


 下を向いたまま自嘲気味に話す泉美ちゃん。幽霊が苦手な事を気にしているようだ。


「可笑しくなんかないよ。ぼくだって怖いものは怖いし」

「でも、全然怖がってないじゃないですか。やっぱり、わたしがダメダメなんですよ」

「そんなに悲観する事ないと思うよ? ぼくには巫女さんのお仕事の事とかはよく分からないけど、誰にだって一つくらい、苦手なものはあるよ」

「そうかもしれません。でも……」

「気にしすぎだよ。それに、そんな泉美ちゃんも可愛いと思うし……あ」

「命さんっ! そ、そそ、そんな。可愛い、だなんて……」


 言ってしまった。顔を上げた泉美ちゃんの頬が色付くのを見て、ぼくもが恥かしくなってくる。

 顔が熱い。でも、こちらを見上げる泉美ちゃんの澄んだ瞳から目が離せなくて……。


「ああっ! 泉美と命が抱き合ってるう」

「「⁉」」


 驚いて二人して顔を向けると、そこには子栗鼠ちゃんと兎姫子ちゃんがいた。どうもデジャヴュがすると思ったら、昨日子栗鼠ちゃん達と初めて会った時と同じ構図だった。


「おほ、すっげえぇ! なぁ、なぁ、チューすんのかチュー!」

「……!」


 興奮する子栗鼠ちゃんにまくし立てられて、ぼく達はようやく自分達の格好を自覚した。


「はうっ! ご、ごご、ごめんなさいです、命さん」

「い、いや。こっちこそ」


 泉美ちゃんと急いで離れる。恥ずかしくて彼女の顔をまともに見れない。


「なんだよぅ~。チューしねぇのかよぅ~」

「…………」


 子栗鼠ちゃんが残念そうに唸り、兎姫子ちゃんがジト~っとした視線を向けてくる。


「ほ、ほら二人とも。見世物じゃないんだからもう行きなさい。命さんも困ってるじゃないですかっ」


 泉美ちゃんが行くように促すが、二人とも不満そうだ。


「えぇーっ! そんなこと言って、オレ達が行ったらチューすんだろ。ずるいぞ! オレ達にも見せろ」

「……!」

「し、しませんっ!」

「え~。しないのぅ?」

「………?」

「しませんってばぁ。キ、キキキキキスなんて、そんな……」

「……ちぇっ、つまんねぇ~の~。行こうぜ兎姫子」

「…………」


 泉美ちゃんが必死に否定すると、子栗鼠ちゃん達も諦めたのか、トテトテと軽い足取りでどこかへと立ち去っていった。


「まったくもぅ。子栗鼠ちゃん達はませてるんですから~」


 はぁふぅ~っと、泉美ちゃんは心労のにじむため息を一つついてぼくに向き直った。


「わ、わたし達もそろそろ行きましょうか、命さん?」

「そ、そうだね~」


 まだ赤みの残る顔で、ぎこちなく笑みを作る泉美ちゃんにぼくも同意する。この時、無理やり笑顔を作ったぼくも、彼女とあまり変わらない表情になっていた事だろう。



 夜、ぼくは縁側で月を見上げながら涼んでいた。泉美ちゃんからもらった薬のおかげか、体調はだいぶ良い。


「それにしても。泉美ちゃんって、可愛い子だな~」


 美琴さんが淹れてくれたお茶を飲みながら、ほのぼのとした気分で呟く。美琴さん達女性人はお風呂に行っていて辺りに人影はないし、ついつい本音がこぼれてしまう。

 昨日今日と話してみて分かった事だが、泉美ちゃんはかなりの恥ずかしがり屋だ。人見知りだって事も影響しているんだろうけど、そんなところが何とも可愛らしく思える。


「ほほぅ~。それではその可愛い泉美君に、会いに行ってみませんか?」

「うわあぁあっ!」


 何の物音も気配もなく、背後に突然神主さんが出現した。


「な、何ですか神主さん! 突然に」

「ですから、泉美君に会いに行きませんか、と」

「会いにって……。泉美ちゃん、今お風呂ですよ?」

「だからですよっ‼」


 神主さんは、そこでずずいっと顔を近づけてくる。え? だからって、まさか……。


「覗きってことですか⁉」

「そのと~おりですっ! さぁ、一緒に魅惑の花園を満喫しに行きましょう。僕のおススメは美琴君です。彼女の胸の大きさは、この神社一ですからね。見ごたえがありますよ?」


 真面目な顔でとんでもない話をする神主さん。真面目な人だと思っていたのに。


「行きませんよ、覗きになんか。そんな事出来ませんっ」

「なんとっ! それはまたどうして」

「いや、どうしてって……」

「ああ、見つかるのを恐れているんですね? それなら大丈夫。僕はこの道のプロですからね、そうそうそんなヘマはしません」


 この道のプロって……。あなた神主じゃなかったんですか?


「とにかく、覗きになんか行きません。だいたい、神主さんには桂木さんて人が……」

「あれは男ですっ‼」


 血涙を流しそうな勢いで叫ぶと、神主さんは狂ったように悶えた。


「僕は、僕はねぇ命君。女性が好きなんですよっ。男ではないのですよ。それなのになぜか桂木君に好かれてしまって。う、うおぉぉおおぉぉおおおおっ‼」


 ゴロンゴロンっと板張りの縁側で転げ回る神主さん。


「とにかくっ! いきましょう命君。理想郷へ」

「だから、行きませんてば」


 ガバリと起き上がった神主さんの申し出を、ぼくはきっぱりと断わった。そんな事をしてただで済むとは思えないし、泉美ちゃん達にも迷惑が掛かる。


「そう、ですか。しかたありませんね、では僕一人で行きましょう」


 神主さんは残念そうに肩を落とすと、とぼとぼと歩き出した。もちろん、泉美ちゃん達が入浴中のお風呂に向かって。


「ちょ、ちょっと神主さんっ! ダメですよ、覗きなんて」


 覗きに向かう神主さんの足を寸前でつかむ。ぼくも行く気はないが、神主さんを行かせる気もない。


「むっ、邪魔をすると言うのですか命君。残念ですが、それは認める訳にはいきませんっ!」

「おわっ!」


 しかし神主さんはどうやったのか、しっかりとつかんでいたはずのぼくの手をスルリとすり抜けてしまう。


「すいませんね、命君。少し早いですが、もう眠ってください」

「――あ」


 刹那。首にストンと衝撃を感じて、ぼくの意識は途切れてしまった。

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