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第六幕 天渡し際・御魂渡しの儀

 あの日から二日が過ぎ、今日は八月十三日。お盆だ。

 あの後、圭が逆上した月下さんによって半殺し……全殺しにされるのを、デートを盗み見ていた身では止める事も出来ず、そっと見守っていたのだが。それがつつがなく終了した後の、帰り道での事だった。


『命よ、お主の目に泉美はどう映る?』


 車にひき潰されたカエルのような姿に成り果てた圭を、狩の獲物か何かのように逆さに担いだ月下さんが、ぼくに振り返ってそう言った。

 有無を言わせぬ強い瞳。それに気圧されて、一瞬息が詰まった。

 すぐに気を取り直して何か言おうと思ったのだが、その時には月下さんはぼくから視線を外して歩き始めてしまっていた。

 その背中が『今は答えを聞かない』と言っているような気がして、ぼくは口をつぐんだ。

 月下さんの問いに答えなきゃいけない。そんな想いだけを胸に残して。

 その日はそのまま何事もなく(奇跡的に)別れたのだけれど、それ以来ずっとこの言葉が頭から離れない。


「どう映るか、か」


 ……普通に考えるなら、答えは簡単だ。『可愛い女の子』ぼくの目には、泉美ちゃんは最初からそう映っている。


「でも、そう言う事じゃないんだろうなぁ」


 あの時の月下さんの目は、そんな簡単な事を聞きたかんじゃないと思う。あれは、何かもっと大事な事を聞きたいと思っている目だった。


「ああぁっ! 分かんないっ!」


 ぼくの目に泉美ちゃんがどう映っているかとは、ぼくが泉美ちゃんをどう思っているかと言う事だと思う。

 でもそれはこの間月下さんに言ったように、自分でもよく分かっていない事だった。

 ピンポ~ンッ。

 ぐるぐる考えて悩んでいる間に、誰かが来たようだ。

 ぼくは考えを一時中断して、寝そべっていたベッドから身を起こす。

 そのまま玄関まで下りて行って扉を開けると、そこには見慣れた顔があった。


「何だ明日香か。遊びに来たの?」

「…………うん。まぁ、そんなとこ」


 見慣れた顔こと宮野明日香は、見慣れない難しい顔をして頷いた。


「? どうかしたの」

「命。キミ、ぼくに何の断わりもなく悩んでる?」


 ……ぼくは悩み事すら、事前に明日香に断わらねばならないのだろうか?

 まぁそれはともかく、どうやら気付かれてしまったらしい。


「すごいね、明日香は。顔を見ただけで分かるなんて」

「まぁね、何年幼馴染やってると思ってるんだよ!」


 自慢げに胸を張る明日香に、ぼくは苦笑いを返しながら頷いた。ぼくも彼女と同じだけ幼馴染をやっているが、顔を見た瞬間にそこまで気付ける自信はない。


「で、何を悩んでるのさ? 珍しい」

「最後の一文は余計かなっ。………うん、まぁ。とりあえずあがってよ。ここじゃ何だし」


 ぼくは明日香を家にあげる。かって知ったるなんとやらで、明日香は玄関で靴を脱ぐと、勝手に茶の間に入っていった。招き入れたはずのぼくが彼女の後を付いて行く。

 茶の間に入ると明日香はすでに座っていたので、ぼくはお茶と茶菓子だけ用意してその対面に腰を下ろした。


「さっ、何に悩んでるか話してごらんよ。この明日香様がズバッと解決してあげるから」


 ズズズッとお茶を一口すすってから、明日香は自信満々に言い放った。


「………うん、そうだね。こう言うのは案外女の子に聞いた方が良いのかもしれないね」


 一人で考える事に限界を感じていたぼくは、素直に明日香に相談する事にした。ぼく以上にぼくの事を分かっている明日香なら、何か良いアドバイスをもらえるかもしれない。


「実はね……」


 ぼくは圭と泉美ちゃんのデートを盗み見ていた事、泉美ちゃん達が実は人間ではなくて妖かしだった事。そんな話せない幾つかの事柄を除いて、洗いざらい明日香に話した。

 圭と泉美ちゃんがデートをした事。そして、月下さんに言われた言葉。多少の誤魔化しを混ぜながらぼくが喋る話を、明日香は最後まで黙って聞いてくれた。


「―――っと、そう言う訳なんだ」


 話が終わると、明日香はズズズッとお茶を飲み干して。


「バッカじゃないのっ‼」


 空になったカップを力いっぱい投げつけて来た。


「あ痛っ!」


 カップはぼくの額に直撃する。陶器ではなく、プラスチック製の軽いカップだったのがせめてもの救いだが、それでもかなり痛い。


「何するんだよ明日香……」

「何するじゃないよっ、命こそ何考えてるのさ。まったく、珍しく悩んでると思ったら」


 はぁ~~っと明日香は大きなため息をつくと、ちゃぶ台を強く叩いた。ガシャがシャッと耳障りな音を発てて、ちゃぶ台の上に置いた皿が鳴る。


「命が鈍い奴なのは知ってたけど、自分の気持ちにまで鈍いなんて思わなかったよっ!」

「そ、そうかな?」

「そうだよ! 命は弧印さんがデートするって聞いて、ショックだったんでしょう?」


 明日香はカップを投げた時から中腰になっていた腰を下ろし、声の調子を落ち着かせる。


「う、うん」

「圭君と弧印さんがキスしようとしてるのを見て、痛かったって言ってたよね?」

「うん……」


 その事をぼくが知っているのは偶然見かけたからだと、明日香には説明したんだけど、今でも思い出すと心臓の辺りがズキズキと痛む。


「圭も泉美ちゃんも友達だし、喜んであげなきゃとは思うんだけど……。何でかな、素直に喜べなくて」

「そんなの、決まってるじゃない……」


 明日香の顔が伏せられる。その声も落ち着く通り越して、沈んだものへと変わっていた。


「明日香? どうし――」

「そんなの命が弧印さんの事を好きになっちゃったからに決まってるじゃないっ‼」


 叫びながら顔を上げた明日香の両目には、涙が溜まっていた。


「明日香⁉」

「だだの友達をそんな風に思うわけないよ、それは命が弧印さん好きになったって言う証拠だよ。もう、何だってそんな事ボクに相談するんだよっ!」


 明日香の目に溜まった涙が、弾けた。


「好きだったのに……。ずっとずっと好きだったのに。ボクには振り向いてくれなかったくせに、他の女の子に恋するなんて。……ずるいよ、命」

「明日香……」


 気付かなかった。……気付けなかった。明日香がぼくの事をそんな風に想っていてくれたなんて。ぼくは気付いてあげられなかった。


「明日香ぼくは――」

「いいっ、何も言わないでっ‼」

「………」

「……言わなくていいよ。分かってるもん、命の事は。それに、弧印さん良い娘そうだったもん。納得は出来ないけど、理解は出来たよ。あぁ、そうなんだ~って」


 流れ出した涙は止まらない。ぼくはこんなに泣いている明日香を始めて見た。その涙がぼくのせいだと言う事が、心に痛い。

 明日香は大切な幼馴染で、親友だ。それでも……。


「あ~あぁ。ボク、ふられちゃった」

「……ごめん」


 それでも、だからこそ。ぼくは明日香の想いには応えられなかった。

 やがて彼女は涙を拭い、強い視線をぼくに向ける。


「でも、これで分かったでしょう? 命の悩み事の答え」


 明日香の瞳は、ここまで言って分からないなんて許さない。っと語っている。

 目を閉じて泉美ちゃんの事を思う。出会ってまだ数日。それに、圭が好きな女の子。

 だからぼくは自分が泉美ちゃんの事を好きだなんて、考えもしなかった。

 ………いや、考えないようにしていた。

 だって圭も泉美ちゃんの事が好きで、泉美ちゃんも圭とのデートを承諾するくらいだから、きっと圭の事を好きになったんだと思う。

 なのに、二人の友達のぼくが邪魔をしちゃいけない。そんな考えが頭の中にあったんだ。

 でも、それはきっと逃げだった。

 明日香に、ぼくの事を好きになってくれた女の子に告白されて。強い気持ちをぶつけられて、ようやく分かった。ぼくは自分の気持ちから逃げていただけだったんだって。

 圭の事を好きになった泉美ちゃんに振られるのが。嫌われるのが怖くて逃げていたから、ぼくは月下さんのあんな簡単な質問に答えが出せなかったんだ。


「……うん。分かった。もう、大丈夫」

「そっか……。うん」


 明日香はもう一度目元を強く拭うと、ニカッと笑う。


「ほらっ! 明日香様に相談して正解だったでしょう?」


 無理やりに胸を張って、何時も通りの笑顔を作ろうとする。

 その仕草も笑顔も何時も通りには程遠く。身体は小刻みに震えていたし、頬にはまだ涙が流れていたけれど。


「はは、そうだね。さすが明日香だよ」


 だからぼくも、出来るだけ何時も通りに明日香に接する。出来ているとは思うけれど、自分の顔が今どんな表情を作っているのか、ぼくには分からなかった。


「さっ、それじゃあ命は行った行った!」

「へっ? ちょっ、行くって何処に!」


 立ち上がった明日香は、ぼくの事を押し始めた。急な展開に、ぼくは先程までの事も一瞬忘れて戸惑う。


「何言ってんの。弧印さんの所に決まってるじゃない」

「弧印さんって、泉美ちゃんの所? 何で?」

「何でじゃないでしょうっ!」


 何がどうしてそうなるのか分からずに聞き返すと、明日香に怒られてしまった。


「圭君はキスの直前まで行ったんだよ? 命は出遅れてるのっ! 自分の気持ち気付いたんなら挽回しなきゃ。ボクの事ふったんだから、弧印さんと幸せになんなきゃ許さない」

「明日香……」

「大丈夫、圭君の事なら気にしないの。あの人はどうせ女の子に会ったら片っ端から声かけてるんだから」


 玄関まで押し出されたぼくが靴を履くと、蹴り出すような勢いで外に放り出された。


「ほらっ! 行ってきなさい。そんで玉砕しちゃえっ」

「明日香、さっきと言ってる事が違うよ」

「いいのっ! どっちもボクの本心なんだから!」

「……そっか」


 どっとも本心。その言葉の意味を、ぼくは噛みしめる。


「……ありがとう。それに、行ってきます!」


 だからぼくは明日香の気持ちに応える意味でも、駆け出した。

 自転車は使わない。泉美ちゃん達がいる神社は山の中だ、自転車は役に立たない。


「おう、行って来い!」


 強い言葉に背中を押されて、ぼくは全力で走る。ぼくの家が見えなくなった頃に聞こえた泣き声を背負って、もっともっと速度を上げる。

 息が切れ考える事が出来なくなるほどに、ぼくは自分の気持ちを実感する。余計な思考がなくなった心は、泉美ちゃんを求める気持ちでいっぱいだった。

 泉美ちゃんに会いたいと言う気持ちが、泉美ちゃんの事が好きだって思う気持ちが、溢れかえっている。どうして今まで気が付かなかったのか、自分でも不思議なほどに。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 加速する。

 心が、身体が、想いが。その全てが、どんどん加速していく。

 初めての感覚に、この気持ちに恐怖はある。でも、これで良いんだと言う確信もある。

 やがてぼくは泉美ちゃん達と初めて出会い、そして別れた場所に辿り着いた。


「はぁはぁはぁ……、っはぁはぁ」


 息を整えながら、そこから先の道を考える。行きは意識がぼやけていたし、帰りは目隠しをされていた。だから、山の中だと言う事意外は分からない。

 改めて考えてみると、あの時目隠しをされたのは人間であるぼくに神社の正確な場所を知られないようにするためだったんだろう。


「………それでも、行くしかない」


 ぼくは覚悟を新たにして、道路と接している木立の中へと足を踏み入れた。

 頼りになるのは、運ばれた時のぼやけた記憶だけ。

 それでも、ないよりはましだと草木を掻き分けて進む。方向は分からないけれど、山を登った所にあるのは確かなのだ。




「太陽が、赤い……」


 山に入ってから、何時間が過ぎただろうか? 何時の間に太陽は色付き始め、周りは夕焼けで真っ赤に染まっていた。


「不味いな」


 さすがに暗くなってしまうと探しようがない。明かりも持って来ていないし、暗くなってしまうと遭難もありうる。


「でも、ここまで登っちゃったしなぁ」


 ぼくも考えなしにここまで登って来た訳じゃない、いくら隠してあったとしてもあの規模の神社だ。登っていけばいずれ辿り着けるのではないかと思ったのだが……。


「甘かった。って、事だよな」


 残念ならが、それらしい物は影も形も見つける事が出来なかった。

 ――見つからないのではないか。街で偶然会える機会を待った方が良い。

 そのんな弱気な考えが、頭をよぎる。


「ダメだダメ! あんな風に明日香に送り出してもらったんだし、偶然に頼ってちゃ今度何時会えるかなんて分からないじゃないかっ!」


 気持ちを声に出して、ぼくは弱気な考えを追い払った。


「………あれ?」


 弱気な考えを追い払うために頭を振ったその先に、ぼくは山の中では珍しい人工物を見付けて動きを止めた。


「鳥居……?」


 塗装がはがれ、夕日で紅く染まっていなければ、それと分からなかったかもしれない程に朽ち果てた鳥居。そればぽつんと、一つだけ立っていた。

 意味のない鳥居。

 だけど、それを見た瞬間閃いたものがあった。それはぼやけた意識の中で見た光景。視界の端から端へと流れていく朱色の柱。


「………よしっ!」


 確証があったわけじゃなかった。でも、ぼくは不思議と確信していた。ここが、求めていた場所なのだと。

 ゆっくりと、鳥居まで歩を進める。

 すぐそばから見上げても、それは朽ちた鳥居だった。その周りにも、先にも何もない。


「………」


 それでも、ただの鳥居には思えなかった。目には見えない不思議な何かが、鳥居から発せられている気がする。


「………ごくっ」


 予感がする。この鳥居から先は、人間が踏み出してはいけない場所なのだと。

 ………でも、それでもっ!

 会わなきゃいけない人がいる。伝えなきゃいけない、想いがある。


「――っ‼」


 だからぼくはその鳥居を跨いで、一歩を踏み出した。


「がはっ!」


 その瞬間感じたのは、激しい目眩と痛み。

 世界が回り、視界が暗転し、身体を引き裂かれるような感覚。

 でも、それは一瞬の事。感じたと思った次の瞬間には、それは嘘のように消えていた。


「………?」


 不思議に思いつつも、ぼくは目眩を感じて蹲っていた身体を起こした。


「―――あっ……」


 顔を上げたぼくの目に映ったのは、幻想的な光景だった。

 先が見えないほど高く高く続く石段。そして、その石段に沿って建てられた無数の鳥居。

 何かで鳥居回廊と言う言葉を聞いた事があるが、目に前にある物はまさしくそれだった。

 夕日に照らされて、より一層鮮やかな朱色に輝く鳥居回廊と石段。ぼくはその美しさに心を奪われそうになりながら、石段を一歩一歩登り始めた。

 長い石段を根気強く登って行くと、やがて上の方から色々な音が聞こえてくる。遠くからでも腹に響く太鼓、風に混じる笛の音。何人もの人の声が作り出す賑わい。


「よう来たのう、命っ‼」


 そして、それらの音にも負けない力強い月下さんの声。


「月下さんっ‼」


 その姿を、一際大きな石造りの鳥居の下に見付けて。ぼくは残りの石段を駆け上った。

 腕を組んで王立ちになった月下さんは、巫女服と黄金色の髪を風になびかせて。ぼくが辿り着くまで、そこで待っていてくれた。


「命よ、お主の目に泉美はどう映る」


 ぼくがそばまで近づくと、月下さんはこの間と同じ問いをぼくに投げかける。


「………可愛い、女の子。です」


 息を整えながら、でもしっかりとぼくはその言葉を口にした。

 何も難しく考える事はなかったんだ。月下さんが期待し、ぼくが言わなければいけなかった言葉は、こんなに簡単なものだった。

 明日香の告白を聞いて、自分の気持ちに気付かされてようやく分かった答え。それは最初からぼくの中にあるものだった。


「………うむ」


 月下さんは静かに、でも深く頷いてくれた。


「ありがとう、命。わしらの正体を知って、それでもなお泉美を『女の子』と言ってくれて。あやつの姉として、わしは嬉しい」


 月下さんのルビーの目に、光るものがあった。


「月下さん……」


 今まで見た事がないその涙は、月下さんの泉美ちゃんへの想いをあらわしているようで。直前に言った自分のセリフの気恥ずかしさもあり、ぼくは話を逸らした。


「えっと、その……。ぼくがここに来るの、分かってたんですか?」

「おう。お主が結界を越えた時にな」


 月下さんも涙を見せてしまった恥ずかしさがあるのか、僅かに陶磁器のような頬を染めてぼくの話に乗ってきてくれた。


「結界?」

「お主がここに入って来た時にくぐった鳥居の事じゃ。あれがここと現世を繋ぐ門であり、同時にここを守る結界なのじゃ」

「現世、ですか?」

「うむ。ま、その辺の事は道々説明してやる。来いっ、命!」

「あ、ちょっと月下さん!」


 話を切り上げて歩き出してしまった月下さんに、ぼくも慌てて付いて行く。

 数日ぶりに足を踏み入れた天渡し神社の境内は、ぼくが居た頃と様変わりしていた。いくつもの出店が立ち並び、見た事もない妖かし達が出店の間を縫うように行き交っている。


「今日は祭りなのじゃ」


 月下さんは人波(妖かし波?)を器用にすり抜けながら、話してくれた。

 何でも今日は天渡し際と言う妖かし達のお祭りらしい。


「この神社は現世と黄泉の狭間、黄泉平坂にある」

「黄泉平坂。聞いた事があります。でも、それって……」

「そう、ここは厳密には命達が暮らしている世界ではない。繋がってはいるがな」


 衝撃的な事実だった。

 ぼくが数日の間お世話になり、今歩いている場所がこの世ではないなんて信じられない。でも、月下さんが嘘をつく理由もない。

 それに、不思議に思っていたんだ。あの鳥居を見つけた時点で、ぼくは頂上近くまで来ているはずだった。なのにあの石段は長過ぎた。あきらかに山の高さを超えている。


「簡単には信じられんじゃろうが、真実じゃ」

「………分かりました。信じます」

「くくっ、命は物分りが良くて助かる」


 月下さんと話しながら進むうちに、妖かし達の数はどんどん増えてくる。ぼくは次第に月下さんから遅れ気味になって来た。


「大丈夫か? はぐれてくれるなよ、命」

「は、はい。頑張ります。……それで、いったい何処に向かってるんですか?」

「なんじゃ、分かっておらんかったのか? 泉美の所に決まっておろうが、お主そのために来たのじゃろう?」

「いや、それはまぁ……。知ってたんですか、月下さん」

「くふふふ。おうともさ。だからこそお主を泉美のデートに誘ったんじゃからな」

「なっ! じゃあ、こうなる事を狙ってたんですか⁉」


 悪戯っぽく笑う月下さんにぼくは衝撃を受ける。それは、ともすれば妖かしだと言う告白や、ここがこの世じゃないと知った時以上の衝撃だった。


「いやいや、そんな事はない」


 だが月下さんは首を振って否定すると、悪戯っ子みたいな笑みを深くした。

「わしの狙っていた以上じゃ。……上出来じゃよ、命。それでこそ泉美を任せられる」

「うぐっ!」


 そんな事を言われてしまうと、ぼくは二の句がつげなくなる。


「かっはっは。愛い奴じゃのう、命よ」

「う、ううぅ」


 月下さんが本気で言っているのが分かるからこそ、余計に恥ずかしい。

 そんな時、にぎにぎしくなり続いていた祭りばやしが唐突に止んだ。


「むっ! 命で遊んでいる場合ではなかったか。急ぐぞっ!」

「む、むりです。………って言うか、遊んでたんですかっ!」


 急に焦りだした月下さんに急かされたが、妖かし達が邪魔で急ぐ事が出来なかった。


「ああ、もうっ! しかたないのう」

「うわぁっ‼ 月下さんっ⁉」


 ぼくは呆れ顔の月下さんに抱き抱えられてしまった。……しかも、お姫様抱っこで。


「しっかりつかまっておれよ、急ぐぞっ!」

「うわあぁあああああっ‼」


 月下さんがぼくを抱えたまま飛び上がる。

 それはジャンプなんて生易しいものではなく。あの遊園地のジェットコースターで味わった以上の急激な加速に、悲鳴を抑える事が出来なかった。


「だらしないのう、こんな事で悲鳴なんぞあげおってからに」

「そんな事言ったってっ!」

「これ、なれない者が喋ると舌を噛むぞ?」

「―――っ!」


 月下さんは最初のひと飛びで神社の屋根に飛び移ると、そこから神社裏手の森へと飛び込んで行く。


「この神社には、一つ大切な役目がある」


 森に生えている木の一つに飛び降りた月下さんは、そのまま木から木へと飛び移りながら危なげなく話を続ける。


「それは、死した者達の魂を黄泉の国へと送る事。かつて国産みの神・伊邪那岐(いざなぎ)によって黄泉と現世が別たれて以来、死者の魂は現世を彷徨うようになった」


 月下さんは話しながらさらにスピードを上げていく。おかげでぼくは月下さんの話に口を挟む事も出来ず、何を意図してそんな話をするのか聞けなかった。


「それを憂いた神々によって建てられたのが、この天渡し神社。つまりは一じゃな」


 神主さんは付喪神。つまり長い年月が経って神社が妖かしになった存在なのだと、月下さんは教えてくれた。


「死者の魂は約一年かけてこの鎮守の森に集まり。わしを筆頭とする、力ある妖かし巫女『際の巫女』によって黄泉の国へと送られる」


 月下さんの話を聞くうちに、森の中に開けた場所が見えて来た。そこには境内に居た以上の妖かし達がひしめいている。


「そして、これが伊邪那岐が黄泉の国の入り口を塞ぐのに使った大岩。我々はこれを『界境の大岩』と呼んでおる」


 広場にひしめく妖かし達の頭上を飛び越え、ぼくを地面に下ろすと、月下さんは目の前にそびえ立つ巨大な鳥居を指差してそう言った。

 鳥居回廊の最後にあった石造りの鳥居が、玩具に思える程の大鳥居。もしかしたら、ちょっとした超高層ビルよりも大きいかもしれない。


「魂を黄泉の国へと送る儀式は二段階あって、その最初が今日この神楽舞台でおこなわれる御魂渡しの儀じゃ」


 界境の大岩の手前に、月下さんの言う神楽舞台はあった。


「天渡し際とはのう、人間達にとってのお盆じゃ。最初に御魂渡しの儀によって、死者の魂を現世に招き。最後の御魂送りの儀によって、鎮守の森に集まった魂共々黄泉の国へと送る。この間を我々妖かしは天渡し際と呼んで騒いでおるのじゃ」


 月下さんによる祭りの説明が終わるか終わらないかのうちに、神楽舞台に和楽器を持った美琴さん達が出てくる。

 その中に子栗鼠ちゃんや兎姫子ちゃんの姿があるのは驚きだったが、いよいよ儀式が始まるらしい。


「御魂渡しも御魂送りも、その儀式の主役を務めるのはその時々に選ばれた巫女じゃ。その巫女が舞を奉納し、黄泉の国への扉を開ける事になるのじゃが………。その巫女とは、いったい誰じゃと思う?」


 ぼくは月下さんの問いに答える事が出来なかった。何故なら、問題が出された時点ですでにタイムアップになってしまったからだ。


「………………………」


 神楽舞台に、一人の巫女が姿を現す。

 通常の巫女装束の上から、儀式用に細やかな細工が施された美しい服をまとい。両手にはそれぞれ、神楽鈴と扇子を持ってその巫女は静々と舞台に上がった。

 狐色の髪と耳それに尻尾は、その毛先だけが僅かに白く。大きな瞳は、見詰めていると吸い込まれそうになるほど澄んだ、深い湖の青。

 薄く化粧が施された頬はほのかに赤く、始まった神楽の舞に合わせてしなやかに動く手足は指先に至るまで繊細。


「……………………………………」


 言葉を忘れた。

 自分に身体がある事さえ忘れた。

 耳は彼女の発てる音以外の雑音をカットし、目は彼女の姿以外を映す事を放棄する。

 心も頭も彼女の事だけで、泉美ちゃんの事だけで満杯になった。


「―――――――」


 隣に居る月下さんが何かを、おそらくは泉美ちゃんの自慢を口にしていたが、今のぼくには聞こえない。

 この時のぼくは泉美ちゃんに見惚れていた。あるいは、魅入られていたと言ってもいい。

 だから神楽舞台の後ろにある界境の大岩が輝き、そこから蛍のように淡く発行する魂が溢れ出して来ている事に気付いたのは随分後になってからの事だった。

 御魂渡しの儀。

 事前に聞いたように、これは神秘的な儀式なのだと言う事が思い出される。

 泉美ちゃんの手にした神楽鈴が舞いに合わせて鳴り、扇が宙を滑るように振るわれる度に、魂は黄泉の国から渡って来る。

 ――この中に、ぼくのご先祖様もいるんだろうか?

 ふと、そんな事を思った。

 これは妖かし達のお祭りだけれど、ぼく達にも身近な儀式なのだ。


「泉美ちゃん……」


 そう考えると、舞い続ける泉美ちゃんがより近くなったように感じる。

 だからだろうか。一瞬、舞台の上で舞う泉美ちゃんと目が合ったのは。


 その一瞬に、全ては起こった。………起こって、しまった。


「―――っ‼」


 まず泉美ちゃんの動きが止まり、その手から神楽鈴と扇が滑り落ちた。それに動揺したのか美琴さん達の演奏も狂う。

 泉美ちゃんも美琴さん達もすぐに持ち直したけれど、間に合わなかった。

 界境の大岩の輝きが色を変え、美しい空色から淀んだ紫へ。溢れ出すご先祖様達の魂も、蛍の光のような緑色のものから、黒く歪んで不吉ものへと種類を変えた。


『うわあぁああああっ⁉ 悪霊だっ! 悪霊が出たぞっ!』


 慌て出した妖かし達を見て、ぼくもおぼろげながら事の重大さを理解する。


「慌てるなっ! 美琴、一、大岩の扉を閉じる。力を貸せっ!」

「はいっ!」

「承知」


 隣に居たはずの月下さんが、何時の間にか神楽舞台の上にいた。楽器の演奏をしていた美琴さんと神主さんに指示を出し、三人で界境の大岩を閉ざそうとする。


「姉さま、わたしっ」

「話は後じゃっ! 泉美は客達を安全な所に誘導しろ。早くっ‼」

「は、はいっ!」


 悪霊が溢れ出した事で動揺していた泉美ちゃんも、月下さんに怒鳴られると広場につめかけていた妖かし達の誘導に向かった。


「月下さん、ぼくも何か協力します!」


 ぼくも居ても立ってもいられず、月下さんに指示を仰いだ。


「うん? 命か……。では、子栗鼠達をつれて神社におる千代松の所に行ってくれ、悪霊達が外に出ないように結界を張ってもらうのじゃ。こっちが終わったら一も向かわせる」

「分かりました」


 ぼくは頷くと舞台によじ登って、あまりの事態にわたわたしている子栗鼠ちゃんと兎姫子ちゃんの腕を取る。


「子栗鼠ちゃん、兎姫子ちゃん、行くよ」

「命! おまえ、何でここに……」

「!」

「話は後、急いで!」


 神社までは混乱した妖かし達の間を潜り抜けて、森を突っ切って行かなければならない。かなりの時間が掛かる事が予想されるから、ぼくは説明もそこそこに二人を急かした。

 ぼくのその予想は当たり、混乱した妖かし達が邪魔で神社の境内に辿り着くまでにかなりの時間をロスしてしまった。

 予想外だったのは、途中からぼくが子栗鼠ちゃんと兎姫子ちゃんに腕を引っ張られる形になってしまった事だけだった。


「千代松、居るかっ!」

「………!」

「あら、どうしたのそんなに慌てて。なんだか、周りが騒がしいみたいだけど……」


 境内に飛び込んだ二人の声に、注連縄を巻かれた御神木らしき木の上に佇んでいた桂木さんが下りてくる。


「あら、命ちゃんまでっ! 本当にどうしたのよ」

「大変なんだ、儀式が失敗して悪霊が溢れ出してきちゃったんだよっ!」

「! ! !」

「そうなんです。それで月下さんが、桂木さんに悪霊を外に出さないために結界を張ってほしいって」

「何ですってっ! 分かった、すぐにやるわ」

「お願いします。神主さんもすぐに来ますから」


 桂木さんが目を閉じる。すると、風もないのに彼の長い黒髪が宙に舞。背後の御神木がほのかに光りだした。


「千代松はこの御神木の妖かしなんだ。だから千代松の本体は木の方なんだぜ」

「………」


 子栗鼠ちゃんがぼくに説明してくれる。兎姫子ちゃんも説明してくれているとは思うんだけど、言葉を発しない彼女が何を言いたいのが、残念ながらぼくには分からなかった。

 そうこうしているうちに神主様が走って来て結界を張る作業に加わり、それから程なくして月下さん達も集まって来た。

 皆ぼくが居る事に驚いた様子だったが、非常時だからか深く追求される事はなかった。

 青い顔で思いつめたような表情をしている泉美ちゃんの事は気になったけれど、顔を揃えるなり始まった対策会議の邪魔をする訳にもいかず。声を掛けそびれてしまった。


「一、千代松。結界はどうじゃ?」

「ええ、何とか間に合ったわ。悪霊は現世に出ていないはずよ」

「ただ、僕と桂木君は結界を維持しなければならないので、ここを離れられません」

「致し方ないとは言え、二人減るのは痛いのう。悪霊どもを探すには頭数が少なすぎる」


 月下さん達の話から問題は悪霊を探す人数だと言う事が分かって、ぼくも悪霊探しに名乗りをあげようとした。それくらいならぼくにも手伝えると思ったからだ。

 でもぼくの声は、美琴さんによって遮られてしまった。


「そうだっ! 千代松さん、千代松さんならここから悪霊達を探す事が出来るんじゃないですか? 前に、鎮守の森の木々と交信して逃げた神主様を追い詰めてましたよね?」

「なるほど、その手があったか。でかした、美琴っ!」

「そうね、出来ると思うけど。そっちに意識を割く分、一ちゃんの負担が大きくなるわ」

「僕の事なら心配ありません。それよりも、今は一刻も早く悪霊達を捕まえるべきです」

「……分かった。ちょっとまってて」

「月下さん、わたくしは今のうちに封魂玉(ふうこんぎょく)を準備してきます」

「うむ、たのんだ」


 桂木さんが悪霊探しに集中し、美琴さんが何かを探しに立ち去ると、月下さん達も話をやめた。あんなに騒がしかった妖かし達も何処に行ったのか、物音一つしなくなる。


「……………うん。だいたいの場所は分かったわ」


 沈黙を破ったのは、悪霊探しを終えた桂木さんだった。


「悪霊達は鎮守の森の東と西に大きく分かれてるみたい。たぶん、お祭りを見に来てた妖かし達を避けて移動したからでしょうね」


 桂木さんは真剣な表情で、神社裏手の広大な森を指差した。東と西と言っても、その範囲はバカにならない。


「皆さん、お待たせしましたっ!」


 美琴さんが大きなダンボール箱を担いで戻って来た。ドシンッと大きな音を発てて置かれたそれには、野球ボール程の大きさのガラス球のような物がぎっしりと詰まっている。


「何ですか、これ?」

「これは封魂玉と言って、悪霊を捕まえるための道具です。これを悪霊にかざして『悪魂封結(あっこんふうけつ)』と唱えると、この玉に悪霊が吸い込まれるんです」

「よし。二手に分かれて悪霊どもを捕まえるぞ」


 美琴さんが説明しながら一人に数個の封魂玉を配り終えると、月下さんが口を開いた。


「まず、美琴と泉美は……泉美っ⁉」


 月下さんが声を上げるまで、ぼくは気付けなかった。封魂玉をもらった泉美ちゃんが一人で森に入って行ってしまった事に。


「泉美ちゃんっ‼」

「まて、命っ。お主まで行かせる訳にはいかん」

「放してください、月下さんっ!」

「落ち着けっ。美琴、頼むすぐに泉美を追ってくれ!」

「分かりましたっ!」


 美琴さんがぼくの代わりに、泉美ちゃんが消えて行った森に飛び込む。


「何で行かせてくれないんですか月下さんっ!」

「素人のお主を、悪霊どもがうじゃうじゃ居る森に一人で行かせる訳にはいかん。大丈夫じゃ、泉美には美琴がついておる」

「でもっ!」

「大丈夫。美琴を信じろ」

「……………分かりました」


 自分も気が気ではないだろうに、美琴さんを信頼して自分は事態の収束に勤めようとする月下さんの態度に、ぼくは冷静さを取り戻す事が出来た。


「……すみません」

「いや、良い。それだけ泉美の事を想ってくれておると言う事じゃからな。……兎姫子に子栗鼠。わしと一緒に来い。泉美達が向かったのは東のようじゃから、わしらは西じゃ」

「おうー、任せろっ!」

「………!」


 ぼくが落ち着いたのを確認し、月下さんはぼくを解放して子栗鼠ちゃん達に声を掛けた。


「あっ、待って月下ちゃん」


 出発しようとする三人に、桂木さんが声を掛ける。


「何じゃ?」

「これ、持って行って」


 桂木さんが自分の本体である御神木に手をかざす。すると、御神木がほのかに光って一枚の葉っぱが落ちて来た。


「美琴ちゃん達には渡せなかったけど、この葉があれば何時でもウチと連絡が取れるわ。使ってちょうだい」

「分かった。助かる」

「あの、月下さん」


 桂木さんから葉をもらい、再び歩き出そうとした月下さんに、思い切って声を掛けた。


「どうした」

「ぼくも、連れて行ってください」

「何?」

「ぼくも連れて行ってほしいんです。役に立てるか分からないけど、足手まといだけにはならないように頑張りますから」

「………………………………」


 月下さんはぼくの本心を見抜こうとするかのように、ぼくの目を覗き込んでくる。ぼくもその視線から目を離さずに応じた。

 ぼくが一人で泉美ちゃんを追っても、きっと見つけられずに逆に迷惑をかける。だったら、月下さん達に協力して少しでも早く四人で泉美ちゃんを助けに行く。

 ぼくが考えていたのは、そんな事だった。


「……分かった。じゃが、危なくなったら逃げろよ」

「はいっ」


 気持ちが伝わったのか、月下さんはぼくが同行することを承諾してくれた。


「世話を掛けるのう」

「いいえ、そんな事ないです」


 泉美ちゃんには散々お世話になったのだ、言わばこれは恩返しのようなものだった。


「何だ、命も一緒にくんのか? だったらオレが守ってやっから、離れんなよ」

「………」


 胸を張る子栗鼠ちゃんと、胸を叩く兎姫子ちゃんに「頼りにしてる」と返して、ぼくは悪霊がひしめく西の森へと足を踏み入れた。

 でもぼくの胸を占めていたのは、悪霊への恐怖よりも泉美ちゃんへの心配だった。

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