第五幕 泉美と圭・命と月下 その7・命
「………………」
ぼくは泉美ちゃん達からは死角となるベンチに、寝そべるように突っ伏していた。
理由は説明するまでもなく月下さんだ。
月下さんが暴れたせいでお化け屋敷が閉館となり、ぼくはお化け屋敷を管理している偉い人にひたすら謝った。誠心誠意、謝った。死ぬほど謝った。それでも、何のお咎めもなしで許してもらえたのは奇跡に近い。
―――その奇跡の理由も月下さんだと言うのは、正直釈然としないのだが………。
「なはははは。いや、なかなかに楽しめたのう」
「………そうですね」
何の因果か、お化け屋敷の管理者と月下さんが知り合いだったのだ。
お化け屋敷を閉館に追い込んだ事など気にも留めず、ぼくを置いて泉美ちゃん達を追い掛けて行った月下さんが、ぼくを呼びに戻った事でその事実は発覚した。
おかげで、それまで額に青筋を浮かべて怒っていた管理者さんが、お化け屋敷を破壊した月下さん相手に、逆にへこへこすると言う有得ないシーンを見せられる事になった。
「むっ、泉美たちが動くぞ」
「……みたいですね。行きますか」
そうこうしているうちに、泉美ちゃん達が席を立った。彼女達を見失わないよう、ぼく達も移動する。
「命よ、この先は何じゃ?」
「えっと、この先は………。観覧車、みたいですね」
「よし、わしらも乗るぞ!」
「はい」
観覧車の順番待ちは、まさしく長蛇の列で。先に並んだ泉美ちゃん達から数秒遅れただけなのに、ぼく達は彼女達よりもかなり後ろになってしまった。
「凄い人じゃのう~」
月下さんもその人の多さを呆れたように呟いている。
ジリジリとしか進まない列がぼく達の順番になるまでに、太陽はすっかり夕焼け色に染まってしまっていた。
「はい、次の方どうぞう~」
係員さんが開けてくれたゴンドラに月下さんと二人で乗り込む。
狭い個室に二人きりと言う事で、泉美ちゃんが怖がってはいやしないかと気が気ではない心持で乗り込んだのだが、ゴンドラが動き出した後になってぼくは気が付いた。
「……月下さん」
「何じゃ?」
「これ、乗る意味なかったんじゃないですか?」
そう、いくら同じ観覧車に乗っていると言っても相手は別のゴンドラ。ぼく達がここに居てもあまり意味はない。
「「………」」
しばしの沈黙。
「ぬははは。まぁ、気にするな」
結局、豪快に笑う月下さんに苦笑を返しながら彼女の言葉に甘える事にした。もうゴンドラに乗ってしまったので仕方がない。
その会話を最後に、ゴンドラの中は静かになる。二人とも何とか泉美ちゃん達が見えないかと、泉美ちゃん達が乗っているはずのゴンドラを凝視していたからだ。
「……ダメじゃな」
「………ですね」
ある程度の高さに上るまでの間そうしていたが、どうやっても見えなかったので、諦めてぼく達はそれぞれの席に座り直した。
「………のう、命」
「はい、何ですか?」
「お主はわし達を……神社の連中をどう思う」
「どう、って言いますと?」
「何でも良い、変な奴らだとか面白い奴らだとか……」
「そうですね……」
戸惑いつつも、ぼくは神社で過ごした時の事を思い出してみる。怪我をしたぼくには騒がし過ぎるくらい騒がしい人達だったが、皆優しくて魅力的な人達だった。
「すっごく、良い人達ですよね。見ず知らずのぼくを助けてくれて、おまけに看病までしてくれるんですから」
「うむ、だがそれは……」
「泉美ちゃんがぼくの怪我の原因だから、ですか?」
言い難そうに口を開く月下さんに代わって、ぼくはその先に続くはずの言葉を引き継ぐ。
「知っておったのか」
「はい。泉美ちゃん本人から聞きました。……でも、そんな事はどうでも良いんですよ。皆さんが優しいって事には変わりありませんし。それにあの怪我だってぼくに非がない訳じゃないんですから」
「そうか、分かった」
月下さんは切れ長の細目を、見たこともない程優しく緩めて深く頷く。
「では、泉美の事をどう思っておるかもう少し詳しく聞かせてはくれんか? こうしてあやつのデート現場に引っ張り出した後に聞くような事でないのは重々承知しとるんじゃが、わしはお主が泉美の事をどう思っておるのか聞きたいんじゃ」
月下さんの声が真剣みを増す。
「……お主は、泉美が好きか?」
「月下さん……」
茶化すような色はなく、先程まで緩められていた視線を射抜くように鋭くして月下さんはぼくに問うた。
ぼくもバカじゃない。月下さんの問う好きが、友達としての好きではない事くらいその表情を見れば分かる。
でも、だからこそ、ぼくはその問いに上手く答える事が出来なかった。
「………分かりません。そりゃ泉美ちゃんは可愛い娘ですし、優しい良い娘だと思います。でも、好きかどうかって言われると、分かりません」
初恋もまだのぼくには、月下さんの聞く好きと言う気持ちがまだよく分からなかった。
「出会ってから何日も経っていませんし。泉美ちゃんとはもっと仲良くなりたい、色々な話をしてみたい。もっと一緒に居たいとは思いますけど、それ以上は……」
分からない。
「ふふふ、そうか」
月下さんは何故か苦笑をもらすと、席から立ち上がった。
「命よ。それで十分じゃ」
目の錯覚か、立ち上がった月下さんの髪が夕日を照り返して、一瞬黄金色に輝いたように見える。
「命よ。わしはなぁ……いや、わし達はお主に隠している事がある」
「隠している事?」
「そうじゃ。今からお主にそれを教える。じゃが一つ約束をしてほしい、隠していたのにはそれなりの訳がある。じゃから、この秘密は誰にも喋らないでほしい。……良いな?」
「……分かりました。約束します」
「うむ」
ぼくが約束をすると、月下さんは静かに頷いて目を閉じる。すると、月下さんの髪が風もないのにふわりと踊った。
「 」
―――息をするのを忘れた。声は出ず、目は離せない。
ふわりふわりと舞い踊る月下さんの髪が根元から黄金色に変わっていく。それは髪を染めているような光景なのだが、その色はとても染料などで出せるものではない。
黄金を溶かした。そうとしか表現出来ない輝き。
その髪からぴょこりと立ち上がる大きな獣の耳。その変化に目を奪われているうちに、何時の間にか腰の辺りから飛び出していた大きな尻尾。
「――これが、わし等の秘密じゃ」
そう言って開かれた月下さんの瞳は、宝石のように赤く紅く輝いていた。
「わしらは妖かし。つまりは、妖怪なのじゃ」
「よう、かい」
「信じられんか?」
「………いえ、信じられます。納得しました」
怪しい程の美しさも、耳と尻尾も、そう言われてしまうと納得できる。耳と尻尾を出された後にそう言われると、納得せざるおえない。
それに、この姿の月下さんは自然だ。今まで見せていた姿よりも、ずっと自然体だ。
「そうか。……なら、この姿のわしを見てどう思う。わしも泉美も、お主ら人とは違う何かじゃ、恐ろしいと思うか? 気味が悪いと思うか?」
月下さんの瞳が正直に答えろと言っている。
「いいえ、思いません」
だからぼくは、正直に思うところを答えた。
「姿形が違くなったって、月下さんは月下さんです。中身が変わる訳じゃないし、それは他の皆さんも一緒です。それに……」
「それに?」
「その、その姿の方が……ずっと綺麗ですし。とっても自然な感じがして」
「はっ。はは、はははははは。……ぬっははははははははははははははははははっ!」
言い慣れない褒め言葉をぼくが照れながら口にすると、月下さんは底が抜けたような大笑いをして、ストンと腰を下ろした。
「げ、月下さん……?」
「かはははは。そうか、そうか。やはりお主はそう言う奴じゃったか。くっくっく、あっははは」
頭を抱えてひとしきり笑った後、月下さんは静々と語りだした。それは泉美ちゃんの話、泉美ちゃんの過去の話だった。
「実はな、わしと泉美は本物の姉妹ではないのじゃ」
「どうしたんですか、月下さん? いきなりそんな話……」
「まあ、聞け」
唐突に始まった話にぼくは疑問を抱いたが、月下さんはそれに構わずに話を続ける。
「あれは今から約十年前、わしが私用でちと遠出した時の事じゃった。そこは寒い所でのう。足首まで埋まる程積もった雪の上をわしは歩いとった」
月下さんは懐かしいものを思い出すように視線を上げる。
「その雪に埋もれるようにして倒れておる狐を見つけたんじゃ。これを見てもらえば分かると思うが、わしも狐の妖かしじゃからのう。放っておけんかった」
月下さんは自分の耳に手を触れ、黄金色の尻尾を微かに動かした。美しい体毛が夕日を照り返して、光が跳ねる。
それにしても、狐……か。
ぼくはよくよく狐と縁があるらしい。
「助け起こしてみれば、まだ年端もゆかぬ子狐でのう。何でも、命の恩人を待っておったらしい。……それが、わしと泉美の出会いじゃった」
そこで月下さんはぼくに視線を戻した。その目は真剣で、何故か声の静かさからは想像出来ないくらいに鋭いものだった。
「親兄弟もなく一人じゃと言うんで、妹にならんかと誘ったのじゃ。わしは末っ子で、昔から妹がほしかったんじゃ。それに、あやつには家族が必要じゃと思ったからのう」
それは………分かる気がする。
泉美ちゃんと月下さんは本当に仲が良い。月下さんが泉美ちゃんを大事にしているのはもちろんだが、泉美ちゃんも月下さんを頼って信頼している。
それこそ本当の姉妹以上に、その結びつきは強いように見える。それはそのまま泉美ちゃんの家族への思い入れの強さなのかもしれない。
「あやつには素質があったから、わしはしばらくの間そこに残って泉美が妖かしになれるよう色々と教えた。恩人とやらに会うにも、ただ待つよりも探す方が良い。そのためにも妖かしになった方が都合が良かったのじゃ」
再び視線を上げた月下さんは、ゴンドラが元の場所に戻るまでそのままの格好で話を続けた。
それは神社に泉美ちゃんを帰った日の事や、命の恩人を必死に探す泉美ちゃんが可愛かったなどと言う他愛のない話ばかり。
でもそれを語る月下さんの声は甘く深く、言葉以上に泉美ちゃんへの想いの大きさが伝わってきた。
何故月下さんがぼくにそんな話をしてくれたのかは分からなかったけれど、ぼくは嬉しかった。泉美ちゃんに一歩近づけたような気がして、本当に嬉しかった。
「月下さん、見つけましたよ」
「どれ……。お、おったおった」
観覧車から降りてしばらくして、ぼく達は見失っていた泉美ちゃん達を遊園地の出口付近でもう一度見つけることが出来た。
「ふむ、どうやら遊園地を出るつもりのようじゃのう」
「みたいですね」
頷きながら、ぼくはチラッと月下さんに目を向ける。その頭に狐耳はなく、髪の色も金から黒に戻っている。今の月下さんの姿は、何処にでも居る普通の人間と変わらない。
………まぁ何処にでも居るといっても、横を通り過ぎる人が男女問わず必ず振り返る程の美人ではあるのだが。
いまさらだけど、こんな目立つ人と一緒に居てよく泉美ちゃん達に尾行がばれなかったものだ。
「ほれ、何をしとるか! 行くぞ」
「あ、はいっ!」
夕日もいい加減傾きの限界だし、このままデートを終えて駅に向かうものと思っていたが、ぼくの予想に反して二人は遊園地と駅の中間ほどの所にある公園へと足を向けていた。
「むむ、公園か。お決まりのデートコースではあるが……どうするつもりかのう?」
「さぁ……? ここはあんまり見る物とかもないはずなんですけど」
後を追いながらぼく達はそろって首を傾げる。ここの公園は広さくらいしか特徴がなく、昼間ならともかく夜はあまり人も寄り付かない。
「何を話してるんでしょうね?」
「うむ………聞こえんのう」
「デート尾行してるうえに盗み聞きって言うのも、正直あれなんですが……」
「仕方があるまいっ! 泉美のあんな顔を見ていては気にもなるわ」
二人の会話は主に圭から泉美ちゃんに話しかけているのだが、話しかけられている泉美ちゃんの表情がどうにも優れないのだ。
ジェットコースターやお化け屋敷に入った後で疲れているのだろうし、そうでなくとも人見知りな泉美ちゃんなので、不思議はないのだが……。
「心配じゃのう、心配じゃのう……」
横の月下さんがあまりに心配するので、ぼくもつられて心配になってしまっていた。
「あ、止まりましたよ月下さん」
「むっ!」
公園に入って少し歩いた所で、二人の足は止まった。ぼく達も二人に合わせて立ち止まる。
「どうします? もう少し近づきますか」
「いや、これ以上近づくと圭の奴にも気付かれてしまうかもしれんしのう」
「ですよねぇ」
公園には街灯も少ないし隠れられる茂みもあるが、下手な動きをして気付かれるわけにはいかなかった。
ぼく達が見ている事も知らず、二人は向かい合う。
良い雰囲気だと思った。泉美ちゃんの視線が、怯えた子供のように泳いでいなければ。
圭が泉美ちゃんの肩に手を置く。
「っ!」
「抑えてっ、月下さん!」
その瞬間に飛び出して行きそうになる月下さんを抑えているうちに、圭の顔がゆっくりと泉美ちゃんへ近づいて行く。
――キスだ。
そう認識した瞬間、頭が真っ白になった。月下さんを抑えていた腕から力が抜けるのが分かったが、もう一度力を入れ直そうとは思わなかった。
だけど、本当に衝撃だったのはその事じゃない。
「「っ‼」」
本当に衝撃的だったのは、泉美ちゃんが、目を瞑った事だ。
その手はギュッと握りこまれ、身体は遠目からでも分かるほど逃げ腰だったけれど。
泉美ちゃんは、確かに圭を受け入れようとしていた。
その事にぼくはおろか、月下さんまでその動きを止めている。
今日一日よりも長く感じる時間をかけて、でも実際はほんの数秒で。圭の唇は泉美ちゃんの小さな唇に、今まさに触れようと……。
「いやっ‼」
一瞬、自分が叫んでしまったんじゃないかと思った。
でも違う。ぼくの声はこんなに高くもないし、これ程澄んでもいない。
それは泉美ちゃんの声だった。後数ミリで圭と泉美ちゃんの唇が触れようとした時、泉美ちゃんが圭を突き飛ばして叫んだのだ。
そのまま泉美ちゃんは圭を置いて何処かへと走り去ってしまう。泉美ちゃんが駆け去った後には、何かキラキラと光るものが幾筋も宙を舞っている。
追い掛けようと思った。
追い掛けなきゃいけないと思った。
でも泉美ちゃんに尾行していたのがバレて嫌われてしまうかもと思ったら、ぼくはそこから一歩を踏み出す事が出来なかった。




