3話
「じゃあ行くよぉ。ボート来ちゃうよぉ」
朝食も済ませて、三人は出発の準備だ。
今日から渚珠は仕事を休みとしてあるので、いつもの制服ではなく、学校の制服に着替え、卒業証明のための出張という形にしていた。
そうすれば、入管の手続きも簡単になるからだ。この卒業証明を認められれば、この時代では一人前と認められて、権利も義務も成人と同じになる。
だから、入管係員もこの卒業式というのは各学校の一覧は確認していて、手続きを一部省略したりという特別待遇がとられる。
「渚珠ちゃん、一応ここの制服も持っていった方がいいよ」
「うん。帰りはこっちを着てくるよ」
午前中の便が沖に見えた。
「二人とも、ちゃんとお礼言いなさい?」
佑都と佳奈に話しているところを見ると、やはり姉として接していたのかと見えた。
「ありがとうございました!」
「じゃぁ、行ってくるね」
ルナ=モジュール行きの高速船が出るのは夕方で、それまでは二人を連れて観光に出ることにしていた。
三人でマリンシティのお店で土産物を買ったり、お昼を食べたりして過ごした。
「そろそろ行こうかぁ」
高速便が出発するのは第4ハブポートの中でも滑走路を使用する機体のブースになる。
通常の連絡船が荷物なども輸送するため大型の機体となっているのに対し、高速船は主に人を運ぶことに特化されているため、小さな機体になっていて、洋上ではなく滑走路を使う。
渚珠のALICEポートに滑走路が残されたのは、このような機体でも運用できるためだ。
機体が小さいため、大気圏上層まではブースターの背中に乗った状態で離陸する。通常の船が一番効率的な軌道を選ぶために、周回軌道で待機するのに対して、こちらは直接目的地を目指す。ルナ=モジュールまで1日の短縮はビジネスにとっては貴重なので、運賃は高いけれど、この便も満席に近かった。
「あれ、松木所長じゃないですか」
「こんにちはぁ。今日は三人ですよ」
出国管理で、係員は学校の制服姿の渚珠をすぐに見抜いた。
「あ、そうか。ルナ第1は明後日ですよね。おめでとうございます」
身元の割れている渚珠を詳しく調べる必要もない。二人の審査も手短に済まされて、出発ロビーに入った。
「同じ連絡船でも全然違うね」
長時間の運行時間に対応するため、個人の船室や食堂なども完備されている連絡船に比べれば、こちらは座席客室のみで、食事も自分のシートでとなり、睡眠も座席の上だ。
「窮屈かもしれないけど、ごめんねぇ」
「ううん。こっちはなかなか乗れないからちょっと楽しみ」
やはり佳奈もルナ=モジュールの生まれだ。連絡船のキャビンアテンダントは女の子の憧れの職業で、渚珠の同級生にもやはりそちらを目指す者が何人かいたはずだ。
半年前の修学旅行の時点でホテルにインターンを予定していた幼馴染みの桃香は、その後、偶然の空きを見つけたとのことで、アテンダントのインターンに移ったと連絡を受けていた。
もっとも、そっちの準備は進めていなかったので、訓練生からスタートで実戦デビューはしばらく先とのことだけれど。
搭乗案内があり、指定された座席についてベルトを締める。
三人並んでのシート。窓際と次を二人に譲り、通路側の席で目をつぶる渚珠。
結局昨日の夜はなかなか寝付けなかった。
プライベートでこの機体に乗ることは当分なくなってしまうだろう。
形としては最後の里帰りになってしまう。卒業証書を貰った後は、一人の大人として生きていかなければならないし、その為に、奏空や凪紗と弥咲の助けを借りながら一生懸命に訓練してきた。
その事を、いつもの寝る前の時間で奏空に打ち明けたところ、彼女たちも同じだと言ってくれた。
ALICEポートというネームバリューと、そこでの出来事があまりにも大きくて、押し潰されてしまいそうになってしまうこともあると。
『渚珠ちゃんが仲間になってくれて、本当に嬉しかったんだよ。だからみんな一緒。心配しないで』
飛び級卒業もして、どんなに凄い実力を持っていたとしても、全員が自分と同じ15歳なのだ。
定刻で発進し、船はすぐに宇宙空間に飛び出した。
大気圏を離れるとき、茜色の夕焼けから漆黒の宇宙までのグラデーションは、大気がないルナ=モジュールでは決して見ることが出来ない。
以前、訓練で中継ステーションに滞在したとき、アクトピアを眺め下ろす窓から何時間も離れることができなかった。
安定航行に入り、食事も終わると、機内は薄暗くされた。あと1日と少しでルナ=モジュールの軌道上にある中継ステーションに到着する。
機体が小さく、推進のため常にエンジンを点火しているため、ルナ=モジュールでの着陸のためにはそこで補給を受ける必要がある。最終目的地が着陸基地の近くであればそのまま乗っていてもいいが、そうでなければ中継ステーションから各地へのシャトルを使った方が効率がいい。
渚珠たちも窓からの景色が変わらなくなったので、食事を終えると睡眠時間に入った。
機内時間での深夜、渚珠はふと目が醒めた。
はっきりとは分からないが、なんだか嫌な予感がする。
突然、機内の照明が消えた。
『ドーン』という嫌な音がして、機体が震えた。
「まさか……」
機体に穴でも開いたのか。小さな隕石やスペースデブリ程度では影響が出ないはずだが。
一番恐れていた空気漏れは起きなかったが、その代わり人工重力が消えた。机の上に置いてあったものがふわふわと浮かび上がってしまう。
寝るときは必ずベルトを締めるようにアナウンスがあったし、アテンダントが確認していて回っていたので、乗客が浮かび上がってしまうことはなかったが、これは確かに異常事態だ。幸いにしてほとんどが眠っている深夜のため、まだ気付いている者はほとんどいない。
「仕方ない……」
自分も運行に携わる仕事をしている者の端くれだ。このまま黙って座っていることは彼女に出来ない。
「佑都くん、佳奈ちゃん」
隣の二人を小さな声で起こす。
「なに?」
目をさました二人は、体が浮き上がってしまいそうな無重力状態に驚いている。
「何か船にあったわ。わたしはお手伝いをしてくる。二人は絶対にここから離れちゃダメよ」
「おねえちゃん……」
「大丈夫だから。必ず無事に着いてみせる」
渚珠は佳奈の頭を撫でて落ち着かせる。佑都は事の重要性が分かったらしい。佳奈の手を握った。
「姉ちゃん。俺は大丈夫。行ってきなよ」
「ありがとう」
渚珠は手荷物置き場からハンガーケースを取り出して、化粧室に向かった。
今の服では自分の権限はあくまでミドルスクールの学生だ。あれに着替えれば……。
化粧室の中、渚珠はこの9ヶ月で何度もピンチを切り抜けてきた戦友に着替えた。胸元のネームプレートも仕事用に切り替える。
これで、渚珠はALICEポートの最高指揮官に戻る。航行中の船の中では船長が最高位の指揮系統を持つが、地上の管制塔に対しては、対等の権限を持てる。もちろん通信機を使うことも許される。
そして、渚珠はいつも付けることをしない一つの標を名札のところに取り付けた。
「まさか、これを使うことになるとはなぁ……」
スカートが広がってしまうが、中にはスパッツを着ているし、こういう事態を想定して、彼女たちの制服の裏側にはベルトを通す部分がついている。これもみんなで訓練したときに知ったことだ。
「これでいい」
渚珠は化粧室を出る。
「お客さま、危ないですよ。お席で……」
外で待っていたアテンダントが言葉を失う。
入った時は普通の学生服の少女が、出てきたときには大変身だ。
「とにかく状況の確認が先です。コックピットに行けますか?」
「分かりました。キャプテンにお繋ぎします」
アテンダントと姉の渚珠が急いでコックピットに向かうのを、佑都と佳奈は見ていた。
「姉ちゃんって、すげぇんだ……」
「うん……。本当におねえちゃんだよね」
アテンダントのチーフに事情を確認し、コックピットに入れてもらう。
「アクトピア自治所属、ALICEポートの松木です。状況を教えてもらえますか?」
突然現れた渚珠にコックピットの二人は驚いた。自分達の乗客の中にこんな人物が乗り合わせていたとは。
「申し訳ありませんが、あなたは……」
船長は渚珠の胸元を見て息を飲んだ。
「分かりました。松木さん。どうぞこちらへ」
彼は彼女を計器とモニターの前に通した。




