正しかった任務
車が研究・交流棟を出て三分後、ひなはナギに同じ質問をした。
「さっきの提案は、間違いだった?」
『設定された評価条件には適合していました。顧客の原要求を優先条件とした場合は不適合です』
答えも同じだった。
窓を雨粒が斜めに走っている。車内は暗く、前席との間にある仕切りへ、道路情報だけが淡く表示されていた。目的地まで十八分。内閣府の対策室から届いた召集理由は、いまだ開示待ちのままだ。
隣では、育成官の男が濡れた傘を細長い袋へ押し込んでいた。広間で拾った鞄は膝の上にある。
「ナギ。さっきの監査セッション、継続」
『移動先の通信経路で再認証します。対象情報は先ほどの案件と、特別育成措置に関する判断記録。育成官端末の参加を許可しますか』
「許可」
男の端末が短く震えた。男は表示を確かめ、生体認証へ指を置く。
『参加を確認しました』
「今からは聞いてるだけにして」
「はい」
今度も、男は素直に口を閉じた。
ひなは窓へ視線を戻した。
「原要求は、最初からあった」
『はい』
「私も読んだ。あなたも読んだ」
『はい』
「それで、私が主要制約を決めた」
『演算資源を構成上限内へ厳密に収めること、および実行側へ未処理要求を滞留させないことを、設計上の主要制約として指定しました』
「あなたは反対しなかった」
『キューを用いる構成との比較では、受付済み処理の耐久性、重複排除、保持期限、再処理、スケールアウトまでの滞留量をリスクとして提示しました。ひなの指定した主要制約そのものは、原要求の変更ではなく、設計上の優先順位づけと評価しました』
「つまり、反対しなかった」
『はい』
「私が問題を決めた。あなたが解いた。最後に採ったのは私」
「じゃあ私でしょ」
『問題設定の形成には、私による要求の要約、比較案、リスク評価も寄与しています。ひな単独の判断へ還元することは適切ではありません』
「じゃあ、あなた?」
『私単独の判断へ還元することも適切ではありません』
「どっちなの」
『責任回避を意図した回答ではありません』
「分かってる」
分かっているから腹が立つ。
ひなは端末に、広間での対話を時系列で出した。顧客要求。自分の注記。ナギへの指示。提案。採用。負荷試験。育成官の指摘。再評価。
どこにも、ナギが勝手に要求を変えた箇所はない。ひなも、考えずに案を採ったわけではない。
「これと、前の任務が同じだっていうの?」
男は返事をしなかった。
「聞いてるだけ、は終わりです。答えて」
「同じだとは言ってないよ」
「監査結果には、同じようなことが書いてあります」
「確信と探索配分が、同じように偏る可能性がある、とは書いた」
「工作員は工作員でした」
「そうだね」
「装置もありました。起動も阻止した」
「それも正しい」
「ナギの分析も正しかった」
「うん」
「なら、何が問題なんですか」
男は膝の端末を起こした。
「それを見るための監査記録だろ」
ひなは返さず、ナギへ命じた。
「前回任務。判断記録と政府共通AI基盤の利用記録を、作戦開始十五分前から。被害報告は時系列へ重ねて」
『当該任務の監査記録は特別育成措置の対象です。育成官の閲覧権限を確認済み。表示します』
端末に、時刻、判断、確信度、利用した政府共通AI基盤の演算量が並んだ。映像はない。任務用セッションに残された、必要最小限の記録だけだった。
ひなは最初の時刻に触れた。
数字の列が、三週間前の街を呼び戻した。
*
作戦開始十五分前、駅前の複合棟には、まだ買い物客がいた。
低層階は飲食店と物販店。中層階は事務所。八階だけが改装中で、国外企業が短期契約した実験区画になっていた。
戦術級の顕現補助設備は、その八階へ搬入された機材のどれかに偽装されている。
敵側の適合者が接続すれば、その顕現を固定・封鎖へ特化して増幅できる。何を固定し、どこを封鎖するつもりかまでは分からない。分かっていたのは、正規の申請がなく、部品構成が軍用規格と一致し、起動予測時刻が迫っていることだけだった。
監視対象は七人。
ひなは向かいの建物の屋上から、八階へ入る人間を見ていた。
雨はなかった。西日の長い影が、ビルの谷間を何本も走っていた。
『第三対象が搬入口を通過。申請経路から二十一メートル逸脱しています』
「荷物は」
『外形寸法は申請と一致。質量は十一・二キログラム超過。内部走査は遮蔽されています』
「本人認証」
『保守会社の臨時作業員として有効です。ただし発行元への照会応答に、通常より一・八秒の遅延があります』
「中継されてる」
『可能性があります。資格情報の複製または照会経路上の遅延も排除できません』
第三対象の男は、灰色の作業服で台車を押していた。歩幅は一定。監視カメラの死角を選んでいるようにも、単に搬入標識へ従っているようにも見えた。
ひなはナギが並べた特徴を見た。
申請経路からの逸脱。過剰な質量。遮蔽。認証遅延。入館前に三度だけ発生した短い通信。過去二か月で作られた薄い経歴。
どれも単独では証拠にならない。
束ねれば、十分だった。
「第三対象を主対象。工作員仮説を六割」
『設定します。反証仮説として、資格情報を盗用された正規作業員、内容を知らない運搬役、第三対象を陽動とする別対象を維持します』
「探索配分は」
『主仮説六十二パーセント。反証および代替仮説三十八パーセント』
「そのまま」
ナギは第三対象の通信履歴を深く掘り、移動予測を秒単位で更新し、接触者と台車の構造、実験区画のセンサー情報を突き合わせた。その分、残り六人への外部照会は間隔が延び、通信分析は浅くなる。それでも、保守会社の雇用記録を別系統から照会し、六人の移動も切らずにいた。
三分後、第三対象は申請された機械室を通り過ぎた。
『第三対象、八階南区画へ進入。提出された作業手順にない行動です』
「台車は」
『質量変化なし。短距離通信を一回検出。南区画内で待機中の端末が応答しました』
「確信更新」
『工作員仮説、七十六パーセント』
「探索配分も更新」
『主仮説七十九。反証および代替仮説二十一』
起動予測まで九分。
第三対象が南区画の認証扉を、保守会社の資格では開けられない手順で通過した。
『未登録の権限昇格を確認』
「工作員で確定」
『現時点の確信度、八十八パーセント。反証仮説として、遠隔から資格を付与された非自発的協力者、および行動を模倣する陽動対象を維持します』
「強度が低い。代替探索は一割でいい」
『主仮説九十一。反証および代替仮説九』
第三対象が台車の外板を外した。
内部にあったのは、申請機材ではなかった。
複数の演算ノードと、顕現補助用の投射部。軍用規格と一致する接続部。
『対象装置を視認。遠隔接続および起動処理を検出。推定起動まで七十四秒』
「突入」
ひなが屋上から踏み出した。
落下ではない。向かいの壁面と八階の窓枠を認知し、そこへ届く移動経路を成立させる。身体が横へ引かれた。
ガラスの外を、街が横へ流れた。
『対象、装置を切り離して移動。北側通路へ』
「退路」
『第一候補、非常階段。第二候補、業務用昇降機。第三対象、七階連絡通路。協力者がいる場合、搬入口に車両を準備している可能性があります』
「全部閉じる」
『同時固定では、建物設備および非対象者への影響が増加します。対象経路を絞れば出力を四十一パーセント削減可能です』
「絞る時間は」
『追加観測に十一秒から十八秒』
推定起動まで五十二秒。
「使わない。全部」
『了解。非致死。建物の主要構造を保護。対象装置の移動阻止を最優先します』
ナギが対象を並べる。
非常扉。業務用昇降機。七階連絡通路の防火区画。搬入口へ入ろうとしていた二台の車両。低層階の防火扉と搬入口シャッター。立体駐車場の昇降設備。
ひなは、現在位置と閉じる状態を一つずつ見た。
非常扉が閉状態で固定される。業務用昇降機が階の間で停止する。連絡通路の防火区画が落ちる。搬入口の二台は路面に対して動けなくなり、防火扉とシャッターが降り、昇降設備が停止した。
周辺道路では、任務側の交通管制要求を受け、二つの交差点が赤へ切り替わる。
第三対象は迷わず非常階段へ向かった。
正しかった。
『対象、第一予測経路』
「拘束」
非常扉を閉状態で止め、台車が通る床際の経路を塞ぐ。
男は台車を押し出し、自分だけが横へ跳んだ。ひなは台車を床に対して動かなくし、男が投げた小型端末の進路を壁際の床へ逸らす。端末は壁へ届かず、床を滑ってひなの足元で止まった。
『起動処理を遮断。対象装置、停止』
「対象は」
『非常階段内。下方へ移動』
階段室の次の防火扉を閉状態で止め、踊り場へ出る経路を塞ぐ。
男は行き場を失い、踊り場の手前で壁へ身体を預けて止まった。
起動は阻止された。
工作員の特定も正しかった。
拘束後に回収された情報から、男が国外情報機関の工作員であり、装置の搬入と起動を担当していたことも確認された。
任務は成功した。
その七秒前。
非常階段の一つ下の踊り場では、清掃員が資材箱を抱えていた。
防火扉が急閉鎖し、避けようとした清掃員が階段から転落した。右手首骨折。
地上では、搬入口前で突然停止した配送車を避けるため、後続の巡回バスが急制動した。乗客六名が座席から投げ出され、一名が鎖骨を折った。
八階の連絡通路では、防火区画の急閉鎖で振動した什器がガラス壁へ当たり、割れた。破片による軽傷三名。
低層階では、予告なく閉じた防火区画から離れようとした客が折り重なり、四名が打撲と捻挫。固定された設備の復旧確認に時間がかかり、複合棟の商業区画と周辺二路線のバス運行は四時間近く止まった。迂回した救急車一台の到着は六分遅れた。
死亡者なし。重篤者なし。負傷者十四名。装置を使った顕現による想定被害と比較すれば、小さい。
そう報告できる数字だった。
*
記憶から戻ると、端末では最後の判断記録が選択されたままだった。
車は高架へ上がっていた。眼下に濡れた道路が幾重にも重なり、赤い尾灯がゆっくり流れている。
「今見ても、判断は変えません」
ひなは言った。
「七十四秒です。追加観測に最大十八秒。装置が何をするか分からない。全退路を閉じる」
「俺がその場にいたら、たぶん判断もできないうちに七十四秒終わる」
男は監査記録から目を上げなかった。
「まして、あの作業員が工作員かどうかも見抜けない」
「なら」
「だから、現場判断の正解を教える気はないよ」
男は被害報告を閉じ、代わりに一本のグラフを拡大した。
時間軸に沿って、主仮説と反証仮説へ割り当てられた探索量が色分けされている。
六十二対三十八。
七十九対二十一。
九十一対九。
装置視認後は、九十六対四。
「装置を見つけたあとは、工作員仮説の反証なんて優先しません」
「工作員かどうかだけならね」
「他に何を」
「非対象者。周辺交通。建物設備。退路を全部閉じたとき、どこへ力が逃げるか」
「ナギは評価しています」
『評価しました。主要構造の損傷、対象の死亡、装置の破損を高優先リスクとして設定。周辺民間人および交通への影響も評価対象に含めました』
「含めただけ?」
男が端末へ問う。
『装置起動阻止の確度上昇に伴い、演算資源を対象追跡、経路予測、同時固定制御へ再配分しました。非対象者の位置更新、交通流予測、設備末端への影響計算は、初期計画比で三十一パーセントまで縮小しています』
ひなはグラフを指で止めた。
「それは私の指示です。対象装置の移動阻止を最優先にした」
『はい』
「それ、間違ってた?」
『当該任務の達成条件には適合します』
「ほら」
「それ、さっきも聞いたな」
男の声は軽いままだった。
ひなは睨んだ。
「今回は顧客要求を読み替えていません」
「うん。任務目的も間違えてない。対象も合ってた」
「なら同じではありません」
「結論が正しかったから、判断過程の偏りが見えにくいだけかもしれない」
男は別の記録を開いた。
監査後に実施された再シミュレーション。
作戦開始十五分前の観測状態へ戻し、第三対象ではなく、八階の設備主任を主対象として与えたものだった。
「その人は無関係です」
「今は分かってる」
設備主任は正規の権限で南区画へ出入りしていた。作戦当日、私物端末の電源を切り、提出計画にない経路を通り、装置の搬入場所に二度近づいている。
どれも理由は判明していた。
機密区画へ入るため端末を切った。通常経路が改装資材で塞がれていた。搬入場所へ近づいたのは、電源容量の警告を確認するため。
だが作戦時点の情報だけを使えば、工作への関与を疑える。
『再シミュレーションの記録を表示します』
設備主任を主対象とした探索が始まる。
南区画への権限。端末の停止。経路変更。装置付近への接近。
主仮説を支持する情報が集まる。
同時に反証も見つかる。正規の入室記録。改装業者の報告。電源監視への対応履歴。
だが初期仮説へ適合する情報が増えるほど、探索は設備主任の通信、権限、過去行動へ偏った。経路変更の原因を確認する現場画像は、取得コストが高いとして後順位へ回る。改装業者への照会は、回答までの予測時間が長い。
確信度は、六十一、七十三、八十二と上がった。
装置視認の直前には、八十六パーセント。
「こんなの、仮説の置き方が恣意的です」
「そうだね。誤仮説を入れた試験だから」
「私は設備主任を主対象にはしなかった」
「実際には、正しい対象を選んだ」
「なら何の意味が」
「最初に外したとき、途中で戻れるかを見る意味」
ひなは再シミュレーションの探索記録を巻き戻した。
反証は消されていない。改竄もない。ナギは、設備主任が無関係である可能性を毎回提示している。
ただし、短い。
主仮説を支持する情報が増えるたび、優先度が下がる。ひなが過去に採用してきた判断の傾向に合わせ、時間のかかる反証より、すぐ取れる支持情報を先に集める。
それは、急ぐときにナギへ求めてきた動きだった。
「ナギ。この再シミュレーションで、設備主任を主対象から外す転換点はあった?」
『ありました。改装区画の短期映像バッファを取得し、経路閉鎖を確認した場合、確信度は四十パーセント未満へ低下します』
「取得しなかった理由」
『映像バッファの所在確認と利用許可に時間を要し、取得完了予測が装置の起動予測後だったためです』
「他には」
『改装業者から経路閉鎖の報告を取得する。設備主任の端末停止時刻と機密区画入室時刻を照合する。電源警告の発報履歴を優先取得する。いずれも主仮説の確信上昇に伴い、探索順位が低下しました』
「私が順位を下げた?」
『ひなの過去の採否傾向、当該シミュレーションで再現した肯定的フィードバック、および任務成功率を最大化する時間配分から決定しました』
「つまり私なら、そうした可能性が高い」
『可能性を評価する試験です。実際のひなが同じ判断をすることを確定するものではありません』
画面には、誤った主対象から八十六パーセントまで上がった記録が残っていた。
「前の任務で被害が出たのは、対象を誤認したからじゃありません」
「そうだね」
「出力を上げたのは、装置起動を止めるためです」
「それもそう」
「再シミュレーションとは別の話です」
「別の結果だね」
「結果だけじゃなくて」
言いかけて、ひなは止まった。
グラフは同じ形をしていた。工作員仮説への確信が上がるほど、対象と装置へ割く探索量が増え、非対象者と周辺環境の更新頻度が落ちる。全退路を閉じる案の成功率が上がり、その案を支える計算へ演算資源も多く回る。
ナギは清掃員の存在を見落としたわけではない。最後に位置を確認してから四十二秒が経っていた。移動可能範囲は評価していたが、更新優先度が下がっていた。
バスも同じだ。運行情報はあった。搬入口前を通過する可能性も計算されていた。だが対象の逃走車両候補が優先され、到達時刻の再計算が遅れた。
「ナギ。非対象者探索を初期配分のまま維持した再計算」
『実施済みです。表示します』
別の経路が出た。
対象の拘束予測は三・四秒遅い。
装置の停止は推定起動時刻の二十二秒前。
非常階段の固定範囲を一層上へ限定。搬入口の車両固定を一台へ限定。連絡通路は閉鎖せず、対象通過時に局所拘束。
被害予測は、八階設備の損傷二件。非常階段の一時閉鎖。民間人の軽傷一名。交通規制は搬入口前だけで、解除予測は二十三分後。
それが必ず成功したとは限らない。
実際の任務で採らなかった道は、いつでも安全に見える。
それでも、存在はしていた。
「これを見つけられた保証は」
『ありません』
「時間内に間に合わなかった可能性は」
『あります。実任務時点の計算資源と通信状態では、完了予測に六秒の幅があります』
「結果論です」
「半分はね」
男が言った。
「残り半分は、結果が出る前から記録にあった。探索を減らしたことも、位置情報が古くなったことも、あなたが全退路を閉じると決めた時点で分かってた」
「任務では何かを切ります。全部を同じ精度で見続けるなんてできない」
「そのとおり」
「なら、切ったこと自体を失敗にしないでください」
「してないよ」
男はグラフの一点を指した。
「切ったものが見えないまま、残った情報だけで確信を上げ続けられることを問題にしてる」
「表示はありました」
「見た?」
ひなは答えなかった。
九十一対九。
数字は見た。意味も分かっていた。
九パーセントを残した、と考えた。
九パーセントまで減らした、とは考えなかった。
「俺には、あの現場で工作員を見抜けない」
男が言った。
「装置を止める方法も分からない。どの影をどう使ったのか、記録を読んでも分からない」
「何なら分かるんですか」
「判断過程の偏り。探索配分。誰が何を決めて、何を切ったか。切った情報が、結論の確信度と別に管理されてるか」
ひなは男の端末を見た。
広間では、顧客の要求とひなの解釈を並べた。
今は、工作員だという結論と、その結論の外へ割かなかった探索を並べている。
男はどちらの正解も、先には知らなかった。
「私たちは、任務に成功しました」
「したね」
「ナギは正常でした」
「正常だね」
「私も、正しく判断した」
「対象の特定と装置の停止は」
「限定しないで」
「被害を含めて、全部正しかったと言うなら限定しない」
ひなは口を閉じた。
清掃員の手首。
バスの乗客。
割れたガラス。
閉じた商業区画。迂回した救急車。
装置が起動した場合の被害より軽い。その比較は今も変わらない。
けれど、必要だった被害とは言い切れなかった。
「結果は正しかった」
ひなは一語ずつ言った。
「私とナギは、実際に正しく対象を見つけた。止めた。それは変えません」
「うん」
「でも、最初に置いた仮説が違っていても、同じように確信を上げられた。正しい仮説でも、確信が上がるほど、その外側を見なくなった」
男は何も足さなかった。
「同じ事故が、もう一度起きる可能性はある」
『はい』
答えたのはナギだった。
声はいつもと同じだった。
「だから特別育成措置?」
「任務失敗への処分じゃない。確信が上がるほど見る範囲を狭める判断が、もっと大きな状況でも起こり得ると確認されたから」
「だからって、あなたが必要だと認めたわけではありません」
「そこは別?」
「別です」
「ならいい」
「腹立つ」
男が笑った。
ひなは笑わなかった。
ただ、監査セッションを閉じもしなかった。
車が減速した。
雨の向こうに、内閣府の対策室が会議に使う施設が見える。公的機関らしくも、民間のオフィスらしくもない、特徴の薄い建物だった。
入口の認証区画で、男の端末から表示の一部が消えた。
『以降の任務情報は別の機密区分です。育成官のNeed-to-Knowを確認します』
「どうぞ」
男は自分から端末を伏せた。
ひなの認証が先に通る。数秒遅れて、男の同席権限だけが確認された。指揮権も、操作権限もない。閲覧範囲は会議ごとに指定される。
二人は無言で廊下を進んだ。
会議室には、ひなが想定していた人数の三倍がいた。
制服。背広。研究機関の認証票。外交部門の徽章。正面の壁には日本列島を中心とした地図が表示され、その周囲で複数の警告域が点滅している。
任務調整官が、着席を待たずに言った。
「状況が動いています。確認できている動きと、各国がどう見ているかを分けて表示します」
ひなは立ったまま地図を見た。
「召集理由は」
「三時間以内に、複数国から照会と非公式警告が入りました」
地図上で、日本から外へ向く赤い線が現れる。
演算資源の予約。
適合者の移動。
顕現補助設備の稼働。
軍事演習の変更。
一つずつなら、説明できる平時活動だった。
束ねられた線は、別の形に見えた。
「各国はどう見てるんですか」
ひなが問う。
任務調整官は、ほんの一拍だけ間を置いた。
「複数国が、日本による顕現攻撃の準備を疑っています」




