人魚の踵
海。
静かな海。
晴れの海。
雨の海。
モスクワの海。
泡の海。
僕の知っている海。
ウミ。
僕の知らない地球のウミ。
“Refill.”
メスシリンダーのようなアクアリウム。
底面からの発光は南国のウミを模している。
緑青の脚が水を蹴る。
青錆の身体が斑らに光る。
長い髪が放射状に広がる。
左右の踵に埋め込まれた大粒のターコイズ。
“Would you like to go out?”
唇からバブルが沸き立つ。
ガラスに隔たれ、声は届かない。
届いていたとしても、意思の疎通は不可能だ。
生きている。僕には、人間にはそう見えるだけ。
ジュエレッタを見ていると、お伽噺を思い出す。
脚の代償に声を失った異形の姫。
「ウミは自由。地球を知らないムーンチャイルドの空想だろうか?」
答えはない。
Product Name: Turquoise Girl
Flavor: Cool and clear
Polishing form: Supple
Emotion Content: 75%
Raw Ingredients: Verdigris and Turquoise
Voice tone: Soprano
Category: Swim
Serving Suggestion:
Room Temperature in the tropical night
銃撃の音。
破壊音と共に扉が開く。
"Don’t move.”
ハスキーな声は女性。逆光のシルエットはしなやかだ。
1秒。2秒。3秒。僕は聞く。
「殺さないの?」
彼女は構えをとき、空薬莢を床に捨てる。
「私は、子どもは殺さない。弱いものもね」
「僕はどっち?」
「両方さ。ボウヤ」
彼女はベルトから弾を取り出した。1、2、3。
3発が装填される。
「君、いくつ?」
僕は気になって尋ねた。
「17」
「僕は8歳」
「もっと上に見えた」
彼女は無表情に言う。
「1発3モニカで買うか?」
銃弾のことだとわかった。
「そんなお金ないよ」
「後払いで構わない」
「10年後とか?」
「そ」
「でも、なんのために?」
「逃げたくないの?」
「逃げられないよ」
彼女はふうんと頷き、僕の背後に視線を送った。髪の毛先が、水灯りを金色に照り返す。
「その水槽を壊すこともできる」
「なんで?」
「人魚の声を聞きたくないの?」
確かに、僕のジュエレッタには音声機能が存在する。
Category“Swim”
水中では意味を為さないそれを宝石職人がなぜ搭載したのか。
「やめとくよ」
「そう」
「このジュエレッタには、歩行機能がないんだ」
「ふうん。同じだね」
「何と?」
僕と、って言いたい?
「私のモリーも歩けないんだ」
彼女のジュエレッタの愛称かな。殺し屋って、お金持ちなんだ。
「そうなんだ」
「代わりに歌う」
「へえ。聞いてみたいな」
彼女は左右非対称に口を歪めて笑った。大人っぽくてかっこいい。
僕も笑う。似てるかな?
「良い夜を」
「貴女もね」
窓から消えた。金の翼の鳥のように。
「ただいま、モリー」
灯りの無い部屋で、モリーは私を見上げ微笑む。
昨日、新しい椅子を買った。樹脂ではなく、本物の木でできた重いやつ。
冷蔵庫をオープン。青白い光に目を顰め、ウォーターを取り出す。仕事前に冷やしておいた。フレーバーはモヒート。
うん、爽快。
ボトル片手に、モリーの真向かい斜度45度あたりに椅子を置く。
背もたれを前に。横向きに座り肘をつく。
あの少年は、わかっていたに違いない。
自分の未来も。ジュエレッタの未来も。
彼は縁者をたらい回しにされる。
ジュエレッタは転売される。
"I’ll pass."
それでもいいと彼は決めた。
彼らの未来はよく似ている。
いや、そもそも彼らは似ていた。
ほとんど同一といっていい。
あの水槽が、鏡写しに見えるほど。
命を見出した?
いや、違う。
自由を、境界の向こうに見た。
境界を越えれば生きられない。
眼差しだけが自由を追う。
モリーの双眸は私の横顔を映している。黒水晶が温度を宿すように思えた。
“Refill. Song of the sea.”
Mory stands.
Copper lips open.
The voice is rippling.
Ballade.




