第9話:飢えた狼の王と、冷徹な取引
月光が、王城のバルコニーに銀の刺繍を施している。
眼下には、灯火が絶えないヴァロワの街並み。
かつての「死の国」は、今や眠らぬ「黄金の都」へと変貌を遂げていた。
私の背後で、重いブーツの音が響く。
「――見事な手際だった。アイリス」
ゼオン陛下の声だ。
戦場を震わせる彼の咆哮とは違う、どこか愉悦を孕んだ、低い囁き。
「お褒めに預かり、光栄ですわ。陛下」
私は振り返らずに答えた。
手に持ったクリスタルグラスの中で、琥珀色の酒が静かに揺れる。
【分析対象:ゼオン・デ・ヴァロワ。心拍数:上昇。支配欲:極大。……私への『報酬』を思案中かしら】
ゼオンが私の隣に立ち、手すりに大きな手を置いた。
その手には、まだ戦いと鉄の匂いが染み付いている。
「アステリア公爵家を、紙切れ一枚で買い叩くとはな。軍を動かすより、貴様のペン一本の方がよほど残酷だ」
「暴力は、資源を破壊しますわ。ですが『買収』は、資源をそのまま私の手元に残してくれます。……効率的だと思いませんか?」
「ハッ、効率か。相変わらず可愛げのない女だ」
ゼオンが、私の顎を強引に自分の方へ向けさせた。
彼の瞳は、獲物を狙う狼そのもの。
だが、その瞳に映る私は、一切の動揺を見せていない。
――「静」。
「陛下。私の『可愛げ』に、いくらの値を付けるおつもり? 採算の合わない投資は、お勧めしませんわよ」
「……値段などつけられん。貴様という存在は、もはやこの国の、いや、俺自身の『生命線』だ」
ゼオンの顔が近づく。
彼の熱い吐息が、私の頬を掠める。
かつてアステリアの王子ジュリアンは、私を「便利な魔力電池」としか見ていなかった。
だが、この男は違う。
私の持つ「毒」も、「野心」も、「冷徹さ」も……すべてを理解した上で、丸ごと喰らおうとしている。
「アイリス。公爵家は落とした。……次は、何が欲しい。あの無能な王子の首か? それとも、あの国の玉座か?」
「首など、価値がありませんわ。死ねば、負債を返済させることもできませんもの」
私は、ゼオンの胸元にそっと指先を這わせた。
「私が欲しいのは、彼らの『絶望』の独占権です。……明日、アステリアから『支援要請』の特使が参りますわ。私が売った『毒入りの魔石』の代金を支払うために、彼らは国宝を、そして王室の誇りすら売り払うでしょう」
私は、ゼオンの瞳を覗き込み、極上の微笑みを浮かべた。
「その契約書(首輪)の鎖を握るのは、陛下。あなたですわ」
「……ふっ、くははは! どこまでも残酷な女だ!」
ゼオンが私の腰を引き寄せ、豪快に笑った。
その笑い声は、アステリアの破滅を告げる祝砲のように響く。
「良かろう。貴様の描く盤面通りに、俺が動いてやろう。……だがアイリス。その代わり、今夜の『取引』の対価は高くつくぞ」
彼は、私の銀髪を指に絡め、深く、熱く、唇を寄せた。
――「動」。
私の心拍が、わずかに跳ねる。
……ええ。
よろしいでしょう。
この男は、私が買い叩く世界で、唯一「対等」に並び立つことを許した男。
アステリア王国では今頃、ジュリアンが「金がない、金がない」と狂ったように叫んでいることでしょう。
叫べばいいわ。
あなたたちが、金よりも大切な「誇り」を切り売りするその瞬間を。
私は、この狼の腕の中で、優雅に眺めてあげますから。
アイリスとゼオン。契約を超えた「最強の共犯関係」が加速しています。
一方のアステリア王国、ついに国宝の売却にまで追い込まれました。
「アイリス様、ゼオンを完全に飼い慣らしてる!」「王子の絶望がもうすぐそこ!」
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次回、第10話「『私を買いなさい、陛下』」。
ついにアステリア王国の特使がヴァロワへ。
現れたのは、アイリスをかつて「泥棒猫」と罵った、あの宿敵の令嬢……?




