第3話:奪われた名前、残された意志
鉄の匂いがする。
ヴァロワ王国の王城、その謁見の間は、アステリア王国のそれとは対極に位置していた。
金箔の装飾も、華美なタペストリーもない。
あるのは、無骨な石造りの壁と、使い込まれた黒鉄の燭台。
そして。
玉座に深く腰掛け、私を射抜くように見下ろす、一頭の猛禽。
「……それが、国境を騒がせた『未来を売る女』か」
低く、地を這うような声。
ヴァロワ国王、ゼオン・デ・ヴァロワ。
若き武王。
戦場を駆け、己の力のみで北の荒野を統一した男。
彼の頭上に浮かぶ数字を、私の「眼」が捉える。
【武力:99。カリスマ:95。個人資産:銀貨3枚。国家国庫:壊滅的赤字】
ふふ。
笑ってしまいそうだわ。
世界最強の武人が、今夜の夕食の献立にすら頭を悩ませているなんて。
「お初にお目にかかります。ゼオン陛下」
私は、ボロボロの下着に泥を纏ったまま、完璧な礼を捧げた。
周囲の騎士たちが、不快そうに顔を歪める。
「不潔だ」「狂女か」「追い出せ」
雑音。
だが、ゼオンの瞳だけは、私を「測定」していた。
「アステリアの公爵令嬢、アイリス・フォン・アステリア。追放されたと聞き及んでいるが……その様は何だ。物乞いに来る場所を間違えたのではないか?」
「いいえ。私は『投資』に来たのですわ」
私は顔を上げ、彼の氷のような瞳を正面から見据えた。
「投資だと?」
「ええ。あなたの国、ヴァロワは素晴らしい『銘柄』です。屈強な兵、広大な未開拓地。ですが……致命的に『血』が足りていない」
「貴様……!」
騎士の一人が剣を抜きかける。
ゼオンが手制した。
「続けろ」
「ありがとうございます。……陛下、この国はあと半年で、兵に支払う給料すら尽きるはずです。アステリアからの食糧供給も、もうすぐ止まる。あちらの王子が、無能ゆえに価格を吊り上げるからですわ」
「……ほう。なぜそれを知っている」
「私が、あちらの『帳簿』を付けておりましたから」
私は一歩、前へ踏み出す。
足裏の傷が疼く。
けれど、声は震えない。
「陛下。私を買いなさい。私は、あなたに富を差し上げます。この荒野を黄金の麦畑に変え、鉄の山を魔石の鉱山に変えてご覧に入れましょう」
「ハッ、大口を。たった一人の女に、何ができる」
「一人の女ではありません。私は『稀血』の保有者。そして……」
私は自分の指先を、鋭い爪で薄く切った。
滲み出た一滴の鮮血。
それを、床の石畳に垂らす。
瞬間。
カビ臭かった謁見の間に、爆発的な魔力の余波が走った。
石の隙間から、あり得ないはずの緑の芽が吹き出し、瞬く間に白い花を咲かせる。
騎士たちが息を呑む。
ゼオンの瞳が、驚愕に揺れた。
「……これが、アステリアが捨てた『資産』の価値ですわ」
私は、血の滲む指を唇で拭った。
「対価は、私の安全と、商売の自由。……そして、いずれアステリアを買い叩く時の『牙』になっていただくこと」
静寂が、謁見の間を支配する。
ゼオンが玉座から立ち上がった。
彼は大股で私に近づき、その大きな手で、私の泥に汚れた顎を掬い上げた。
「名は何だ」
「……アイリス、と」
「違う。アステリアの姓は、貴様を捨てた国のものだ。ここで生きるなら、その名は捨てろ」
ゼオンの唇が、野性的な笑みを刻む。
「今日から貴様は、ヴァロワの『影の財務官』だ。アイリス。貴様の言う『投資』とやら、俺が受けてやろう」
「……賢明なご判断ですわ、陛下」
私は、彼の腕の中で微笑んだ。
アステリアのアイリスは、死んだ。
今ここにいるのは。
世界を数値で支配し、かつての敵を破滅へと導く、冷徹な投資家。
「さあ、まずは……我が公爵家が密かに隠匿していた『裏帳簿』から、整理いたしましょうか」
私の瞳の中で、復讐のカウントダウンが、確かな「数字」を刻み始めた。
アイリス、ついに「牙」を手に入れました。
身ぐるみを剥がされた令嬢が、隣国の王をパートナーに選ぶ。
ここからが本当の「成り上がり」のスタートです!
「アイリスとゼオンのコンビが最高!」「早くアステリア王国が焦る顔が見たい!」
そんな感想をお持ちの方は、ぜひ評価【☆☆☆☆☆】とブックマークで応援をお願いします。
次回、第4話「一パンの価格、一国の価値」。
アイリスがヴァロワの市場をどう変え、最初の「金貨」を稼ぎ出すのか。
彼女の経済学的ざまぁの第一歩、ご期待ください。




