第2話:泥を啜るドレス
冷たい。
雨は、容赦なく私の体温を奪っていく。
足元の泥が、かつては白く滑らかだった私の肌を無残に汚していく。
重い、重いわ。
水を含んだ下着が、鉛のように体に纏わりつく。
アステリア王国の国境へと続く一本道。
背後には、かつて私が守り抜いた愛すべき王都が、遠く霞んで見えた。
……ふふ。
可笑しなこと。
あれほど尽くした場所なのに、去る時に持たされたのは、罵倒と泥水だけ。
「はぁ、……はぁ……っ」
肺が焼けるように熱い。
裸足の裏は既に切り裂かれ、鉄の匂いが雨に混じる。
普通なら、ここで絶望するのでしょう。
けれど、私の脳は、驚くほど冴え渡っていた。
――視界が、変容する。
道端に転がる石。
【価値:0。用途:投石、あるいは路面の補強】
降り注ぐ雨。
【価値:1。用途:農業用水。ただし、アイリス不在による魔力不足で、3日後には酸性へ変化】
そして、私の足元。
泥に混じって流れる、私の「血」。
【価値:計測不能。稀血(魔力触媒率98%)。市場流出により周辺の生態系が急激に活性化中】
「……ああ。垂れ流すには、あまりに高価すぎるわね」
私は立ち止まった。
指先で自分の血を掬い、唇に当てる。
私の血は、この国の血液そのものだった。
それを捨てたジュリアン。それを奪った父。
彼らが今、祝杯を上げているあの城では、もう「不渡り」の予兆が始まっている。
供給を絶たれた魔力は枯渇する。
農作物は腐り、結界は綻び、魔物たちが国境を脅かすだろう。
そこにあるのは、緩やかな、けれど確実な死。
「私を捨てた『損失』。……高くつくわよ。殿下」
私は道の脇に生えていた、何の変哲もない薬草を摘み取った。
私の血が混じった泥を吸い、その草は異常なほどの魔力を帯び始めている。
【商品名:魔力増幅薬(素材)。時価:金貨3枚分】
ただの雑草が、私の血一滴で黄金に変わる。
アステリア公爵家を追われた時、私は「資産」をすべて失ったと思っていた。
けれど、違ったわ。
私自身が、歩く中央銀行。
私こそが、富の源泉そのものだった。
私はボロボロになった下着の裾を、力強く引きちぎった。
それを泥だらけの足に巻きつけ、歩みを再開する。
行く先は、北の軍事国家・ヴァロワ。
あそこは、力はあっても富がない国。
牙はあっても知恵がない国。
今の私には、守るべきプライドも、背負うべき家門もない。
ただ、この「価値」を最大化し、自分を最も高く買う場所へと売り込む。
――アイリス。
私は心の中で、自分の名前を呼ぶ。
かつては「公爵令嬢」という肩書き。
これからは「投資家」という正体。
夜の闇の向こう側。
ヴァロワの国境を告げる、鉄の門が見えてきた。
そこには、飢えた狼のような目をした兵士たちが並んでいる。
彼らの頭上にも、数字が躍る。
【平均年収:銀貨12枚。士気:30%。装備:著しい劣化】
安すぎるわね。
私が、買い取ってあげる。
「止まれ! 何者だ!」
兵士の一人が、錆びた槍を私に向ける。
泥まみれで、下着同然の姿。
銀髪は乱れ、震えるほどに痩せ細った女。
それでも、私は傲然と微笑んだ。
「ヴァロワの王に、お伝えなさい」
喉の奥から、冷徹な響き。
「――あなたの国の『未来』を、持って参りました、と」
兵士の槍が、微かに揺れた。
私の瞳の中に、かつて誰も見たことがないような、深い「黄金」の輝きを見たから。
雨は、止んでいた。
アイリスの「反撃への準備」が始まりました。
ただの復讐者ではなく、世界の価値を塗り替える支配者への第一歩。
「アイリスがヴァロワの王をどう手玉に取るか見たい!」
「アステリア王国が崩壊していく様をもっと詳しく!」
そう思っていただけましたら、ぜひブックマークと【☆☆☆☆☆】での応援を!
皆様の「ざまぁ」への渇望が、私の筆をさらに鋭く研ぎ澄ませます。
次回、第3話「奪われた名前、残された意志」。
ヴァロワ王ゼオンとの、命を賭けた最初の「商談」が始まります。




