第16話:新たな変数の予感
――石鹸の匂い。
アステリア王宮。かつて「腐敗」と「焦燥」の匂いが充満していた廊下は、今、ヴァロワから持ち込まれた強力な洗浄剤によって、徹底的に磨き上げられていた。
過去の汚れを、数字の暴力で削ぎ落とす。
私は、ゼオン陛下から贈られた最高級の軍靴を響かせ、王宮の最上階へと向かっていた。
「……アイリス様。本日の『未処理債務』の整理状況ですわ」
影から現れたリンが、一通の羊皮紙を差し出す。
彼女の指先は、今や暗殺者のそれではなく、冷徹な会計士の如き正確さでペンを走らせる。
「……あら。まだ終わっていない場所があるの?」
「ええ。……『管理人』の仕事が、想定より遅れておりますので」
私は、扉を開けた。
かつてはジュリアン王子が華やかな政務(ごっこ遊び)に興じていた、執務室。
そこにいたのは。
「……あ、アイリス……。いや、アイリス様……」
【鑑定対象:ジュリアン。役職:アステリア清算事務局・平事務員。残業時間:240時間超。価値:微減】
書類の山に埋もれ、目の下に深い隈を作ったジュリアンが、震える手で羽ペンを握っていた。
かつての煌びやかな礼服は、支給品の地味な事務服へと変わり、王者の傲慢さはどこにもない。
――「動」。
「殿下。……いいえ、ジュリアン。まだこの程度の数字の整理も終わっていないのかしら? 私が用意した給与、全額を利子の返済に充てているのに、仕事がこれでは『解雇』も検討しなくてはなりませんわね」
「ま、待ってくれ! これでも必死にやっているんだ! だが、計算が合わない……あいつらが、あちこちで帳簿を誤魔化していて……っ!」
「それを見つけ出し、回収するのがあなたの『罪滅ぼし』でしょう?」
私は、彼が書き散らした書類を一瞥し、鼻で笑った。
「……計算間違いが3箇所。やり直しなさい。夜明けまでに終わらなければ、明日の食事は『減価償却資産』と同じ、カビたパンになりますわよ」
「……っ、う、うう……」
かつての王子が、一介の令嬢の言葉に、恐怖で肩を震わせる。
その光景を、私は冷めた紅茶を啜るように、無感情に見つめた。
その時。
窓の外、王宮の港に、巨大な黒い影が落ちた。
――咆哮のような、蒸気の音。
ヴァロワの旗ではない。
アステリアの旗でもない。
金の鷲をあしらった、巨大な外輪船。
「……アイリス。来たぞ。大陸の略奪者どもが」
背後で、ゼオン陛下が腰の剣を鳴らした。
彼の瞳には、戦場を求める獣の光が宿っている。
「ガリウス帝国……。アステリアの『利権』を、横取りしに来たのかしら?」
私は、窓辺に立ち、港へと降り立つ帝国特使の姿を「鑑定」した。
【分析対象:ガリウス帝国・第一交渉官クロウディア。目的:アステリア主権の強奪。……予算規模:国家予算3年分。性格:冷徹、プライドの塊】
ふふ。
ようやく、面白い「変数」が現れましたわね。
「陛下。……あちらは、私を『ただの運の良い小娘』だと思っているようですわ」
私は、扇子を広げ、自らの瞳に黄金の魔力を滾らせた。
「なら、教えてあげましょう。……世界で最も高い『勉強代』を、お支払いいただくことになりますわよ」
帝国という名の巨大な獲物。
私は、それをどう「料理」して差し上げるか。
脳内にある天秤を、かつてないほど激しく、美しく、揺らし始めた。
第2章、波乱の幕開けです。
アステリアを救う名目で現れた「ガリウス帝国」。
しかしアイリスにとって、彼らはただの「新規顧客」に過ぎません。
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次回、第17話「鉄の乙女と、黄金の令嬢」。
帝国の誇り高き交渉人クロウディアが、アイリスに「最初の商談」を仕掛けます。




