第15話:空虚な祈り
――カビと、絶望の匂い。
アステリア王宮の地下食糧庫。
かつては王国中の富が集まったこの場所も、今は空っぽの木箱と、逃げ惑う鼠たちの棲み家と化していた。
「……嫌、嫌よ。誰か、誰か助けて……っ!」
マリスが、湿った床に這いつくばって祈っていた。
【鑑定対象:マリス。状態:極限の飢餓。精神:崩壊寸前。……祈りの価値、0】
彼女の美しいはずの桃色の髪は、汚れと脂で固まり、泥棒猫のような異臭を放っている。
扉の向こうからは、民衆の怒号が止まない。
「偽聖女を差し出せ!」「石を投げろ!」
――「動」。
ガタガタと震え、神に縋る彼女の姿は、滑稽なまでの不良債権。
その時。
地獄の底のような静寂を破り、重厚なブーツの音が響いた。
――コツ、コツ、コツ。
規則正しく。
優雅に。
まるで、この汚泥に満ちた場所を、自分の庭園であるかのように歩く足音。
「……お祈りは、済みましたかしら? マリス」
澄んだ声が、地下室の冷気を切り裂いた。
マリスが弾かれたように顔を上げる。
そこに立っていたのは。
眩いばかりの魔力を放つ、白銀のドレス。
一分の乱れもない、夜の海のような銀髪。
そして、慈悲など一滴も含まれていない、極寒の瞳。
「あ……あ、アイリス……様……?」
「アイリス、でよろしくてよ。……今の私は、あなたを『買い取った』雇い主なのですから」
私は、リンが差し出したハンカチで鼻元を覆い、軽蔑の眼差しを向けた。
「助けて……助けてください! 私が悪かったんです! 全部、ジュリアン様が……あの人が私をそそのかしたの!」
「――醜いわね」
私は、彼女の目の前に一通の『請求書』を落とした。
「あなたがこれまで消費した魔導具の維持費。私が不在の間に発生した農業損失。そして、あなたが王宮から横領した宝石の鑑定額。……合計、金貨50万枚」
「ご、50万……!? そんなの、払えるわけ……!」
「ええ。今のあなたには、自分の命の価格すら払えませんわね」
私は、彼女の顎を扇子の先で持ち上げた。
「マリス。私はあなたを殺しはしません。……殺せば、この債権が焦げ付いてしまいますもの」
「……え?」
「明日から、あなたはヴァロワの『魔力精錬所』で働いていただきますわ。私の血を混ぜた泥を、一生、素手で捏ねて魔石を造り続けるのです。……死ぬまで働いても、利子すら返せないでしょうけれど」
「嫌……! そんなの、聖女のすることじゃないわ!」
「聖女? ……あら、勘違いしないで」
私は、凍てつくような微笑を浮かべた。
「――今のあなたは、ただの『減価償却資産』ですわ」
絶叫。
マリスがリンの手によって引きずり出されていく。
扉の向こうに待つのは、死よりも残酷な、終わりなき労働。
私は一人、誰もいなくなった地下室で、かつて自分が捨てられた日のことを思い出した。
あの日の泥の冷たさ。
あの日の雨の惨めさ。
それらすべてを。
今、私はアステリアという国ごと、黄金で塗り潰した。
地上へ戻ると、玉座の間にはゼオン陛下が待っていた。
彼は私の肩に、王者のマントをかけ、耳元で低く囁く。
「終わったか。アイリス」
「ええ、陛下。……ただの『棚卸し』ですわ」
窓の外。
アステリア王国の国旗が引き裂かれ、ヴァロワの「黄金の天秤」の旗が翻る。
私の新しい帝国。
その地図には、もはや「敵」という名の数字は、一つも残っていなかった。
マリスの「清算」が完了しました。
殺すよりも残酷な、経済的奴隷としての生。
これこそが、アイリスが選んだ最も合理的な復讐です。
アステリア編、ここに完結。
しかし、アイリスの野望は一国に留まりません。
次は世界経済を揺るがす、さらなる「高み」への成り上がりが始まります。
「アイリス様、最後までブレない!」「減価償却資産という言葉、最高に痺れる!」
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次回、第16話「新たな変数の予感」。
隣国との経済会議。そこで現れる、アイリスを「女」として、そして「獲物」として狙う新たな強敵とは――。




