第13話:主権の競売
――異臭がする。
ヴァロワ王城の特別応接室。
そこに足を踏み入れた瞬間、私の鼻を突いたのは、安物の香水と、隠しきれない焦りによる脂汗の匂いだった。
ソファーに深々と腰掛け、震える手で冷めた茶を啜っている男。
【鑑定対象:ジュリアン・フォン・アステリア。地位:第一王子(実質的失脚寸前)。資産:マイナス金貨100万枚。……もはや、負債の塊ね】
一ヶ月前。
あの日、私を「無能」と呼び、婚約破棄を突きつけた時の輝きは、どこにもない。
着崩れた礼服。無精髭。そして、何よりその瞳に宿る、逃げ場のない鼠のような卑屈さ。
私は、リンを伴い、音もなく彼の前に立った。
「……お待たせいたしましたわ。ジュリアン殿下」
私の声が響いた瞬間、ジュリアンが弾かれたように立ち上がった。
「アイリス! アイリスじゃないか! 探したんだ、ずっと君を……!」
――「動」。
彼は私に縋り付こうと、汚れた手を伸ばしてくる。
だが、その手はリンの冷徹な一瞥と、抜かれぬ刃の鞘によって阻まれた。
「……触れないでください。その汚れ、私のドレスの資産価値を下げますわ」
私は、扇子で口元を隠し、冷たく言い放った。
「な……アイリス? 君、何を……。僕だよ、ジュリアンだ! 婚約者の……!」
「婚約者? ……ああ、あの日、公衆の面前で私を捨て、国外追放を命じた『元・顧客』のことかしら?」
私は、テーブルを挟んで彼の向かい側に座った。
足を組み、顎を引く。
【評価:交渉能力、皆無。……今すぐ、精算に入りましょうか】
「アイリス、悪かった! あの時は、マリスに……あいつに騙されていたんだ! 彼女の魔力は偽物だった。君がいなくなってから、アステリアは地獄だ。パンも、鉄も、魔石も……何もないんだ!」
「自業自得、という言葉をご存知かしら? 供給源を自ら絶ち、維持コスト(マリス)だけを増やせば、破綻するのは自明の理ですわ」
「……頼む! ヴァロワの新金貨を融通してくれ! 君の力なら、アステリアを救えるはずだ。戻ってきてくれれば、マリスは追放する。君を正妃として、何不自由ない暮らしを……」
「お黙りなさい」
私の静かな一喝に、ジュリアンの言葉が止まった。
「私は、慈善事業をしているのではありません。……リン。アステリアの『査定結果』を」
「ハッ。……アステリア王国、現在の国庫残高、ほぼゼロ。主要産業の麻痺。対外債務、金貨200万枚。……結論。国家としての継続は不可能」
リンが、感情のない声で事実を叩きつける。
ジュリアンの顔が、見る間に土気色になっていく。
「アイリス、これじゃあ、まるで……」
「ええ。あなたに売れるものは、もう一つしか残っていませんわ」
私は、一枚の羊皮紙をテーブルに滑らせた。
それは、融資の契約書ではない。
【商品名:アステリア王国全主権譲渡証明書】
「……主権の、競売?」
「ええ。アステリアの『王の名前』だけをあなたに残してあげましょう。ですが、軍事、外交、経済、そして司法。そのすべての権利を、ヴァロワ――いいえ、私に譲渡しなさい」
「そ、そんな……! それじゃあ、僕はただの、君の飼い犬じゃないか!」
「……犬? いいえ。あなたは、私の『私有地の管理人』ですわ」
私は身を乗り出し、彼の瞳の奥にある、最後のか細いプライドを覗き込んだ。
「断ってもよろしくてよ? その場合、明日、アステリアの王都は飢えた民衆によって焼き尽くされるでしょう。……もちろん、あなたもマリスも、その炎に巻かれることになるでしょうけれど」
ジュリアンが、震える手で羽ペンを握った。
――パキッ。
ペンが折れるほどの力で。
かつて私を泥の中に放り出した男が。
今、自ら進んで、私の足元に首輪を嵌めにくる。
その光景は、どんな劇場の舞台よりも美しかった。
「……サイン、なさいな。ジュリアン殿下。いえ……『管理人』さん」
私は、折れたペンの代わりに、私の血を一滴含ませた特製のインクを差し出した。
アステリア王国の「最後の日」。
そして、私の「完全支配」が始まる日。
ジュリアン王子、ついに魂まで売り払いました。
アイリスが彼に与えたのは「救済」ではなく、「終わりのない屈辱」です。
王としての権威を奪われ、アイリスの所有物となったアステリア。
次は、逃げ場を失った「偽聖女マリス」への最終通告が始まります。
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次回、第14話「偽聖女の綻び」。
主権を奪われたアステリア。追い詰められたマリスが最後に仕掛ける、あまりにも愚かな「賭け」とは。




