第11話:最初の金貨
――新しい、インクの匂い。
ヴァロワ中央銀行、その地下深く。
巨大な印刷機と鋳造機が、規則正しい心音のように響いている。
目の前のテーブルに置かれた、一枚の金貨。
【鑑定対象:ヴァロワ新金貨。価値:不変。裏付け資産:アイリスの『稀血』とヴァロワの鉄】
アステリア王国の金貨は、今や不純物まじりの「粗悪品」だ。
私が去り、魔力の供給が止まったことで、あちらの金貨に付与されていた「偽造防止の魔法」は霧散し、価値は暴落の一途を辿っている。
「……これが、世界を統べる『新しいルール』ですわ。陛下」
私は、金貨を指先で弾いた。
キィィィィン、と。
鼓膜を震わせるほど高く、澄んだ音が室内に響く。
「この音、アステリアの金貨には出せませんわ。あちらはもう、中身が空っぽ(デフォルト)ですから」
背後に立つゼオン陛下が、その金貨を手に取った。
彼の大きな掌の上で、金貨は太陽のように眩く輝く。
「アイリス。貴様は本当に、恐ろしい武器を造り出したな。……これは、千の軍勢よりも確実に国を滅ぼす」
「滅ぼすのではありません。……『整理』するのですわ」
私は、窓の外を見た。
銀行の外には、長蛇の列ができていた。
ヴァロワの民だけではない。隣接する諸国の商人たちが、こぞって自分たちの資産を「ヴァロワ新金貨」に替えようと殺到している。
信頼。
それが、通貨の正体。
そして。
その列の端に、ボロボロの外套を羽織り、顔を隠した男が一人。
【分析対象:潜入中のアステリア工作員。目的:新通貨の強奪、あるいは偽造のためのサンプル確保】
――「動」。
必死に、震える手で金貨を掴もうとするその姿。
滑稽だわ。
「リン。あの方に、プレゼントを差し上げなさい」
「……御意に」
影が動く。
一瞬の後、リンが工作員の背後に立ち、その耳元で冷たく囁いた。
「――それは、手垢で汚して良いものではない。アイリス様からの『ご祝儀』だ。……大事に持ち帰りなさい」
工作員は、蛇に睨まれた蛙のように硬直し、金貨を一枚握らされたまま、逃げるように去っていった。
「逃がして良かったのか?」
ゼオン陛下が問う。
「ええ。彼がアステリアに戻り、その金貨を差し出した時……彼らの『絶望』は完成しますわ」
私は、優雅に椅子に座り直した。
アステリアの王宮で、ジュリアン王子がその金貨を「鑑定」させる。
その時、彼は気づくでしょう。
自分たちが発行している金貨が、ヴァロワの金貨の「十分の一」の価値もなくなっていることに。
経済的な死。
明日、アステリアでは一斤のパンを買うのに、台車いっぱいの紙屑(アステリア紙幣)が必要になる。
「……さあ、陛下。祝杯を上げましょうか」
私は、自分の指先をそっと噛み切った。
赤い一滴が、グラスのワインに溶ける。
【時価:計測不能】
「アステリアという巨大な『負債』が、完全に私の手元に落ちるまで。……あと、三日ですわ」
私の瞳の中で、黄金の数字が激しく回転し、勝利を確定させていく。
アイリス、ついに「通貨」という最強の武器を完成させました。
もはや彼女の許可なくして、大陸の経済は一秒たりとも回りません。
アステリア王国の崩壊は、もはや時間の問題。
「工作員の焦り顔が最高!」「アイリス様の『整理』という表現、痺れる!」
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次回、第12話「市場の支配者」。
ヴァロワを訪れた商人たちをアイリスが「選別」し、敵国アステリアを完全に孤立させる「経済封鎖」が始まります。




