プロローグ
「キャロライン・ティア・エイクハースト! 今日でお前との婚約は破棄させてもらう。私は……お前のような悪女と、結婚なんてしない!」
広い会場に、突然愚かな男の声が響き渡る。
その瞬間、私は小さくため息を吐いてから、ゆっくりとワイングラスをテーブルに置いて、男の顔を見た。
____ここは、王立ハルモニア学園。
王族・貴族のみ通うことが許される、『調和』を重んじる由緒正しい学園だ。
伯爵家の娘である私もこの学園に通っていた。
そして今は、そんな素晴らしい学園で煌びやかな卒業パーティーが開催されている最中。
皆友人と共に学園生活の思い出を振り返って笑いあったり、恋人との甘い時間を過ごしたりと、思い思いに楽しんでいた。
……わけなのだけれど、そこに空気を読めない残念な男が、突然大声で婚約者に婚約破棄を言い渡したというわけである。
それも……大勢の貴族はもちろんのこと、今年私達と共に卒業される殿下も出席している記念すべき場で、だ。
和やかだった空気が一瞬にしてピリつくのを肌で感じる。
当たり前よね。皆、こんなことが起きるなんて想像もしていなかっただろうし……。
____まぁ、私と……この国一番の有力貴族であるコーウェルズ公爵家の彼にとっては、想定内のつまらない出来事なのだけれども。
そんなことを考えながら、私……キャロライン・ティア・エイクハーストは、男の前で姿勢を崩さずに静かに口を開いた。
「エイドリアン様。それは……私との婚約を破棄したい、ということでお間違いないですか?」
私が呆れたように問いかけると、彼はそんな私の態度に腹が立ったのだろう。
チッ、と舌打ちを響かせてから、またもや大声で怒鳴った。
「それ以外に何がある!?」
「いえ、この場で宣言するにはあまりにも非常識な内容でしたので……念のため、確認をさせていただきたかっただけですわ」
「なっ……非常識だと……!? 私の大切なクラスメイトであるマージェリーを傷つけておいて……! ふざけるな!!」
____バシャン!
「きゃあ!」
「な、なんてことを……」
「早く着替えないと、ワインが染みてしまいますわ……!」
……激昂したエイドリアン様に、ワインを思いっきりぶちまけられた。
それまで静かに成り行きを見守っていた生徒達が、一斉にざわめきだす。
エイドリアン様はそんな周りの様子など気にならない様子で、仲睦まじそうに寄り添っているご令嬢……マージェリーの肩を引き寄せた。
マージェリーは私の顔を見ながらカタカタと震えているが……その口元には、微かに笑みが浮かんでいる。
私は髪の毛からぽたり……とワインが滴るのも気にせずに、一歩前に出た。
____バシンッ!
そして……エイドリアン様の頬を思いっきり引っぱたいた。
エイドリアン様が大袈裟に吹き飛び、倒れ込む。
会場中が、一瞬で静まり返った。
……少し、やり過ぎてしまったかしら。
けれど、私なんていきなりワインをかけられたんだもの。これくらいは正当防衛よね?
……それから私は顔に滴るワインを、そっと手の甲で拭う。
そして、これ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべながら、こう告げたのだった。
「エイドリアン様。その婚約破棄……喜んでお受けしますわ」
……エイドリアン様は尻もちを着いたまま、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で呆然としている。
貴方から言い出したことなのに……なぜ驚いているのかしらね。
まさか、私が縋ってくるとでも思っていたのかしら。馬鹿ね、そんなわけないのに、
…………あら、どうして私が笑顔で婚約破棄を受け入れることができたのかって?
そんなの決まっているじゃない。
私はこの日のこの時のために、しっかりと牙を研いできたのだから……ね。
____そうね、まずは私の昔話から始めようかしら。




