出会い.1
結納の儀の当日。
初音は急ごしらえで仕立てた朱色の振袖を着て、帝が持つ別邸の一つにやってきた。
帝は立ち会いこそしないが、別邸を結納の会場に貸すなど異例。それが、この婚姻が勅命である証だった。
振袖は予想より重く、気持ちと相まって足取りが鈍くなる。
帝都の西にある山の裾にあるその建物は、二階建ての純和風の造りをしていた。
門を潜ると氷紋敷き(ひもんじき)に石が並んでいる。そこを父親、初音、美琴と歩いていく。右手には松が枝を伸ばし、左は回遊式の庭園になっているようだ。これで別邸かと思うほどの広さだった。
ところどころに並んだ石灯篭の横を過ぎ玄関までくると、管理人らしき男が立っていた。
幕府時代から、妖を狩る一門については公に知られていない。
この別邸の管理人も、旧家の二つが急遽婚姻を結ぶとしか聞かされていないはず。それにしては仲人すら立てないのだから、奇異な話である。もっとも管理人は身を弁え何も聞いてこないが。
管理人が結納を交わす部屋へと案内してくれた。
ほとんど使われる機会はないと聞いていたが、別邸は隅々まで手入れが行き届いている。廊下から庭園の一部が見えたが、それだけで立派なものだと窺える。数輪、枝に咲いた紅梅が春の訪れを教えているようだった。
「こちらです」
庭の紅梅よりずっと鮮やかな紅白の梅が描かれた襖の前で、管理人が立ち止まった「失礼します」と頭を下げ辞するのを待ってから、父親が襖を開ける。
しかし、二十畳以上はあろうかという部屋には誰もいなく、中央に座布団だけが敷かれていた。
片側に一つ、もう片方に三つ並んでいる。
それを見た父親の顔がみるみる赤く変わり、扇子を握った手がわなわなと震えた。
「これは! 我が八重樫を愚弄しているのか! 帝の勅命はどうなった!!」
宮應本家の家族構成は、当主代行――初音の婚姻相手と前当主、兄の三人と聞いている。
兄は失踪中らしく仕方ないとしても、身体の不調を理由に引退した前当主は存命だ。それになにより、主役となる本人がいないではないか。
父親は、どかどかと足音を鳴らし部屋の中央までくると、ぐるりと見回し持っていた扇子を畳へ打ち付けた。
「お姉さん、お相手がいませんわよ?」
クスクス笑う美琴の目に、蔑む色がはっきりと浮かんでいた。
こうもあからさまなのは初めてで、初音は戸惑う。
今までも、初音に見せつけるように春人と親しくしているのではと感じることはあったが、あれはやはりわざとだったのかも知れない。
妹はずっと自分を疎ましく感じていたのだと、その目を見て確信した。
「ふわぁぁ」
場違いなほどの長閑な声が聞こえたのは、そのときだった。
どこからと視線を彷徨わせると、庭と部屋の間にある縁側でもそりと大きな影が動く。
寝転んでいた羽織袴の男は億劫そうに身体を起こすと、のそりと立ち上がった。
下を向いたまま頭を搔きつつ、初音たちのところまでくると、やっと顔をあげる。
「あっ」
初音の口から驚きが転がり出た。
「あのときの……」
「一週間ぶりだな、腕の傷はもう癒えたか?」
声の主は、突然の雷雨に困っていた初音に傘を貸してくれた帆澄だった。
どうしてここに、と口をぱくぱくさせる初音を押しのけ、父親が前に出る。
「今日が結納の儀と聞いたが」
「ええ、間違いありません。ただ、急だったため結納の品は不要だと聞いていますが」
「儂は、婿入り、嫁入りどちらか決まっていないからだと、伺った」
そこだけは譲れん、とばかりに父親が述べた。それから、鬼の形相のまま初音を振り返る。
「知り合いか?」
「先日の観劇からの帰り、傘を借りました」
そんなこと初めて聞いたぞと言わんばかりに、父親が不快を顕にする。
初音はしゅんと下を向く。言いたかったが、降って沸いた婚約話にそれどころではなかったではないか。
改めて、帆澄を見上げ頭を下げる。
「その節はお世話になりました」
「構わない。それより、そんなに頭を下げたら、綺麗に結い上げた髪が乱れるぞ」
言われ、咄嗟に頭を上げる。普段は自分で結った束髪だが、今日は着物に合わせ日本髪に結い上げていた。崩れても自分では直せない。
慌てる初音から視線を逸らし、帆澄は背筋を伸ばして再び父親と相対する。
「本来であれば父も同席するところ、体調が芳しくないため欠席とさせていただきました。ご存知だと思いますが、兄は行方知らず。ですから本日は私一人だけです」
帆澄の歳は二十五だと聞いていたが、その威厳はさすが当主代行というものだった。上背があるせいか、小柄な父親のほうが貧相に見える程だ。
だが、そこはこの場の最年長者。場を仕切るように、全員に座するよう指示をした。
言われるがまま座布団に腰を下ろしたところで、初音はおや、と隣にいる美琴を見る。
さっきから大人しいと思っていたが、頬を染めぼんやりと帆澄を眺めていた。
(そういえば、面食いだったわ)
春人も顔が整っている。帆澄のような精悍さはないが、穏やかで文学者のような落ち着いた雰囲気があった。
父の口上で双方が名乗り、粛々と祝いの言が述べられると、結納の儀はあっという間に終わった。時間にして数分だろう。
仲人もいなく宮應は帆澄一人とはいえ、あまりにも簡素なものだった。
宮應と仲良く食事なんてできないという父親の意向で、祝い膳も用意されていない。
「では、本日はこれでお開きといきましょう」
あっさりと父親が述べ立ち上がるので、初音たちもそれに続く。
結納の儀といえば仰々しいが、顔合わせと考えるとこんなものかと思う。いや、それでも短過ぎるかもしれないが。
促されるまま辞そうとした初音だったが、それを帆澄が呼び止める。
「初音さんは俺と一緒に来ていただく約束でしたが?」
初耳だが、そういう話だったのだろうか。初音が父親に視線で尋ねると、父親は顔をみるみる赤くし首を振った。
「そんな話、儂は聞いていない。初音にはまだ八重樫一族としての仕事があるのだから、嫁入りまでは我が家で暮らさせる」
父の言葉は娘を気遣ってのものではない。八重樫一族に帝から来た勅令は当主である父親が一手に引き受け、それを初音や分家に分けていた。父親はその大半を初音にさせていたのだ。
言葉途中で、帆澄が一枚の紙を懐から取り出し父親の前に翳した。
「すでに帝から許可もいただいております。今度、八重樫一族に命じられていた勅令は、帝の采配によって初音さんとご当主に振り分けられるそうです」
父親が手にとると、たしかに帆澄が述べた内容が流暢な筆遣いで連ねられており、ご丁寧に帝の印まで押されている。紙を持つ父親の手がふるふると震えた。
「もちろん、一緒に住むとはいえ節度ある行動をいたします。あと、家事をしてくれる妖を連れて来てくれると助かります」
破魔の力を持つ人間は、妖力が弱い妖と契約を結び使役することができる。「印を結ぶ」と言われるその使役は、初音だけでなく美琴にも可能だ。八重樫では多くの印を結んだ妖に、掃除や洗濯など雑用をさせていた。
「宮應には印を結んだ妖や使用人はいないのか?」
「本家にはいます。私は別邸に暮らしていて妖も一人いるのですが、どうにも家事に不向きで」
そう言って、帆澄は困ったように頭を搔いた。帆澄の話では、病床の父親が本家で療養をしているらしい。帆澄は別邸でその妖と二人で暮らしていて、時折使用人が身の回りの世話をしに来るそうだ。
帝の許可があったのであれば、反対することはできない。父親は口惜しそうに顔を歪ませた。
「では、青女房をあとから使わそう。屋敷の場所を教えてくれ」
青女房とは女官姿の妖で、その性質はいたって大人しい。
八重樫に昔から仕えており、掃除、洗濯は難なくこなせる。今は初音と印を結び、身の回りの世話をしていた。
「それは助かります。それから、どうやら話に行き違いがあったようなので荷造もまだと思われます。改めて三日後に来ていただくというのでいかがでしょうか」
「分かった。そうしよう」
父親が頷いたことで、その場はお開きとなった。
帰りの人力車の中で父親はずっと悪態をついていたが、初音は流れる景色を目に移しながらそれらを聞き流した。
結婚式で初めて自分の夫となる男の顔を見た、という話も珍しくない世だ。だから、割り切れないものを抱えつつも、こういうものだと飲み込もうとする。
そう、初音はいつだってそうやって、不条理を飲み込んできた。
どうして自分ばかりが妖を封じなければいけないのか。傷つかなくてはいけないのか。辛い思いをしなくてはいけないのか。疑問を持つと、それに押しつぶされてしまいそうだったから、なんでも諦め受け入れる。そうやって生きてきたのだ。
でも、今回ばかりは納得がいかなかった。そうやって不条理を受け入れ頑張っていたことを全部否定され、子を産みさえすればいいと言われては、今までの我慢はなんだったのだろうと思ってしまう。
初音は膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。




