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帝都の妖もののがたり~私が居場所を見つけるまで~  作者: 琴乃葉


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使命と代償.5


 すっかり雨が上がった夕暮れ、やっとのことで初音は家まで辿りついた。


 二刻ほど歩いた身体はくたくたで、この日のためにと選んだ着物と袴は泥と雨でぐっしょりと濡れ汚れてしまっている。春の雨は冷たく、手足は寒さでかじかんでいた。


 玄関横の車寄せには人力車が止まっているので二人はとうに帰っているのだろう。その横を通り抜け重い身体で玄関扉を開けると、沓脱石に足を乗せたままぺたりとへたりこんだ。


 裾から濁った雨水がしたたり落ち、沓脱石の色を変える。


 このままでは上がれないので、使用人を呼ぼうと廊下の向こうに視線をやると、バタバタとやけに大きな足音が聞こえてきた。しかも複数。


 さすがに心配してくれたのかと、どこかほっとしたような気持ちでいると、父親と春人、美琴の順に姿を現す。


「お姉さん、ごめんなさい。私……」

「いや、美琴は悪くない。かなり体調が悪かったので、至急の事態と判断し人力車を医者へ走らせたのは僕です。人力車の中で随分と待ったのですが、初音さんが来られなかったので……。一体、何をしていたのですか?」


 まるで初音が悪いと言わんばかりの口調に、袴をぎゅっと握り締める。

 雨の中、右腕の痛みに耐えながら帰って来て早々投げかけられた言葉が、労わりでなく叱責だったのが、冷え切った身体に堪えた。


 何か言い返そうと顔を上げると、父親がそれよりもと春人を押しのける。


「そんなことより、初音、お前に新たな縁談が来た」

「新たな、縁談? ですが、私には春人さんという許婚がおります」

「分かっている。だが、これは帝直々の命令なのだ」


 帝? 命令?


 何の話だと当惑していると、やっと使用人が湯の入った桶を持って現れた。

 とにかく足を綺麗にし着替えて居間に来いと言われた初音は、訳も分からないまま靴を脱ぎ、桶の湯で足を清める。温かな湯が足のこわばりを解くも、頭は混乱するばかりだ。


 二階へ行き、濡れた着物を脱ぎ棄て、毛糸の袷に袖を通した。もう仕舞おうかと考えていた羽織も取り出す。だけれど、冷え切った身体は温まらない。手足は氷のごとく冷たいままだ。


 本来なら湯につかり身体を暖めたいが、初音は階段を駆け下りると居間の障子を開けた。

 そこにはすでに全員が集まって座卓を囲んでいる。父親の横に春人が座り、春人の向かいに美琴が座っていた。初音は美琴の隣にある座布団に腰を下ろす。


 それを見計らったように父親が一通の封筒を座卓の上にすべらせた。初音が緊張した面持ちでそれを受け取り開く。


 勅令独特のくどい言い回しに苦慮しながら読み進めるも、その言葉がまったく頭に入ってこない。何度か読み返したのち、初音はようやっと顔を上げた。


「帝は、このままでは破魔の力を持つ人間が減るのではと、危惧されておられるのですね」

「そうだ。現在、破魔の力を使役できるのは八重樫一族と宮應の当主だけ。我が八重樫が『封』を得意とするのに対し、宮應当主は『滅』を使う」


 宮應一族も八重樫と同様に優れた破魔の力を持つものが生れる家系だ。しかし彼等は単独行動を好み、政治とは一線を置いていた。帝からの勅令があれば妖を滅するが、権力とは無縁である。


「帝はお前と宮應当主が結婚し、優秀な破魔の力を持つ子供が多く生まれることも希望している。これからもお前の仕事は、子供を産むことだ」


 父親の言葉に、初音の頭が真っ白になる。自分は今まで八重樫のために妖を封じてきたのだ。父の期待に応えるためであったとしても、そこには矜持もあった。それなのに、自分の価値は子供を産むことだと言われても、到底受け入れられない。


「そんな。でしたら、八重樫はどうなるのですか? 私が当主を継がなければ誰が……」


 と言いかけ初音は美琴を見た。その視線を受け、美琴がにまりと笑う。


「私が春人さんと結婚して、春人さんが当主となります」

「美琴が? だって美琴は破魔の力は……」

「身体が弱くて実践には不向きだけれど、私にもお姉さんと同じくらい破魔の力はあるわ」


 美琴の言葉に、父親も頷く。


「破魔の力のある美琴と春人くんが結婚して子供をもうければ、八重樫の破魔の力が途絶えることはない。二人にはお前が帰ってくるまでに説明し、双方了承済みだ」


 初音が美琴と春人を交互に見ると、二人は視線を交え頬を赤らめた。

 春人が少し気まずそうに頬を搔く。


「お前が留守がちだから、美琴が変わりに春人くんの話相手をしていた。儂の目から見ても、二人が結ばれるのが妥当だろう」


 あまりの展開に、初音は言葉を失う。

 なにより、自分が雨の中を歩いている間に、すべてが決まっていたのが悲しい。

 そんな初音に、父親は厳しい声を向けた。


「これで話は終わりだ。ま、春人くんは美琴のほうが気が合うようだし、落ち着くべきところに落ち着いたのだろう」


 ははは、と笑う父親の声が遠くに聞こえた。耐えきれず初音が席を立つ。


「お父さま、身体が冷えましたので、湯に浸かってきてもいいでしょうか?」

「ああ、勝手にしろ。それから宮應との結納の儀は一週間後だ」


 ぽとり。

 耐えきれなかった涙が、とうとう頬を伝い、胸元に染みを作った。でもそれを見られないよう、初音は踵を返すと障子を開ける


 本当は気がついていた。春人の瞳にいつも誰が映っているのか。

 でも、妻になればきっと自分を見てくれるだろう。優しい春人だもの、裏切ったりしないと信じていた。


 誰でもいい。当主としてではなく一人の人間として、見てくれる人が欲しかった。その願いも、唯一初音を支えていた八重樫家次期当主としての矜持も砕かれた。


 脱衣所に駆け込んだ初音は、着物を脱ぐと湯に飛び込んだ。そのまま頭まで浸かる。

 涙はとめどなく流れたが、それを咎める人はここにいない。


 湯から顔を出せば、顔を覆うのが湯か涙かもう分らない。

 初音は震える肩を自分の手で抱きしめ、身を小さくし泣き続けたのだった。

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