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帝都の妖もののがたり~私が居場所を見つけるまで~  作者: 琴乃葉


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使命と代償.4


「面白かったわ。あのドレス、私も来てみたいわ」


 会場から出るなり美琴が顔を輝かせながら言う。


「あのドレス?」と初音が聞けば、主人公の女性が来ていた橙色のドレスだと呆れながら答えた。


「彼女のドレス、すごく目立っていたじゃない。豪華さが他の女優と比べ段違いだったわ」


 そう言われ、そうだったかな、と無理に作った笑顔で初音は頷く。

 主人公のドレスの色はかろうじて覚えているが、それ以外は朧げにしか記憶にない。


 あれほど楽しみにしていた観劇だったのに、初音の気持ちはすっがり塞いでいた。


 ロビーは、初音たちのように退出する人と、これから観劇する客でごった返していた。

 急に降ってきた雨が、これから帰る人の足を止めたのが原因だろう。気を付けないとはぐれてしまいそうだ。


 なんとか入り口付近まで来たところで、春人が振り返る。


「門の前で待たせた人力車まで走れば五分ほどだと思います。本来なら僕だけ行き、ここまで人力車を連れてきたいのですが……」


 公会堂の前庭は広く、門から入り口まで楕円形にのびる道の幅は広い。

 だけれど、そこも馬車や人力車でいっぱいで、時折「早く降りと」と罵声が飛ぶほどだ。


「これでしたら、待つより走ったほうが速そうですね。美琴、大丈夫?」


 初音が眉根を寄せる。

 身体の弱い美琴を雨のなか走らせるのは気が引けるが、仕方ない。


 春人が来ていた鳶コートを脱いで美琴の頭に被せ、その細い肩を抱き寄せた。そのしぐさがあまりにも当然で、自然なことに初音の胸がちくりとした。


 強い初音より弱い美琴を守るの当たり前。でもどうして、自分はいつもこちら側なのだろうと考えてしまう。


 病弱な妹に嫉妬するなんて、みっともないのは分かっている。

 でも、思わずにいられない。


「美琴、顔色が悪いが大丈夫か?」


 春人の言葉に美琴を見れば、気持ち悪そうに口元を手で覆っていた。


「少し人酔いをしました」


 黒い鳶コートの下から、美琴が細い声を出す。血色は悪くないが、よろりとふらついて春人の腕にしがみついた。


 家を出たときは晴れていた空には水雷が鳴り響き、待っていても雨は止まないどころか酷くなるだろう。


「家に帰る前に主治医に診てもらうか?」

「ええ、できればそうしたいわ」


 美琴が力なく頷く。「走れるか?」と聞かれると健気な笑みで「手を引いてくれる?」と甘えるような声を出し、右手を伸ばした。


 空が光ると、さっきより大きな雷鳴が響いた。

 初音は泣きそうになりながら耳を押さえる。


 昔から雷は嫌いだ。暗い空を裂くような閃光は、妖に振りあげる長刀を思いださせる。

 妖の断末魔が耳元で繰り返され、命乞いをする姿が脳裏に浮かんだ。


 その度に、自分がしているのは正しいのかという疑問が浮かび、足もとがぐらつく。


 春人が鳶コートの上から美琴を抱きしめ、雨の中へと飛び出した。初音も耳を塞いだまま急いでその後に続く。


 公会堂の前の道は石造りで、あちこちに水たまりができている。

 走る度に、足が濡れる。人混みに押し流され、春人の背中がどんどん遠くなった。


 再び雷がなる。


 初音は助けを求めるように春人に手を伸ばしたが、それが届く前に身体が前のめりにつんのめった。石のでっばりに足を取られ、ばちゃん、と水たまりに膝から崩れ落ちた初音は、顔まで水に浸かってしまう。


 そんな初音の横を、人が通り過ぎていく。躊躇い足を緩める者もいたが、皆自分のことに精一杯で、手を貸してしてくれる人はいなかった。


 水たまりに手を付き顔を上げたその向こう、細い雨の筋が幾重にも重なった先に、春人に全身で守られる美琴の姿が見えた。


「春人さん!」


 叫んだ声が雑踏に紛れ、落雷に消される。

 立ち上がって走れば追いつけるだろう。でも、全身から力が抜けたように初音はその場から動けなかった。


 八重樫一門の地位を守るために必要とされる自分と、儚く守られる美琴。


(恵まれているのは私なのに、美琴になりたいと思ってしまう)


 その気持ちの醜さが自分で許せない。苦しい。

 愁然として頭を垂れる視線の先では、雨が地面で跳ねていた。さらに雨脚が強くなったのだろう。


 立たなくては、邪魔になってしまう。


 重いその身体を上げようとしたとき、全身に打ち付けられていた雨が止んだ。次いで腕を引っ張られ、立ち上がらされた。

 驚きながらその腕を辿ると、洋装の男性がすぐ隣で心配そうに初音を見下ろしているではないか。


「大丈夫か?」

「は、はい」


 綺麗な男だった。少し長い前髪から覗く瞳は切れ長で、すっとした鼻梁と薄い唇が完璧に配置されている。背は六尺以上ありそうで、細身だが初音を支える手は力強い。腰まである黒い艶髪を無造作に首の後ろで結わえていた。


 男は呆然とする初音の腕を引っ張り近くの木の下まで行くと、そこでやっと手を離した。

 ポケットから手巾を出すと、初音に手渡す。初音は慌てて首を振った。


「あ、ありがとうございます。手巾は自分のがありますから」


 急ぎ胸元から出した手巾を男に見せると、改めて頭を下げる。


「助けてくださりありがとうございます」

「いや、礼を言われるほどのことではない。足は大丈夫か?」


 一瞬ぽかんとしたのち、初音はうんうん、と何度も頷いた。「大丈夫か」と聞かれたのは何時ぶりだろう。

 男は少しほっとしたように口元を緩めると、空を見上げた。


「止みそうにないな」

「あ、あの。私はもう平気ですから、どうぞお帰りください」

「しかし……ここからどうやって帰るつもりだ?」


 顔を空に向けたまま、視線だけを初音にやる。黒曜石のような瞳はどこかで見たような気がするが、思い出せない。


「人力車がすぐそこにあります」

「一人で来たのか?」


 暫しの間ののち、初音は俯きがちに首を振った。


「許婚と妹と来ました」

「その二人は?」

「私が転んだのに気づかず行ってしまったようです」


 困ったように笑う初音に、男は眉を顰めた。


「許婚を置いてか」


 それを言わないで欲しい、と初音は苦笑いのまま視線を逸らし、いい加減二人を追いかけなくてはと土砂降りの空を見上げた。


 と、急に腕を取られ、さらには着物を肘まで上げられた。紳士だと思っていた男の無粋な行為に初音はギョッと目を見開く。


「あ、あの」

「血が出ている」


 転んだ拍子に傷口が開いたのだろう。ぱっくりと裂いた部分からドクドクと血が流れていた。


「数日前の傷が開いたようです。手巾を巻けば大丈夫です」

「それなら俺のを。君のは濡れているだろう」


 男はまだ手に持ったままだった手巾を、躊躇なく初音の腕に巻いた。


 止血の意味もあるのだろう、少々強めに手巾の端と端をぎゅっと結ぶと、すぐに手巾が赤く染まる。

 それに慌てたのは初音だ。濃紺のかすり柄の手巾は、滑らかな光沢から絹と思われた。もし本当にそうなら高価な品だ。


「す、すみません。私の血で汚してしまいました。弁償いたします」

「必要ない。これはあなたに差し上げます」

「ですが……あの、せめて名前だけでも」


 そう聞けば、男はやや間があったのち「帆澄」と口にした。

 おそらく名前だろう。苗字ではなくどうして名を、と思いつつ、初音は忘れないよう口の中で復唱する。


 そんな初音に帆澄は蝙蝠傘を手渡した。


「人力車までこれを使うといい」

「あ、あの。それでは帆澄様が濡れてしまいます」

「問題ない」


 そう言うと、革靴がざっと水たまりを踏んだ。煙るように降る雨の中を、帆澄はもう振り返りもせず走っていく。


 木の下に取り残された初音は、渡された蝙蝠傘を戸惑いがちに見る。

 使っていいのだろうか。迷いはあるが、人力車で自分を待つ春人たちを思い出し、それを広げた。男物の傘は大きく、初音をすっぽりと覆う。まるで守られているようだ。


 初音は意を決したように、落雷の中に踏み出す。

 傘が大きいからだろうか、さっきより雷が小さく聞こえた。これなら怖くない。


 そうして急ぎ足で人力車を停めた場所まできた初音だったが、そこには人力車どころか二人の姿はなかった。


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