使命と代償.3
演目は、西洋の有名な小説をもとに作られた悲恋の物語だ。
思い合う二人がそれぞれの家の思惑に振り回され、すれ違い、最後には手を取り合い毒を飲むという。
そんな話を美琴は道中初音と春人に語って聞かせた。主人公が病弱な令嬢だというのが自分と重なり涙をそそるらしい。
人力車で一時間はかなり疲れるが、美琴は終始元気そうだった。
帝都はほぼ楕円の形をしており、西側に北から南へと流れる大きな川がある。その川を渡った先は農村地帯が広がっていた。
八重樫の家は帝都の北側、川のすぐ西にある。そこから南東に向えば帝都の中心街となり衣食住に関する様々なものが売っていた。
その中でも特に商店が並ぶ通りに入ると、美琴はあの店の髪飾りが可愛いや、あそこの甘味処が美味しいと初音に語って聞かせた。初音が知らないだけで、何度も来ているらしい。
勅令で帝都を駆け巡り、たまの休息には破魔の力の回復のため身体を休める初音よりずっと帝都に詳しい。
それなら、わざわざ今日一緒に出掛けなくても、と不満が口をつきかける。そんな思いをぐっとこらえて窓から景色を見ていると、大きな建物が目に入った。公会堂だ。
公会堂の前は人力車や馬車でごった返していた。
少し離れた場所で人力車を降りた三人は、徒歩で公会堂まで向かう。行き交う人は紳士淑女ばかりで、中には珍しい洋装に身を包んだ人までいた。
こんな煌びやかな場所に赴いたのが初めての初音は、ぽかんと口を開け、周りをきょろきょろと見回してしまう。
それに対し、春人と美琴は慣れているように人混みをすり抜けていく。初音は置いていかれないように着いていくのが精いっぱいだ。
やがて見えてきた、西洋風の両開きの扉前で春人は振り返った。
「ここが入り口ですよ」
「大きいですね。首が痛くなりそう」
「はは、やっぱり姉妹ですね。扉を見たときの感想が一緒だ」
春人の言葉に、初音は何か引っかかるものを感じたが、美琴が「早く」と急かすのでそれ以上考えるのを止めた。
それに一歩中に入れば、その華やかさに春人の言葉なんて吹き飛んでしまう。
天井は首が痛くなるほど高く、ロビーに置かれた長椅子は紅の天鵞絨生地が張られている。天井からは巨大な西洋風の照明がぶら下がっていて、目の前には翼を左右に広げたような階段が伸びていた。
「凄い」
「明治維新以来西洋風の建物がたくさん建築されているが、このシャンデリアは帝都一だそうです」
「よく落ちてこないものですね。……落ちてきませんよね?」
「もう、お姉さん、大丈夫よ。それより春人さん、観覧券を交換するのでしょう?」
美琴が人混みを指差す。その向こうに券売所があるらしいが、初音には人の背中が見えるばかりだ。
「うん、ちょと行ってくるから、そこの柱で待っていて」
春人が指差した柱に、初音と美琴は向かう。たくさんの人が吸い込まれるように階段を上っていくのを、初音は呆然と眺めていた。
そうしているうちに、春人が三枚の券を持って帰ってきた。追加料金を支払い三人横並びの席に変えることができたようだ。
さっきまでぽかんと見ていた階段をそわそわしながら上がった先には、初めて見る大きな空間があった。
舞台に向って扇状に広がり、後ろの席に行くにつれ高くなっている。春人は階段をおり、ほぼ中央の席を指差した。
「あそこです」
そう言って先に席へと進む。続こうとした初音だったが、間にスッと美琴が入った。美琴はそのまま春人の後を追い、隣の席へ座る。そうして初音に向って無邪気に手招きをした。
「お姉さん、こっちよ」
「……うん」
これではどっちがおまけか分からない。
初音が座ると、すかさず美琴が声を弾ませた。
「急だったけれどいい席ね。去年より後ろだけれど、充分だと思わない?」
「そうだな。一昨年は端っこすぎていまいちだったし、悪くない」
二人の会話に、初音の身体が固まる。息ができず手が震えた。
ごくんと唾を飲み込み、必死に空気を肺に入れると、声が震えないよう必死に腹に力を入れる。
「……美琴は、ここに来たことがあるの?」
なんとか絞り出した声に、美琴はゆっくりと笑みを深めた。
「ええ。急な勅令でお姉さんが観劇できなくなったときがあったでしょう? せっかく春人さんが観覧券を手に入れてくれたのに、無駄にしては申し訳ないから、私が一緒に来たのよ」
さすがにこれはまずいと思ったのか、春人が会話に入ってきた。
「そうなんです。一年に一度の西洋劇ですから、当主が行くようにと」
「父が言ったのですか。……迷惑をかけてしまったようでごめんなさい」
「いえ、勅令ですから仕方ないです。初音さんは俺なんかよりずっと破魔の力も強いですし」
いつもより早口なのが、彼の抱えている罪悪感を現わしているようだった。
さすがに許婚が楽しみにしていた観劇に、その妹と行くのが不義理だと分かっているようだ。つまり、不義理と知りながら、二度もここに来たことになる。
初音としては、二人が以前ここに来たことも衝撃だが、それを隠されていたのが悲しかった。後ろめたい気持ちがないのであれば、言ってくれたらいいのにと思ってしまう。
それに、二人が一緒に出掛けたことは、父親も使用人も知っていたはずだ。自分だけが八重樫の家で疎外されているように感じた。
でもここで気分を害しても、せっかくの観覧が無駄になってしまう。だから初音は敢えてカラッとした声を出した。
「演目が違うとはいえ、西洋劇は何度見ても面白いものなのですね。楽しみです。あっ、もうすぐ始まるのでしょか?」
ブゥーという低い音が会場に響いた。それと一緒に深緑色の緞帳が上がと、舞台上に洒落た西洋風の家具が現れた。貴族の部屋の一室のようだ。
上手から登場したのは、橙色の鮮やかなドレスを着た女性。その一挙手一投足が、観客を異国の世界へ連れていく。場面が進むにつれ、観客は息を呑み、ときには笑い、舞台と心を一つにしていく。
だけれど、初音だけはぽつんと取り残されたままだった。
舞台上の煌びやかな光景が、ただ目の前を通り過ぎて行く。
自分だけが、違う空間に切り離されたように感じた。
初音だって気がついていた。祖父母や父親が自分に求めるものは八重樫の当主であって、初音個人についてはこれっぽっちも関心がない。
それに比べ、美琴は一人の娘として大事にされている。破魔の力を持ちながら病弱でそれを扱えない美琴は不幸で守るべき存在。それに対し初音は優れた能力を持つ選ばれた者なのだ。
だから誰も初音を守ろうとしない。
その心がどれだけ孤独か知ろうとしない。
びゅぅ、とどこからか風が吹いたような気がして、初音は肩をぶるりと震わせた。
意識を舞台にだけ集中させる。
そうすれば、隣で時折囁かれる二人の声に心を痛める必用もない。
ただただ、そうやって時が流れるのを待っていた。




