結納の儀.1
「涼、これはちょっと華やかすぎるのではないかしら」
鏡に映る自分の姿に、初音は困ったように眉を下げた。
帯を結んでいた涼が初音の背後から顔を出し、鏡越しに視線を合わせる。
「いいえ、とてもよく似合っていらっしゃいます」
「そうかしら」
褒められたのに、初音の眉は八の字のまま。むむっと口を波立たせているので、納得をしていないのだろう。涼がやれやれと、ため息交じりで言葉を続ける。
「初音様さまは普段が着飾らなさすぎるのです。今日ぐらいは、皆がはっと驚き振り返るぐらいでありませんと」
「……だけれど、私は主役ではないのよ?」
それなのに、こんなに豪奢な振袖を着ていいのだろうかと、甚だ疑問だ。
初音が今日向かうのは、実家の八重樫本家。そこで美琴と春人の結納の儀が行われるので、出席するよう連絡があった。
あちこちで妖狐が出没し、帝都もなんだか落ち着かないこの時期にと思わないでもないが、だからこそ八重樫の地盤を固めたいらしい。
「分家の人間も、破魔の力がある者は全員、帝都を離れているのでしょう?」
「おそらくそうだと思います。ですが春人さまだけは、結納の儀に合わせ戻って来られるのではないでしょうか」
「それでも、勅令が来れば赴かないといけないのだから、落ち着かないわね」
ぎゅっと帯を締め終えると涼が顔を上げた。どうやら結び終わったらしい。
「……初音さまがいらっしゃらないので、春人さまの負担は随分と増えていると思います」
言いにくそうに、涼がおずおずと告げた。初音は身体の向きを変え、直接涼と視線を合わせる。
「それは、どういう意味なの?」
「実は、八重樫一門にきた勅令のほとんどが、初音さまに割り当てられていたのです」
あぁ、そうだったのかと初音は会得する。
分家がどれだけの量の勅令を受け取っていたのか分からない。でも、破魔の力を持っている春人が、初音と比べ随分と自由な時間があるようには思っていた。あまり深く考えなかった、というか考える時間がなく受け流していたが、そう言う理由だと知ると諸々が腑に落ちる。
「教えてくれてありがとう」
「申し訳ありません」
「涼が謝ることではないでしょう?」
「ですが、初音さまがあまりにも悲しそうな顔をされているので」
そう指摘され鏡を振り返ると、たしかに先程までと違い顔が暗い。
これではいけないと、初音はぺちん、と頬を叩いた。それに涼がぎょっとする。
「な、何をされるのですか? あぁ、少し赤くなって。白粉をはたき直しませしょう」
「これぐらい平気よ。ちょっと気合を入れただけ。帆澄様の隣に立つというのにみっともない顔でいられないもの」
結納の儀には帆澄も呼ばれている。
帝都に残っている破魔の力を持たない八重樫の分家は全員出席するそうなので、かなりの大人数になるだろう。
八重樫と宮應はそれぞれ歴史が長いにもかかわらず、交友はない。帆澄にしてみれば、全員が初対面だ。自分がしっかりしなければと気持ちを引き締める。
「その意気です。今の初音さまは本家にいたときよりもずっと美しいです。ぜひ、本家の皆さまを驚かしてください」
「美しい? 私が?」
「ええ、ご自分では気づいていらっしゃらないのですか? 随分表情が明るくなり顔色もいいです」
そうだろうかと、頬をつるりと撫でる。
ただ、長屋の妖と会って以来、随分と吹っ切れた気はしていた。
過去を悔いることはあるが、以前より自分の足で地面にしっかり立てているように思う。
準備が整い階段を下りると、玄関前で帆澄がすでに待っていた。
黒い紋付袴の装いは初音との結納の儀で見て以来で、いつもの着流しと違って、凛とした風格がある。
その保澄が、初音を前に目を丸くして何やら呆然としている。どこかおかしいのだろうかと、初音は改めて自分の着物に視線を落とす。
美琴の結納の儀に出席するようにとの手紙を受け取ったのは、長屋から帰った翌日。
二週間しか時間がなく、かなり無理を言って仕立ててもらった振袖は、足もとに向け濃くなる紫地に淡い桜の花が舞っている。帯は金糸を織り込んだ華やかなものを、大きな立て矢結びにした。
急仕立てには見えない装いは、華やかでいて清楚にまとまっている。
八重樫にいたときは疲れ俯きがちだった初音だが、今は背筋をピンと伸ばし、さらに涼が化粧をしたので頬と目尻に朱が入っている。
ほわりとした色香をまといながら、初音が不安そうに帆澄を見上げた。
「帆澄様、どうでしょうか?」
着物は帆澄が選んでくれたものだ。正直、着物負けしているとしか思えない。馬子にも衣裳とはこのことだろう。
「……よく似合っている。初音さんのためにあるような着物だ」
帆澄がふわりと微笑み、甘い言葉を落とした。初音の顔がぱっと嬉しそうに明るくなる。
その反応に、黙って隣で聞いていた棟馬が眉間を押さえ唸った。
「そういうとこな。だけれど今日はそれでいい。甘い言葉を吐きまくって、初音さんは幸せだと八重樫の人間に見せつけてくるんだ。きっとあの女は悔しがるだろうなぁ」
「棟馬、口を慎め」
おっ、と棟馬が口を押さえた。普段は着流し姿だが、今日は襟元を正し車夫の装いをしている。
手入れが行き届いた人力車には、埃一つついていない。ぴかぴかだ。
二人は人力車に乗って北へと進む。
実家が近づくにつれ、初音の顔に緊張が浮かんできた。
不思議な感じだ。つい数ヶ月前まで暮らしていたその家が、随分異質なものに思えてしまう。
すぅ、ふぅ、と帆澄に見つからないよう深呼吸していたのだが、
「緊張しているのか?」
隣に座る帆澄が、気遣うように覗き込んできた。
突然縮められた距離に、初音は思わずのけ反ってしまう。
「そう、ですね。妖と邪気の関係について知った今、どのように振る舞えばいいのかと不安になります」
実家には、印を結んだ妖が大勢いる。彼等の境遇を考えると複雑だし、八重樫の妖に対する考え方には今では反発さえ覚えていた。
でもそれは、初音が口を出せる問題ではない。
初音が複雑な気持ちを整理していると、人力車は八重樫の門を潜った。
玄関脇の桜は、すでに半分以上散っていた。淡い桜色の花弁と、瑞々しい葉桜が混ざっている。帆澄がそれを記憶と照らし合わせるように眺めた。
「こんなに大きな木だったんだな」
「帆澄様?」
「いや、何でもない」
帆澄が首を振っている間に人力車は桜の木を通り過ぎ、玄関脇の車寄せに停まった。出迎えてくれた使用人が言うには、客間にはすでに人が集まっているらしい。
玄関口に置かれていた下駄や草履から察するに、三十人程だろう。
使用人の案内を断り、初音が先に玄関を上がる。正面にある、桜の枝を大胆にあしらった生け花を横目に通り過ぎ、庭に面した縁側を進んでいく。
縁側には赤と白の紅白の祝い幕が掛かっていた。
還暦や米寿など祝い事をする際に掛けるもので、家全体で美琴の婚約を祝福しているかのようだ。
それでも久しぶりの実家は、少しも変わっていないように感じた。
印を交わした妖の気配は感じるも姿は見えない。父親に命じられ、ひっそりと息を潜めているのだろう。
使用人たちがテキパキと動く様も相変わらずだ。自分がいなくても八重樫に何の支障もないのだなと、少し寂しく感じる。




