出会い.11
帆澄が荒い息で河原に座り込む。初音は懐から手ぬぐいを出しながら、帆澄の右腕に手を伸ばす。地狐の毒は物凄い速さで全身に回る。少しでも速度を落とすためには右肩の上で止血するように手ぬぐいで縛るのが一番だろう。だけれど胴体にまで毒が回っていたら。
「お着物、失礼します」
「ま、待て」
穂澄の制止を聞かず、初音は襟元を開け、袖を下げ傷口を露わにした。
でも次の瞬間「あっ」と手を離し、口を押さえる。
見た目より逞しい帆澄の上半身には、心臓を中心に黒い触手が痣のように張り巡らされていたのだ。その禍々しさに、口を押さえる初音の指が震える。
「帆澄様、この傷痕はいったい……」
腹のほうは分からないが、痣は右肩を覆い二の腕まで達している。
「……これが、宮應の運命だ」
帆澄は苦笑いでそう零すと、身体をぐらりと傾けた。地面に倒れそうなところをすんでのところで初音が支えた。
「帆澄様? 帆澄様!!」
名前を呼んでも細い息が返ってくるだけで、声も出せないようだ。初音は河原の石の上に正座をし、自分の膝に帆澄の頭を置く。身体が安定したところで手ぬぐいで右肩をぎゅっと締め上げた。これで毒の周りを押さえられるだろう。ただ、毒は僅かではあるが肩を越え喉にまで及んでいる。
初音は身を屈めると帆澄の首に自分の唇を近づける。「少し痛みます」と早口でいうとその喉に嚙みついた。
「封」や「滅」の方法が決まっているのに対し、「癒し」はその方法も効果も様々だ。初音の場合、口から破魔の力を体内に流し込み毒の浄化ができる。ただ、得意ではない。あくまでも応急処置程度だ。しかも、「癒し」と相性が悪く破魔の力の消耗が半端ない。
くらりと眩暈がしたところで唇を離すと、肩を越え広がっていた皮膚の変色が治まっている。
「でも、右腕を解毒するだけの力はもうないわ」
どうしたらいいのだろう。初音の身体が震える。帆澄を死なせたくない。
どんどん冷たくなっていく帆澄の身体をさするも、体温は失われ唇は紫色になっていく。
「しっかりして、帆澄様」
必死に帆澄の名を呼ぶ初音の頭上で雷鳴が轟いた。
それと同時に、ふわりと右耳を優しく覆われた。帆澄が動く左手で初音の耳を塞いでいる。
「雷、が怖いのだろう。大丈夫、だ。すぐに遠くに……」
「こんな状態なのに、どうして私なんかの心配を」
私なんてそんな価値ないのにと、初音の目から涙があふれた。
「初音さんを傷つけるつもり、は、なかった。す……まない」
「大丈夫です。傷ついてなんていません。帆澄様は何も悪くありませんから!」
「だが……あなたを、泣かした」
「そ、それは。帆澄様が私より妖を守るといったのが、すごく悲しくて。私のただの我儘なんです。だから気にする必要はありません」
帆澄の手が耳を離れ、流れる初音の涙を掬う。そして青白い顔で微笑んだ。
「それなら、なおさら……すまない。約束しよう。……俺は初音さんを一番に守る、あなたは俺の妻になる……んだから」
「分かりました。だからもう、お願い……話さないでください」
ぐずっと洟を啜る。その言葉がもらえただけでもう充分だ。
右腕以外の皮膚に変色は見られないが、毒は内臓に及んでいるのかも知れない。もう一度癒しの術を使おうか。初音が思案していると、上空から呑気な声が聞こえてきた。
見上げれば、豪雨の中で黒い翼を広げた妖が空からこちらを見下ろしている。
「おーい、大丈夫か?」
「棟馬?」
「帰りが遅いから探しにきた。うわっ、これは厄介な毒にやられたな」
急降下すると、帆澄の傍らに膝をつき右腕に触れる。「地狐だな」とその肌の変色だけで毒を見抜いた。
「私のせいなの。私を守ろうとして、こんなことに……」
涙声で訴えた初音の頭を、棟馬がぽんぽんと叩いた。
「それならこいつも本望だろう。ずっと守ってやりたいと言っていたから」
「えっ?」
「大丈夫。地狐の毒なら解毒剤を作れる。急いで帰ろう」
棟馬はそう言うと、つむじ風を巻き起こし棟馬を持ち上げ、ひょいっと肩に担いだ。さらにはもう片方の腕を初音の腰に巻きつけ持ち上げる。
まるで米俵を二つ担いだような体勢に驚いたのは初音だ。
「えっ、私は歩けるわ」
「足を怪我している。それに飛んだほうが速いだろう?」
その言葉と同時に、初音の身体がぐらっと揺れ宙に浮く。さっきまでいた河原がどんどんと小さくなっていった。
「と、棟馬、これはいったい」
「うん? 空を飛んでんの」
それは分かっている。ただ、人を二人も担いで飛べる妖などそうそういない、考えられるとしたら。
「もしかして、天狗、なの?」
「あれ、言っていなかったっけ。今度二人で空で逢引しようか?」
ははは、と陽気な笑いが、遠くで鳴る雷の音をかき消した。
印を結べる妖は、妖力の弱いものだ。それなのに天狗なんて強い妖がどうして帆澄と印を結んでいるのか。
頭の中は疑問だらけで、初音はもう考えるのを手放した。
長屋といい、帆澄の身体の黒い痣といい、棟馬といい。頭がいっぱいだ。
「棟馬が一番どうでもいいわ」
「おっ、なんか褒められてる?」
「……そうね」
初音は胡乱な目で、足もとに流れる景色を眺め続けた。
*
八重樫の家では、当主である父親が頭を抱えていた。理由は、帝から届く勅令がさばききれなくなっていたからだ。
もう随分前から、妖を封じられるほど強い破魔の力を持つ者は、減っていた。しかしそれを帝に悟られては八重樫の権力が下がる。そこで少しでも破魔の力を持っていれば、妖を封じることができる人物であると帝に伝えていた。
水増しすればした分だけ、帝から届く勅令の数も増える。それらの帳尻を合わせていたのが初音だった。
父親は初音が宮應に嫁いだあとも、引き続き八重樫の仕事をさせるつもりだった。しかしそれは帆澄によってことごとく邪魔をされている。
そもそも、別邸の場所を父親は知らされていない。しかたなく手紙を届けたが、返事がこないどころか、先日まとめて返却されてきた。
手紙を送り返してきたのは帆澄だ。わざとらしく「手違いで八重樫の勅令がこちらに届いていた」と書かれた手紙を、父親は忌々しく握りつぶした。
さらには、当主の命令だからと最初は大人しく従っていた分家も、そのあまりの勅令の数に首を横に振り出した。「怪我をしている」「先日遠方から帰ってきたばかりだから、他の分家を当たって欲しい」そんな言葉を言われ続け、最近では分家を直々に周り、帝の勅令を受けるよう頼んでいる。
そもそも、父親に破魔の力がない。いままでは初音の手柄があったから八重樫家の当主として権限を持っていたが、初音が嫁いだ今となってはただの出来損ないだ。そんな男になぜ命じられなくてはいけないのかと、分家からも不満は出ている。
「なんとかしなくては。おい、美琴を読んできてくれ」
障子を開け、近くにいた使用人を呼び止めると、すぐに美琴を連れてきた。春人も一緒だったようで、隣にいる。これは都合がいいと、父親は二人に座るよう言った。
長卓を挟んで座ったところで、父親が切り出す。
「二人の婚約の儀を早めようと思う」
初音との婚約が破談となったため、少し間を開けてから婚約の儀を行うつもりだったが、そうも言っていられない状況になっている。
身体の弱い美琴を危険な目に遭わせたくなくて、妖封じをさせたことはない。しかし、生まれながらに持つ破魔の力は弱いものではない。春人にいたっては、初音に次ぐ実力者だ。この二人を結婚させれば当主としての地位も再び確固たるものになると考えた。それに、春人を婿養子に迎えてしまえば、初音のようにこき使うことも可能だ。
「本当ですか! お父様」
父親の発言に美琴は両手をぱちんと合わせて喜ぶ。隣にいる春人は、少し疲れの滲んだ顔で微笑んだ。最近やたらと帝都の近隣で狐の妖が出る。そのたびに遠出を命じらえていて、疲れがとれない。本家はおもに帝都を守るので、これで遠征は免れるだろうと考えたようだ。
「私としても、早く正式に美琴さんの婚約者となりたかったので、嬉しい限りです。両親も喜ぶと思います」
「そうか、それはよかった。では準備を急がねばならないな」
「でしたら春人様、今から呉服屋へ参りませんか。着物を仕立てないといけません」
「今からか。だが、僕は昨日遠征から帰ってきたばかりで。今日は美琴の顔を見に来ただけだから」
尻込みをする春人に、美琴は頬を膨らませた。
「もう、またいつ遠征に赴かなくてはいけないか分かりませんから、今日のうちに準備を進めたいのです」
「そうだな。夕方には帝からの勅令が届く予定となっている。なんならここから向かったらどうだ。実家には、儂から連絡をしておく」
その言葉に、春人がげんなりとする。休む間もなく着物の仕立てに付き合わされて、あげくそのまま妖を封じにいけというのか。そう思うも、次期当主の座をもらえるのだからここは従うしかない。やるせない気持ちを心に抱えたまま、春人は「分かりました」と答えた。




